桃と栗は、植えて3年くらいで収穫が出来ます。石の上にも三年と申します。
でも昔は、桃と栗ばかりを植える農家は桃栗農家といわれました。
一方、柿は収穫までに八年もかかってしまう。
柿を植える農家はあまりなく、尊敬されたといいます。
さらに梅は十分収穫ができるまでには、なんと20年もかかってしまいます。
紀州の梅は有名ですね。
これは、私たちの人生や仕事も、同じではないでしょうか。
3年くらいの視野でやるのは、まだまだ本物ではない。
本当に良いものを提供しようと思えば、
8年かけて、いや20年かけて、実を実らせる覚悟がいります。
私も今月で大東住宅に入社して27年目に入りました。まだまだですが。
柿梅農家でいきたいものですね。
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どんな農家になりたいですか
2015.02.14:m-kuma:コメント(0):[熊谷 昌則/レポート集]
思い出をいつまでも
今朝、ニュースを見て、「なぜ、こんなことが」という気持ちがこみ上げてきました。
震災の5mを越える大津波に耐え、家族を守ってくれた、南浜町H様の「ソーラーサーキットの家」が、
心ないものの、こころない放火という行為によって、あのような姿になるなんて、
H様は手放されているとはいえ、こころが痛くなりました。
このような突然なことで、建物が無くなってしまったのが残念でたまりません。
震災から4年経っても、南浜町に一軒だけ建っていた凛とした姿は、いつまでも忘れません。
今まで、ありがとう。
震災の5mを越える大津波に耐え、家族を守ってくれた、南浜町H様の「ソーラーサーキットの家」が、
心ないものの、こころない放火という行為によって、あのような姿になるなんて、
H様は手放されているとはいえ、こころが痛くなりました。
このような突然なことで、建物が無くなってしまったのが残念でたまりません。
震災から4年経っても、南浜町に一軒だけ建っていた凛とした姿は、いつまでも忘れません。
今まで、ありがとう。
2015.02.13:m-kuma:コメント(0):[熊谷 昌則/レポート集]
私のごちそう
節分が過ぎてしまい、ちょっと、時期を逃しましたが、
富谷のT様から、いろいろな大豆を譲っていただきましたので紹介します。
先日、ご紹介した「紅大豆」をはじめ、すべて無農薬で育てた大豆だそうです。
この鞍掛豆(くらかけまめ)は実は青大豆の一品種です。
皮種の模様がとても変わっていて、馬に鞍をかけたような模様に見えたことから、
鞍掛豆という名前になったそうです。
他にも、パンダみたいな模様に見えることから、「パンダ豆」と呼ばれたりもします。
食物センイはゴボウの約3倍。
ビタミンB1はグァバやプルーンの6倍だそうです。
どんな調理をしたらおいしいか愉しみです。
大変珍しい「極小粒黒大豆」はストーブで煎って、ビールのつまみに食べてみました。
美味しく、安心していただきます。
富谷のT様から、いろいろな大豆を譲っていただきましたので紹介します。
先日、ご紹介した「紅大豆」をはじめ、すべて無農薬で育てた大豆だそうです。
この鞍掛豆(くらかけまめ)は実は青大豆の一品種です。
皮種の模様がとても変わっていて、馬に鞍をかけたような模様に見えたことから、
鞍掛豆という名前になったそうです。
他にも、パンダみたいな模様に見えることから、「パンダ豆」と呼ばれたりもします。
食物センイはゴボウの約3倍。
ビタミンB1はグァバやプルーンの6倍だそうです。
どんな調理をしたらおいしいか愉しみです。
大変珍しい「極小粒黒大豆」はストーブで煎って、ビールのつまみに食べてみました。
美味しく、安心していただきます。
2015.02.04:m-kuma:コメント(0):[熊谷 昌則/レポート集]
災害公営住宅新築工事・・・・・七ヶ浜町松ヶ浜地区
七ヶ浜町松ヶ浜地区で工事をさせていただいています災害公営住宅は、
基礎工事がほとんど終わり、木工事・屋根工事を行っています。
ブルーシートがかけられ、建物の外観も見えない状態ですが、
三月の引き渡しにむけ工事を進めております。
入居予定の皆様、大変待ちどおしいことと思いますが、
しばらく、お待ちください。
2015.01.08:m-kuma:コメント(0):[熊谷 昌則/レポート集]
Coねこ歩き・・・・・里親さがし
最後に残った黒Coねこも、やっと里親がみつかり、引き取ってもらいました。
生まれて5ヶ月、12月の寒さに耐えていたので、誰か引き取ってもらえないか、心配していました。
ご飯をやりに行くたび、「早く、誰か里親をさがしてくれ」と、言っているような鳴声で、
すり寄ってきていました。
家族ができ、落ち着いたような顔をしていたのでホッとしました。
太白区のHさん今後ともよろしくお願いします。
生まれて5ヶ月、12月の寒さに耐えていたので、誰か引き取ってもらえないか、心配していました。
ご飯をやりに行くたび、「早く、誰か里親をさがしてくれ」と、言っているような鳴声で、
すり寄ってきていました。
家族ができ、落ち着いたような顔をしていたのでホッとしました。
太白区のHさん今後ともよろしくお願いします。
2015.01.06:m-kuma:コメント(0):[熊谷 昌則/レポート集]