ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
困っていますよ
キツネの眼は・・・・?
暮に私のウサギは
暮の30日、友達に預けていたウサギが1匹いなくなったと聞いて、飛んで行きました。
その日はもう暗くて探せなかったため、翌日子供たちにも招集をかけ、さんざん探しましたが、見つかりませんでした。ここら辺では、狐もいたちもでるのです。住宅街でです。おそらく、ウサギは30日の晩にやられてしまったに違いないと思うと、不憫でした。狭い小屋で飼われているウサギが束の間自由になれば容赦なく自然のおきてに従わなくてはならないのです。何かの理由で街中に住むようになってしまったキツネ。生まれながらに人に飼われるだけのウサギ。 人間と自然との闘いの末に、今の快適な生活を築いている私たちが時折足を止めて何かを考えさせられる・・・・・そんな気がします。 キツネは泣いているみたいに見えますね。キツネはただ本能に従って生きているだけでしょう。だから罪がないかと言えば、そうはいえない。 菅野さんが言うように、山で暮らしてたら山の生活があったろう…ほんとにそう思います。自然と生活のせめぎ合う最前線で暮らしている菅野さんのところではそういう現実に向かい合う機会が格段に多いのです。 |
アルファベットのには触らないで!
キツネの写真、なぜかもう見たくないです!
空飛ぶニワトリを開くと、このキツネの写真が、飛び込んでくる。ドキドキしてくる。
許さないって言ったって・・・・ね。 ダチョウのように殺して食べるわけにもイカンのでしょう? 絵本のお話の中には、狡賢いキツネも居るけど、可愛い優しいお話や、人間世界の戦争や、人間に苦しめられるキタキツネのお話もありますよね。 やっぱり話に聞くのと、現実に向かい合うのとは、違いますね。 私、この写真みるたびに、心臓がドキドキしてしんどくなります。 台所でゴキブリが居たら、ハエタタキで叩いて殺すくせにね。 そんなこと位でドキドキするのはおかしいでしょうって、言い聞かせているんですけどね。 嫌なことから、逃げてばっかりはイカンのですよね。 ほんで、嫌なことを全て他人に押し付けたらイカンのですよね。 このキツネを見るたびに、「おまえはもっと苦しめ!」って、言われているような気になります。 逃げ出したいです。このキツネから・・・・! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 【写真】 今日、見つけた、春の魁(紅梅の蕾)で〜す。 山形にも順番に、きちんと行きますからね。 待っていてくださいね。 |
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昨年の秋のことだ。
「ちょっと来て。キツネがかかっている。」
朝、息子が息せき切って呼びにきた。
「なに!本当か!」
鶏舎に走った。
今までずいぶん被害にあった。今年だけでも4度。被害数は180羽にも及ぶ。彼らに襲われた後の鶏舎に行けば、足が震え、思わず叫び声が出る。鶏舎の内外に数十羽の鶏のみじめな死骸が横たわっているのだ。「・・・どうして・・」
どうしてこれほどまでに・・。ライオンだって、必要以外の獲物は殺さないと聞く。一度にこんなにたくさんの鶏たちを食べられるはずがないのに。殺すこと自体が目的なのか。あまりにも残虐な・・・。一羽だけを襲うタヌキがかわいく思える。やられた鶏の多くはようやく玉子を産み出したばかりの若鶏だった。すべて集めても1000羽ほどの小さな自然養鶏。経営的にも大きな痛手となっていた。
キツネは金網を食い破って侵入してくる。補強するー侵入するー補強するー侵入する・・・のくり返しだった。もう大丈夫だろうと思っても、予想を超えたところから侵入してくるのだ。キツネは残虐だ、あるいは狡猾だ、頭がいい・・・などという民話上の話には根拠があった。我が家が経験したようなことを昔からたくさんの人達が経験しながらこの国のキツネ観が出来上がってきたのに違いない。
罠には小ぶりの痩せたキツネがかかっていた。俺の顔を見て逃げ出そうとするも、足ががっちりと挟まれていて動けない。
「そうか、腹へっていたのか。だけど許してやるわけにはいかない。」
わが農園は、自然との共生を謳っている。だけどそれにも限度がある。その線引きはお前と相談して決めたわけではないが、お前を放してやれば、更に数十羽のニワトリ達が殺されかねないのだから。
キツネよ。朝日連峰に棲むお前達には、昔からお前達にふさわしい食べ物があるだろう。ニワトリはお前達の食文化の外にあったはずだ。俺にしたってお前達を捕まえたくはない。キツネとのあれやこれやは民話の世界で充分だ。もう来るなよな。
写真をダブルクリックすれば大きくなります。キツネの眼にご注目!