ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」 
  
突然ですが、だいぶ前に書きためていた文章を掲載させてください。
今は玉子価格の改定ともうじきとれるお米の注文取りの準備で忙しいのです。話題は自然養鶏を始めた頃のこと。玉子を売り歩く話です。
<その1(07,2,12)>の続きだけど、忘れたべね。覚えてはいないべな。バックナンバーは時間があったら是非お読みください。

農民がモノを売る。JAなどには頼まずに、直に消費者に売る。むいている人ならば苦にならないだろうけど、オレのように口下手で恥ずかしがり屋は、ダメだね。
 さて、ようやく産み出した玉子を持って、一軒一軒まわって歩く。この一端は前に書いた。大いに恥ずかしい。こんな気持ちは初めてだ。友人の果物売りを手伝ったことがあったがその時はもっと気楽だった。同じように各戸をまわっても、気分のあり方はまったく違う。「売ってやる」と「買っていただく」ぐらいの違いといえばわかってもらえるだろうか?他人のものを売るのとは違って、自分のものを売るときには、もっと切羽詰った気分なのだ。断られたときには、どこか自分の人格が受け入れられなかったような、否定されたような、そんな気分になり、落ち込んでしまう。身体はでかいけれど、気が弱いねぇ、オレ。

 5軒まわって1軒ぐらいの確率で話を聞いてくれ、その1軒が5軒ぐらい集まってようやく玉子をとってくれそうな1軒と出会う。そんな感じだった。
このペースならば玉子があふれてしまう。それはそれでやりながら、次に考えたのが女性団体の代表者のお宅を訪問し、集まりの場で玉子の紹介をさせていただくようお願いすることだった。まず、代表に電話をかけることから始まる。

「あのう・・、市内でニワトリを飼っている菅野と申します。一度お宅にお伺いし、玉子の説明を・・・いや、あの、電話セールスしているわけではなくて・・」

 出だしはこんな感じ。集まりの場で話させてもらうまでが一苦労。なかなか、はいとはいってくれない。話すところまで持ち込めれば上出来だが、当然のことながら、話せたからといって、うまくいくわけではない。全然反応がなく、見かねた代表が「とって見たい方はいますか?」とうながしてもだーれも手をあげず、逃げるように帰ってきたこともあった。こんなときにはみじめで、笑われているようで・・。なかなか「さぁ、次がんばろう。」というわけにはいかなかったよなぁ。

 そんなことを繰り返しながら、玉子をとってみようという方が一軒、10軒・・・と増えていく。食べてくれる方が20軒ぐらいになると今度は口コミの効果が出てきて、私がまわらずとも、食べてくれるお客さんがどんどん宣伝してくれるようになっていったんだ。ここまで来ればしめたものだね。品物は自然卵。いいモノなんだからさ。

 わずか3万1千の人口,9,000世帯の長井市で、200軒以上の方に、毎週、毎週玉子を配り続けている。もう30年ぐらいになったかな。やめた方はほとんどいない。こうなるともう、配達先とは親戚づきあいも同然ですよ。

 当時、オレの目指す農業を自分では「地域社会農業」といっていた。はなっから都会を相手にしない農業ということだけど、気負っていましたよ。地域社会農業の集合体をもって日本農業とするならば、日本は変わる、おれはその一端を担っていくのだ・・・と。ニワトリの玉子からそこまで発想してしまうおれって・・・なんだろうね。「地産地消」という言葉が出てきたのは、そのずっと後、そう15年はたっていたかな。時代の先を行っていたんですよね。だからどうしたって訳じゃないけどさ。

 今は、地域の需要を満たした上で、地域外にも出荷している。食べてみたい方は右の「お米や玉子のほしい方のために」を参照していただきたい。

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今日はご先祖様がお帰りになる日。盆の15日だ。
ダンゴを作って、送り火焚いてご先祖さまをお墓に送っていく。あっという間の三日間だった。それでもお盆の間は、こんな俺でも何かしら先祖を意識しながら過ごす特別の日だ。はたから見たら、接客がてら昼間から酒だ、ビールだと大騒ぎし、メタボの腹つき出して,だらしなく過ごしているように見えるだろうが、おさえどころはちゃんとおさえているよ。

 「霊」とか「魂」などについては詳しくはないが、故人となった方々に思いをはせ、感謝の気持ちを新たにする。そんな機会はお盆やお彼岸や法事、それに日常生活のなかにもたくさんあって、村人は昔から手を合わせる機会を多く持ちながら暮らしてきた。でも、ここで紹介したいのは同じように霊や魂への感謝なのだけど、相手は人間のそれではない。牛や馬などの家畜でもない。草や木や土だ。

 これらの魂をなぐさめ、感謝する碑が山形県の南部、置賜地方に60基ほど分布している。「草木塔」と呼ばれているもので1mほどの自然石に「草木塔」または「草木供養塔」という文字が刻まれている。だいたいが江戸の中期に建立されたもの。碑の一部には「草木国土悉皆成仏」というお経の1節が刻まれていることから、建立の趣旨がうかがえる。草木はもちろんのこと土にいたるまで、皆、悉(ことごとく)成仏できるということだが、先人の自然観、生きることへの謙虚さ、心根の豊かさが感じられておもしろい。えらいもんだ。

 俺たちだけでなく、草も木もみんな等しく土の化身。土からいのちの糧をいただいて生きている。その点では平等だ。俺たちには草や木や土の喜びや悲しみは分からないが、生まれたからには、やはり、天寿を全うしたいはず。それなのに生きるためとはいえ、草木を倒さなければならない。刈らなければならない。焼かなければならない。本当に申し訳ないことだという謝罪と感謝の思いがその碑のなかに込められている。

 山形県置賜地方には、高畠町有機農業研究会を筆頭に早くから自然と共生する農業が芽生え、俺たちの町にはレインボープランという、街中の生ゴミを土に戻すことで、森の循環の営みを人々の暮らしの中に取り戻そうという取組みが行なわれている。
これらの根っこにはこの地方に伝承されている、遠い祖先からの「草木塔」の思想があるのではないかと思っている。・・・合掌。

 写真は朝日連峰を背にした我が家の遠景。前は鶏舎。ダブルクリックで拡大できます。


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 800haの田んぼを前に立小便をする。

 放出しながら、広大な緑の風景を見わたす。横たわる朝日連峰を眺める。田んぼを渡る風は緑の穂波をつくって流れゆき、幾分薄くなってきた髪がさわやかに揺れる。稲の花は咲いたばかりだ。ほのかに稲の香りが漂ってくる。心地いいことこの上ない。

 山での、畑での、野原での、もちろん便所での・・・いろんな放尿があるけれど、やっぱり田んぼのこれが一番いい。タヌキやカモシカなどと一緒。いのちが満ちる母なる大地を通して食と排泄の滑らかな循環がめぐっている。でも、こんな理屈いらないね。理屈抜きで大好きだ。

 かつて娘が小学生のころ、「お父さん、外でおしっこしないでね。今日、学校で先生が、西根は遅れている。立小便している人がいるからっていってた。恥ずかしかったよ。」
 西根というのは娘の通う学区で長井市のなかでも農村部だ。もちろん誇りある俺たちの村。そばにいた妻も「そうだ、そうだ」という。

 な、な、なにおぉぉ!オレのおしっこ、誰かに迷惑をかけたか?ここは都会のアスファルトの上じゃない。田畑に吸い込まれ、土の養分となって草や作物に活かされていくだけじゃないか。

 お前達だって立ち小便すればいいんだ。オレが子どものころには、ばあちゃん達はみんなやってたぞ。女の立ち小便はガキの俺達から見たってなんの違和感もなかった。普通の光景だった。

 あのな、この際だからいうけどな。お前達の自覚の無さゆえ、あるいは都会の文化に無批判に迎合する浅薄さゆえ、今まさに大事なものが消え失せようとしているんだ。なにをかって?女たちの立小便にかかわる文化だ。方法や作法だ。あのな、それは、はるか縄文の大昔から、ついこの間まで、母から娘に、娘から孫へと、ずうーっと受け継がれて来たはずだ。腰の曲げ方、尻の突き出し方、両足の広げぐあい、隠し方など・・・。その歴史的文化が、まさにいま、ここで潰えようとしている。いまやそれを知る人は80代以上の女性、それもほとんど田舎の女性のみとなっている。やがて彼女らがいなくなったら、知っている人は日本列島から完全に消えてしまうだろう。どのようにその文化を伝承していけばいいのか。それを考えたら夜も眠れない。

 オレは男だからしょうがないけれど、お前達のなかに、我こそは・・・という志をもった人間はいないのか!その復権を!という人間はいないのか! 循環の時代だというのに!

 話の途中から、妻娘はいなくなっていたが、まぁ、失ったものの大きさに、あとで 後悔するだろうさ。残念だが、せめて銅像でもたてて、その最中の姿、形を後世に残したいものだと思っているのだが、どうだべね。間違っているべか?おれ。

写真は花が咲いた稲穂・・ダブルクリックで大型化します。

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 いま、田んぼには誰もいない。オレが農業に就いた30年ほど前は、今頃の昼でも田んぼのあっちこっちに農民の姿を見ることができた。それがやがて朝晩だけとなり、いまはそれすら珍しくなっている。

 じゃ、農民はどこで何をしてるんだい。怠けてるんじゃないのか?日本中の人たちが、食糧問題で困惑しているのに、肝心の日本の百姓がこれじゃ困るじゃないか!百姓はどこにいったんだぁ!

 我が村の農民の平均年齢は67歳。昼は・・・孫の子守とか・・・。でもね、勘所を押さえて、田んぼが荒れないようにはしてるんですよ。だけど、なんせ67歳だからさ。

 オレがたまたま田んぼに出ているとき、その側を観光バスが通って行ったことがある。バスはスピードを緩め、中の客のほとんどがこちらをむいていた。ガイドさんがオレに手を振っている。なんだろう?知ってる人じゃないのに。オレも手を振り返してやった。バスはそのまま通り過ぎていったのだが・・・そこからオレはバスの中でのこんな情景を思い浮かべた。

「みなさま、右手をご覧下さい。あれが百姓でございます。日本の原風景を訪ねる旅、ようやく田んぼのなかでのどかに草をとっている百姓を見つけることができました。最近では彼らを見かけることがとんと少なくなっていました。よかったですね。しかも昼間にですよ。やっぱり田んぼには百姓ですねぇ。風情がありますよ。あっ、手を振っていますよ。みなさんもどうぞお愛想してください。」

 ま、こんなとこだろうな。でね、オレはさ。も少しサービスしてやろうと思ってな、その後はなるべく汚い手ぬぐいでホッカムリしてよぉ。腰まげてぇ、鼻垂らしてぇ、手を振ってやろうかとおもってんだよ。彼らのなかの原風景にこたえてやろうかと思ってな。喜ぶだろうなぁと。でも、もう来なかったけどね。エッ作り話だって?ホントの話だよ。ホント、ホント!

(写真は穂が出始めた田んぼ)

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夏の暑さと植物の緑は良く似合う。いのちの勢いを感じるね。田んぼは今、穂が出る直前。見わたす限りむせかえるような緑だ。その只中に立っていると、身も心も全身緑で染め上げられてしまいそうな感じがする。うん、そうそう、以前、田んぼの中にポツンポツンとある柳の木を見ていて、あれはもと人間だったのかもしれないと思ったことがあった。ぼーっと立っているうちに緑に染め上げられて木になってしまったのだと。

我が家の放し飼いのニワトリたちは植物ほどの元気はない。暑さが辛いらしく、いつもは鶏舎の扉が開くと一斉に外に出るのだが、陽射しの強い日中は出ようとしない。出ても直射日光を避け、いつまでも木陰の下でたたずんでいる。この時期は食欲も落ち、水をよく飲む。どうも羽毛のマントを着ている彼らにとって、夏よりも冬の方が過ごしやすいようだ。見ているだけでも暑苦しい。

でも、このしょっぱいような盛夏の中に秋の前触れを感じることができる。夜、ホタルの頃までは確かに聞こえていた蛙の声がいつしか聞こえなくなり、代わりに虫達が鳴いている。栗のイガが大きくなってきた。そして田んぼの稲は穂をはらんで太くなってきている。もうじき穂がでる。あと40日余で稲刈りだ。稲の健康度合いを、姿や緑の濃淡などで大雑把に判断できるが、堆肥がほどよく効いているのだろう、今年のできはいい。暑苦しい季節の中、オレの気持ちの中にも秋への心構えが始まっているよ。それがどうしたのって聞かれたら・・・それだけなんだけどね。

(写真はイガ。ダブルクリックしてみるとよりはっきり見えますよ。)


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いのちあるものすべては土を食べて生きている。いってみたらみんな土の化身だ。
どのような作物も植えつけられた土から必要な養分を吸収し成育する。作物ひとつ一つが土の化身だ。たとえば私達はカボチャを食べる。カボチャを食べながら、その味と香りにのせてその地の土を食べているといってもいい。全ての作物にも同じことがいえて、だから私達も土の産物、土の転移、土の化身だ。
もしその土が汚れた土ならば作物も汚れ、食べる私達も汚れていく。もしその土が疲弊した土ならば作物のもつ生命力は弱く、それを食べる私達の生命力、免疫力も弱いものとならざるを得ない。土の健康は即、人間の健康に反映すると思っている。だからこそ、食べられる土を作ろう、きれいな土を守ろうと呼びかけ、実践もしてきた。
まわりくどい言い方をしているが、ここ30年ほど醗酵ケイフン主体の堆肥を施してきた。それに加えて、10年ほどはレインボープラン堆肥も撒いている。化学肥料は必要最小限か、まったくやらないできた。それというのも上のように、田畑のいい土は堆肥によってしか作れないと思うからだ。
春、2・6haの田んぼの全てに二種類の堆肥を撒く。これは土にこだわる百姓としては当然のことだ。だが、正直にいえばこれがきつい。前にも書いたと思うがそれを実現するのは口で言うほど簡単ではない。
30年が経過して・・・腰を痛めてしまった。おかげで土は問題なく健康だと思える。周りが冷害のときも、そうでないときも「よしひでの田んぼは堆肥が入っているから、いい田んぼだ。」という評価をもらい続けているのだから。でも肝心の私が腰を壊してしまった。健康な土と食を求めて、不健康になってしまった。なんでも物事はするするとは行かないものだが、この現実を前にどうしようかと考えている。

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 我が家の前には、およそ800haの水田が広がっている。一面むせ返るような緑。
 田んぼは今、苗から稲になろうとしている。体の中に子どもを宿しているのだ。稲の出穂(しゅっすい)は人間の出産にあたるのかもしれない。出穂は穂が顔をだすことをいう。その時期は品種によって違うが、我が家の「ひとめぼれ」で言えば、今は出穂の15日前ぐらいだ。たぶん、茎のなかで穂は1cmぐらいにはなっているだろう。濃緑の田んぼのなかで静かに進行する苗から稲への移行。どこか神秘的だ。

 この時期、夜になると「ピカピカッ」「パパパパッ」と稲妻が走る。実際は昼にも同じようにあるのかも知れないが、見えない。雷の音はしない。稲光だけだ。稲妻は昔、「稲夫(いなづま)」と書いたらしい。それがいつしか稲妻となった。稲光、稲妻が男で、田んぼは女。男と女の壮大な和合。稔りの舞台、いのちの舞台。昔の人はスケールの大きな発想をしたもんだ。

 夕方、ゴザとお酒をもって田んぼに出かける。800haのまんなかあたりに敷く。田面を渡る風が心地よい。オレの上には広々とした見わたすかぎりの空。西に朝日連峰が連なっている。雄大な山々。日が傾き、今にも山に入らんとしている。暮れ行く太陽に「人生」を重ねるもよし、逃げていく「希望」を重ねるもよし・・・。そういえば昔、「夕日にむかって叫べ」だったか「夕日にむかって走れ」だったか・・・そんな文句があったなぁ。どんな意味だったのだろう。

 茶碗に酒をそそぎ、口に含みながら、ただ黙って夕日の暮れ行く様を眺めている。静かに時が流れていく。やがて山ひだが消え、ほのかに明るい空と群青色一色になった山々が影絵のように浮かび上がってくる。そのころになれば、空のあちこちに星が姿を見せ始める。ときおり稲妻が走る。そしてオレは・・・まだ一人で静かに酒を飲んでいるのだ。

 くたびれているかい?だったら来いよ。田んぼとゴザは提供するよ。
都合がよければオレも一緒にやんべぇ。

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 夜、散歩がてら、ホタルを探しに出かけた。とは言っても我が家のほんの周辺を歩いただけだけど。ひんやりした夜風がうれしい。鶏舎のそばを流れる小川のほとり、木立の中、田んぼの上・・・。ホタルの季節はもう終わっているのかもしれない。そう思いながらたたずんでいると、垂れ下がる栗の木の葉がポッポッとぼんやり青く点滅しているのが見えた。揺れる木の葉の向こうの遠いまちの灯りかと思ったが、間違いない、ホタルだ。まだ居てくれた。間に合った・・・。

 なんてね。こんな書き出しで始める話ではないんだけど・・。
田んぼへの堆肥散布あたりからじわじわ来ていた腰の痛みが、田植え終了とともに堰を切ったように襲いかかり動けなくなったのが5月25日。整体治療や針にお灸とまわってから、整形外科の門を叩いたのが6月6日。MRIやレントゲンなどの検査と診察、順番待ちなどでようやく入院したのが6月19日。手術は30日。痛みの原因である脊柱間狭窄症が3ヶ所、ヘルニアが1ヶ所で、手術にあたった担当医は「順調にいきました。ずいぶん厳しい痛みだったでしょうね。」と。そりゃ痛かったよ。尻から痛み止めの座薬を打ち、更に鎮痛剤を飲んでもなお、耐えがたい痛みが襲ってくる。あんなのははじめてかなぁ。ひどい経験でした。(病院からメールを送り、ご迷惑をお掛けした方々、痛みの中ゆえの妄想が多分にありますので、お忘れいただきますように)

 今月の14日に退院しました。今は痛みはうそのように消えたけど、多少右足を引きずるような感じは残っていて、腰をコルセットでカバーし、そろりそろりと歩いている。医者の話では術後45日で、事務職に復帰、90日で肉体労働も可能だとか。稲刈りには間に合わないけど息子の助手はできるだろう。
入院している部屋に佐藤藤三郎さん(山形県上山市・農民・農業評論家)が見舞いに来てくれた。

「オレも5年ほど前に脊柱間狭窄症の手術をしたよ。2ヶ所だったけどな。なんでもない、なんでもない。今はこのとおり、田植えから稲刈りまで何でもやっているよ。大丈夫、希望はあるよ。」

 えつ、希望があるって!ニュアンスは「あきらめるのは早いぞ。」ってことだよね。術後の農業現場への復帰は、露ほども疑ってなかっただけに、笑いながらひょうひょうと語る藤三郎さんには参ったよ。

 50代も後半、ゆっくりと考える時間を与えられたという意味ではいい機会だったのかもしれません。

 「病院の中に入ってしまうとよく分かります。身体に申し訳なかったと。支えてくれていたのに感謝がなかったと。いたわりがなかったと。謝罪しています。」

 こんなメールを友人に送ったけど、本当にそう思います。
どなた様もお身体を大切に・・平凡な言葉ですが・・・。

ま、のんびり療養いたします。たくさんのコメントありがとう。ご心配いただいたんですね。感謝!

写真は、今の田んぼの姿です。順調です。

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5月25日の田植え終了日、腰に激痛が走り、まったく動けなくなりました。やがて治まるだろうとしばらくは痛みに耐えながら天井のフシを数えて過ごしました。でも痛みはとれませんでした。針と灸、整体治療に通い、近くの病院にも行きました。
でも治まりません。山形の大きな病院に行き、ようやく治療方針が確定したところです。
原因は「腰部脊柱管狭窄症」。19日に入院し21日に手術の予定です。二週間後に退院いたします。その後2ヶ月ほど働けませんが、ニワトリの世話と田んぼの仕事は息子と、事態を知って駆けつけてくれた友人が担ってくれています。

蝉の声が響く頃、再び戻ってきますのでしばらくお待ち下さい。



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ようやく田植えが終わりました。
たんぼの畦にはきれいな花々が咲いています。田植えはほとんど機械で植えますが、田んぼの四隅は手で植えます。田んぼは全部で16枚。よって四隅は64箇所。これはこれでなかなかの世界ですよ。大きな身体を折り曲げて一株、一株植えていく作業は腰にいいわけない。でもやるしかないよね。どこかで腰を曲げてとぼとぼ歩いている私をお見かけしましたら、どうか、見てみぬふりをしてやってください。
3月の下旬に種もみ消毒(2006,4,20「種もみの消毒」参照)、種まき、苗代、育苗管理、田んぼへの堆肥散布、耕運、代掻き、田植えとすすんできた農繁期。ようやくここまできました。これまでの数々の作業を振り返れば、やっぱり、堆肥散布がもっともきつかったですね。 私は二種類の堆肥を撒いています。レインボープラン堆肥と自然養鶏の醗酵ケイフンです。化学肥料は極力つかいません。作物を食べることは土を食べることだと思うからです。食べられる土をつくる・・・これが農業の基本だと思うんですよ。
なんて・・・こう言えばカッコウはいいが、その世界を実現するのは大変です。2・6ヘクタールの田んぼ。化学肥料をパラパラと撒けばものの半日ですんでしまう。最近はそれさえも省き、田植えしながらポトポトと機械が肥料を落として行く。簡単なもんです。でも、堆肥散布はそうは行きません。一週間以上かけての力仕事です。レインボープラン堆肥は機械で撒く。大変な中でもこれは比較的容易です。醗酵ケイフンが問題だ。鶏舎からトラックに積み上げ、運び、更に田んぼで運搬車に移し、運搬車を動かしながらスコップで撒く。ケイフンはチッソ比率が高いため、レインボープランの堆肥のように、大雑把に撒くわけにはいかないのですよ。ドサッと落ちたところは肥やしが効きすぎて、大概はイモチ病にかかっておしまい。お米は作れません。だから少しずつスコップにとっては平に、均等に撒く。これが難儀で、終われば難関突破のほっとした気持ちになりますよ。
いまは、大変な時期を振り返りながら、四隅を丹念に植えています。
田んぼの畦にはオオイヌノフグリ、忘れな草・・・それに名も知らない小さな花々。本当にきれいです。それらを見る余裕がようやく生まれてきました。種まきから始まった農繁期、ようやく終盤です。


・・・と、ここまでは5月の24日に書いたもの。
25日の日曜日、本当に腰を壊してしまいました。「腰部脊柱管狭窄症」と診断され、半月後の今も安静の日々をつづけています。このことにまつわる顛末記はいずれ書きましょう。腰の痛いのは大変ですね。どなた様もお気をつけください。
写真は畦の花たちです。きれいですよ。いいですね。野のはな。


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たくさんのコメントありがとうございます。
いまは田植えの最中です。ようやくここまできました。これまでの数々の作業を振り返れば、やっぱり、堆肥散布がもっともきつかったですね。私は二種類の堆肥を撒いています。レインボープラン堆肥と自然養鶏の醗酵ケイフンです。化学肥料は極力つかいません。作物を食べることは土を食べることだと思うからです。食べられる土をつくる・・・これが農業の基本だと思うんですよ。化学肥料をパラパラと撒けばすんでしまう作業を一週間以上かけての力仕事。これが終われば難関突破のほっとした気持ちになりますよ。これも息子とともにやっているからできるんです。オレだけじゃできません。
アレヤコレヤのブログに書きたいことがいっぱいたまっているんですが、も少おまちください。あと4日もすれば田植えが終り、さらに3日もすればへろへろ状態から解放されましょう。
オオイヌノフグリ、忘れな草・・・それに名も知らない小さな花々。田んぼの畦は本当にきれいです。それらを見る余裕がようやく生まれてきました。種まきから始まった農繁期、ようやく終盤です。
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米価が安い、安すぎる。
前回お伝えしたように農家への仮払いが一俵60kgあたり平均1・1万円、20年前の1/2以下の価格だ。東北農政局が発表している一俵あたり生産原価よりも4,000円も安い。おまけに10aあたり35%の減反がついている。これではやっていけない。作れない。世界中が穀物不足だというのに・・。

3月の下旬、農繁期の前に集落の総会があった。

「おみちさんから田んぼを手放したいという申し出がありました。どなたか買い求めてもいいという方は役員まで申し出てください。」

 おみちさんは80歳。10年ほど前に旦那さんを亡くして、一人暮らしをしている。田んぼは地域の転作組合に貸していたのだが、子どもがいないということもあり、手放す気になったのだろう。全部で五反歩、一反歩(300坪)あたり30万円ということだから五反歩で150万か。ずいぶん安くなったものだ。30年ほど前には一反歩あたり100万はしていたのだから。

 総会があってから一ヶ月ほどになるが、まだ田んぼの引き受け手がいないという。誰も手をあげない。米づくりに熱心だった市さんも「おみちさんの都合は分かるけど・・、今の米価ではなぁ。30万が20万でも無理だ。自分の田んぼを維持するだけで精一杯だよ。」という。村の農家の平均年齢は67歳。ほぼ日本農民の平均と一緒だ。これから田んぼを手放さなければならなくなる人が増えてくるのに、引き受け手がいない。

 我が村は東京の生協との交流をおよそ30年ほど続けてきた。いまでも1万俵以上のお米が首都圏に向けて出荷されていく。その米は特別栽培米といって、農薬を慣行栽培の1/2以下に抑えたものだ。通常価格に60kgあたり800円加算。安全・安心をモットーとする米づくりをうながす生協からの加算金だ。農家も多くのリスクを負いながら、向かう方向に意義を感じて応えてきた
 20年ほど前までは、2万数千円に800円加算だった。それが1・6万円に800円加算、1・3万円に800円加算と下っていき、今は価格の面だけでいえば、ほとんど説得力を失っている。

 月一回、NHKの「ラジオ深夜便・日本列島暮らしのたより」で話をしている。毎月第一月曜日の夜、11時20分からの10分間、村や農業にかかわるアレヤコレヤをしゃべっているのだが、今回、「米の話」をひととおりおこなった上で、次のように呼びかけた。

「皆さんの友人や知人のつながりのなかに米作り農家はいませんか?いましたら、どうか直にその農家からお米を買いもとめてください。慣行栽培米なら10kg、4,000円ぐらいで買えるでしょう。まざりっけのない純粋品種のお米を求めることができます。一方、一俵60kgからは55kgの白米ができます。10kg4,000円なら農家の手取りが2万2千円。農協の仮渡金のほぼ2倍の価格になります。ある程度の数があつまれば農家に利益ができますし、なによりも勇気づけられるでしょう。消費者の皆さんの行動が農家を救うことができるかもしれません。」

 そんな話をしたら、義憤を感じたと、夜の12時前だというのにたくさんの電話があった。農家を紹介してほしいという申し出もあった。数日たったいまでも問い合わせが続いている。うれしかったですねぇ。うれしいですよ。

 ところが残念。この季節、農家にお米の在庫がない。自家用米以外は全て出荷してしまい、ご要望に応えるためには秋の新米をまたなければならない。肝心の点をうっかりしていましたよ。だめですねぇ。アホですよ。

 ですが・・ですがです、みなさん。今すぐにご要望にはお応えできませんが・・・、それでも・・・秋にむけ、今からでもお知り合いの農家にお声をかけてみてください。

 そんなことで日本農業が護れるのかいというご意見もあるでしょうが、ま、今は何よりも行動です。はじめてみましょうよ。

(念のために・・私のお米を買ってくださいという小さな利益からの提案ではありませんぞ。写真は昨年の秋の水田風景,わが村・・いつまでつづくか。)

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