平成26年度「長井の心を育む推進事業」で公開した写真を取り上げる。
長井のまちには、その歴史の中で様々な建物があらわれては消えを繰り返してきた。現存しているものもあれば消えてしまったものもある。その時々の人々の暮らしを彩り、時代を形どってきた建物等を、大正3年・昭和9年の時間軸周辺でご覧いただく。
県立長井中学校の大正3年対昭和9年
大正3年の地図
中学校の創設は大正9年、3年当時はまだない。西置賜郡の悲願であった中学校建設はその6年後に実現する。
昭和9年の地図
山形県立長井中学校(現長井高等学校)が創立したのが大正9年。新校舎が出来るまで、長井小学校に間借りしており、第1回目の入学式は長井小学校で行われた。創立開校式も長井小学校で執り行われ当時は教職員7名、生徒数は96名だった。新校舎建設に合わせて、道路を敷設し、地図上には「中学校北新道」の記載もある。校舎竣工は大正10年10月15日で、授業開始はその2日後の17日からである。長井町には、女学校もあったが、この2校は統合、分離、統合を繰り返し、女学校は長井工業高等学校の設置に合わせて消滅する。長井中学校と女学校は別々にあったため、「長井第一高等学校」「長井第二高等学校」、そして「長井南高等学校」「長井北高等学校」と改名、そのため、統合後も「長井高等学校」となってもしばらくは「南高」の呼び名が根付いた。
創立時の校舎写真
昭和9年発行の町勢要覧に掲載された「県立長井中学校」の写真。校舎前は田圃だ。