ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

「うん」も「はい」も聞きたくないが、「絆」(きずな)はもっと嫌だなぁ。これを聞いた瞬間に一気に嫌悪感が広がっていく。なぜって?ん〜、どのように説明しようか・・・・。

今、地元の公民館の文化振興会事業として、長井市に残る「卯の花姫伝説」の紙芝居づくりをしている。脚本は、なんと・・オレ。ここから、まわりくどい説明になってしまうけど・・。

時代は平安。
当時、都のあった京都では大和朝廷を築いた一派が力を持っていたが、今でいう関東以北には朝廷になびかない者たちが多数いた。朝廷ではそれをエゾあるいはエミシと呼んでいた。それらを漢字でどのように書いていたかと言えば「蝦夷」。
語源は古代中国にあり、中国では都のあったところより東方で暮らす人たちを未開の野蛮人という意味の「夷」(エゾ、エミシ)と呼んでいたという。京都ではそれにさらにみにくい動物の一種である「蝦」(ガマ)の字を加えて「蝦夷」と表現し、関東以北を同じように蔑んでいた。
蝦夷の中心には陸奥の国(現在の宮城、岩手)に一大勢力を持っていた豪族、安倍の頼時。京都の朝廷はそれらを配下に治め、全国を支配下に置こうと、源頼義、義家に派兵を要請した。
そのころ、羽前の国(山形県)の長井の庄に、安倍の頼時の息子である貞任の子ども、「卯の花姫」が暮らしていた・・・・。
と、このように物語は進んでいくのだけれど、結局はこの娘をたぶらかし、エゾ、エミシの大量殺りくを行っていく。そのような伝説を紙芝居にしようというわけだがここではそれを紹介したいわけではない。

あえて極論をいえば、この平安時代の東北平定以来今日まで、ずっと、都・都市・中央、国家からの東北に対する差別と収奪が行われてきているのではないか。今回の東電の福島原発の存在と事故、さらに事故後の処理。放射線量のごまかし、放射線下への人々の放置と救出活動の放棄、原発難民の放棄に除染のいい加減さ。甘い汁を吸おうと寄ってくるゼネコン。それを見逃す環境庁。青森への放射性廃棄物貯蔵施設の押し付け。東北東海岸の復興の遅延、家畜小屋かと見間違うほどの避難施設とそこへの放置・・・・。枚挙にいとまがない。私はこれらのなかに連綿たる東北地方への差別の存在を感じてしまうのだ。

「絆」はそれを問わない。暴かない。安っぽい一体感を強調することで現実世界を糊塗しようとする。ちがうだろうか。

戦後から今日まで、沖縄からの叫びにも似た日本・「本土」への要請。それは「絆」への要請だったはずだ。これらを一貫して無視してきた日本・「本土」が、「本土」内といえども辺境の地、東北との「絆」を本当の意味で築けるわけがないと思える。

沖縄との関係でも東北との関係でも、求められているのは単純な「絆」ではない。「本土」、都市中央、国家の側の大いなる反省、謝罪とその上に立った関係の再生なのだと思うのだがいかがだろうか。
自分のはなしの途中で「うん」と自分で合いの手を入れる人がいる。このあいだ東北電気保安協会からという人がきた。
「菅野さんの、うん、作業小屋の、うん、電気の回路が、うん・・・」
聞いているうちにだんだん腹が立ってきて、「はい、はい、わかった。こっちで何とかするから。」といって早々と帰ってもらった。
両親の介護のことで来てくれる方も
「お母さんの、うん、背中の、うん・・・」
この「うん」を「はい」にする人もいて、このあいだ、父親の年金のことで電話くれた方はそのような話し方をするひとだった。
「芳明さんの年金が、はい、お届けした書面に書いていた通りでいいのか、はい・・・」
おれも馬鹿だねぇ。話の途中で、
「あのさ、申し訳ありませんが、その、間にはいる『はい』がものすごく聞きづらい。話をよ〜く、お聞きしようと思っても、その『はい』が気になって集中できない。」
なんて言ってしまったよ。
最近はようやく少なくなったけれど、ひところ「中上げ」と私が読んでいたもの、これも聞きづらかった。
「自由↑、と民主主義↑、この問題の関係性↑・・・」小刻みに語尾を上げる話し方。これも聞きづらかった。あげられるたびに「うん」というあいの手が強制されているような気分になっていく。これは集中を妨げる。
これら、話し手はいいと思ってやっているのだろうか?

少なくても農民にはあんな話し方をする人はいないよ。
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寒い。
だけど、この時期の玉子はことのほかおいしい。
一年中で一番おいしいのではなかろうか。
冬の寒さの中のおいしい玉子。
これを昔から「寒たまご」といって、人々はこの深い味わいを楽しんできました。
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というむきもあろうかと思います。
と、いいますのは・・
寒さの中であるにも関わらず、1〜4月は多くの玉子を産むのです。
すこし余り気味。
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ゲージ飼いの薬漬けで、ストレスのかたまりのような卵ではなく
寒さの中でも元気に遊びまわる自然養鶏の玉子を。
もちろん、一年のなかで一番おいしい「寒たまご」。

お仲間何人かでまとめていただければ、送料はその分少なくなりましょう。

ご注文をお待ちしています。
寒い日が続いている。
おととい(12日)などはマイナス16度だよ。
昼になっても零下のまま。
地下水の水道管が凍って水が出なくなった。
そうなると凍り付いて動かなくなってしまっている蛇口などの露出部分にお湯をかけまわったり、氷になっているホースの中の水を溶かしたり・・・。それでもダメな場合は水道屋さんに来てもらうことになる。
低温でも凍らせないコツはいつでもチョロチョロと絶え間なく水を出しておくことだ。
鶏舎の水道も、家屋の水道も、昼も夜も一日中、ちょろちょろと。
今回だってそれはやっていた。
雪国の常識だからね。
だけど今回の寒気はそのチョロチョロも凍らせるほどのものだったということだ。
その日はまた、珍しく晴天だったために「ダイヤモンドダスト」を見ることができた。
空気の中に含まれる水分が凍おり、そこに朝日があたって輝く。
あたり一面のの空気がキラキラキラと輝くのだ。
これはきれいだよ。
だけど長くは見ていられない。
なにしろ寒い。冷たい。

そんな中でもニワトリたちは元気だよ。
彼らの日常は変わらない。
鶏舎の中で駆けっこをしたり、エサをついばんだり・・。屋外は雪のため出れないが、その分、鶏舎の中で遊んでいる。
彼らは寒さには強いよ。

今回はこれだけの文章だけどね。
だからどうしたと言われてもなぁ。
物事にあまり社会的意味合いなんて求めない方がいいよ。
ただやたら寒いけどニワトリは元気だよというだけの文なのだから。

(写真は鶏舎の中で野菜を食べるニワトリたち。外は雪だ。)
CDを買ってきた。
俺が高校生の頃の歌。
聞き直してみると、懐かしくはあるが、違和感もある。

ちなみに、三田明の「美しい十代」という歌。
若いころ,よく歌ったっけ。
その三番目の歌詞はこうだ。

遅くなるから さよならしよう
話しあったら つきない二人
明日またねと 手を振りあえば
丘の木立に 夕陽が紅い
美しい十代 あぁ十代
抱いて生きよう 幸福の花

「抱いて生きよう しあわせの花」かぁ。
いいなぁ。あの頃。

いまさらだけど
「遅くなるからさよなら」する時間が
「丘の木立に 夕陽が紅い」時間帯だ。
夕日が沈む前?
なんだ!まだ明るいじゃないか!
美しい十代・・・。

何を考えてこのような詞を書いたのだろうね。
そんな時代だったのかといえばちょっと違う。
俺は山形の田舎の高校生だったけれど
一級下の女の子と
お互いが暗くなるまで部活をやってから
待ち合わせて一緒に帰っていた。
わずか1kmのデートだったけど、当然のことながら暗かった。
別れ際に握手するだけの関係だったけれどね。
それを美しいというかどうかは主観の問題。

思うに
「暗くなるからさよならしよう」は、当時の若い作詞家が書いた詞ではないだろうね。
年寄りが想像で書いた詞だと思う。

舟木一夫の歌の詞もそうだ
学園広場の一番目

「空にむかって あげた手に
若さがいっぱい とんでいた」

修学旅行では

汽車はゆく 汽車はゆく
はるばると はるばると
若いぼくらの 修学旅行

汽車はゆく 汽車はゆく
ひとすじに ひとすじに
若いぼくらの 修学旅行

高校生は当然のことながら自分たちのことを「若い」とは歌わない。
「若い」は相対的な概念だ。
これらの歌詞も年寄りの作詞家が書いたものにちがいない。

いまさら、どうでもいいことだけどね。

かつての俺たちが歌っていたものを
これは当時の年寄りが作ったものだと言って、ああだこうだと
講釈を並べるのは、俺自身が歳をとったからだろうな。


あぁ、なんでこんなこと・・・
いい大人の書くことではないよな。
馬鹿だねぇ、おれ。
新しい年が始まりました。
私たちの村はすっかり純白の雪に包まれています。
家々の庭先などにはまだ真っ赤に熟れた柿の実が雪の帽子をかぶってぶら下がっていて・・・私の得意な「柿の種のはなし」の季節です。
えっどんな話かって?では・・・



今にも落ちそうな柿の実に尋ねてみる。
「あなたの今の気持ちは?」
柿の実は応えるだろう。
危機だ。この先に希望が感じられない。不安だ・・・。
今度は実の中の種に同じように聞いてみる。
種はこのように応えるだろう。
充分に育った。希望が近づいた。さぁ、がんばるぞ・・と。
同じ柿の中に二つの物語がある。
単純化してはいますが、現実とはえてしてこのようなもの。
同じ現実を前に、柿の実の立場に立って嘆き悲しむのではなく、
種の立場から希望を語ろう。
みんなでなるべぇ柿の種。

と、まあ、こんな話です。
光と影、山と谷も一対ですからね
。一緒です。
辛いことのたくさんある人生ですが、いいことだってないわけではない。
どなた様もめげずに参りましょうぞ。


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新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

昨年はこんな年でした。

1、2月、タイでレインボープランをやっているイサーンのコンケーン県ポン市に、 長井市長、県会議長婦人、市役所職員、アジア農民交流センターの仲間たちとともに行ってきた。ともに循環型まちづくりをすすめる地方都市として友好関係をさらに高めていこうとの協定書を交わしあった。かけがいのない友人であるバムルーン・カヨタ氏、バムルーン・ブンパンヤ氏とも会うことができた。元気だった。もう23年の付き合いだ。

2、5月、従姉(いとこ)と56年ぶりに再会した。私が小学校に入る前に両親と訪ねて行った時以来だ。我が家の両親に会いに来てくれた。私の母親の実家は長野県真田町。彼女はそこの実家を継いでいる。どんな人生だったのだろうか。今年の5月にはもう一人の従姉(43年ぶり)と連れ立って再度来てくれることになっている。楽しみだ。俺以上に両親が楽しみだろう。

3、10月、息子の家族(本人、妻と子ども二人)が我が家の庭先に家を建て、引っ越してきた。93歳の母親が「春平の小屋」と言っていたものだ。俺も調子に乗って「我が家には三つの小屋がある。作業小屋にニワトリ小屋に春平の小屋。」なんて言っていた。ずいぶん賑やかになったとお思いでしょうが、さほど変わらない。孫の顔を毎朝 3分ぐらい見ることができるようになったぐらいかな。

4、お米がとれなかった。来年の秋までどうして暮そうか。本気で心配しているよ。

5、11月、岐阜県にお住いの「自然卵養鶏法」(農文協)著者、中島正氏を訪ねた。佐賀県在住の農民で作家の山下惣一氏、劇団「青年座」のスタッフ、地元の 農民・小林武が一緒だった。ご高齢のため養鶏はやめていたが、中島正氏と山下惣一氏との往復書簡を収録した「市民皆農」(創森社)で見せておられるように、ますます論理は冴えわたっている。すごい方だった。

6、12月、千葉県佐倉市にある「宗吾霊堂」に行ってきた。3回目だ。過去2回は「宗吾さん、俺の中に入ってくれ。いっしょに農業、農村をよくして行こう。」とお願いしてきた。始めは26歳の時。2回目は30代だったかな。今回は今まで入っていてくれたことへのお礼ともうしばらく入っていてほしいとのお願いだった。TPPがあるからね。いやだとは言わなかったよ。そこって何?という方は 検索してみたらわかりますよ。

7、12月、「STOP!!TPP山形県民アクション」を立ち上げた。23日の記念講演会にはおよそ200人の人たちがかけつけてくれた。これからですよ。

8、地区長としてほぼ30回の会議や作業に出なければならなかった。これは重荷だったよ。でもこの3月で2年の任期が切れる。あともう少しの辛抱だ。

9、妻の病気はだいぶ軽くなってきた。これももう少しだ。

10、93歳の母親、91歳の父親、我が夫婦、鎌倉で働いている娘、息子夫婦ともども元気に年を越すことができた。昨年はこれだけで充分に良い年だったよ。

さて今年はどのような年だろうか?
なにはともあれ、健康で過ごすことですね。
みなさまにとりましても、健康で過ごせるいい年でありますように。
友人がフェースブックに掲載した福島の原発下で働く東電社員労働者の実態です。
ぜひ、知っていただきたく、転載いたします。
読まれたあと、さらに拡散していただけたらありがたいです。

<以下>

みなさんにお願いがあります。
この情報をみなさんの力で拡散願います。

本日、今も福島原発で働く東電社員と懇談してきました。
驚愕の事実が分かりました。

東電社員及び家族の補償の打ち切りが決まったそうです。
昨日説明会があったそうです。
説明会は紛糾し、会社からは異議があれば裁判を起こせばいいだろうと言われたそうです。
また、説明会の資料は外部に絶対に公表しないように言われたそうです。
福島原発で働く社員の多くは警戒区域に住まいがありました。
いわば町の人間なのです。
補償の打ち切りの理由は、借り上げ住宅が借りられたのだから
精神的苦痛はないとのことでした。
彼らは住まいを奪われ、家族を失いながらも、あの震災当日に命を削りながら働いた人間達です。
そして、これからの福島原発の収束を支えていく人間でもあります。

10月に家族分については補償すると約束したのは東京電力です。
しかし、2ヵ月もしないで反故にしたのです。
彼らも被災者であることは明白です。
いうなれば被災者への侮辱になるのです。

私の友人は本気で会社を辞めると言っていました。
怒りよりも悲しいと・・・・
何の為に今まで頑張ってきたのか分からないと
自分はまだしも家族まで補償されないことがつらいそうで、離婚をしてなんとか家族だけでも救えないかとも考えていました。
彼らは原発設備のプロです。彼らの尽力なくして原発の収束はありません。
想像してください。やる気もなく、会社に恨みのある人間が原発を扱うことを。
彼らは原発をメルトダウンさせることもできてしまうくらいの知識はあります。

私が恐れていた事態が起きてしまいました。
東京電力に断固抗議します。

また、広野独身寮(通称Jビレッジ寮)を東京電力は仮設住宅並みの設備を整えていると言っています。
うそです。スーパーハウスを安っぽくしたプレハブ寮です。
風呂もシャワーしかありません。トイレは仮設トイレです。車の持ち込みも禁止。
人間が暮らす最低限度しか整っていません。
そこに友人が何十人といます。
今日あった友人は顔つきが依然の顔とはかけ離れていました。

そして皆が命を張った結果がこれかと、なかば頭がおかしくなっています。
東京電力社員で高給与なのは、上の人間だけです。
原発は地方採用の人間(高校卒)がおもです。
30代で400万ほどの年収です。
命を削り、人間的生活ができず、会社の上層部の判断により起きた原発事故で
生活を失しなった人達が、これしかもらえてないのです。

こういった人間が何百人もあの福島原発にいるのです。
彼らが辞めたら、原発の知識も薄い人間が福島原発を収束していくことになります。

改めて、東京電力という会社の暗部を知ったしだいです。

彼らは給与という足かせにより、強制労働させられているといっても過言ではないでしょう

私は今までの投稿で拡散希望など書いたことはありません。
しかし、今回の件については怒りを禁じえません。
お願いです。彼らを救うきっかけになる可能性を信じ拡散願います。
断言します。近い将来このままでは福島原発は最悪の結果が訪れます。
社員を守らない会社に未来はありません。
会社が社員をかえりみず、会社の存続だけを考え、最低責任である補償すら果たさないのであれば、それは破滅を加速するだけです。

もう一度言います。
東京電力は命をかけた人間に、いやなら裁判を起こせと言いました。
これ脅しですよね。

友人はそれでも「頑張る」と言いました。
私は悲しくなりました。
「頑張らなくていいよ」と言いました。
とても切ないです。

たった2年でこれです。あと東電試算でも廃炉までに35年かかります。
どうかよろしくお願いいたします。
みなさんのお力を貸してください。

福島原発で働く人より。
今月の23日、山形県は寒河江市におよそ200人の人たちが集まり
「STOP!!TPP山形県民アクション」設立記念講演会が開催されました。
暮れのあわただしいときによくもまああ、200人もの人たちが集まってくれたと思います。
平時の500人にあたりますね。

県平和センター岡田代表の開会のあいさつの後、
県選出の国会議員舟山やすえ(みどりの風)、
鈴木憲和(自民党新人)両氏からの来賓のあいさつと続き、
大妻女子大学の田代先生の
「TPPは暮らしと地域社会を破壊する」と題した講演と
農民や市民、労働者などのそれぞれの分野を代表する人たちからTPP反対の意見発表 。それに、
人々の運動を代表しての大野和興さんの連帯のあいさつが行われ、
最後に私が基調提案をして盛会の内に集会は終わりました。

暮らしの足元から、
生活の場からのTPP反対運動が求められています。
「活動家の政治課題としての反TPP」運動に終わらせることなく
「国民の生活課題としての反TPP」運動まで
もっともっとすそ野を広げて行きたいと思います。
集会後に
「今日来てほんとうによかった。やっとTPPがわかった」
「わかりやすい映像でTPPをPRしなければね。いいの知らないか?」
「いいパンフレットはないのかな。勉強会を開きたい」
などの意見が寄せられました。
これからだよな。ここからです。

もうじき人々の運動からパンフレットがでますが
それに大きな期待を寄せいています。

まず山形からは首都圏の政治の場の闘いとはちょこっとちがう
地域ならではの運動をつくりだして行きます。
ご注目ください。
 
幼稚園の園児たちと「土と食」のつながりを学ぶ取り組みを行っている。
こんなことだ。

夏、集めてきたキャベツやニンジンの皮などをちぎる。
「畑のビーちゃん(微生物)が食べられるようにできるだけ小さくしよう。」
1gの土を見せて、
「この中に日本中の人よりももっともっと多いビーちゃんが住んでいるんだよ。そのビーちゃんにご飯をあげる。それがこの野菜くずなんだ。」
「えーっ」
 子どもたちと、土のベッドに野菜くずを混ぜる。半月後、野菜はあとかたもなく消えている。
「どうして?」
「ビーちゃんたちが食べてくれたんだ。食べたらウンコやオシッコをするよ。それが大根さんたちのごはんになっていくんだ。」
「わーきたねぇ。」
種を撒く。
「ビーちゃん、がんばれ。」
種はやがて大きな大根に。
生のままかじってみると・・あまい!

 このj試みを通して
土やいのちのつながり(環境)と不可分の「私」、
大地とつながっている私たちをを発見する。
当然園児たちの理解に限界があるだろうが、私がこの実践に期待することはそこのところだ。

約4か月をかけた試みだけど、おもしろかった。
何よりも園児たちの表情がよかったよ。
この試みを受け入れてくれた幼稚園には感謝だね。

後で幼稚園から写真を送ってもらいましょう。
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田んぼはもうじき雪の下に。
私たちの地方は毎年150cmほどの雪が積もる。
見渡す限りの田園がどこまでも、どこまでも・・・
白一色の幻想的な風景。
カエルやヒバリの声、農業機械の音はおろか人々の話声すらしない
この静寂の世界の中で、田んぼの土たちはゆっくりと眠りにつく。

土はかつて生きていたものたちが死んでくれてできたもの。膨大ないのちの堆積。
2012年の稲の茎、草ぐさや虫たちのいのちを加えながら、
まっ白な雪の下でしずかにしずかに・・眠りにつく。


  (写真は昨年の田園風景)

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雪が降ってきた。
まだまだ冬支度が終わりません。
いつ終わるのだろう。
次々とほかの仕事が出てきて・・
このまま春になってしまうかもしれない。
一番多く時間を割いているのは母の通院かな。
93歳の母は背骨を自然骨折してしまった。
91歳の父親の通院と合わせ、結構時間がとられる。
これは仕方のないことだけど。

写真は昨年の今頃の我が家の前です。
リンゴが雪をかぶっている。

さて、
選挙期間中に新聞折り込みチラシを出すことにしました。
発行元は置賜百姓交流会。
3市5町の農民有志で作る団体だ。
地元新聞に40,000戸分。
10数万円かかりますが、そこはみんなのお金を出し合うことにしました。
ここは正念場だからね。

<以下>
 

置賜に暮らすすべての皆さんに訴えます。

置賜の大地は、数千、数万年の時を刻みながら、耕すものにその流した汗に見合う豊かな実りを提供し続けてきました。私たちもまたこの豊穣の地で先人と同じように田畑を耕し、牛を飼い、果樹を育みながら生きる農民です。この地が大好きな百姓です。
やがてこの置賜からわずかな人たちを残して農民が消えようとしている。農業が無くなろうとしている。豊かな田畑は荒れ野に変貌しようとしています。それはTPP。参加国に例外なき関税の撤廃と非関税障壁の排除を求める自由貿易協定の締結によってもたらされる現実です。

農業の壊滅は国民のいのちの危機

農水省の試算によれば、この協定への参加によって海外からの大量の農作物が押し寄せ、地方を中心に農民を含む340万人が失業すると言われています。特に打撃を受けるのは米。1俵(60kg)3千円に満たない米が無関税で入ってくることで、直に消費者とつながっているわずかな有機農業(者)を残して、日本の水田農業はことごとく壊滅するとされています。平均耕作面積200ヘクタールのアメリカ、3,300ヘクタールのオーストラリアに2ヘクタールの日本。丸裸でのぞむ価格競争に太刀打ちできるわけがありません。農業の壊滅は日本に生きるすべての人たちの生存の危機、いのちの危機につながっていきます。

  お金の格差がいのちの格差に

日本の医療は国民皆保険によって守られ、株式会社の医療への参入を禁じています。お金を持っている人ももっていない人もみんな平等にという考え方から生まれた世界に誇る医療制度ですが、これも変えられようとしています。株式会社に道が開かれ、保険のきかない自由診療が拡大されるでしょう。お金の格差がいのちの格差になる。こんな未来が見え隠れしています。

地方の公共事業にも外国企業が参入

国のみならず市町村発注の公共事業、サービス事業までが外国企業にも平等に開かれていきます。「私たちの税金で作られる橋だし、地域経済に活かされるよう地元企業に請け負ってもらいたい」といってもそれは許されません。外国企業の参入のもと地元企業の仕事が大きく減少していくでしょう。雇用の低下と地域経済の疲弊がいっそう深まります。

   侵(おか)される食の安全

食の安全がおかされて行きます。日本国民の食卓の安全を水際で守ってきた日本の食品添加物基準、遺伝子組み換え表示義務、アメリカ産牛肉(BSE)の輸入規制などはすべてに緩いアメリカ基準に置き換えられ、撤廃されようとしています。

   国や地域の上に企業が君臨する!

他にもまだまだあります。ですがこのTPPの性格をもっともよく表しているのが「ISD条項」です。日本に進出した企業が日本の制度や法律によって不利益を受けたとされた場合、日本をアメリカにある「国際法廷」に訴えることができるというものです。例えば米沢の山間部に進出した外国企業によって廃棄物処理場が立てられようとしたとします。そこは地域計画上あるいは環境政策上問題があるとしても、そのことを国内法で抑えることができません。それをやったなら厖大な賠償金をとられ、制度の方を変えさせられていくでしょう。TPPでは国や地方の制度よりも進出企業の方が上に君臨するとされるのです。

アメリカに日本を差し出すのか

すでにお分かりいただいたように、TPPは単なる貿易協定の範疇を大きく越えています。まさに超大国アメリカの意向に従い、この国の政府と巨大輸出企業が連携して、国民の様々な権利を制限し社会の仕組みや形を変え、彼らに日本を差し出そうとする、前例のない協定として締結されようとしているのです。

    秘密会議が未来をつくる?

またTPPは、この国の人々の暮らしや未来に大きな影響を与えるにもかかわらず、その協議の中身は全く明らかにされていません。国会議員にすら知らされていないのです。すべてはブラックボックスの中で進められています。この国の今と未来のあり方を決めることができるのは世界の大国でもなければ巨大企業でもありません。この列島に暮らす私たちです。TPPは「主権在民」と「民主主義」に対する重大な挑戦です。

子孫のために勝たなければならない!

このようにTPPは日本国民のいのちと生存権を大きく侵害しようとしています。愛する郷土のために、子や孫たちの未来のために、TPP反対!この闘いは絶対に勝たなければなりません。「俺は大丈夫だから」という次元の話ではありません。「だから言ったじゃないか」とか「俺たちは反対したんだ」というアリバイを残せばいいという取り組みでもありません。

野良に生きる私たちから、置賜に暮らすすべての皆さんに訴えます。

今回の衆議院選挙はTPPを阻止するための重要な選挙です。大地を深く傷つけた原発同様、TPPに対しても明確に「NO」の姿勢を示す候補者を選ぶ選挙です。「いったん交渉に参加してみて、ダメならば戻ればいい。」というような言葉にごまかされてはいけません。置賜の未来、日本の未来のためにTPPに明確に反対する候補者を選びましょう。こころから訴えます。

              置賜百姓交流会

              
「欄外」

私たちは全県の有志に呼びかけ、「STOP!!TPP山形県民アクション」設立記念講演会を持ちます。(政党に関係はありません。)
12月23日13;00〜15;00
寒河江市市民文化センター
記念講演;「TPPは地域経済も暮らしも破壊する」
田代洋一氏(大妻女子大学教授)
ふるってご参加ください。

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