ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
立ち小便は気持ちいい
800haの田んぼを前に立小便をする。
放出しながら、広大な緑の風景を見わたす。横たわる朝日連峰を眺める。田んぼを渡る風は緑の穂波をつくって流れゆき、幾分薄くなってきた髪がさわやかに揺れる。稲の花は咲いたばかりだ。ほのかに稲の香りが漂ってくる。心地いいことこの上ない。
山での、畑での、野原での、もちろん便所での・・・いろんな放尿があるけれど、やっぱり田んぼのこれが一番いい。タヌキやカモシカなどと一緒。いのちが満ちる母なる大地を通して食と排泄の滑らかな循環がめぐっている。でも、こんな理屈いらないね。理屈抜きで大好きだ。
かつて娘が小学生のころ、「お父さん、外でおしっこしないでね。今日、学校で先生が、西根は遅れている。立小便している人がいるからっていってた。恥ずかしかったよ。」
西根というのは娘の通う学区で長井市のなかでも農村部だ。もちろん誇りある俺たちの村。そばにいた妻も「そうだ、そうだ」という。
な、な、なにおぉぉ!オレのおしっこ、誰かに迷惑をかけたか?ここは都会のアスファルトの上じゃない。田畑に吸い込まれ、土の養分となって草や作物に活かされていくだけじゃないか。
お前達だって立ち小便すればいいんだ。オレが子どものころには、ばあちゃん達はみんなやってたぞ。女の立ち小便はガキの俺達から見たってなんの違和感もなかった。普通の光景だった。
あのな、この際だからいうけどな。お前達の自覚の無さゆえ、あるいは都会の文化に無批判に迎合する浅薄さゆえ、今まさに大事なものが消え失せようとしているんだ。なにをかって?女たちの立小便にかかわる文化だ。方法や作法だ。あのな、それは、はるか縄文の大昔から、ついこの間まで、母から娘に、娘から孫へと、ずうーっと受け継がれて来たはずだ。腰の曲げ方、尻の突き出し方、両足の広げぐあい、隠し方など・・・。その歴史的文化が、まさにいま、ここで潰えようとしている。いまやそれを知る人は80代以上の女性、それもほとんど田舎の女性のみとなっている。やがて彼女らがいなくなったら、知っている人は日本列島から完全に消えてしまうだろう。どのようにその文化を伝承していけばいいのか。それを考えたら夜も眠れない。
オレは男だからしょうがないけれど、お前達のなかに、我こそは・・・という志をもった人間はいないのか!その復権を!という人間はいないのか! 循環の時代だというのに!
話の途中から、妻娘はいなくなっていたが、まぁ、失ったものの大きさに、あとで 後悔するだろうさ。残念だが、せめて銅像でもたてて、その最中の姿、形を後世に残したいものだと思っているのだが、どうだべね。間違っているべか?おれ。
写真は花が咲いた稲穂・・ダブルクリックで大型化します。
2008.08.13:
kakinotane
:[
メモ
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
]
打ち水大作戦
生涯を、和服で過ごした祖母はズロースなるものも身に着けなかったという事です。あの白木屋(もうない)の大火事で逃げ送れたご婦人の大方も、理由はそこにあったと言ってました。志はあっても、スパッと割れる着衣が無いのですよ。
祖父は褌でしたが、菅野様・・?
2008.08.15:文庫 番 :
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オレはときどき・・
祖母は家事も農作業もすべて腰巻で和服でした。だから立ち小便でしたよ。母親は89歳なのですが、途中までは祖母と同じだったと思います。ですが母親の立小便は見たことがありません。実行した世代なんでしょうが、都会育ちだったのでそこまで割り切れなかったのかもしれません。
オレも夏にはときどきふんどしにしています。そのほうが涼しいからですが。でも欠点はゆるんでしまってしまりがなくなることですね。
2008.08.15:菅野芳秀:
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はじめまして
卵を検索していてたどり着きました。
子供の頃田舎のばあちゃんたちがしていたのを見て、よく出来るもんだと驚きで見ていました。絶対服がぬれるんじゃないかと、今でも思う。
2008.08.20:パンジー:
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よくおぼえてえねぇなぁ。
思い出のなかのばあちぁんは腰巻を前後に広げ、内側のくるぶしに羽熱河恵理が来ないほどの葦幅を広げていましたよ。そこが伝承されてきた(とおもえる)コツなんでしょうね。でも、よくおぼえてぇねぇなぁ。
2008.08.21:菅野芳秀:
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娘さん、悲しかったでしょうね
おっしゃったことは理解したかも知れまっせんが、自分の気持ちを理解しようとしないお父さんを、尊敬できたでしょうか。菅野さんはその時、娘さんと心が通ったと思われたのでしょうか…
2008.08.30:ばばちゃん:
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エミシも熊襲・隼人も同じ
ばあちゃんの立小便は、エミシも熊襲・隼人も全く同じである。幼年時代には種子島の農村で普通の風景であったと記憶している。なお、子供らが田畑の脇でウンコをした時はツワブキの葉で拭きとったものだ。畑などに行く時にトイレットペーパーなど持参した覚えなどない。これを周圏論文化というものであろうか。
2008.09.04:種子原人:
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えっ
潰えていく文化だねぇ。数千年間続いてきたものが、いま歴史的に・・・といっていいのだろうが・・・消えようとしている。もう戻ることはないだろうね。やがて男の立ちしょんべんもそうなるかも。
2008.09.06:菅野芳秀:
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https://kanno-nouen.jp/
菅野農園のホームページで
お米を販売しています
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放出しながら、広大な緑の風景を見わたす。横たわる朝日連峰を眺める。田んぼを渡る風は緑の穂波をつくって流れゆき、幾分薄くなってきた髪がさわやかに揺れる。稲の花は咲いたばかりだ。ほのかに稲の香りが漂ってくる。心地いいことこの上ない。
山での、畑での、野原での、もちろん便所での・・・いろんな放尿があるけれど、やっぱり田んぼのこれが一番いい。タヌキやカモシカなどと一緒。いのちが満ちる母なる大地を通して食と排泄の滑らかな循環がめぐっている。でも、こんな理屈いらないね。理屈抜きで大好きだ。
かつて娘が小学生のころ、「お父さん、外でおしっこしないでね。今日、学校で先生が、西根は遅れている。立小便している人がいるからっていってた。恥ずかしかったよ。」
西根というのは娘の通う学区で長井市のなかでも農村部だ。もちろん誇りある俺たちの村。そばにいた妻も「そうだ、そうだ」という。
な、な、なにおぉぉ!オレのおしっこ、誰かに迷惑をかけたか?ここは都会のアスファルトの上じゃない。田畑に吸い込まれ、土の養分となって草や作物に活かされていくだけじゃないか。
お前達だって立ち小便すればいいんだ。オレが子どものころには、ばあちゃん達はみんなやってたぞ。女の立ち小便はガキの俺達から見たってなんの違和感もなかった。普通の光景だった。
あのな、この際だからいうけどな。お前達の自覚の無さゆえ、あるいは都会の文化に無批判に迎合する浅薄さゆえ、今まさに大事なものが消え失せようとしているんだ。なにをかって?女たちの立小便にかかわる文化だ。方法や作法だ。あのな、それは、はるか縄文の大昔から、ついこの間まで、母から娘に、娘から孫へと、ずうーっと受け継がれて来たはずだ。腰の曲げ方、尻の突き出し方、両足の広げぐあい、隠し方など・・・。その歴史的文化が、まさにいま、ここで潰えようとしている。いまやそれを知る人は80代以上の女性、それもほとんど田舎の女性のみとなっている。やがて彼女らがいなくなったら、知っている人は日本列島から完全に消えてしまうだろう。どのようにその文化を伝承していけばいいのか。それを考えたら夜も眠れない。
オレは男だからしょうがないけれど、お前達のなかに、我こそは・・・という志をもった人間はいないのか!その復権を!という人間はいないのか! 循環の時代だというのに!
話の途中から、妻娘はいなくなっていたが、まぁ、失ったものの大きさに、あとで 後悔するだろうさ。残念だが、せめて銅像でもたてて、その最中の姿、形を後世に残したいものだと思っているのだが、どうだべね。間違っているべか?おれ。
写真は花が咲いた稲穂・・ダブルクリックで大型化します。