ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
また一番
只今ドイツ時間は23時30分。日本は朝6時半です。
また私が一番乗りさせてもらいました。(いつもすみません) 今年から始まった畑で開墾の毎日です。牧草地だったところなので、草の根が絨毯のように深さ20cmびっしり。それを剥ぎ取りながら土にたどりついて畑にする。農業と言うより土木業の日々を過ごしております。 この畑のある村は、乗馬用の馬の飼育と林業、そして片手間の農業を生業としている人が多いようです。土を耕していると・・・ニワトリのコケコッコーののびやかな声が時折聞こえます。 懐かしい(昔、父の実家で聞いたニワトリの声と太陽の光が幼心に焼きついている)気持ちになります。それを今、毎日聞いて働いています。 近くにレストランがあるので、今日は団体客を乗せた観光バスがそばを通り過ぎていきました。 「右手をご覧ください、百姓です」っていう記事がありましたよね。あれを思い出しました。 私はつなぎの作業ズボンにカーキ色の長靴、軍手に鍬を持ってのんびりと(見えるんでしょう)畑を耕している・・・・。 こちらも種まきが始まりました。 今日は月のカレンダーで根菜類を植えるのによい日なので、赤カブ、ダイコン、ニンジン、などを植えました。 |
ときどき不安になるのは
春ですね。
クミさま;そちらはとっくに雪が消えているんですね。
緑がきれいですよ。 春ですねぇ。 今日はこちらは雪降りで、寒い一日でした。 稲の種まきの準備をはじめたのですが 手がかじかんでいうことききません。 で、5時前でしたが、家に入り、熱燗の酒を飲んでいました。 山さくらさま;四国はさくらが葉桜に変わっているんだべね? こちらはようやく梅の花が咲いたところ。さくらの開花はまだ先のことです。 種子原人さま;一度ぶらっと鹿児島まで行ってみたいですが、なかなか遠くてな、行く機会がありません。5月27日に福岡県大木町で全国環境自治体会議が開かれ、行く事になっているのですが、田植えを抜け出していく以上、鹿児島までは無理。あらためて計画します。 |
葉桜になりつつです!
正直に伝えます!
讃岐のソメイヨシノの樹は、
あんまりキレイじゃないからって、言ったら桜に悪いですよね!・・・昨夜反省しました。 さっき、孫を幼稚園に送っていった帰りに写してきました。 今の桜の樹の様子です。桜の枝の下の田んぼは、6月初めに田植えします。 3月14日にソメイヨシノ開花(愛媛県松山)って、発表したんです。香川県の高松はそれより少し遅かったです。 でもこの土手の桜は、松山と同じ位に開花していました。 ということは、一ヶ月以上も花を楽しませてくれたんですよね。今年は花の期間が観測史上一番長かったんですって・・・! 今日の讃岐は、寒いさぶ~い雨で、いちだんと写りは悪いです。 でも、この桜の樹は新緑の準備を始めているんですよね。少しも休まないで日々新たです。 今年、この土手に咲く満開の桜を眺めながら、後何回この桜に逢えるかな~って思いました。 元気でいても、後20回逢えたらいい方ですよね。 20回なんて、少ないですよね。・・・それも思いようかな? 「おまえは、もっと長生きしようと思っとんかい!」って声が、空の上の方から聞こえてきそうですね。 |
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草の生い茂る季節はもうすぐだ。
ニワトリたちにとって、大地の上で思い切り遊べる春がやってくる。雪に閉じ込められた長い冬ともおさらばだ。鶏舎の外にでて、草地いっぱいに広がって伸びやかに遊ぶ。土をつっついたり、虫を追いかけたり、草をついばんだり、駆けっこをしたりの楽しい毎日がはじまる。そんな姿を見るために子どもや孫をつれた人たちがやってくる。道を通る人も立ち止まって見ていく。時には車でやってくる人たちもいる。こんな光景ももうすぐだ。
さぁ、フェンスをまわそう。
ある日、作業をしている私のところに、建ちゃんが声をかけてきた。
「こんなフェンスで、よく逃げていかないなぁ。」
えっ、逃げるって?なぜ?
そう、なぜ?なのだ。こちら側がつらくて、不幸で、あちら側が楽しくて、幸せで・・・。こんな場合はこっちからあっちに逃げていきたくもなるだろう。だけどな、こっちにおいしい食事があって、楽しくて、幸せでというならば逃げ出す必要がないではないか。
「逃げ出すなんてないよ。ただ野菜畑に侵入しないようにと思ってな。」
さて、日本人とニワトリのことは「神話」の中にも、岩戸の中に隠れたアマテラスを呼び出すためにオンドリを一斉に鳴かそうとした話として出てくるから、ずいぶん古い話だ。たぶんその時代にもあっちこっちにニワトリたちがいたのだろう。
それからずいぶん時はたって、とは言ってもオレが小さかったころのことだが、やっぱり村の家々ではニワトリを飼っていて、庭で遊ぶのんびりとした光景を見ることができた。こんな風にニワトリとの関係はずいぶん長くから続けてきており、かつ、その関係もそう悪くはなかった。ニワトリたちは逃げることなど考えなかっただろうと思う。
やがて、経済効率や生産性という考え方が入ってきたことで、この関係は一変する。ゲージに閉じ込めてニワトリを飼うようになった。両者の関係は歴史上、最悪だろうと思われる。
おそらくゲージの中のニワトリたちは、機会があれば一目散に逃げていこうとするだろうな。歩くことができない、羽を広げることもできない。風を感じることも、お日様にあたることもない毎日。ただただ卵を搾り取られるだけ。これほどの不幸は、他のどこへいってもないのだから。たとえ、途中でキツネかタヌキに襲われて、そこでいのちが終わることになったとしても、けっして「しまった。」とは思はないだろう。それでもゲージの中にとどまるよりはずっとましだと思うはずだ。
逃げよう!もう人間には金輪際近づくな。野生にかえろう。
もう一度、いい関係を取り戻そうよ。何がどうでもいいことで、何が大切なことなのかを暮らしの中から考えてみようじゃないか。ニワトリを通して、何かきっと、俺たちが失ってしまった大切なものが見えてくると思うよ。変わってしまったのは俺たちの方なのだから。
(写真は、雪の消えた大地の上を、オンドリを先頭に散歩するニワトリたち)