古写真から情報を読み取ります。長井の昔を楽しんでください。「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。
昭和32年7月には戸籍発行に複写機がお目見え。「今まで皆さんが戸籍謄本を必要な場合、市役所の窓口で長時間待っていただきましたが、複写機を購入、ほんの短時間のうちに出来上がり、いままでのようなご迷惑をかけなくてもよくなりました」と市報で紹介している。市役所で初めての複写機導入。そのまま、写るんだどー。驚きが目に浮かぶようだ。
古写真から情報を読み取ります。長井の昔を楽しんでください。「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。
昭和32年7月には戸籍発行に複写機がお目見え。「今まで皆さんが戸籍謄本を必要な場合、市役所の窓口で長時間待っていただきましたが、複写機を購入、ほんの短時間のうちに出来上がり、いままでのようなご迷惑をかけなくてもよくなりました」と市報で紹介している。市役所で初めての複写機導入。そのまま、写るんだどー。驚きが目に浮かぶようだ。
古写真から情報を読み取ります。長井の昔を楽しんでください。「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。
市章の図案を公募。昭和30年6月のことである。昭和29年11月15日に新生・長井市が誕生したが市章はまだ無かった。「ふるつてご應募ください」と市報で大々的に呼びかけた。賞金は一等が5千円、二等が千円、佳作が商品となっている。締め切りは7月15日で、385点の図案が寄せられた。その図案が貼り出されたのが写真だ。審査風景かもしれないが、さだかではない。
1等賞には「長井市横町 大沼喜三郎氏」。その図案が下記の写真だ。
昭和30年9月25日発行の市報に掲載された。以降、駅前道路に整備された歓迎ゲートにも採用されたが、市章にはならなかった。その理由の記載はないが、その8年後、長沼孝三氏によるデザインの現在の市章が制定された。合併後9年後のことである。
古写真から情報を読み取ります。長井の昔を楽しんでください。「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。
うれそうな園児の顔、市立保育園の園児たちが抱え込むぬいぐるみは、父母の会の手づくりだ。昭和36年9月のこと。ぬいぐるみは市販はされていただろうが、まだまだ、そう多くはなかった時代だ。会員15人で作ったと記載されているが、屈託のない子供たちの笑顔がいい。ものは溢れていないが、あったかさがにじみ出ている。
古写真から情報を読み取ります。長井の昔を楽しんでください。「長井市文教の杜」に保管している古写真のコレクションを紹介します。
ところは、五十川岡鼠原公民館。昭和36年春のこと。まだまだテレビは普及していないが、地区民に楽しんでもらおうと、地区長さんが奔走、実現した。試験的に大相撲春場所期間中、テレビを借りて公民館に備え付けたもので大好評だった。子供は夜8時まで、大人は10時まで見ることができた。テレビは高価な時代、地区役員が交代に泊まった。長井では、NHK長井テレビ中継局が開局したのが昭和36年12月のこと、あまり画質はよくないことが予想されるが、テレビを見たときの驚きは、今も覚えている。そういえば、人の家まで押しかけて大相撲を見た人も大勢いた。
まちなみ、それはここ長井の歴史を表すもの。その時その時の時間が封じ込められている。
下写真は十日町道路で、十日町クランク十字路から長井橋に向かう県道である。
2枚の写真とも、奥に見えるのは「長井橋」である。十日町・長井橋間の県道は、長井から浅立を経由し荒砥へ、さらに山形方面に行く重要道路であった。幅員も5.5メートルと狭く、交通量が多かったため支障をきたしていたため拡幅工事と、合わせて十日町郵便局から真っ直ぐ伸びる「十日町バイパス」を新たに整備することとなった。
長井橋から西に185メートルの区間を幅員11メートルに拡張、現在の丸勝自動車あたりだが、そこから十日町郵便局まで幅員11メートルで新設したもの。この工事で14戸が移転した。昭和38年から3年かけての整備だった。昭和40年からは3年計画で、この区間と十日町郵便局から谷地橋の舗装を行っている。道路改良は大きくまちなみが変わっていく。
この写真は十日町バイパスの起点である十日町郵便局から東方を写したもの。道路が途中で切れている。