ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」 

 日本の水田平均耕作面積は2020年調べで2.50h。
 10年ほど前、それを政府が山間地で20h、平地で30hを目指すという話を聞いて驚いたが、既に新潟県や、秋田県、山形県庄内地方の平野部では50h、100hの大規模経営が生まれているという。
 他方ここに来て小さな農家の離農が一層目立ってきた。
「大規模農家に田んぼを任せろ。そうすれば離農補助金をだす」。こんな政策が離農に拍車をかけるようになって久しい。
たとえば、どの農家もやがて迎えることになる農業機械の更新。大規模経営を目指す、農家や農業法人には更新費用の1/2や1/3を国が助成するが、それを目指さない(目指せない)農家には一切の助成金は無し。でも、生産原価にすらとどかない今のコメの価格(生産原価は1俵60kgあたり15,000円前後・・農水省発表。農家のJAへの売り渡し価格は同じ量で12,000円〜9,000円ぐらい))からは機械の更新代はままならず、故障を機会に農業をやめざるを得ない。その上、4割の減反だ。
 誘導される農政によって多くの人たちが幸せになって行けるのなら、これも仕方ないが、向いている方向は化学肥料と農薬にいっそう傾斜するケミカルの世界。循環型農業などは遠い世界の話だ。環境や生態系、人体に与える影響も軽視できない。
 またその規模拡大政策では村に人が残れない。原価を割るひどいコメ価格の中、大規模農家とて決して経営が安定できるわけではなくその分、赤字額も大きい。かくして村社会の崩壊はいっそう進む。
 煎じ詰めて言えば、食べる者、作る者、暮らす者には決して貢献しない農業政策。SDGsに逆行する。農水省が言う「みどりの食料システム戦略」が聞いてあきれる。
 我が家の水田面積は今年も約470アール。農薬を減らした循環農業はこれで精一杯。だから規模拡大は出来ないし、しない。よってわが菅野農園は離農を後押しされる側にいる。
 菅野農園では農薬を減らしたコメ作りに早くから取り組み、この農法を支持してくれる方に直にお米を届けることで、どうにか暮らしていけるが、そうでないならとっくに離農せざるを得ないところだ。
 こうして志しある生産農家の意欲を潰し続け、後継者を排除し、豊穣の国、瑞穂の国日本を「先進国」中最低の自給率37%国家にしてしまった。未来につなぐ政策の基本構図が根本的に間違っている。
バイデンだって79才。そこからしたら俺はまだ72才でしかない。俺もこの国の首相に立候補して、政策を根っこから変えてやろうかな。
誰だっけ?

 少し前の事だけど、早朝、道路近くで農作業をしていたら、私より少し年上の人が散歩しながら近づいて来て親しそうに話しかけてきた。その人はシッカリとマスクをかけ、おまけに深く帽子をかぶっている。誰なのかが良く分からない。しばらく軽く話を合わせた後で、
「どなたでしたっけ?」と尋ねた。
「えっ、俺が分からないか?俺だよ、俺!」
彼は笑いながらマスクと帽子をとった。
「あぁ、な〜んだ。ようやく分かりましたよ。マスクだし、帽子だし・・、どなたなのかが、全くわかりませんでした。散歩ですか?」
「うん、ここのところ足腰が弱ってきているのでな。歩けなくなったら困るからよ。」
そう言って彼はマスクを着けなおし、帽子をかぶって歩いて行った。
彼の背中を見ながら私は・・はて・・誰だっけ?

 いや、ホント。こんなことが最近増えて来ました。
そうなんですよ。このFBを読まれる方の中にも、私とほぼ同世代の方がいて、きっと「ある、ある・・」となりますよね。
車のハンドルを握って町まで買い物に行って来た。
ヤッホー!!2年ぶり!
2年前、大きな病気の後遺症で、机でデスクワークをしていたら、「フッ」と意識が飛んだ。
病気のあと、過度なストレスがかかるとそうなることもあるらしい。
母親の介護で夜も昼もなく起こされて・・かなりつらい日々が続いていた。
「お薬も出しているし、もう繰り返すことはないと思いますが・・。」
医師の判断で2年間の運転停止だと。
そして2年。車が無ければ不自由極まりない田舎社会。どこに行くにも妻や友人頼み。彼らも俺も良く耐えたと思う。
ようやく運転免許証が戻ったきた。
その間、様々な「気づき」を得た。
あなたがもし、俺の二年前しか知らなかったら「あれつ、菅野さん、変わったね。」となるかもしれないよ。
田植えが終わりました。
田園は一気ににぎやかになってきました。ついこの間まで銀世界だったのに、ブナやナラの山々は、新緑をまとい、日々その色を濃くしています。雪は頂に少し残すだけ。田圃では名も知らないたくさんの野の花たちが、その美しさを競い、早苗が広がる水田からはカエルの合唱、ヒバリの声。軒先からもツバメやスズメの鳴き声に、我が家の場合はニワトリたちの声も重なります。もうじき蛍たちも飛び立つでしょう。いい季節になりました。
 そんな季節にもかかわらず、気が重くなるのは、ウクライナは置くとして、40%を超えるコメの減反。食糧不足がすぐそこに来ているし、街には明日の食べるモノとてない人たちがたくさんいるのに、この国の政治、それを支持し続ける人たちにいう言葉もない。
田植えが終わった。今はあれほどあった朝日連峰の山々の残雪もすっかり姿を消し、いつの間にか濃い緑になっていて、一面に広がる淡い緑色の早苗田とのいい組み合わせとなっている。田の畦には「春シオン」、「忘れな草」、「オオイヌノフグリ」、「ジシバリ」などの色とりどりの野花が咲き誇り、いま田園は美しい。
 ところが近年、そんな緑の風景の中に赤茶けた異様な光景が目につくようになった。畦の草という草が枯れているのだ。原因は除草剤。新緑の春なのに・・・と、見るものの心を荒ませる。
葉や茎は風雨が畦を直にたたくことから守り、その根は土をつなぐことでその崩壊を防いでいる。これらのことは農民ならば誰でも知っていることだ。畦の草は刈るものであって、根から枯らしてしまうものではないのだがこの光景は年々広がる傾向にあるのだから切ない。
 背景には1農家あたりの耕作面積の拡大がある。草を刈りきれないのだ。管理能力を超えた規模拡大と、少しでも手間を省く選択としての除草剤。
農民をこのように追い立てるものは、グローバリズムを背景に、「成長産業」として農業を位置付け、小さい農家の離農をすすめながら大規模農家・生産法人・企業の参入を促進しようとする政策がある。米価も今から40年前の価格まで下がり、とても経営としてはやっていけない。小さな農家は米作りから、やがて農業そのものから離れて行った。水田は残された農家にどんどん集まって行った。その農家が断れば、水田は荒地に戻っていく。残った農家はそれが分かるだけに無理を重ねて引き受けようとしてきた。そんな中での除草剤だ。まわりきれないのだ。
 その政策によって産み出されたのは赤茶けた畦畔だけではない。大規模化にともない農法は化学肥料と農薬に一層依存するようになった。農法の省力化がすすみ、環境政策の後退がもたらされている。
 更にその農家が倒れたならば村にその代わりはないという状態の中にある。生産基盤がとても危うい。どうなっていくのだろう。畦畔の草はそんな明日の不安も暗示させる。
 少しでもこの風潮に抗って行きたい。畦畔の草は散髪しよう。大げさに聞こえるかもしれないが、そこに農業の未来だけでなく、いのちの世界の可能性が広がっているように思えるからだ。そう思う者がまず率先して草を刈り、この美しい田園風景を守っていくことだ。本気でそう思う。

 写真は野花で囲まれた、除草剤を使わない我が家の田んぼ・・散髪はこれからだ。
 ツバメがついに我が家にやって来た。
天空を飛ぶツバメを見たのが4月始め。以来、いつでも入って来れるようにと玄関の戸を30cmほど開けて待ち続けた。4月の10日ごろ、まずオス鳥が先乗りし、一週間後にメス鳥もやって来て、いよいよ巣作りを始めるかと思っていたら、メス鳥が何やら騒がしくオス鳥に話しかけ、その内2羽一緒に出て行ってしまった。いつかは戻って来るかもしれないと玄関を開け続けて1ヶ月余。帰ってこない。恋人に去られたというのはこんな感覚か。 

 そんな気分でただひたすら待ち続けた。
そして遂に5月12日。先乗りのオスがやって来て、日を置かずにメスがやって来た。前に出て行ったツバメと同じかどうかは分からないが、ツガイで泊まるようになり、巣作りを始めた。ようやくいつもの季節が始まった。ただそれだけの事なんだけどさ。部屋に広がるツバメのさえずりがうれしい。

 5月18日から我が家でも田植えが始まった。4月の中旬からずっと農繁期が続いている。それほどハードな仕事はしてないのに毎日がヘロヘロ。頼まれた文章も書けない。新聞だって見るのも嫌なぐらいなのに、ツバメに関してはわずかな休息時間を利用してこうしてパソコンに向かっている。何やってんだろう、俺。
拙本「七転八倒百姓記」について、私の古くからの友人で農政ジャーナリストの榊田みどりさんがありがたい書評を書いてくれました。日本農業新聞です。左のダブルクリックで読むことができます。
あ、あれはツバメではないか?
天空を切るように飛ぶツバメらしき姿を見たのが4月の始め頃。その日から24時間、玄関の戸を開けて待つ日が始まった。 
4〜5日たったころ、1羽のツバメが玄関の中まで入り、休んでくれるようになった。やって来たのは1羽だけ。たぶん、先乗りだろう。まず1羽だけ早く来て、やがて2羽で暮らす準備を始めるに違いない。そう思いながら更に4〜5日たった。早朝に出かけて行っては、夕方に帰って来る。やっぱり1羽のままだ。泊まるのも1羽だけ。
そんなある日の朝、玄関からにぎやかなツバメの声が聞こえて来た。2羽になっている。そして盛んに何かやり取りしているようだ。「お、ついにツガイになったか!良かった、良かった。巣作りの打ち合わせでもやっているのかな。」
ほほえましい気持ちで様子を見ていた。
そのツバメ(たち)が二羽とも消えてしまったのはその翌日からのことだった。2週間ほど経つがまだ帰って来ない。どうしたのだろう?相変わらず、いつでも帰って来れるようにと、玄関を開けて待っているが、依然としてやって来ない。後からやって来た1羽が連れて行ってしまったのだろうか。
「ね、あんた!あっちに行こうよ。あっちの方が居心地はいいからさ」「いや、毎年ここで巣作りをして来たのだからここで良いよ。」「フン、あんたがそう言い張るならあんただけここに居たらいいさ。私は向こうに行くからね。」「お、おい、ちょっと待てよ・・。」
賑やかな会話はそんなことだったのかもしれない。近くの電線からツバメの声が聞こえる度に、ようやく戻って来てくれたか!と、空を仰ぐ毎日だが、まだ来ていない。(写真は昨年のもの)
宮崎県にお住いの西村さんから、望外の書評をお送りいただきました。ここでご紹介させてください。

『七転八倒 百姓記〜地域を創るタスキ渡し〜
菅野芳秀 著
 「信仰はわたしの生き方」
 かつて、そう言い切ったクリスチャンの友人がいた。ならば著者の場合はこうだろうか。
 「百姓は自分の生き方」
 著者は山形県長井市の決して豊かとは言えない百姓の跡取りとして生まれ育つ。その運命を漠然と受け入れつつも、働いても働いても楽にならない百姓の暮らしから逃れるかのように東京の大学に進学。
 そこで出会った成田三里塚闘争での農民の姿が、その後の著者の人生に多大な影響を与える。大学卒業後、沖縄での生活を経て帰郷。
 小規模農家を淘汰するかのような国のさまざまな農業政策を批判。百姓と地域を巻き込み自然と共生する農を基礎とした循環型社会創りに取り組む。
 著者は「百姓」を差別用語としてではなく、堂々たる生き方として誇らしく掲げる。
 そして、逃げ出さなくてもいい堂々たる田舎を次世代にタスキ渡しすることが、地域を、引いては日本を創るのだと熱く説く。
 生ぬるい生き方をしているわたしが、本著のレビューを書くなどおこがましいが、実に天晴れな生き様だ。これに尽きる。
 本著だけではなく、著者のFacebook投稿を読む度に感じるのは、自身が生きる地域への限りない愛と自然への畏敬の念、そして、百姓としての誇りだ。これなくして、地域を牽引するリーダーにはなり得ないのだと思う。
yさんへの手紙

ご無沙汰しています。お元気でしょうか?
季節はだいぶ春めいて来たとは言え、我が家の前には屋根から滑り落ちて来た雪、道路から除雪された雪が大人の背丈ほど残っています。
まだ梅の花も、フキノトウも芽を出していません。これからです。
雪景色を娘さんに見せたいとのこと、こちらはいつでも大丈夫ですが、4/12からいよいよ苗箱への土入れ作業が始まります。
それが今年の稲作、春作業の始まりです。私はその前ならご案内できます。もちろんおいでいただければその最中であっても、車をお貸ししますので
ご主人の運転で、のんびりとドライブや雪と山里の散策を楽しまれることは自由にできますよ。
いつでも、ご都合の良い日にお出かけ下さい。
今月の20日以降は水芭蕉が咲きだし、下旬には桜も満開になると思います。こちらでは梅と桜がほぼ一緒に咲きだします。
そうなれば、山にもブナやナラの若葉が付きだして、一面に春の景観がにぎやかに展望できます。
5/20を前後して田植えが始まりますが、その頃は更に田んぼの野花も咲きだすでしょう。
山の残雪と田んぼの早苗と野山の若葉と野の花々と・・
山形の春・・、とっても魅力的な季節となって行きます。
いつでもご都合の良い日においでください。
 (写真はこの4月4日。ダブルクリックすれば拡大します。)

菅野芳秀

若葉の4月がもうすぐそこだというのに、山々の残雪はまだまだ厚く、吹く風も冷たい。
とはいえ、あと1ヶ月もすれば水稲の種まきが始まる。
わが家も4月2日に、新しく中学2年生になる長女を筆頭に小6、小3年生の孫たち3人娘の助けを借りながら、種籾の滅菌作業を行った。
種もみを60℃のお湯に15分間漬け込む作業だが
時間を計る係、15分後に急いで池まで運ぶ係、それをいち早く冷やす係などを分担し、連携しながらのほぼ半日作業。
これが今年の稲作の仕事始めだ。
 作業前、段取りを説明しようとすると、「あっ、それ覚えている」と、すでにやる気が満々だ。
「作業が終えたらお礼代わりに何かおいしいモノでもご馳走するよ。何がいい?」と聞いたら、3人娘は「ピザ!」と応えた。小麦か・・。
 コロナに地震に、ウクライナと大揺れの時節だが、なんとか今年の稲作は、異常気象に合わずに秋を迎えることができるようにと願いながらの作業となる。
(写真は昨年の種子作業の模様)
コロナをきっかけとしたおコメのダブツキをこのFBで報じたところ、ありがたいご注文をたくさんいただきました。この場をお借りして感謝とお礼を申し上げたいと思います。
☀ 今年度も、菅野農園では3,000kgほどの注文減となっていました。影響を受けたのは、主に、レストラン、米屋さんなどの事業系。コロナ二年目ですがそれを充分に克服できずにいました。
誰が悪い訳ではありません。みんなが被害者です。それぞれの方も存亡の危機に立たされおり、注文減も仕方ありません。
☀ 更にそこにコメの暴落が重なって、菅野農園も値下げやむなしか・・・と思ったのですが、根拠なく今の価格に設定しているわけではなく、それでは経営が成り立ちません。ではコストを削減すべく、化学に依存するか・・、となれば、何のために農家をやっているのか、コメを作っているのかの根本が揺らぎます。
☀ そこでこの苦境を脱すべく、フエースブックでの呼びかけとなりました。うれしいことに、多くの皆さまから新規のご注文をいただきました。とてもありがたく感謝申し上げます。
☀ 先日、友達から、「たくさんのご注文が寄せられて良かったですね。友人、親戚に贈りたいが、まだおコメはありますか?」とのメールが来まして、「はい、まだ2,000kgほど・・」とお応えしたところ、絵文字で「苦笑」の返事が返ってきました。おもしろくも、ありがたい、ホンワリとした出来事でした。
☀ 水田5ヘクタールに満たない家族農業の菅野農園では、消費者から信頼される生産者になることで、経営の安定を図ろうと長年、殺菌、殺虫、化学肥料ゼロのコメ作りを続けてきました。
(今年度産は異常気象の影響を受けて、隣地の農家の田んぼにイモチ病が発生し、我が家の田んぼにも伝染しようとしたので、少しの農薬散布は避けられませんでした。ホームページのおコメはそのコメです。慣行栽培の農薬8割減のおコメです。因みに山形県の特別栽培米は5割減です。)
これからもこの基本姿勢に変わりはありません。余剰のおコメにつきましても、何とか解決すべく頑張って行きたいと思います。
 経営にこんなことは付き物ですね。
これからもよろしくお願いいたします。
            菅野農園
日本国際ボランティアセンター(JVC)の元代表理事の谷山さんが極めて貴重な視点を投げかけてくれています。
 ロシアの侵攻は決して許されないけれど、南西諸島(尖閣列島含む)や、千島列島にミサイルが配備されたら我々ならどう思うかなど、複眼的視点で考えて見なければならないという事でしょう。

谷山博史

2月24日 21:02 ·
「私たちはプーチンの要求に真摯に答えてこなかった」
 ロシアがウクライナに侵攻しました。ロシアと中国を同列化して、中国に対してもさらなる抑止と、いざという時のために戦う準備をしなければならない、という意見がはばを聞かせるでしょう。
 6時からさっきまでづっとBBCを聞いていました。様々な人が出てきて意見をり言っていました。殆どがロシアへの批判とロシアへの制裁強化を訴える中で、元駐ロシア英大使がこんなことを言っていました。
 私たちはプーチンの要求に真摯に対応してこなかった。NATOの東方拡大を止めてくれという要求もです。一方でNATOはウクライナにミサイル配備をしました。 
 私は大学院でロシア政治思想史を専攻していたので、ウクライナといえば帝政ロシアにとって対西欧の死活的な地域でしたし、キエフはロシア文学の舞台によく出てきました。キエフ出身のロシア詩人に傾倒もしました。
 そのウクライナをソ連が受け継ぎ、冷戦崩壊後に独立し西側に組み込まれました。ロシアにとっては西の防波堤がなくなったのです。帝政ロシアからソ連の時代を通して、西欧の脅威はロシアの最重要課題でした。ナポレオンに侵攻され、ナチスに侵攻された歴史はロシア人には忘れられないでしょう。第二次世界大戦だけでロシア人は2000万人が死んでいます。
 だからロシアを正当化するのではないのです。ウクライナは独立国です。軍事侵攻して傀儡政府を作るなどもってのほかです。対ロシアの外交の失敗を誰が意識したでしょう。ロシアのウクライナ侵攻の前、誰も、どのメディアもロシアの立場、意見を報道しなかったことが問題なのです。
 NATOがウクライナにミサイル配備をしたことを私も知りませんでした。怒り狂った熊をさらに追い詰めことになったです。南西諸島にミサイル配備をすればどうなるか、そのことを私たちは知らなければなりません。
 前回のFBで大きなことを言ったばっかりだけど、足元のピンチで苦しんでいる。こんな事なら、黙ってしおらしくしていれば良かった・・。
 以下をご覧ください。


 コロナ禍の中、コメ農家が大ピンチです。菅野農園でも「環境と食べる人のいのちに寄り添う」という志でコメ作りを進めてきましたが、殺菌、殺虫、化学肥料ゼロか、出来る限り化学に制限を加えたコメと謂えども、ダブつく在庫に頭を抱えています。
「このままなら安売り市場に投げ売りせざるを得ない。でもそれでは専業農家として暮らせない。」
こんなジレンマの中で悪戦苦闘しています。
おそらく全国の稲作農家も同じ状態でしょう。何とか出口を確保できた農家が、相互に融通しあい、支えあうしかないのだと思います。
 でも、生協などでは年間契約の為に、にわかに他から買い求める事が出来ないという事情も分かります。ですから無理をしないで下さい。

 ですが、まだお米の取り寄せ先が決まってない方がおいででしたら、菅野農園ホームページを検索してみて下さい。そこを基点に農家の横の連携を取りながら、対応して行きたいと思っています。ご協力いただけたらありがたいです。

菅野農園;ホームページ https://kanno-nouen.jp/
 
 俺は最近とみにコカ・コーラとトカゲを思う。

 トカゲをビンの中に入れて飼っていたら、やがて成長しビンから出られなくなってしまった。そんなトカゲに向かって、お前にはビンを割って出てくる力なぞはあるまい、そうだろうニッポン・・と寺山修司。コカ・コーラはアメリカ。

 戦後80年にもなろうとしているのに・・国を代表する外交政策も、国内政治の舵取りも、その予算編成も、当然ながら沖縄も、その他の基地問題も、原発も、農業政策も・・コロナ対策でさえ、コカ・コーラのビンの中、アメリカの言いなりだ。こんな国は世界に例がない。誇りを失った国、「植民地」ニッポン。


「イイじゃないか、その方が軍事費が掛からないし、安上がりでトクだから」
 バカタレ!損得のはなしでない!

この国の自立とそこにすむ我々の尊厳にかかわることだ。
日本をそのくびきから解き放つために、命がけで奮闘する政治家はいないのか。


 過日、鹿児島の知覧に行って来た。若くして、特攻で死んでいったたくさんの青年たちの手記に出会うためだ。18で、19で、20歳・・で。自分たちの死から教訓をくみ取ってくれるなら、決して無駄死にではないはずだ。そう信じて飛び立って行った多くの青年たち。そんな彼らの、たくさんの手記に出会えた。俺は戦後世代だ。彼らが託した「未来」の中に生きている。


 そして、悔しいが、いまだにビンの中だ。
 彼らに対して恥ずかしくない生き方は当然だが、単なる個人の「生き方」に留まってはならない。さて、どうする。どこから始める?


 いやいや、ちょっと待てって!決してイイカッコしいで言っている訳じゃないって!