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お掃除・・・その4

窓(window)掃除。

私の席の後ろにも、窓があります。

窓からはシンボルツリーが見えます。



このようにきれいに見えるのも、窓ガラスがきれいだからです。

お店や展示場に行って、窓ガラスがきれいだと、気持ちもいいし、

そこで働いている人たちの、お客様に対するこころ使いも感じられます。

きれいな窓を通してすばらしい未来が見えます。

窓を通してスクスクと成長する大樹に見守られているように感じます。

師走に入りました。窓をきれいに掃除をしましょう。

シンボルツリー  その2

昨日、紹介したシンボルツリー メタセコイア。

あまり聞いたことが無い名前の木だと思いますので、簡単にご説明します。


スギ科メタセコイア属の針葉樹。

一属一種。

和名はアケボノスギ(曙杉)、イチイヒノキ。

歴史は、1939年に日本で常緑種のセコイアに似た、落葉種の植物遺体
(化石の一種)が発見された。発見者の三木茂博士により「メタセコイア」と
命名され、1941年に学会へ発表されました。

当初、「化石」として発見されたために絶滅した種とされていましたが、
1945年に中国四川省磨刀渓村の「水杉(スイサ)」が同種とされ、
現存することが確認されたことから「生きている化石」と呼ばれることも多くなりました。

その後、1949年に国と皇室がそれぞれメタセコイアの挿し木と種子を譲り受け、全国各地に植えられました。


当社のシンボルツリーもその頃に、植えられたのでしょうか。

そうしますと、もう樹齢60年になります。

確かに、幹まわりを観ると、その年齢を感じますね。



メタセコイアは昭和天皇が愛した木だそうです。

昭和30年代生まれの私にとっては、今までと違った愛着を感じます。

シンボルツリー

事務所敷地内に立っている、

シンボルツリーのメタセコイアもきれいに紅葉しました。



私が21年前に入社した時には、まだ、半分ぐらいの大きさでしたが、

年月と共に成長し、

今では、立派なシンボルツリーとなりました。

このメタセコイアは、冬のソナタに登場した並木道、

ドラマのファンからもシンボルの一つとして扱われていました。



ちょっと、散歩

勾当台公園を散歩していましたら、



「国道45号起点」の石碑をみつけました。

私は松島に住んでいます。

いつもお世話になっている国道45号線、

仙台から青森まで総延長510.7km。

ここがスタート。

神様のお導き

塩釜市港町に新築工事をしておりましたN様邸が完成しお引渡しができました。

お引渡しと一緒に、天照大御神と塩竃様をおまつりするお宮がもとの座にもどる、

遷座式を行いました。




(一社 稲荷形式のお宮)


25年前に港町から引越しをしました。

神様のお導きにより

港町に戻ってくることとなり、

住んでいた住所と同じ住居表示を頂くことともできました。

ありがたいことですね。

新しい家に、神棚をおまつりしますと、いっぽん芯が入って気持ちが引き締まるように感じます。

末永いお付き合いをお願いいたします。