ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
なんで、みんな北に逃げたのかな〜!
もし、昔の人たちが南に逃げていたら、敗南になっていたのですかね?
戦いに負けたら、北に逃げる。 北には何かいい事(雰囲気・負けた人にやさしい世界)が待っていたのでしょうかね。 今の今まで、蝦夷は北海道だって思っていました。 山形だったのですか! 私、また一つ賢くなりました。 ほんで、〔敗北〕に東西南北の【北】が入っているなんて、今まで意識したことが無かったです。 〔敗北=はいぼく〕やったです。 一日に、二つも賢くなったら、欲張り過ぎやなぁ〜! 樹齢1,200年の長井市の桜は、エドヒガンですか? 一昨年、淡墨桜(1,500年)に逢いに行きました。 桜の樹に近付くと、息をするのもしんどいような気を感じました。 {もう、この樹は神様なんやなぁ〜}って、思いました。 次は福島の枝垂れ桜(三春のたき桜)に逢いに行きたいな〜って思っていました。 でも、山形にもステキな桜があるんですね。 今、我が家には、泊りがけで桜を見に行く余裕(時間)は、ありません。 いつか、きっとね!・・・・の世界です。 今年は、讃岐の35年の枝垂れ桜に感動して帰ってきました。 35年でも見応えがありました。 遠くからもたくさんの人が見に来ていました。 この35〜6歳の桜も、江戸彼岸桜ですから、今後の環境さえ良ければ、今から1,000回以上は花を咲かせることができるんですよね。 大気汚染も無い、放射能も無い、電気も無い、農薬などの土壌汚染も無い世界に生きてきたから、 千年桜に育ったのかもわからんですね。 桜の花のライトアップは、樹によくないんですって・・・! 人間も同じやわなぁ〜! 夜は電気を消して、早く寝ましょうっと! 今夜は、ありがとうございました。 おやすみなさい! |
少し気になること
山さくらさんこんにちは。いつも楽しみに読ませていただいています。
ところで、「江戸彼岸桜」とお書きになっていらっしゃいますが、インターネットで調べました「桜 異名同種リスト」によりますと、以下のような似た名前が出てきます。 蝦夷彼岸桜・・・異名⇒大山桜、蝦夷山桜、紅山桜、蝦夷紅桜 江戸彼岸・・・・異名⇒立彼岸、東彼岸、婆彼岸、姥桜、姥彼岸 江戸彼岸枝垂・・異名⇒糸桜、枝垂桜、浅間枝垂、紅枝垂、平安しだれ 「江戸」なのか「蝦夷」なのか、少し気になります。 また、菅野さんがお書きになったことばの中にも、少し気になることがあります。 <敗北>について 日本列島全体がまだ「辺境未開の地」だった頃、中国大陸では常に漢民族と北方民族とのせめぎ合いがありました。「敗北」とは、漢民族が北に敗れて南に敗走すること、という「仮設」をわたしは持っています。 <北帰行>について この元歌は、半世紀以上前に作られています。戦前、中国大陸の旧制中学から東京の旧制高校受験に失敗した若者が北に帰る時の心情を歌ったもの。北帰行とは旧満州に帰ることと解釈すると、「さらば祖国」という歌詞が現実味を帯びてきます。 原詞は五番まであって、当時の作者のいろんな心境が盛り込まれています。でもわたしは、原作をアレンジした小林旭が歌う「北帰行」の方がすっきりしていて好きです。 |
田んぼの写真
土の旅人さんへ!
土の旅人さま、山さくらさま
copyright/kakinotane
植えてしまえば勝ったも同然!!
と行きたいところなのですが、原発が・・気分を重くしています。
もしかのことがあっても農家は田畑と一緒に移住することができませんし、
この地に幾百年、幾千年の「地域のタスキ渡し」と「楽しみの先おくり」があり、
今、そのタスキが自分(たち)に掛けられている責任を実感しながら暮らしていますので、
その時が来てもなかなか「ハイ、さようなら」とはいきません。
原発に限らず、三里塚に限らず、そうしなければならなかった地域の方々に思いを馳せながらわが身を振り返っています。
息子は
「放射線量を独自に測定し、収穫したお米に世界基準を超える
数値が出たときには、国が定めた基準でOKでも、出荷しないし、百姓をやめる。」
といっていますし、他方で「TPPが通っても百姓をやめざるを得ないだろう。いろいろやめていく材料にことかかないなぁ。」
などといいながら、代掻きをやっています。
そういわれてみれば、今さらですが、東日本の農家は、原発に、TPPに、作物(特に米)の暴落という三重の負荷を背負って春を迎えているんですよね。先行きは見えないのに、みんな淡々と暮らしています。暴動などは決して起きません。
誰かが「東北人の我慢強さは、中央からの東北への抑圧、収奪の歴史が作り出したものだ。」と言っていましたが、そうかもしれません。負けの歴史ですね。「美談」ではあってもその背景にはそれなりの歴史があるんですね。
わが長井市には「征夷大将軍」坂之上田村麻呂が蝦夷征伐の際に植えていったといわれる樹齢1200年の桜の木が二本あります。今では国の天然記念物になっていますが、征伐された蝦夷というのは北海道ではありませぬ。我が東北のこの地なのです。我慢強さが形成されたといえばそのころからのことかもしれません。その前からあったのか、その後のことなのか・・「敗北」という字は「敗れて北に」と書きます。「北帰行」という悲しい歌もありましたよ。
でもね・・・、みんなまとめておつりをお返しするときが必ずやって来ますよ。だからといって勘違いしてはダメですよ。やられたようには決してやりません。誰をも収奪しない、自然と共生する、東北らしい、やさしい地域社会を形成する。
京都から押し寄せてきた軍と戦い敗れた安倍の貞任も、北に逃げた義経も、榎本武揚も、「北帰行」の小林旭も、集団就職で水が合わずに帰ってきたかずちゃんも、そのときはみんなでてきて一緒に喜んでくれるだろうな。
<写真は田植え前の田んぼと我が集落、そして朝日連峰です。ダブルクリックでアップにしてご覧ください。>