相手のために出来る限りのことを尽くすのだけれども、
そのせい一杯にも物理的には限界があります。
それをごめんなさいとお詫びする。
その「お詫び」の気持ちのあらわれが「わび」だと。
確かに肉体をもつ私たちには、物理的な限界があります。
できるなら相手のためになんでもやってあげたい。
その大いなる思いがあっても、
私たちは有限な存在で、できることしか出来ない。
その出来る限りを尽くしたとき、わびの「美」が顕れると思います。
最後の1%に、神が宿る。
もしそうなら、それが単に「わび」ではなく、「輝き」を放つはずです。
震災から4年経とうとしています。今だから話をしますが、
当社の家は、石巻市南浜町の放火された建物のように、5m以上の津波にも耐えてくれました。
耐えてくれた家だからこそ、そのままには出来ませんでした。
危険地域以外の、すべての家を泥かきから始めて、毎日とにかくこれでもか、これでもか、そのくり返しでした。
震災直後は泥だらけだった家も、日に日に、徐々にではありますが、きれいになっていきました。
きれいになるにつれ、少しの汚れが見えてくる。目につくようになる。もうこれ以上は・・・。
十分に対応できなかったこと、今だからお詫びいたします。
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