ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

  
 田畑から雪がなくなった。
 いよいよ農繁期だ。

  昨日(14日)はTPP含みの会議で日帰りで上京したが
今日はその分、挽回しなければ。
幼馴染が助っ人で来てくれる。
苗箱に土を入れる段取りと 種の目出しに玉子の配達・・。
下を向いて仕事をしているうちに、いつの間にやら
桜が咲いていた・・なんてね。
 実際、花が咲いたことは分かるが、ゆっくり愛でる余裕がない。
どこの農民もそんな中で種を撒いている。

さぁ、ニッポンの百姓のみなさん!
 なにかと、馬鹿を相手に疲れることの多い 日が続きますが、
あきらめずにまいりましょうぞ!
...もっと詳しく
今日(4/13)の新聞に
屈辱的なTPP「日米合意文書」が載っている。
すべてがアメリカペースで押し切られた。
日本にとって得なことは何一つない。
初めからわかっていたことだ。
TPPの残りの会合は5月と9月。
10月には大筋の合意を得たいという参加国の方針の中で、
日本はたった1回しかテーブルに着くことができないのだ。
過去16回の会合の中身は何一つ知らされておらず、
それらを無条件で飲むことを条件に、残り一回の交渉に着く。
「国益」を守るなんてできっこない。
それができるなら、あのような「日米合意文書」など交わさずに済んだはずだ。

戦後積み上げてきた様々な諸権利とともに日本の制度が全体的に見直され、多国籍企業の前に、 国民が単なる無防備な消費者となってさらされていく。
アメリカの完璧な「ポチ」となって、浸食されていく日本。
どっちが得かという問題ではない。
これから事情が分かるにつけ、こんなはずではなかったという国民の声が
大きくなっていくだろう。でもそれからでは遅い。
今は「TPPに反対する人々の運動」の共同代表として
参加阻止の運動を精一杯盛り上げることに精力を集中したい。
どう考えてもそれしかない。
...もっと詳しく

作業場のシャッターを開けっぱなしにしていたら、玉子を40個ほどカラスに持っていかれた。「ごんべぇさんが種を撒くとカラスが・・」という歌は知っていたけど、こんなに多くの玉子を持っていかれるとは・・・予期せぬ出来事だった。
その次の日よりカラスたちは、朝のまだ明けきらぬうちから我が家のまわりを、大きな声を競うように発して騒ぎまわるようになった。うるさくて、うるさくて、ゆっくり寝てなんかいられない。
「奴らのエネルギーが余っている。きっと玉子を食べたせいだ。くそっ。」
我が家のニワトリたちは自然養鶏。ニワトリたちが遊びまわりながら産んだ健康な玉子だ。おいしいし、栄養だって満点だ。
まどろみの中、どこかカラスにあなどられているぞと感じながら悔しい思いをしている。



...もっと詳しく

 今日(3/24)、山岸地区(39戸)の総会が行われた。
いよいよ今月いっぱいで一期二年間の地区長としての役割を終える。
やれやれだ。
地区長になればその上の区の役員を兼ね、かつ私はその上にある旧村の代議員を兼ねていた。
出席した会議や事業は一年間で・・・なんと80回!!
地区長をやり、そのほかにレインボープランのNPOをやり、反TPPをやり、もちろん百姓もやって・・・

どうりで疲れるわけだ。

人が言うには頭が白くなった、
あるいはハゲがすすんだ・・・・とかいう。
正直にいえばそのぐらいですんでよかったというのが本音かな。

村の役は逃げられない。
 
でも、ようやく解放だ。
...もっと詳しく
NPO法人「有機農作物普及・堆肥化推進協会」が3月23日をもって解散します。日本において生ごみたい肥化運動を推進してきた中心団体でした。この解散総会に向けてメッセージを送りました。
以下の文章がそれです。

 本日の堆肥化協会解散臨時総会にお集まりのみなさん。
全国で生ごみの堆肥化を進めているみなさん。
まだまだ雪の多い山形の地にはおりますが、私もみなさんと同じ気持ちを強くもって本日を迎えていることをお伝えしたいと思います。
それは
「堆肥化協会の大きなご功績に感謝し、その解散後も、堆肥化協会が掲げて来られた旗を、今度は、私たち全員が、さらに高く、高く掲げて前進する」
ということです。
私が、堆肥化協会と出会いましたのは、レインボープランが生まれて間もない1997年4月のことでした。今にして思えば、当時の堆肥化協会関係者のほとんどすべての方々がレインボープランの里、長井市を訪ねて来られたのだと思います。
以来、今日まで、レインボープランは堆肥化協会によって励まされ、力をづけられ、確信を与えられつつ進んでまいりました。夏の発表会で全国からお集まりの皆さんにレインボープランをご紹介する機会を与えていただきましたのは一回や二回ではありません。毎年出される報告集によって全国の豊かな事例を知ることができ、ともすれば狭い世界に陥りがちな私たちの認識を広げることができました。また、塩分問題を含め、生ごみ堆肥化に関わるたくさんの問題について理論的、科学的確信を与えていただきました。レインボープランの今日は堆肥化協会の存在抜きにはありえません。ここに改めて心からの感謝の気持ちとお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

 さて、みなさん、堆肥化協会が解散することで、その掲げた未来は本日をもって潰えて行くのでしょうか。終わってしまうのでしょうか。そうではありません。誰もが気づいているように、二年前の「3・11」以降、その指し示す世界はますます重要になってきています。終わるのではありません。始まるのだと思います。いままで堆肥化協会がその持てる力のすべて、全身全霊をかけて築いてこられた世界の上に、その旗を引き継いで第二ラウンドが始まる。これから始まる、ここから始まるということなのだと思います。
 堆肥化協会の窮地に何ほども寄り添えなかったわが身の非力を謝罪しながら、あわせて、瀬戸先生や会田さん始め、理事、スタッフの皆さんに感謝しつつ、全国のみなさんとともに堆肥化協会の旗を引き継ぎ、これからの第二ラウンドを靴音高く歩み続けることをあらためてお誓いし、メッセージに替えたいと思います。

      2013年3月23日
               レインボープラン推進協議会・相談役
                                 菅野芳秀

  写真は昨年の4月、梅の花が咲いた後に降った雪です。
  梅と雪・・・雪と梅・・いいですねぇ。だから雪国が大好きです。
  ダブルクリックで大きくなります。

まあ見てやってください、この写真。
ダブルクリックで大きくなります。
実に堂々とやっていますよ、立ちション。
生き方までわかるようなこのほれぼれする姿。
俺もよく立ちションするけど、ここまでじゃない。
いいですねぇ。

この猫、きっといい人生を歩んできたのだろうな。
自信をもって生きてきたんだろうな。
この姿は一つの目標、到達点ですね。

オレ、人生、がんばろう。





...もっと詳しく
朝、布団の中で目が覚める。
今までの朝にはない感覚、空気、光・・。
あっ、春だ、春が来たんだ!
そう思える一瞬があるんですね。
まわりの雰囲気が今までとは質的に違うのです。
障子に映る朝日の強さなのか、部屋の空気の柔らかさなのか。
それともまわりの木立から聞こえてくる小鳥たちのさえずりがそう思わせるのか。
何がどう変わったからという特定できるものは何もないのですが、でも確かに違う。
皮膚感覚でとらえた違い。そう言った方が的確かもしれません。

そう思える、そんな朝。
3月2日の朝がまさにそうでした。
この日のあとも雪の降る日がありましたし、最高温度が零下という日もありましたが
2日を境にして確かに気候が変わってきているのです。

それを感じた時の微妙な気持。
肩から力がすっと抜けていくような安堵感。
もう雪に悩まされずにすむ。
絶えず雪を意識し、よくも悪しくも雪を中心とした季節が終わるのだという解放感。
私の春はまさに、この「朝の感覚」からやってくるのです。

これらは雪国に住む人に共通の感覚なのか、
あるいはまだどこかに野性を残している(と思われる)私固有の感覚なのかはわかりません。
 でもそんな風に春の訪れを感じ取れる感覚をうれしいと思います。

 (まて、まて、まだ確定申告が終わってないぞ。文章を書いてる場合じゃないよね。)

 昨日、埼玉から知らないご夫妻が訪ねてこられました。
「菅野さんに会いたかった」と。
「えっ」

以前、NHKのラジオ番組「ラジオ深夜便」に月一回、
2年間ほど出ていたことがありました。
「日本列島暮らしのたより」コーナー。
我が家で飼っている放し飼いのニワトリの話や
それを襲いにくるキツネの話、タヌキの話などをやっていました。
それが面白かったんだと。
それにね、声がよかったんだと。
うれしいですねぇ。

もう4〜5年前の話なんですけどね。
わざわざおいでいただいたご夫妻とともに、
久しぶりに賑やかな時間をもちましたよ。

 でも、がっかりしたんじゃないかなぁ。
声の良さって言っても、この顔と体格ではな。
きっと姜尚中さんのようなイメージを持ってこられたんじゃないのかな。

 上の写真の風景も見てみたかったんですと。
ダブルクリックしてみてください。
本当にきれいですよ。
 「素晴らしい風景だ」と言ってくれましたよ。

 放送によく出ていたニワトリ達は雪に囲まれ、
全員鶏舎の中。
夏にもう一度、今度は放している様子を見に来ますと言って帰られました。

次回、おいでになられる時までに
姜尚中さんのようになってお待ちしていましょう。
中野さんはこんなキャラでしたか?

http://www.dailymotion.com/video/xl2042_yy-yy-yyyyyyy-yyyy_fun

反TPPの運動は始まったばかりです。
ニュージーランドやアメリカの市民運動は
交渉に入ってから始まった運動です。
まだ日本は交渉にすらはいっていません。
まずこれを食い止めることですね。

■緊急声明!「TPPに反対する人々の運動」は呼び掛けます
http://antitpp.at.webry.info/201302/article_3.html

これからですね。 
 
 90歳代の両親のサポートと確定申告が重なっています。
今のところ、文章を書くゆとりがありません。
しばらくの間、このブログをお休みいたします。

ですがコメント欄を使っての交流はご自由にどうぞ。
私も時々見させていただきます。

 それでは申告作業が終了するまで
どなた様もごきげんよう。


列車の窓などから、雪でおおわれた寒村を眺めていますと、こんな寒々とした村に住む人たちの暮らしって大変だろうなぁ、などと思ったりしませんか?小さく歩いている人がいて、その方が老人だったりすると余計に同情的になったりする。しますよねぇ。
 でね、私の村はそんな寒村なのです。老人がときど〜き、雪の中をポツンと歩いていたりします。もし旅行者が通ったりすれば(そんな人はまったく来ませんが)、見るからに淋しい風景とうつるでしょう。
「寒そうだなぁ。年寄りの身には堪えるだろうなぁ。早く春が来ないかと思っているのだろうなぁ。」
 一方、そんな寒村の世界も中に入ればちょっと違った姿になります。外は雪。田畑の仕事はまったくの休み。雪片付けの仕事はあるものの、時間はぜいたくにあります。日頃、読むことができなかった本や、訪ねて行きたくてもできなかったところに行ってみるとか・・、そんなことはしなくても、隣近所にお茶のみにでかけゆっくりと過ごしてくるなど、お金は無いけれど、何ものにも代えがたい豊かな時間があるんです。
 関西の百姓仲間は
「菅野のところは雪があって、暮らしにメリハリがあるからいいなぁ。俺たちのところは年がら年中畑仕事だよ。それは多少稼げるけれど、あわただしい。」
と言ったことがあり、私はそれに
「冬に暮らすために春から秋にかけて働いているようなものだよ。さっぱりのこらない。」
と返したことがありました。どちらがいいかはその人の考え方、生き方によりますね。私は断然に雪の寒村が好きです。列車の窓から同情の目がそそがれていることも知っていますよ。今度はわざと腰を曲げて手を振ってやりましょうか。列車の人は喜んでくれるだろうか。


言葉に関して言えば、嫌な言葉がもう一つあって・・「まなざし」。
これをある状態で聞くと思わず発した人から眼をそむけたくなる。いたたまれなくなる。最近はあまり使う人が少なくなったけど、ひところはお前まども!流行っていたんだね。

 この言葉自体は「しんけんなまなざし」とか「澄んだまなざし」とか、目や視線の様子を表わすときにつかわれる言葉だけれど、嫌なのはその言葉が使われる状態だ。どのような状態かと聞かれてもなかなか説明が難しい。

 まず、使う人が「強者」の立場、上から下を見ることのできる立場に立っていること。これをAとする。そして、「まなざし」と表現される側が「弱者」でなければならない。これをBとする。Aによれば周囲はBの立場をよくは理解していないとされる。まずこの関係がある。その上で、「強者」Aは「弱者」Bの代弁者、理解者として「無理解な周囲」に対しようとする。そんな時Aが使う言葉が「Bのまなざし」。

 そうだなぁ。農民はまずこの言葉は使わないよな。そのような状態にあっても「まなざし」なんて言葉は浮かびもしないだろう。使うのは「インテリ」だ。そう、使う人は例外なく自分のことをその「インテリ」だと自認しているタイプの人たちに多かった。無理解な周囲に対してBの立場からの正義を代表しつつ、すこし告発の意味合いも含んでいたかもしれない。正義の代弁者。

 しかし、Bの置かれている社会的な関係をよく見れば、Aの属している「強者」自体が問われている場合が多いのに、Aは自分だけ特権的にその範ちゅうから離れたうえでBの代弁者、告発者としてふるまう。そんなAが発する言葉、「Bのまなざし」。
これは聞きづらかった。

 今はもうほとんどいなくなってきたけど、こんなのは形を代えて
これからもいろいろでてくるだろうなぁ。

 (写真は朝日連峰とその裾野に広がるわが村)

...もっと詳しく