ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
讃岐にも雪!
tppがもたらすこと
ヴィトン大いに結構!
秋田のじゅんさい太郎さん
>はたして、世界を巻き込んだ価格競争の中、世界は『nippon >value』で戦えるのでしょうか 戦えるのでしょうか?と不安になる前に・・・ 「じゃあ、どんな野菜ウケるのか?」 「未だ誰もやっていない営法は?」 「アグリカルチャーとして、日本が得意とするアニメと セットで海外ヲタクに新しい日本食文化を提言できないか?」 「日本お家芸のロボット技術、水耕栽培他の植物工場を もっと取り入れて効率化、機能野菜、減農薬、自然栽培で 価値を高められないか?」 効率化、安全安心」 考えましょう! >はたして正当な評価をしてもらえる野菜がどれほど >あるでしょうか 作っていくのですよ!!!!!!!!!!!!!! 以上 |
市場で買う野菜で思うこと
毎週木曜の午後4時から7時までと言うちょっと変わった時間帯でマーケット(青空市とでもいいますか夕焼け市と言いますか)のある町があります。
さっきそこで買い物してきました。 スーパーで買えばもう少し安いかもしれないけど、スーパーには並ばない野菜、アルザスから来たオリーブ屋さん、近くの鱒の養殖場直売の屋台、などなど、真ん中ではソーセージを焼いて、グリューワイン(温めて香辛料と砂糖を入れた赤ワイン)も売っています。そこでよもやま話しているお年寄り。 私は、行きつけの農家のおじさんから芽キャベツ二つかみ、マッシュルーム一つかみ、にんにくひと株を買って2,50ユーロ払いました。 気温3度くらいの寒い中、こんな小額のお客にもにこにこ売ってくれてこっちの方が申し訳なかったくらい。 こうした野菜の売り方を好む市民もいるんですが、実際は、スーパーでまとめ買いしたほうが家計に優しいのは事実です。 ただ、スーパーで野菜や肉を買わない人は少しずつですが増えてはいます。 こうして結局は消費者が何を望むか、これに掛ってくるのではないかと思ったドイツの夕暮れでした。 |
秋田のじゅんさい太郎様へ!
農業はルイヴィトン化しても、・・・私にはようわからんです。
でも、食べ物のヴィトン化は、イカンですよ! 食べ物は、庶民のための物なんやからなぁ〜。 貧しい人も、安心して食べられるものでないとイカンと思いますけどねぇ〜。 大金持ちは、高いお金を払って美味しい物をいっぱい食べて、豚になっても・・・(千と千尋の神隠しみたいにね) 自分の身体にいいものを精選して食べても・・・・、 それは自由に、選択できるでしょう。 でも、貧しい人も安心安全な物が食べられる日本がいいです。 『じゅんさい』って、秋田で栽培されているのですか? 以前にテレビで、舟に乗って摘み取っているのを見たことがあります。・・・・美味しいですよね。私は大好きです。 讃岐では、白梅が咲いて、紅梅も咲きました。 てんとう虫も枯れ葉の下から出て歩きはじめました。 春になったら、また田植えの準備が始まります。 その前に、急いでジャガイモを植えて、それから2.26に駆けつけますね。 なんとかして、コーラーの瓶を割らないかんからなぁ〜 |
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寺山修司の脚本の中にこんな一節がある。ちょっと長いが引用する。
「中学校の頃、公園でトカゲの子を拾ってきたことがあった。コカコーラの瓶に入れて育てていたら、だんだん大きくなって、出られなくなっちまった。コカコーラの瓶の中のトカゲ、コカコーラの瓶の中のトカゲ。おまえにゃ、瓶を割って出てくる力なんてあるまい、そうだろう、日本。(後略)」
コカコーラはアメリカで、蜥蜴は日本だ。その一節はやがて有名な「身を捨てるに値すべきか、祖国よ。」と続くのだが、TPPに関する菅内閣の姿勢を見ていると思わずこの文言を思い出す。
私が農民だからといって、TPPやこの国のことを農民の視点からのみ見ているわけではない。日本列島に住む一人の生活者として、また、今と未来に責任を負う1億2千万人分の一人としても見ようとする。たぶん、多くの人はそうだと思うけどね。母親だったり、父親だったりとか。そして、そのどこから見てもTPPへの道は危険だ。けっして大げさでなく、この国が危ない。そう思う。
そもそもこのTPPはどこからやってきたのか。菅総理が初めて口にしたのは昨年10月1日の衆議院所信演説だ。そのときには、まだ野党はおろか、肝心の民主党の国会議員すらほとんど知らなかったという。それから半年たった。これまでいったいどれだけの議論を重ねてきたのか。この国の形を変えるほどの大きな衝撃をともなったこのTPPについて、何ほどの議論も尽くされていないように思える。国民の多くはほとんど知らない。にもかかわらず、この6月にも方向を決めようとしている。TPPへの参加の可否をめぐって、国会を解散し民意を問う。最低必要なことではないのか。ことの重大性にもかかわらず今のまま、たいして議論も交わされることなく、性急に事が決められていくとすれば未来に申し開きがたたない。
マスコミもTPPのプラスとマイナスの両面を国民の前に明らかにし、その判断を見守ろうとしてきただろうか。やってきたことは誰でもが知っているように、ただ「バスに乗り遅れるな」とばかりに危機感をあおりながら「TPP参加」という自分たちの結論を国民に押し付けようとしてきただけだった。ジャーナリズムの基本的な役割を放棄している。メディアの多様化と読者、視聴者ばなれ、それに広告収入の減少が重なって経済団体の主張に「YES」といわざるを得なくなっているのではないのか。だとするならばジャーナリズムの自殺行為だ。
最近になって、インターネットや研究者の警鐘をうながす文章などでようやくTPPの中身を知ることができるようになってきた。そして、知れば知るほど、TPPの主題は、言われているように「農業」対「輸出企業」、そのどちらが未来の日本により幸せをもたらすかということではなく、日本とアメリカの関係にかかわること。日本を51番目の州として米国に差し出すのか、それとも独立した国として、日本の今と未来を守って行くのか。そこにあると思えてくる。
充分に情報を開示し、時間をかけて話し合ったうえで、なお51番目の道を行こうとするならばそれもいいだろう。所詮、日本はそれまでの国だったということだ。
トカゲにビンを割れるのかって?当たり前だ。割れる。
草をかじってでも割らなければならない。
そういうことだ。
2月26日、13;00〜明治大学神田校舎
「あたりまえに生きたいマチでもムラでもーTPPに反対する人々の運動」
お待ちしています。