ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
我が農園は今年も下のようにお米を作りました。 下の文章は定期的に買っていただいている方々へ9月分のお米と一緒に同封したものです。 <以下> 田んぼの稲は少しずつ黄色みをましています。 おかげさまで無事、新しい秋を迎えることができました。 今年も新米のご案内をお送りいたします。 1、品種;昨年同様に「ひとめぼれ」ともち米の「黄金もち」です。 2、肥料;堆肥中心で育てました。堆肥は「自然養鶏の醗酵鶏糞」と「レインボープラン堆肥」の二種類です。こだわりです。 3、農薬(殺菌剤);田植え時点の一回だけ。殺虫剤は使用しません。その後は玄米酢などで対応しました。我が家もこの米を玄米で食べます。 4、除草剤;一回のみ使用。あとは薬ではなく除草機をかけました。 5、価格;白米、七分とも10kgあたり5,000円(送料別)、玄米は4,600円で昨年同様です。もち米も同じ価格(3kgは別価格)です。少し高い印象を与えますが、堆肥使用、無農薬に近づいている農薬削減など、食と環境の安全に心がけた我が農園の米作りを支えていただければありがたい。 6、保管と発送;お米はモミのまま貯蔵し、夏は低温倉庫で保管します。毎月10日が到着日。風味が損なわれないように発送直前に精米しお届けいたします。 7、ご注文;メールかファックスでお受けいたします。一年分をあらかじめご予約いただければ、どこまでご注文をお受けしたらいいのかを押さえる上で助かります。 8、ご注文の変更;前月の月末までお知らせ下さい。調整いたします。 9、お支払い;郵便局の振込み用紙を同封いたします。もちろん月ごとでもかまいません 一年分一括の場合はお礼に我が家のレインボープラン秋野菜をお送りいたします。 9、新米の発送;今年は10月10日前にお送りできるようです。 10、締め切り;田んぼは昨年と同じ面積です。予定収量に達し次第、締め切りといたします。お早めにお申し込みください。 ================================ 今年は低い米価が更に下がりそうです。それにつけても、スーパーで売られているお米は安すぎです。この価格で農家が生きて行けるわけがない。でもなぜそんなに安いのか・・・。それには訳がある。こんな話を聞きました。 大量のくず米を混ぜることで安くできる。農家はLLの網目を通ったものをお米として販売し、それより小さいものはくず米として、1kg60円(毎年違いますが)ぐらいの価格でJAに売る。業者はそのくず米を集め、Mの網目にかけなおして得たお米をいいお米に大量に混ぜる。それで安い新米が出来上がるんだと。 わが農園ではニワトリの餌としてくず米を買い求めますが、ここ数年、くず米の値段が高値のまま続いています。上の話を聞いてその訳が分かったように思いました。農家のだしたくず米がいいお米の足を引っ張っている。農家は泣きますよ。 2010,9 ...もっと詳しく |
ここのところの1週間は実にあわただしかった。 「生ゴミは宝だ・第18回生ごみリサイクル交流会2010」が早稲田大学を会場に開かれ、参加した。ちょこっと話をさせていただいた。 アジア太平洋圏の農村リーダーたちが1年間の行程で栃木県の那須にあるアジア学院で、自給、自立のための農村開発を学んでいる。その研修生たちが今年も35名、マイクロバスに乗って我が農園に来られた。鶏舎などの掃除に忙しかった。 大正大学の学生たちが3名、我が家に2泊で遊びに来てくれた。大正大学ではレインボープランの研修がアーバン福祉学科・まち・環境・福祉コースの必須科目になっている。昨年、履修した2年生が、また来て見たいということで。 長井市はカソリックのシスターたちの会派を超えた共同研修地となっていて、今年も全国のさまざまな修道院や教会から20名のシスターたちが、2泊3日の行程で来られた。レインボープランの研修や農業体験、市民との交流が主だけど、我が農園も行程に入っている。 その機会にあわせ、日本を代表する平和・人権活動家として、世界を舞台に広く活動されているシスター弘田の「世界は今、人権、平和」の講演会をもった。100名を超える人たちが集まり、弘田さんから 「このテーマでこんなに集まることは東京でもないよ。」とほめられたが・・・。 家族はこの渦に巻き込まれた。 申しわけなかった。 そろそろ稲刈りの準備。 もっとゆっくりと時間が過ぎていく予定だったのだけど、そうでないみたいだった。 ...もっと詳しく |
朝、晩は幾分涼しくなってきたとはいえまだまだ真夏の暑さが続いている。
昨日の昼、温度計を見たら35度あった。 田んぼでの仕事はあるのだが外にでて働こうという気になれない。 お天道様が西に傾き、多少涼しくなった頃を見計らって田んぼに行ったら、ちょうど栄さんも軽トラックでやってきたところだった。栄さんは82歳。現役の農民だ。(2008,10「80歳の現役」参照) しばらく世間話をした後、栄さんはこう切り出した。 「来年からオレの残りの田んぼを作ってくれないか?」 栄さんからは昨年、40aほどを託されていた。 「孫が一緒にやるって喜んでいたのに、どうして?」 栄さんには20歳代の工場勤めをしている孫がいる。 「田植えを手伝ってくれたけどその後の管理は俺だけだった。遊びには行くが田んぼには来なかった。もうあきらめたよ。」 動力散布機を背中に背負い、杖をつきながら肥料を撒いていた。背負っているものの総量は20kgを超えるだろう。田んぼの畦なのだから当然のことながら足元が不安定だ。左手に杖、右手に散布機の筒をもって畦を進んでいく。 「オレの歳で転んでしまったならそれっきりだ。だから気を張っているんけれど、もう無理だよ。」 それでも栄さんは自家消費用の田んぼは何とか自分で耕すという。 「田んぼには小さい頃からのオレの思い出がたくさん詰まっている。離れたくないよ。お前にここの田んぼ45aをお願いできればオレは10a。最後までできるから・・・頼むよ。」 実は1ヶ月ほど前、隣村の米作り専業農家である豊さんからも30aほど買ってくれないかとの相談があった。100万円だという。ちょっと前までは10a100万円はした田んぼだ。今はその1/3の価格になっている。それでも買い求めたいという農家はなかなかいない。農協に売るお米の販売価格よりも生産費のほうが上回っているためだ。これが13年も続いている。 「無理だよ。1000羽の自然養鶏との複合経営。田んぼがケミカル依存なら何とかできるだろうが、我が家は違うから。」 若い農業後継者がいる我が家にこのような話が集まりやすくなっているのだろう。でも,隣村の田んぼまでは手が回らない。断らざるを得なかった。 すでに村の農家の平均年齢は70歳近くなっている。こんな話はこれからもどんどん生まれてくるだろう。我が家にも限度がある。それでも同じ集落の栄さんの話は引き受けざるを得なかった。 写真は栄さんの田んぼ。畦草はもう刈れない。除草剤の世話になっている。 ...もっと詳しく |
ちょっと前まで新潟県は魚沼の改良普及員として農業指導にあたっていた友人が以下のような書評を送ってくれました。
玉子と土といのちと (創森社) むかしむかし、新左翼という言葉がありました。独占資本からの開放、日帝の殲滅。まさに若者が社会の枠から逃れ出ようとした運動でした。 菅野さんはそれをニワトリの世界で実現したようです。 本の中ではニワトリの解放戦線をつくろうとアジっています。現在のニワトリはその大半がゲージという檻の中に数匹詰め込まれ、身動きも満足に出来なく餌も卵を産めばよいという目的でつくられただけのものを与えられています。 こう言うと何か私たちの生活が投影されているようで身につまされます。 かっての闘士がニワトリの解放区をつくって、空を飛ばしている様は実に愉快ではないですか。 文章も独特の決めつける「○○である」調を脱し、本人も言っていますが、「やさしく」かつ「語りかける」ような軽快な流れをかたちつくっています。 何故、「卵」でなく「玉子」なのか。 菅野さんの農業哲学、「ニワトリがよろこぶ」飼い方にあらわれています。 どうして、地べたをあるかなければならないのか。餌は地産地消でなければならないのか。そこに山の神様までご出馬されるから物語を一層おもしろくしています。 また、オンドリの話しなどは男どもに身の悲哀を感じさせられます。 この本は菅野芳秀そのものをさらけ出した世の人々への警告とも言えるでしょう。 ありがたい評価です。友達からこのような評価をもらえたことがうれしい。 ...もっと詳しく |
☀暑いですねぇ! それも毎日、毎日・・。
そのせいなのでしょう、田んぼの穂は例年に比べ1週間ほど早く顔をだしました。 今は高温障害が心配です。これにかかりますと、米が白っぽく変色し品質がグンと落ちてしまいます。水を張ること、それを時々抜くこと、新しい水をまた入れること・・など、とにかく水管理がその対策の全てです。 その点で我が家は朝日連峰の麓、水が切れることはまずありません。年中、冷たく清冽な水が流れています。 「我が里の何もなけれど何事もなく 田んぼに蛙(かわず)の声聞く夕暮れ」 これは91歳の母親の詠んだ句ですが(特に下の句はどこかで聞いたことがあるような)、きれいな水が豊かに流れているということがとてもありがたい。このような目から見ればいい農村なんですね。 ☁昨年から出番を待っていたお米は、モミ貯蔵庫から今年の3月に新しく建てた「低温貯蔵庫」に搬入しました。その際、全てのモミを玄米にしました。 その結果、今期のお米がどのぐらい足りないかが分かりました。8月発送分の足りないところを友人の作る特別栽培米・コシヒカリでお願いせざるを得なくなり、事情を説明しご承諾いただきましたが、毎月お米をとっていただいている方々にはご迷惑をかけることになってしまいました。 農家直送米の場合、新米のでる前の月あたりに昨年産米の過不足が明らかになるわけですが、その調整をどのようにしているのだろうか。足りなかった場合、あまってしまった場合、それぞれに対応が難しい。零細米作り農家の生き残りは「農家直送米」でと考えている我が農園としては、ぜひ知りたいところです。 このままずっと夏が続くのではないだろうか。秋になるのだろうか。 |
山形の百姓・菅野芳秀です。
昨晩、Hさんから電話がありました。 「本を出したんだって?」 「うん」 そうなんです。 「玉子と土といのちと」(創森社1575円) 7月20日付けですのでようやく書店に並んだころです。 ニワトリと共に暮らした30年のなかで見つけた面白い発見、 ええっそうなんだぁ!という出来事、そんな中から見えたニッポン・・などなどを 百姓の合間に書き綴ってきたものを本にいたしました。 「小料理屋のお通しのようなものをまとめて本にしたようなものです。」 メインデッシュが見当たらない。 そんな本なんです。 みなさま方には「謹呈本」としてお送りすべきなのでしょうが、ごめん。 一冊送料込みで2,000円を超えますので、全員にというわけにはいかず、 さりとてそのうちの半分の方に・・というわけにもいかず・・、結局どなたにも贈らずに ・・知らんぷりしていよう・・静かにしていよう・・と思っていた中でのHさんからの電話でした。 買って読んでくれといっているわけではないよ。 それはそれでうれしいのだけど、 ここはこの間、世話役さんとして奮闘してこられたHさんに一冊お送りして 辛口の書評を書いてもらい、皆さんには買って読んだつもりになっていただければ いいかなと。 「対象の不毛性を感じるよ。」 かつて全共闘運動が盛んだった頃、Hさんは、教授だったか、右翼だったかを相手に論争を挑んだときに発した言葉です。 「都会の青年はこんな気取った言葉を使うんだ!」 びっくりしましたねぇ。山形から出て行った田舎青年としましては。 そのときの光景が突然よみがえってきましたよ。 「お通しのような本にどうして書評ができるんだい?」 と控えめにつぶやかれることはあっても、ここは優しいHさんですから、 「対象の・・・」とはいわないよな。 どっちにしてもあまり関心はないよ。 そんな方が多数派だとは思いますが、 夏の盛りの・・・Hさんと菅野の劇場を・・・といったらHさんに失礼か・・ お楽しみいただければうれしいです。 それではHさん、今日発送いたしますので よろしくお願いいたします。 菅野芳秀 ということで、Hさんからの書評をここで公開させていただきましょう。 |
長いあいだ、ご無沙汰いたしました。
このたび『 玉子と土といのちと 』(四六判・220頁・定価1,575円=税込)を創森社から上梓いたしました。 全体を貫くテーマは「土はいのちの源」。 世のほとんどのニワトリたちはこれ以上ないほどの過酷な環境の中で暮らしています。ニワトリたちをゲージに追いやっているものは「経済効率」。そのモノサシは、我々自身にも向けられていて、日々追い立てられているような、余裕のない暮らしとなっています。 ニワトリたちをゲージではなく、大地の上に。 彼らを大地に解放することは、我々を「解放」することにつながっていくのではないか。そんなことをも考えながらの30年間の自然養鶏。でもそこには実際に取り組んで見なければ分からないさまざまな問題がありました。生煮えの理念を雪やタヌキやキツネたちが襲います。 玉子とニワトリから社会がみえる。 人間が見える。 土といのちと循環の世界が見える。 ちょっと気取ってますね。 内容はかつて「現代農業」誌に一年間連載したもの、あらためて書き下ろしたもの、それにブログで紹介したものなどで構成されています。 「まえがき」にも書いていますが、本にするほどの文章か・・・との戸惑いもありましたが、出版社の薦めもあって踏み切ることにいたしました。 期日にせかされて、本文の校正や、あれやこれやの文章を書いていましたので、ブログの更新がままなりませんでした。 「まだ更新されていない・・よっぽど横着なのか、何か病気にでもかかっているのか・・。」 ご心配をおかけいたしました。そんな訳だったのです。 機会があればぜひ手にとっていただき、お読みいただければ光栄です。 ...もっと詳しく |
田園はいま緑一色、むせ返るような緑、緑、緑の世界です。
稲はこれから、今までの体づくりを中心とした栄養成長期から、子づくりのための生殖成長期に移ろうとしています。聞きなれない言葉でしょうね。この移行期は7月中旬。この時期に合わせて農家は肥料を撒きます。子づくり応援ということですね。分施(ぶんし)といいます。撒く時期を誤れば、栄養成長を促進したりして、倒伏や病気の原因にもなっていくために、時期を見誤らないよう慎重に田んぼを観察します。 我が家では、この分施を今まで有機肥料と化学肥料が一緒になった「有機化成肥料」を撒いていましたが、今年は、息子の春平がここまで堆肥だけで育ててきたのだからと、友人の肥料店から「100%有機肥料」を買ってきました。化学肥料ですと、撒いた粒々が溶ければ根が吸収できますが、有機肥料はそうはいきません。撒いたものを土中の微生物が分解し、それを根が吸収するという行程を歩むため、その分10日ぐらいは早めに撒かなければならなくなりますし、見極めも難しい。 稲はどんどん分けつを繰り返し、田植え時期、一箇所に3〜4本植えた苗が今は20本程度になってきました。周りの田んぼに比べて6〜8割の茎数です。この辺りの農家は10a(10m×100m)あたり10俵(一俵は玄米で60kg)程度の収穫を目標としていますが、我が家では8・5俵です。農薬の助けを借りずに稲を作るには、このぐらいが妥当です。ここまでは順調に生育しています。 春平は田んぼに除草機を入れ、田面をくまなくかき混ぜました。草をとることも目的の一つですが、土中のガス抜き効果をねらっています。春に鋤(す)き込んだ稲わらは水温が上昇するほどに土中で分解され、ガスを発生して根に負荷をかけるからです。その作業も終わりました。 そろそろ、その肥料散布が始まります。10aあたり20kgの肥料を320a分。忙しくなります。 昨晩、涼しくなった庭にでてみましたら、ポッポッポッとホタルが飛んでいました。夏ですね。 ...もっと詳しく |
ご無沙汰でした。 もうじき・・といっても7月の中旬なのですが 創森社から「いのちをつなぐ自然卵養鶏」という名の本を出すことになり、 田植え後の夜はずっとその原稿書き、校正に没頭していました。 自然卵養鶏の七転八倒記。最後に700字の指定で書いた文章が下の文です。 「ニワトリが飛ぶ日」 1000羽のニワトリと3ヘクタールの水田の循環農業。けっして大きな規模ではないが、玉子と米を自分たちで販売することでなんとか専業農家として成り立っている。 この我が家の農業を「菅野農園」と名づけた。キャッチコピーは“土、いのち、循環のもとに”。働き手は息子と私と妻の三人だ。妻は主に玉子の配達や集金を受け持っている。菅野農園の代表者は息子の春平。朝の6時になると判で押したように町のアパートから「出勤」してくる。 「そんな風に育てた覚えはない」などと村の人たちには話すのだが、息子は村の中でもよく働くと評判だ。私が比較的外に出て行くことが多いので、その分を働かざるを得ないということもあるのだが、自分たちの暮らしをなるべく安定したものにしたいという思いからだろう。息子の連れ合いは休みのない息子の毎日を愚痴も言わずに送り出してくれている。 何にでも、どこででも効率優先のモノサシが跋扈し、人が軽んぜられ、いのちが軽んぜられ、食も、農も、社会もいびつにゆがめられているかのように見える日本。当然のことのようにニワトリたちはゲージの中に入れられている。 そんな日本の一隅の空を、ぼくのニワトリたちは飛ぶ。駆ける。遊ぶ。 こんなニワトリたちとともに暮らしている我が農園が立ち行かなくなったとき、そのときは日本農業のみならず、社会全体が窒息するときだと思っている。ヒラキナオリですね。 たかが一個の玉子と軽んずることなかれ。一個の玉子を通して、私たちの社会が見えてくる。そして・・・だ。空を飛ぶニワトリたちが多数派になったとき、食も農も社会のあり方もきっと大きく変わっていくに違いない。 |
ようやく田植えが終わりました。
やれやれです。農繁期は約2ヶ月続きました。この間、休みは無しでした。でも、休みたいとは全く思わなかったですね。次々とこなさなければならない仕事が目の前にぶら下がっているし、かつ、同じ農家仲間の進み具合はほとんど我が家の先を行っている。こうなるとね、休もうという気にならないのです。 他は他、我が家は我が家。農法が違うのだからかかる時間も違って当然と平然としていればいいのですが、なかなかそうはならない。これを説明するのは大変なのですが・・まず、作業の順序の説明をしなければなりません。一般的に耕耘、化学肥料散布、水入れ、代掻き、田植えと進んでいきます。我が家の場合、化学肥料散布はありませんが、その分、耕耘のまえに醗酵鶏糞とレインボープラン堆肥の二種類を撒く作業があります。これに息子と二人10日間ほど費やします。田んぼは段々田んぼになっています。上の田んぼに水を入れれば、下の田んぼにもその水が浸入してきて耕耘しにくくなってしまいます。だから上の田んぼの人はすぐ下の田んぼの耕耘作業の終わるのを待って、水を入れるわけです。 早く水を入れて、代掻きに進みたい上の田んぼの農家は、我が家の耕運作業が終わるのを待っていてくれる。我が家は全身にそれを痛いほど感じながら、せっせと堆肥散布に精をだす。 「いつごろまでかかるんだい?息子の務めの関係で今度の日曜に田植えをしたいので、早く水を入れて代掻きしたいのだけど・・。」耕耘前の我が家の作業に待ちきれず、すまなそうに聞いてくる。「ごめんな、あと少し・・」 我が家の田んぼは6箇所に分かれていて・・だから6箇所で農家が待っているわけですね。これってなかなかなものなのですよ。春を楽しみながら我が家のペースで・・なんてできないのです。 田んぼに堆肥を撒く人がいなくなっただけでなく、近頃は田植えと同時に化学肥料を散布する機械がでまわってきたことでひと工程が削除され、いっそう作業期間が短かくなっている。追い立てられること、追い立てられること・・・。さくらが咲いていることは分かっていましたよ。視界には入っていました。だけどね。それだけなのです。 やがて堆肥散布が終わり、耕運も終了し、我が家も水を入れることができるところまで来ればほっとしますね。これでようやく自分のペースで進めても誰にも迷惑をかけないですむ・・・と。 電車の窓などから見る田園風景はのどかですよね。でも、その風景の中にいる住民はそうのどかではありませぬぞ。 ともあれ、終わりました。今年も全てに堆肥を撒いてスタートいたしました。 今年は稲刈りまで、殺虫剤ゼロ、殺菌剤は田植え時点の一回だけで行こうと思っています。 ...もっと詳しく |
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遠くにお住まいの方から拙書への書評をいただきました。
お読みいただければ分かりますが、とても丁寧に言葉をつづられる方です。
また、評者の感性の豊かさ、そのみずみずさが書評を通してにじみでています。このような方に書評を書いていただき、かつ望外の評価をいただきましたこと、光栄におもいます。(つい、いつになくあらたまった口調になってしまいます。)
「玉子と土といのちと」。
素晴らしい本でした。二回読みました。
「今度生まれるなら菅野さんちの鶏になりたい」。
その言葉がどれほどの意味を持ったものなのか、
ここでは、それが私なぞの想像をはるかに超えた大きなものであったことを教えられます。
この本はなによりも、学者が組み立てた理論や啓発の書ではなく、
「ドブロクに手作りソーセージ」という幸せに憧れる、大地に野太く根を張った男の実践の書であることです。その面白さ、迫力、驚き。そして読み終えた後に深く広がるのは、この本が見事な思想の、哲学の、教育の、食文化の、自然や風土の「書」であるという思いです。
私がいちばん感動したのは、「山の神様」の話です。
泥水を飲んで、地域の微生物を取りこんでいた鶏たち。
「山の神様」につながるこの話は、神秘的ですらあります。
でもそれは同時に、菅野さんの鶏たちの野生味の健在さを改めて感じる場面でもありました。
微生物・発酵。これは本当に太古の時代へとつながる生命の鎖なのですね。
母の田舎から時々自慢の沢庵を送ってもらうのですが、家の改築で、沢庵の居場所だった納屋が取り壊され、別の場所に。そうしたら、沢庵の味はまるで変わってしまいました。常在菌の繊細さ、デリケートさを痛感しました。
それにしても菅野さんの発酵への探究心は素晴らしかった。鶏たちへの、玉子への、そしてすべての野生のいのちへの深く謙虚な愛情を感じずにはいられませんでした。
「土」の話も教えられることの多い、感動的なものでした。私もあの4年生の教室にいたかったなぁ。土と砂を分けているもの。それは植物や動物たちの遺体が含まれているかどうか。解っていそうで、ぼんやりしていた分かれ道。これは土からの強烈なメッセージですね。私たちは本当に「土」そのものを食べているんだなぁと、そしていのちの連鎖を「土」から実感するというユニークさ。
「菅野先生」ならではの深く、そしてワクワクする授業でしたね。
それにしても、ヒナから若鶏になり、玉子を産んで、換羽で再び若返り、産卵し、時には獣に襲われ、やがて命を終えてゆく。その間に一面の雪に覆われる冬がきて、春が来て。
その鶏たちを生き物として豊かに育て、危険から守り、「エサ」などとは呼びたくないような心のこもった「日替りランチ」を与える菅野さんや春平さんがいる。
そう考えると、その子たちの産んでくれる玉子は、なんと、なんと貴重なものであるか。
生まれて、恋をして、せっせと働いて、いのちを終える鶏たち。そのいのちを全うした鶏を、ためらわずに、美味しくいただく菅野さん。
愛情を持って育てたからこその行為。「食べる」ことで完結するこの関係は、しかし、まだまだ未来へと繋がるのですね。
やがて、鶏たちの血肉は菅野さんの身体を通って、大地へと還ってゆく。
大きな宇宙の食物連鎖の中で、一瞬のいのちを、輝やかせて。
(私も、とてもとても愛する人がいたら、その人の遺灰を食べたいと思う)
タヌキやキツネと闘う話も、息を呑みました。
彼らも生きねばならない。
しかし鶏たちが一瞬にして襲われるこの脅威とは、
絶対に闘わねばならない。
生きていくとは、考えようでは残酷な悲しさそのものですね。
「いただきます」という、日本ならではのこの言葉は、神さまに向けられたものではなく、こうして与えていただいた幾千ものいのちへの感謝の言葉ですよね。
この話が胸を打つのは、キツネやタヌキたちと、菅野さんが同じ環の中に居ることです。どちらも必死で生きている。その「必死」同士の闘いだからです。
人間という高みに立って闘おうとはしないから、農薬を浸した食パンは置かない。
同じ環の中に居る仲間だからこその、闘いの作法を、菅野さんは守るのです。
ああ、こんなに長くなってしまった。ごめんなさい。読むのも大変ですよね。
もうじき終わります。
菅野さんの優しさは、今さら言うこともないほどなのですが、
鶏たちの辛さを身をもって体験する断食の実行には、
優しさを貫く強靭な意志を感じました。
断食って、すこし憧れがあるのです。
「地域」と菅野さんの関係というか、地域への菅野さんの眼差しについても、
少し感想があったのですが、長くなってしまうので、またの機会にしますね。
母上の「ダイエットでやせようとする百姓なんかいるもんか。たくさん食え。
百姓は働いてやせるもんだ」この言葉が可笑しくて、そして何といい言葉かと、
何度も読み返しました。
「サメ子」の話も、おなかを抱えて笑いました。誰にもこういう武勇伝(?)があるのですね。
最後に、山羊の「ぴょん」の話は、たまらなく好きでした。
菅野さんと「ぴょん」との5mの距離。
抵抗しつづけるその5mに、切ないほどの共感を覚えます。
山羊はつながれているものだと思っていた、私です。
素晴らしい本を読ませていただきました。
本当にありがとうございます。
たくさんの人に読んで欲しいと、切望します。
猛暑の夜に