ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
テレビでの話。
どこかは忘れたが「朝から行列のできる養鶏所」を紹介していた。 並んでいる人は 「卵がおいしい。これを食べたなら他の卵は食べられない」、 「黄身の色が濃い」 と一人で何パックも買っていく。黄身の色は朱に近いだいだい色。養鶏場の社長は「人気の原因はエサにある」と言っていた。彼は正直に実態を説明している。社長の言うとおり、黄身の色は色素でコントロールされており、味だって何が添加されているかわからない。 ![]() 養鶏場の中には狭いゲージに押し込められた苦しそうなニワトリたちの姿があった。慢性的な運動不足とストレス。そこにエサと一緒に給与される化合物。ヨーロッパでは動物福祉の視点から、法律でゲージ飼いは禁止となっているが卵の安全性から言っても心配だ。味が良ければそれだけでいいというわけでもあるまい。 行列をつくっている人たちのほとんどが60歳以上で、幼い子どもの親世代がいなかったことが救いだった。病院だ、薬だ、アレルギーだという前に、身体の中にいれるものをもっとしっかり吟味しなければいけない。TVも相変わらだ。見識が足りなさすぎる。 ...もっと詳しく |
なにかとくたびれる夏ですが
フォレスタのこんな歌でも聞いて 疲れを癒しましょうぞ。 長丁場ですから。 http://www.youtube.com/watch?v=6joKC0XA6jI 三番目の 「橘(たちばな)の、薫るきばの 窓近く、蛍飛びかい おこたり諌(いさ)むる、夏は来ぬ」 の蛍、例の「蛍の光、窓の雪」のホタルですよ。 ナマケルンジャネェ!と・・ おっかないですねぇ。 |
キツネがやってきた。
今までならきまって明け方の4時前頃なのに、今回は夜の8時頃。 この日もニワトリたちはいつもどおり夕方まで外で遊び、暗くなる前に自分で鶏舎に入っていた。でも息子は久しぶりに子どもたちと遊びに出かけ戸締りが遅くなっていて、俺は別の用事で家を離れていた。 帰宅後、戸締りのために鶏舎に近づいた息子は、足元に広がっている数十のニワトリたちの無念な姿に動けなくなってしまったという。 自然養鶏30年、 この時間帯に襲われることはなかった。 彼らは経験から学んでいた。 自分たちに機会があるとすれば時間帯ではなく、人間の一瞬の油断だけ。 たぶん、こんな結論を持っていたのだろう。 彼らのこの学びと進化を俺たちは想像すらできず、経験に安住していた。 この差が今回の事態を招いてしまった。 自然はわずかな甘えも許さない。 ...もっと詳しく |
今朝もタヌキがやって来ました。 明け方の3時半。ニワトリ達の大騒ぎで飛び起き、懐中電灯をもって鶏舎に駆けつけると、タヌキがあわててと逃げていくところでした。明け方とはいえ、まだ暗く、人々が寝静まっている中に、突然に始まる一千羽の大合唱って想像できますか? なかなか・・な。 周囲の民家では何事かと起きだし、あっちでもこっちでも灯りをつける。胃が痛くなるような切なさ。申し訳なさ。 「もうタヌキは帰って行ったから静かにしてくれ!」 こんなことを言いながら鶏舎の周りをまわるのです。 しっかりと防御柵を施していますから、決して侵入できないし、タヌキがニワトリにありつくことなどはほとんどゼロなのに、ここのところ毎日のようにやってくるのです。 お前たちなぁ!いい加減にしろよ。 わが鶏舎はすでに彼らにとって「動物園」になっているのかもしれません。 子ダヌキたちを連れて「あれがニワトリっていうものだよ。おいしいよ。」と。そうだとしたらことは教育ですから、たとえタヌキとはいえ、やみ雲に妨害することはできません・・などとなるわけがない。どうしてやろうか・・、ほとほと困っています。 |
☂緑がよみがえりニワトリたちが外で戯れ・・ うれしそうに日向ぼっこをし、草を食んでいる。 この光景はいい。 近くの草場に腰掛け、ニワトリたちを眺めていると数羽が寄ってきて、私の靴をツンツンと突っつく。 裏山では朝日連峰の緑は毎日のようにせり上がり、ツバメが飛び、春の風は髪を揺らして通り過ぎて行く。 いい光景、いい季節、いい時間。 さあ、もうじき田植えが始まる。 |
珍しいぐらいの晴天続きで、何よりも苗の成長が早い。
そのため例年以上に仕事に追われている。さらに我が家では有機肥料の散布を行っているため、まわりの農家に追いついていくのが大変だ。 えっ、苗の成長に合わせるのはともかくとして、なぜまわりの農家に追いつく必要がある?自分のペースでできないのか?と思われるでしょう。はい、できません。 問題は水。村の水田は傾斜地にあり、田んぼに水をあげれば、どうしても下の田んぼに浸透して行く。耕耘は水のない中で行うのがよく、そのため、農家は隣接する下の田んぼの耕耘が終わるのを待ってから自分の田んぼに水をあげる。お互い様なのだけれど、だからといっていつまでも待たせるわけにはいかない。で、まわりの農家の作業状況を見ながら、それに合わせて自分の田んぼの作業をすすめて行かなければならなくなる。 作物の生育状況とまわりの農家の農作業、それらに合わせながら田植えまでの忙しい日々が続く。 |
朝の5時ともなればあっちからもこっちからもトラクターの耕耘の音がゴウゴウと聞こえてきます。 この活気は田植え時期と稲刈り時期の年に二度だけなのですが、高齢化しているとはいえ農民はイキイキしていて、 俺が主役だ、文句あっか? 年寄りたちのこんな顔を見るのは久しぶりです。 彼らは早起きが得意だから、率先して田んぼに飛び出して行くわけで、若い衆はその音で目が覚めてしまう。 寝てなんかいられません。 そんなわけで、村の活気は年寄りたちが引っ張っています。 |
ようやく芽がで、苗が育ち始めました。
4月20日に撒いた種です。 これは「ひとめぼれ」。 田植えに向けて息子の春平は田んぼに発酵鶏ふんの散布を行っています。 裏山の朝日連峰では残雪をてっぺんに押し上げるように ブナやナラの緑が頂上を目指して伸びて行きます。 田植えは5月20日からの予定です。 ...もっと詳しく |
東北の地域は都会の「植民地」ではない。
都会の「部品」でもなければ「家来」でもない。 もちろん、そのおこぼれを期待して生きる「ポチ」ではない。 東北に生きる我々は断じてそれらの後継者ではない。 地域を部品にすることで心が痛まないのは、自らが何かの部品だからだ。家来だからだ。植民地だからだ。ポチだからだ。 いま、われら東北の地域は、「部品」であることから自立しなければならない。この自立はいつか日本自身の再生につながるはずだ。 大言壮語に聞こえるだろうか? だとするならば君の時代認識が間違っている。 いまは大きな時代の転換期なのだから。 誇りを取り戻す時代、 希望を創りだす時代なのだから。 ...もっと詳しく |
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安いからと言ってエサに植物とウイルスとを人工的に合体させた遺伝子組み換え作物は使用していません。すべて自然のものを与えています。黄身の色も自然の色。どのような意味でも薬の類は使っていません。
以前から食品としての卵に懐疑的だった芳秀が、自分の子どもに食べさせたい玉子はこれだ、というのが菅野養鶏のはじまりです。自然卵です。
できる方は、ご自分で飼ってみることを勧めます。家族一人あたり一羽でいいでしょう。余ったらお付き合いに活用できます。
な〜に簡単ですよ。まず農文協の「自然卵養鶏法」(中島正著)をお読みください。次に創森社の「土と玉子といのちと」(菅野芳秀著)を。ここも肝心ですぞ。
生ごみや周囲の草など、さらには蕎麦屋のかつおだし、パン屋のミミなどいろんなものがニワトリたちの餌になります。
鶏舎は日曜大工で十分。一日で建ってしまいます。広さは十羽で一坪ぐらいかな。おいしい玉子ができること請け合いです。
なによりも暮らしが楽しくなりますよ。
分からないことはわが農園にお尋ねください。
誰だって写真のようなニワトリの卵は食べたくないよな。