ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
食べますよ!
全国の宿でも
よく聞きます。
「これ生たまごで食べられる?」よく聞く言葉です。もちろんです。おれがニワトリを飼い始めたのは、子どもが生まれ、安心できる玉子を食べさせたかったからなんですよ。その発展としてはじめた養鶏なのですから当然です。
でも、ゲージ飼いのニワトリが産んだたまごは、煮ても焼いても・・おれは食わないなぁ。 俺の身体の半分は納豆で出来ている。そういっても両親や家族は誰も異論をはさまない。そのぐらい、生まれたときか今日まで、ずっと納豆を食べてきました。一回に食べる量はおよそ160gぐらい。ほぼ毎日です。だから知っていましたよ。ダイエット効果なんてウソだと。ネギ納豆、シーチキン納豆、ミソ納豆、えのきだけ納豆にとーふ納豆・・・まだまだあるよ。それに納豆うどん、納豆ソーメン、納豆汁・・・。「たまごを売るー涙を誘う奮闘記ーその2−」など書いている場合じゃない。納豆について書こうかな。 |
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それまでにずいぶんとチラシを作ってはまいてきたけれど、自分自身の為にまくのは初めての経験だ。
行きつけの床屋さん宅前を会場として借り、周囲100軒ほどの住宅にチラシをまいて歩いた。妻は
「まだ160羽のニワトリしかいないし、100軒もまいたら注文に応じ切れなくなるんじゃないの?」とのんきなことを言っている。
当日の朝、産みたての玉子をカゴいっぱいに入れ、皿、醤油、箸などをもって出かけていった。少し小雪が降っているが、問題はない。会場となる床屋さん前に舞台を作り、皿を並べ、玉子を割って展示した。さて何人来てくれるか。
予定の時間となった。誰も来ない。三十分ほど待ってみても誰も来ない。床屋さんのご夫婦が心配して見に来てくれた。
「やっぱりなぁ。玉子の為にわざわざ家から出てくることはないかもなぁ。どれ、どれ・・」と言って玉子をひとつ食べて「『商(あきな)いは飽(あ)きない』と昔から言うんだから・・」などと慰みを言って帰っていった。
結局、雪の上で一時間ほど待ったが、誰も来なかった。皿の上の玉子は半分凍っていた。
玉子をそのままもって帰ったのを見た両親は
「やっぱりダメだったべぇ。値下げするんだあ。このままなら家中が玉子だらけになるぞお。」
なにも儲けようと思って価格を決めているのではない。産卵率、生存率、経費などから割り出して決めているのであって、まだ一個も売れてないのに値下げしましたでは、笑い話にもならない。
更に二日後、公民館から借りた拡声器を持って同じ場所に出かけていった。チラシなら読まなかったということはあるだろう。今度は拡声器でまわってみよう。そう考えてのことだった。ニワトリ達の産みだす玉子もどんどん多くなっていく。一日に100個以上産むようになっていた。このままでは本当に家の中が玉子だらけになってしまう。少しあせってきた。
「ただいまより、床屋さんの前にて、自然卵、『にしねの地玉子』の試食説明会をおこないまぁす。大地の上に放し飼い。お日さまを浴び、自然の草を腹いっぱい食べて大きくなったニワトリの玉子でぇす。どうかお出かけくださぁーい。」
その時も、一人も来なかった。何でだべ?玉子に問題はない。このような玉子は求められてもいよう。その辺のことは呼びかけのチラシにきちんと書いている。拡声器の呼びかけでもはずしていない。だけど誰も来ないって、なんで?いよいよあせってきた。「たいがいの人は安売りのたまごで充分だと思っているんだよ。高い玉子なんて買ってくれんべか?」と心配していた両親の顔が浮かんだ。
話を聞いてもらえなければ何も始まらない。来てくれなければこちらから出向こう。翌日からは、一戸一戸を訪問し、チラシを配りながら試食用の玉子を置いて歩いた。
「私のニワトリたちが産んだ玉子です。試しに食べてください。」
十軒まわって一軒ほどが聞いてくれた。だけどほとんどは門前払い。押し売りか何かと間違えられることもあった。こんな家が続くと、気の小さなぼくのこと、チャイムのボタンを押すのも怖じ気付いてしまう。だけどやめるわけにはいかない。
この各戸訪問は話を聞いてもらう唯一の方法で、後は数をあたるしかないのだが、反省点もあった。それは私がドアを開けた瞬間、話の聞き手が、ビックリしてしまい、うわの空になってしまうことだった。ちなみにぼくの身長は191cm、体重は当時95kgほど。ドアを開ける。聞き手はいつもの習慣どおり、訪問者の顔の辺りに視線を向ける。しかしそこには顔はない。あるのは大きな胸。あわてて視線を上に向ける。そこにはたまご、たまごとまくし立てる、ひきつった顔の男が・・・。訪問者の為に用意されていた容量はそれを見ただけで満ぱいとなり、ほとんど話など聞く余裕がなくなってしまっている様子。すぐにドアを閉めてしまうか、聞いてくれる場合でも目がうつろ。まったく話は上の空なのがよく分かった。
「それはあんたが緊張していたからでない?大きな身体と緊張した顔との組み合わせでは、知らない人がおよび腰になるのもムリないよ。」と妻がいった。なるほど、たしかにぼくは緊張していた。あせってもいた。
次の日、一軒の玄関の前に立つ。深呼吸してチャイムを鳴らす。ドアが開く。家の人が顔をだす。一瞬、目線はぼくの胸、すぐに上に上がる。そこで待っているものは・・・。こぼれるような笑顔。昨夜、鏡の前で練習した顔面いっぱいの笑顔・・・。
このようにして一軒一軒訪問していくうちに、少しずつ購買者がうまれていったのだった。