ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
我が家の前に広がる水田はおよそ800ha。見わたす限りが田んぼだ。その田んぼ、ちょっと前までは、一面むせかえるような緑だった。今は急速に黄色へと変わりつつある。秋が来たのですねぇ。
白になって、緑になって、黄色になって、白になるものな〜んだ?答は田んぼ。 じゃ、白になって、青になって、赤くなって、白になるものは?答は山。 風景の支配的な色が変わるとき、子どもを相手にこんな「なぞなぞ」を出していた。じっさい、季節の変化に合わせて、前に広がるだだっ広い水田と後ろに横たわる朝日連峰が、広大なスケールでその色合いを変えていく。 そんな中に入っていると「オレの年収は同世代のサラリーマンの1/3にもみたないけど・・・まぁいいかぁ。」こんなおおらかな気分になっていくんですねえ。 でな、季節の変化にともなって音も変わっていくんだよ。田んぼを中心に振り返ってみると・・・春、雪解け水が用水路を流れ始める音。とどろくトラクターの音。「ちょろちょろ」と田んぼに水が入る音。かえるたちの大合唱。夏、せみたちの鳴き声。田んぼを渡る風がサラサラと硬質の音を出すようになれば稲刈りの季節、秋だ。 白いお米は、それらの音を吸い込んで成長する。ふくらんだお米は、ふるさとの音のパッケージ。パキッと割って耳元に持っていってごらん。カエルやセミの声が聞こえるぞ、なんてね。(ここのあたりがちょっとはずかしい) もうじき稲刈りだ。今年、2.2haの僕の田んぼには殺菌剤、殺虫剤を使用しなかった。お盆のころまでは順調に成育してきたのだが、その後、急速に「いもち病」がでてきた。これはカビが作り出す病気で、高温多湿の気候が続くと発生する。それにかかると稲は成長途中で枯れていく。 堆肥を多く入れすぎたのかな。肥満した人がどちらかといえば病気にかかりやすいように、稲も栄養過多は病気に弱くなる。春先の堆肥散布のときはその辺を考えながら施したのだが・・・。 農協の技術指導員は「農薬を制限した人や使わなかった人にずいぶん被害が出ているよ。」と教えてくれた。 「当たり前に農薬をかけておけばいいものを。」まわりからこんな声が聞こえてきそうだ。いもち病にかかった田んぼを前に、環境や食の安全性を説いてもほとんど説得力がない。農薬を制限してお米を作る運動全体が笑われているようでとても辛い。 被害を補償する「農業共済制度」というのがあるが、それに該当するには、共済組合に被害届を出して、幾人かの農民評価員に見てもらわなければならない。彼らは田んぼをくまなく診て回りながら評価を下す。その間中、ぼくはさらし者になっている気分になる。被害届け、出すのは止めようかな。なーに、その分、酒を制限・・・無理かな。 全部の田んぼに被害がでたわけではない。また、LLの網目を通っていくおコメしか発送しないので、病気にかかって未熟に終わったお米は消費者に届くわけではない。発送するのは健康なお米だけだ。消費者には迷惑をかけないが・・それでも悔いが残る今年の米作りとなった。 白になって、緑になって・・・なんて言っている場合じゃないよなぁ。 ...もっと詳しく |
「僕のニワトリは空を飛ぶ」の24話に同じ題名の文章がありますが、今回は本筋は一緒ですが、中味はちょっとだけ変えています。以前のものを読まれていない方はどうぞお読み下さい。前のものは読んだよという方は、新しいものはもう少しすればでますので、おまちください。
<土を喰う話> 我が家には約1、000羽のニワトリたちがいる。彼らは四面金網の開放鶏舎で暮らしているが、ローテーションに従って三日に一度は外にでる。 外では太陽の陽射しを受けながらのんびりと羽を伸ばし、かけっこをしたり、虫を追いかけたり、草を食べたりして暮らす。時には柵を乗り越え、畑の方にも入り込んできて自給の野菜を食べつくしてしまうこともあるが、ま、愛嬌だ。そんな彼らのくらしを眺めていると、私の気持ちものびやかに解きほぐされていくように思える。 ニワトリ達は土が大好きだ。鶏舎の外に出されたときは例外なく土をついばむ。砂浴びといって、パッパッと土を全身にかける。ニワトリのくらしそのものが土と一体だ。 ところで土と一体であるという点では、作物もそれを食べている人間も一緒だ。 作物は言うまでもなく土の産物であり、よってその育った場所の土の影響を全面的に受ける。私がそういうのは、必ずしもかつて理科で習ったようなことについてだけではない。 以前、山形県でキュウリの中からおよそ40年前に使用禁止となった農薬の成分が出て問題になったことがあった。40年経っても土の中に分解されずにあったのだろう。そこにキュウリの苗が植えられて、実がつきふくらんで、汚染されたキュウリができたというわけだ。お米からカドニュウムがでたこともある。 作物が土の中から吸収するものは養分、水分だけではない。良いものも悪いものも、可能なもののすべてを吸い込み、実や葉に蓄える。 土を喰う。そう、私たちは作物を食べながら、その育った所の土を喰っているといえる。 スイカを食べながらスイカの、かぼちゃを食べながらかぼちゃの・・・それらの味と香りにのせて、周辺の土を食っているというわけだ。 汚染を土から吸収した作物は、洗ったって、皮をむいたってどうなるものではない。何しろ身ぐるみ、丸ごとなんだから。 作物を通して私たちは密接不可分に土と結びついている。私たちの身体は土から組み立てられ、土から食べ物をいただき・・さながら土の化身だ。どんな動物も、植物も汚染された土を喰っては生きられない。 食を問うなら土から問え。いのちを語るなら土から語れ。健康を願うなら土から正そう。そしてくらしはきれいな土の上に、である。生きて行くおおもとに土がある。 そうゆうことだと思うのだが、どんなもんだべ?ご同輩。 ...もっと詳しく |
田植えが終わってほぼ一ヶ月。サクランボはひどい不作だ。暖冬と寒い春が影響したらしい。米はどうなるだろうか。いまのところ順調に成育しているが、世界的に穀物が高騰している。環境異変やバイオエネルギーへの転用などでトウモロコシが値上がりし、そのあおりを受けて大豆も高騰。消費数量の確保は大丈夫なんだろうか?この上に今年、国内の米が不作だったらどうなるだろう?日本人、パニックにならなければいいが・・・。
ところで、アクシデントがありましたよ。自然養鶏30年の僕でも初めて遭遇した出来事でした。それは・・ま、ゆっくりお付き合いください。 以下・・・ ニワトリを飼っている。その数1000羽。彼らは昼、ローテーションに従って外で遊び、草を食み、虫を追いかけ、夜は四面金網の鶏舎の中に入って休む。私はできる限り自然に近づけて飼うように心がけてきた。健康な玉子を得たいためだ。 自然に近づけて飼う養鶏は、自然の方からも近付きやすいのだろう、これまでも何回か「けもの」の襲来を受けてきた。その一番はタヌキ。「ぼくのニワトリは空を飛ぶ」のバックナンバー第一号にその顛末気を書いている。タヌキをひっぱたいて帰してやることで、あそこには行くな、やばいぞという仲間へのPR効果をねらったのだったが、その期待もむなしく、奴は繰り返しやってきてはニワトリを食べていった。捕まえてお灸をすえること三度。それでも懲りずにやってくる。もうたまらない。戦略を変え、車に積んで遠くの山に放逐してきたのだった。それからしばらく静かな日々が続いていた。 早朝、まだ薄暗い時刻、奴は突然やってきた。大騒ぎするニワトリたち。フトンからガバッと飛び起きて懐中電灯片手に鶏舎に走る。しかし既にやられた後だった。金網を噛み破り、押し広げて侵入した跡がある。タヌキの場合は穴を掘って侵入してくる。被害にあうニワトリは一回に一羽。しかしこの被害は明らかに違う。鶏舎の周りに10羽前後のニワトリが散らばっていた。タヌキの仕業ではない。もっと、どう猛で、力のある「けもの」だ。一週間に一度ぐらいの割合でニワトリ達は大きく騒ぎ、何度かやられた。すでに被害は30羽近くになっていた。 ようし、来るなら来てみろ。罠を仕掛けて待った。数日たって、早朝、奴がやってきた。ニワトリ達が騒いでいる。鶏舎に向かって走っていった。まだ薄暗い鶏舎の外を、見たことのない「けもの」がぴょこぴょこと罠を引きずりながら逃げていく。奴だ。逃がしてたまるか。ようやく追いつく。「バシッ、バシッ」思い切りひっぱたいた。倒れた「けもの」をまじまじと眺めた。何だこれは・・・。大きさは中型犬ぐらいか。尻尾をいれなくても頭からお尻までで70cmぐらいはある。大きい。色はベージュに灰色が入っている。足が長いので犬とは違う。これは何だ?キツネか?キツネだ。動物園以外で見るのは始めてだ。なおも逃げようとするので、罠がらみ杭を打って固定した。 側によっても、奴は観念したようにじっとしている。歯をむき出して威嚇するタヌキや猫とはえらい違いだ。どうしよう。捕まえては見たものの始末に困った。 そういえば昨日、両親は「お稲荷様」におまいりに行ってきたばかりだ。このままやっつけてしまったのでは親不孝者の批難を浴びかねまい。 「そんなもの同情してはだめだ。逃がしたとしても、またやってきてニワトリを殺すぞ。」朝、話を聞いた両親は、お稲荷様に行ってきたばかりとは思えない言葉を放つ。 タヌキの場合は、ひっぱたいても、ひっぱたいてもやってきた。たぶん、PR効果はゼロだった。古来、キツネはタヌキよりも賢いという。PR効果を期待できるかもしれないが、逆に罠にかからないようにして、上手に目的を達成する事だってありうるだろう。 結局、これもひっぱたいて遠くの山に放逐してきた。それからほぼ二週間。まだ新たな被害はでていない。 でもなぁ。タヌキもキツネも必死なんだよな。生きるために必死、食べるために必死。いのちがけなんだ。自然はみなそうだ。動物だけでなく植物もぜーんぶそうだ。生きるために、山の木々も、道端のくさ草も、その辺の虫もみんな必死で命がけ。例のタヌキ、ケツをひっぱたかれたぐらいで、再びやってこなくなることを期待したオレの方がオオアマだったのかもしれない。今はそう思っている。 そこでな。とってつけたようだけど、オレ思うんだ。人間も食い物がなくなればいつだってタヌキやキツネになるだろうって。なにしろ自給率は北朝鮮の半分なのだから。 食べ物に囲まれている農家は格好の標的になるだろう。田畑の作物を守ろうとしても危なくて近づけない。そうなれば終わりだよな。世も末だ。そうなっても、オレんとこには来るなよな。 ...もっと詳しく |
タイにいってきます。 期間は今日(3/15)から22日まで。 アジア農民交流センターの事業です。 アジア農民交流センターとは下のアドレスを検索してもらえば分かります。 http://afec.hp.infoseek.co.jp/books.htm 村から村へ、地元の住民、農民とともに、リュックを背負って訪ね、交流して歩く旅。宿泊場所も半分は農家です。 タイの二つの市で「レインボープラン」への取り組みが始まっています。 これは、長い日本ータイ農民の交流の成果です。 ODAでなく、一時的な「支援」活動でもなく、それぞれがそれぞれの地域の 生活者として、それぞれの地域に主体的、自発的にかかわって行く。そんな経験交流の中から生まれた「レインボープラン」です。 これは同時に、国境を越えて交わされる農民、住民の交流事業を我がことのように取り組んでくれた多くの個人、団体の成果でもあります。 今日から始まる旅に、色んなジャンルから20名ほどの方々が参加されます。 さまざまな厚みのある課題の交流が行なわれるでしょう。 タイで待つ、友人達の顔が思い浮かびます。 この場での報告をお待ち下さい。 ...もっと詳しく |
1983年の冬、最初に導入した160羽のニワトリたちが少しずつ玉子を産み始めたころ、ぼくは三日後に予定していた「玉子の試食説明会」のチラシを持って町に出て行った。
それまでにずいぶんとチラシを作ってはまいてきたけれど、自分自身の為にまくのは初めての経験だ。 行きつけの床屋さん宅前を会場として借り、周囲100軒ほどの住宅にチラシをまいて歩いた。妻は 「まだ160羽のニワトリしかいないし、100軒もまいたら注文に応じ切れなくなるんじゃないの?」とのんきなことを言っている。 当日の朝、産みたての玉子をカゴいっぱいに入れ、皿、醤油、箸などをもって出かけていった。少し小雪が降っているが、問題はない。会場となる床屋さん前に舞台を作り、皿を並べ、玉子を割って展示した。さて何人来てくれるか。 予定の時間となった。誰も来ない。三十分ほど待ってみても誰も来ない。床屋さんのご夫婦が心配して見に来てくれた。 「やっぱりなぁ。玉子の為にわざわざ家から出てくることはないかもなぁ。どれ、どれ・・」と言って玉子をひとつ食べて「『商(あきな)いは飽(あ)きない』と昔から言うんだから・・」などと慰みを言って帰っていった。 結局、雪の上で一時間ほど待ったが、誰も来なかった。皿の上の玉子は半分凍っていた。 玉子をそのままもって帰ったのを見た両親は 「やっぱりダメだったべぇ。値下げするんだあ。このままなら家中が玉子だらけになるぞお。」 なにも儲けようと思って価格を決めているのではない。産卵率、生存率、経費などから割り出して決めているのであって、まだ一個も売れてないのに値下げしましたでは、笑い話にもならない。 更に二日後、公民館から借りた拡声器を持って同じ場所に出かけていった。チラシなら読まなかったということはあるだろう。今度は拡声器でまわってみよう。そう考えてのことだった。ニワトリ達の産みだす玉子もどんどん多くなっていく。一日に100個以上産むようになっていた。このままでは本当に家の中が玉子だらけになってしまう。少しあせってきた。 「ただいまより、床屋さんの前にて、自然卵、『にしねの地玉子』の試食説明会をおこないまぁす。大地の上に放し飼い。お日さまを浴び、自然の草を腹いっぱい食べて大きくなったニワトリの玉子でぇす。どうかお出かけくださぁーい。」 その時も、一人も来なかった。何でだべ?玉子に問題はない。このような玉子は求められてもいよう。その辺のことは呼びかけのチラシにきちんと書いている。拡声器の呼びかけでもはずしていない。だけど誰も来ないって、なんで?いよいよあせってきた。「たいがいの人は安売りのたまごで充分だと思っているんだよ。高い玉子なんて買ってくれんべか?」と心配していた両親の顔が浮かんだ。 話を聞いてもらえなければ何も始まらない。来てくれなければこちらから出向こう。翌日からは、一戸一戸を訪問し、チラシを配りながら試食用の玉子を置いて歩いた。 「私のニワトリたちが産んだ玉子です。試しに食べてください。」 十軒まわって一軒ほどが聞いてくれた。だけどほとんどは門前払い。押し売りか何かと間違えられることもあった。こんな家が続くと、気の小さなぼくのこと、チャイムのボタンを押すのも怖じ気付いてしまう。だけどやめるわけにはいかない。 この各戸訪問は話を聞いてもらう唯一の方法で、後は数をあたるしかないのだが、反省点もあった。それは私がドアを開けた瞬間、話の聞き手が、ビックリしてしまい、うわの空になってしまうことだった。ちなみにぼくの身長は191cm、体重は当時95kgほど。ドアを開ける。聞き手はいつもの習慣どおり、訪問者の顔の辺りに視線を向ける。しかしそこには顔はない。あるのは大きな胸。あわてて視線を上に向ける。そこにはたまご、たまごとまくし立てる、ひきつった顔の男が・・・。訪問者の為に用意されていた容量はそれを見ただけで満ぱいとなり、ほとんど話など聞く余裕がなくなってしまっている様子。すぐにドアを閉めてしまうか、聞いてくれる場合でも目がうつろ。まったく話は上の空なのがよく分かった。 「それはあんたが緊張していたからでない?大きな身体と緊張した顔との組み合わせでは、知らない人がおよび腰になるのもムリないよ。」と妻がいった。なるほど、たしかにぼくは緊張していた。あせってもいた。 次の日、一軒の玄関の前に立つ。深呼吸してチャイムを鳴らす。ドアが開く。家の人が顔をだす。一瞬、目線はぼくの胸、すぐに上に上がる。そこで待っているものは・・・。こぼれるような笑顔。昨夜、鏡の前で練習した顔面いっぱいの笑顔・・・。 このようにして一軒一軒訪問していくうちに、少しずつ購買者がうまれていったのだった。 ...もっと詳しく |
お忙しい年の瀬をお過ごしのことと存じますが、ちょこっと、ご注目ください。
新年の1月1日、私どものレインボープランの取り組みが放映されます。 NHK総合TV 午後7:20〜8:43 NHKスペシャル『ふるさとからのメッセージ』 司会 春風亭小朝 武内陶子アナウンサー ゲスト 内橋克人、加藤登紀子 大林宣彦 ほか 過日、NHKのディレクターがまいりまして 「閉塞している日本社会の中にあっても元気な地域がある。新年にそんな地域を紹介することで元気を出そうというメッセージにしたい。」 ということでした。 「いやいや○○さん、長井市は全国でも財政危機ワースト11番目にいる自治体ですよ。破綻寸前なんだ。」 「それは知っていますよ。でも、住民が元気だ。こんなまちは他にありません。番組の『おおとり』にと考えています。」 「えーっ、私たちの事業が?そんなもんですか?」 そんなことで取材となったのですが、もし、あなたがほろ酔い気分で、退屈な時間をお過ごしでしたら、どうぞ見てやってください。 どうでもいいことなのですが、わたくしめは出ていません。ハナミズ垂らしながら、寒さにふるえて農作業をしていました。 ...もっと詳しく |
たいへんお待たせいたしました。ようやく「稲刈り」が終わりまして、今日から再開です。なんか、文章の書き方をすっかり忘れてしまったかのようです。気楽なニワトリの話は「ぼくの・・・」へ、それ以外の文章は「虹色の・・」へ。それぞれが重複している文もあるので、バックナンバーの文章も含めて、雪が降ったら休んで整理しなければと思っています。それではおのおの方、これから・・参りますぞ。
里にも何度か雪が降った。春まで消えない雪を指して「根雪」というが、いまやそれがいつ来てもおかしくはない時期に入っている。例年ならば、消えたり、降ったりを数回繰り返したうえで、ドカッとやってくるのだが、昨年は初雪がそれだった。「まだ大丈夫だよ。」とタカをくくっていた農家は大いにあわてた。でもあとのまつり。収穫すべきたくさんの越冬野菜が、雪の下でそのまま春を迎えることになった。 「農家は・・・」なんて、他の人のようなことをいっているけれど、この辺がぼくの限界でしょうか。お察しのように自分のことなのだけど。 何しろわが里は毎年2m弱の積雪を記録するところ。根雪はいつ?明日か、明後日か・・・、その時期がせまってくると、人びとは家や畑の周りを走り回るようになる。野菜の取り入れ、家や庭木の雪囲い、果樹の支柱たて・・もちろん雪の下で潰れてしまうようなものは外に放置することはできない。やるべきことはたくさんある。さすがに12月も半ばとなると、すっかり冬の準備を終えている農家がほとんどなのだが、横着なぼくは例年のように、まだ半分しかすんでいない。肝心の鶏舎の雪囲いがまだ終わっていないのだ。 「よしひで、早くしないと雪がくるぞぉ。あっちだこっちだと農作業をほっといて飛び回っているからこんなに仕事が遅くなってしまったんだ。世間に笑われるぞぉ。みっともなくてはずかしいごとぉ。外に出て行くのはやめて、はやくしんなねごてぇ。」 88歳と84歳の両親は嘆く。嘆かれるのは50代になったぼく。情けない話だが、毎年のことだ。 冬の間、ニワトリ達は鶏舎の中ですごす。屋根があって、四面が金網で、新鮮な空気が通り抜けていく。春から秋にかけては快適だが冬はまったく事情が違う。雪囲いをしなかったら大変だ。金網を通して吹雪が容赦なく入り込み、一晩で中は真っ白になる。鶏舎の中で積雪10cmとなることもめずらしくはない。そうなると寒さと冷たさでニワトリ達は動けない。すみの方でひとかたまりとなってじっとしている。 やがて雪が解けても床はどろどろ、田んぼのなかにいるような状態になってしまい住まいとしては最悪だ。玉子を産むどころではなくなってしまう。鶏舎のなかにぼくが入っていくと 「どうにかしてくれよなぁ。やってらんないよお!もっとしっかりしてくれよな。」 ニワトリからもそんな嘆きの声が聞こえてくるようでなさけない。 スコップを持ってきて丹念に鶏舎の雪をかたづけ、乾燥したモミガラを厚く敷き詰めることで何とか過ごしやすい環境をつくるのだが、ダメージは大きい。ニワトリとぼくとの「信頼関係」にもきっとひびが入っているはずだ。 鶏舎を金網の外から透明なビニールで囲い、板を打ち付け固定する。固定があまいと、吹雪がいっぺんにビニールをはがしてしまい、ビリビリと破いてしまう。吹雪の破壊力は大きい。 もっと早くからやればいいものを、いつもぎりぎりにならなければできない性分。毎年、雪降りのなかでの作業となる。ハナミズを垂らしながら、冷たさで手がかじかむのを耐えながら・・でも、ま、こんな作業も嫌いではないけどね。ヘッ。 ピリピリするような寒さのなかで、かがんだり、伸びたり、釘を打ったり、ビニールをはったり、・・・していたら 「おい、腰を壊すなよ。」といいながら、幼なじみの正さんが手伝いにきてくれた。こりゃありがたい。あんたにはいつも助けられるなと礼をいいながら、ハナミズを垂らしながらの作業を続けたのだった。 写真は手伝いに来てくれた正さんと雪囲いの様子。 ...もっと詳しく |
お待たせいたしております。
まだ稲刈り中なのです。もう5、6日はかかります。私は九州は佐賀県の山下惣一さんとともにアジア農民交流センターの代表であり、10月14日には毎日新聞から「国際交流賞」をいただいたことを記念して、早稲田奉仕園にて大切なシンポジュームがあり,私が基調的な話をする予定(とはいっても挨拶程度のものですが)でしたが、参加できる状態ではありません。どうしてこんなに遅れてしまったのでしょうか?それが問題です。実は私の住む長井市で11月に市長選挙があり・・・、このことはおいおいお話しすることもあるでしょう。ま、そういうことでブログの更新は出来ないで居ます。もうちびっとお待ち下さい。 ...もっと詳しく |
夏のあさの水田風景は美しい。
朝霧の日はことのほかロマンチックで,太陽が上るにしたがって、乳白色の中から少しずつ緑の水田が広がっていくさまは「神様」がいるのではないかと思えるほどだ。 ようやくお盆が終わり、帰郷者やその子ども達で賑わった村はいつもの静けさを取り戻している。家々のおなご衆は勤めを果たした安堵感にホットしているところだろう。実際のところ、お盆が近付いてくると、家の内、外の大掃除や、障子の張替え、お客用のフトン干し、仏壇の飾りつけ、それに料理をどうする、お酒は大丈夫か・・・というたくさんの準備があり、とにかく気ぜわしい。 お盆が来たらきたで、客のもてなしにおおわらわだ。嬉しいやら、気を使うやら、疲れるやら・・・お盆が終われば、村の病院は高血圧が悪化したり、腰が伸びなくなったおなご衆でどっと混雑する・・・それはないか。いいや、あるかもしれんぞぉ。 女房の友人に、お盆に帰郷してきた義理の兄弟、姉妹に 「久しぶりでしょうから、ゆっくりと親子水入らずのお盆を過ごして」と夫の両親をおいてさっさと夫婦で旅行にいく人がいる。これはいい。これだと迎える長男夫婦にとっても無理がなく、お盆の来るのが楽しみだ。おれ達も来年はこれをやろうかな。でも、頑固な両親はそれをゆるさないだろうな。帰ってくる妹は気が強いから、あとで妻が一層つらくなるかしれないし・・・。そんなわけで先の友人の例を知ったのは今から10年ほど前のことなんだけど、まだ実現できていない。実家は何かと難しい。 さてと、こちらのお盆は祭りの季節でもあり、この地方のお祭りには必ず「獅子」が出る。頭が獅子、胴体が大蛇、全長10メートルほどの胴の中には10名ほどの若者が入っていて神社の境内や街道をねり歩く。初めて見た人はその迫力に驚かされる。子どもなら泣き出すぐらいだ。その獅子にまつわるいわれが面白い。 昔(こういう書き出しがいいね)、平安時代のころ、京の都から天皇の御世に従わない東北の豪族を平定しようと、源義家を大将としたたくさんの軍勢がやってきた。 しかし、東北の人たちは互いに連合し、互角以上に戦い、京の軍勢を幾度も跳ね返した。このままでは負けてしまうと思った源義家は策をめぐらし、豪族の娘にラブレターを送る。 「あなたと結婚したい。そしてあなたのお父さんと都で一緒に暮らしたい。」と。 「都の人はウソが多いから、決して信じてはならない。」という父の教えを忘れ、いつしか義家の意のままに砦の弱点を教えてしまう。 「だまされた!」 でも、気がついた時にはすでに遅く、京の軍勢はどんどん攻め込んでくる。 「私のおろかさによって・・・」 多くの村人が殺されていくのを見ながら娘は朝日連峰の山深く、渓谷に身を投げて死んでいく。 以来、その娘、卯の花姫は村の守り神となって、頭が獅子、胴体が大蛇の「獅子」をつかわし、今日まで村々の平安、豊作を守り続けているというわけだ。 恋文を「戦術」にしたのかぁ。きっと源義家は女にもてた京の遊び人だったのだろうけど、田舎のオレなどは今の感覚でも「そこまでやるか」と思う。それに「都の人はウソが多いから決して信じてはいけない。」というくだりが面白い。1000年以上も前からこのような教えがあったのか。オレももう少し早くからこの教訓を知っていたら・・だからといってどうしたというわけではないが・・。 お盆はおわった。村に静けさがもどった。盆を迎えた村の話と卯の花姫の物語とを一緒に思いながら・・・とうとつだけれど・・・みんな幸せになってほしいと思う。 ...もっと詳しく |
ぼくは身体が大きい。ふざけて「もとプロレスラーです。」と自己紹介することもあったが、最近では少し太ってきたこともあって、「百姓になる前は相撲取りでした。」といっている。我ながら情けない。痩せなくてはと思う。けっして贅沢な食事をしている訳ではなく、畑の自家野菜中心の質素なものなのだが・・・。
一方、我が家のニワトリ達には太った奴はいない。みんなスラッとしたいい格好をしている。それは育て方に由来している。 大切なのは運動と食事だ。放し飼いなので、運動量は充分だ。問題は食事で、意外な印象を受けるかもしれないが、ニワトリたちに与えるエサは粗飼料だ。粗(末な)飼料(エサ)といえば聞こえが悪いけれど、満腹にはなるが必要以上の栄養をとらないように考えられているエサだ。例えばエサの中に約10%のノコクズを入れている。お腹がいっぱいにはなるが栄養はない。 他方、ゲージ(カゴ)に入れられている企業養鶏ではニワトリ達に濃厚飼料が与えられている。最も効率よく卵を産むように考えられたエサだ。文字通り、濃厚な高栄養、高カロリー。その結果、どんどん身体が大きくなり、性成熟が進み、生れてから150日ぐらいで5割産卵となる。産卵率は80%を越えるが、たった一年で身体はぼろぼろになってしまい、淘汰される。 粗飼料を与える我が家のニワトリは、運動しながらゆっくりと身体を作っていく。性成熟は遅く、5割産卵は180日以降になる。人間で言えば20歳を過ぎて、身体をしっかりと作ってから玉子を産むようにということだ。それから2年。平均産卵率は60%に届かないが、クスリに頼らずに、いつまでも元気でおいしい玉子を産み続けてくれる。 これは野菜や稲などの作物にもいえて、栄養たっぷりに育てられたものは、身体はでかいが病気に弱い。生きていくためにはクスリの助けが必要だ。見かけはともかく、中味は一人前の健康な作物とはいえない。 ぼくは191cm、105kg。大きすぎだ。ということは・・・一人前の健康な人間ではないということか。そういえば、性成熟も早かったような気もするし・・・。 やっぱりご飯を減らそう。そう思い、食事を途中で止めたら、88歳の母が声をかけてきた。 「なんだお前。ダイエットで痩せようとする百姓なんかいるもんか。たくさん喰え。そして思いっきり働け。百姓は働いてやせるもんだ。」 ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・だとさ。 ...もっと詳しく |
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それでも農繁期はしばらく続きますが
ブログに向き合える日はもうすぐです。
もちょっと、お待ち下さい。
今日もくったびれたぁー。
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