今だから、お詫びします。

相手のために出来る限りのことを尽くすのだけれども、

そのせい一杯にも物理的には限界があります。

それをごめんなさいとお詫びする。


その「お詫び」の気持ちのあらわれが「わび」だと。

確かに肉体をもつ私たちには、物理的な限界があります。


できるなら相手のためになんでもやってあげたい。

その大いなる思いがあっても、

私たちは有限な存在で、できることしか出来ない。


その出来る限りを尽くしたとき、わびの「美」が顕れると思います。


最後の1%に、神が宿る。


もしそうなら、それが単に「わび」ではなく、「輝き」を放つはずです。


震災から4年経とうとしています。今だから話をしますが、

当社の家は、石巻市南浜町の放火された建物のように、5m以上の津波にも耐えてくれました。

耐えてくれた家だからこそ、そのままには出来ませんでした。

危険地域以外の、すべての家を泥かきから始めて、毎日とにかくこれでもか、これでもか、そのくり返しでした。

震災直後は泥だらけだった家も、日に日に、徐々にではありますが、きれいになっていきました。

きれいになるにつれ、少しの汚れが見えてくる。目につくようになる。もうこれ以上は・・・。

十分に対応できなかったこと、今だからお詫びいたします。

2015.03.05:m-kuma:[熊谷 昌則/レポート集]

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