昨日、25日に祖父の告別式を行いました。
関係者の皆様にはお忙しいところお手伝い、またお越し頂きまして誠にありがとうございました。祖父も喜んでいると思います。
じいちゃん、ばあちゃんと一緒に未成年時期は過ごしていただけに思い出が絶えません。孫代表として弔辞も読ませて頂きたいたが、言葉につまり、言葉にできない状況でした。
最近話をしたのはじいちゃんが散歩している時に私がジョギングをして公園で座って話をしたのが記憶に残っているところで、後は実家で挨拶くらいでした。
その時の内容には俺もあと少しでいくからと言っていたのを覚えております。
もしかしたら、自分のことはやはり、自分でわかっていたのではと考えるところです。
近年、殺伐とした事件が多いのは共稼ぎや祖父母との関わりが少ないため、不安や不満の吐きどころがないからだと思います。
その点では、私はじいちゃんたちと同居していて常識や困りごとなど話していたのかもと実感しております。
じいちゃんからは人を思いやる気持ちを学びました。
茶の間にいくといつもまだ従業員の人残ってんのか?
はやぐかえせよとよく言われてました。
わがってっけどよ仕事が終わんなくて帰らせたくてもできないんだとよく話したものです。
しかし、じいちゃんの言葉は先人の教えとして常にそうなれるように思っております。バタバタして心がないつまり、忙しい時は見失うことがありますが、人を思う心は持ち続けていきたいと思います。
人生とはいつ何が起きるかわからないなと思いましたし、今できることを精一杯頑張ることが悔いのない人生を歩むのかなと感じているところです。
皆様も身内を常に気にかけて思いやりのある言葉遣いや行動を見直して見てはいかがでしょうか?
私は今、そこにじいちゃんの死を経て再度気づくことができたかなと思っております。
祖父の葬儀
2011.12.26:kg-kikuchi:[菊池幸生|スマイル日記]
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