ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」 

新年、明けましておめでとうございます。

 皆さまは新年をどのように迎えられましたか?
元旦の朝、我が家の裏にそびえる朝日連峰の中に入り・・・といいましても深い雪の中、ほんの裾野に立っただけなのですが、山の神様に初詣に行ってまいりました。

私が山の神様と呼んでいますのは、山の土と微生物達のことです。それらはこの地の循環の母体です。微生物・・・とても小さな、そして不思議な生き物達。イノシシやサルは朝日連峰にはいないように、生物は自然環境の地域変化に合わせてすみ分けている。微生物ならもっと細やかに・・・。その範囲は「三里四方」。地元の微生物。

自然界にあっては一つのいのちの終りは、もう一つのいのちの始まり。土となり養分となって、新しいいのちに役立てられていく。参加していく。有機物の循環、いのちのめぐり。太古の昔からこの地の循環をつかさどってきたのは、地元の微生物たち。山の神様。

人間が生れると、およそ3日以内に、その地の微生物が体内に入るといいます。以来、生きている限り、身体の中に生息し、体内の循環を回してくれる。内の微生物界と外の微生物界は同じもの。身体の内と外を循環し、通い合う山の神様たち。だから私たちは自然の一部。「身土不二」。

 新年は山の神様たちにおまいりすることから始まりました。もう、15年ぐらいになりましょうか。

 静まりかえっている森。遠くから沢の音が聞こえました。

 今年もよろしくお願いいたします。



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 あけましておめでとうございます。
今月3日pm13;00より、久米宏さんの「ラジオなんです」
が放送さます。
オレが出るんですよ。再放送なんです。
30分ぐらいの楽しい時間でした。
よろしかったらお聞きください。
 まずはお知らせまで。
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いつ根雪がきてもおかしくない時期になった。村人は毎日、天気予報を気にしながら冬の準備を進めている。

冬の準備・・、その筆頭は越冬野菜の取り込みだろうな。大根、高菜、白菜、ブロッコリー、カブ、ネギなど、畑の作物が雪でおおわれる前に屋敷の中に取り込む。雨の日の畑仕事はやりにくく、野菜はいつまでも乾かない。晴れの日を選んでの作業となるが、それがなかなか来ない。午前中に晴れていても午後は崩れてしまい、一日中晴れというのはめずらしい。西高東低・・冬型の気候は裏日本にとっては本当にやっかいだよ。それでも何とか収穫し、野菜は凍らないように貯蔵する。

第二は漬物づくりかな。南国の方達には分からないだろうねぇ。この漬物が冬の間の大切な野菜という地域。畑は厚い雪でおおわれているのだから。取り入れた大根や、その葉、高菜、白菜などを、軽く天日にあてて干し、漬け込む。漬物作りには家ごとにコツがあって、どちらかといえば年期の入った年寄り達の仕事だ。我が家の漬物には熟した柿の実がたくさん入っていて、まろやかな味となっている。うまいぞぉ。

第三は庭木や屋敷の雪囲いだろう。我が村は雪積1m50cmほどになる。手をうたなければ、雪の重みで庭木が折れてしまう。そこで、丸木や板を組み合わせての雪囲いとなるのだが、これが始まると、冬はもうすぐそこっていう気持ちになりますね。

 まだ庭木の雪囲いをやっていないのは、44戸の集落の中で我が家だけとなっていた。これがせつない。仕事が遅れているのが一目瞭然。何度か雪がふっていた。いかにも横着げで、だらしなく見える。

 「おい、早くやらないとまにあわねぇぞぉ。」と近所のオヤジ達がひやかして行く。分かっているんだよ。

 雨が降っていたけれど、やるしかないな。合羽を着ながらの作業となった。一本、一本と、丸太を運び、組み合わせていく。冷たい雨の中、鼻水たらしながら、ようやく夕方にはおわったよ。金沢の兼六園のような芸術的なものではないけれど、仕上がってみると、なかなか風情がある。

だいたいこの三つが終われば、やれやれとなるのだが、我が家の場合は、これでもまだ半分だ。鶏舎の雪囲いが残っている。

それに、畑にはまだ大根が・・・。はやく、はやく・・、雪がくるまえに・・・。分かってはいるんだけどね。 

 (写真は我が家の庭。山さくらさんのご要望に応えて)


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我が家の後ろに連なる朝日連峰の木々はすっかり葉を落としています。風景は冬直前。明日にも雪が落ちてきてもおかしくはない、そんな時期にはいっています。

村の隣人達は既に庭木の雪囲いを終えて、越冬野菜の取り入れに精を出しています。だけど我が家はまだ冬の準備は何ほどもできていなのですよ。私はあいかわらず、帳簿の整理や玉子の配達、集金などの軽労働。重い農作業や冬の準備は息子一人がやっているためなのですが、あせりますね。あせるよ。雪の前になんとか・・・との思いがふくらんできました。明日からでも作業に参加するつもりです。

元気です。
腰の調子はだいぶもどってきました。ほっとしています。
でもなかなかブログを更新することができませんでした。
理由はいくつかあるのですが、なかでもお米の発送業務がけっこう忙しかったということでしょうか。次にくるのは怠け者だということでしょう。
だいたい、「明日できることは今日するな」のほうですからね。それでなんとかなってきているのですからおかしなもんです。

私が田植え直後に動けなくなってしまったことで、今年の米作りはほとんど息子と応援の友人がやってくれました。おかげさまで今までにないぐらいのいいお米ができました。皮肉なものです。食べていただいた方々からは「おいしい」という評価をいただきました。

おいしさのもとは、息子達の的確な作業。まずこれをあげなければなりません。そうしなければバチがあたりますよ。つづいて二種類の堆肥を施したことです。肥料効果の高い「醗酵ケイフン」と、土作り効果の高い「レインボープラン堆肥」。土を豊かにすることが作物づくりの基本ですからね。よろこんでもらえるお米ができて本当によかったです。

今はpm11;30。外は暴風雨、荒れ模様です。ニワトリ達も寒いだろうなぁ。早く彼らの住まいにも雪囲いしてあげなければ・・・。
でも、この天候であした農作業できるかなぁ。




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 4日ほど温泉にいってきます。腰の回復にいいと聞きましたので。
もう少し長くいければいいのですが、何かと・・な。
コメントへの返事を求められているのもありますが、そういそがないですよね。

では行ってきます。
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 今日で稲刈りが終わりますが、農繁期はまだ続きます。ブログはなかなか書けません。そこで、昨年ある雑誌に書いた文章をここに載せました。これなら他にもあります。2,3日後、また違った文章を載せますのでおいで下さい。えっ、この話は以前見たぞ、同じような文章はのっけているではないか・・・とか、いい分はおありでしょうが、ま、いいじゃないですか。


 我が家の農業経営は、水田2ヘクタールに畑が少々、それに自然養鶏900羽。山形県の朝日連峰の麓、純農村地帯の一隅で農業を営んでいる。80代の両親と50代の我が夫婦。そこに昨年4月、農業専門学校を終えた息子が帰ってきた。以来、今日まで、田んぼだ、畑だ、ニワトリだとよく働いている。

 「あんなに働いてくれて悪いなぁ、もごさいなぁ(かわいそうだなぁの意)。家のためなら、うんといいけど・・。でも、よろこべないなぁ。気の毒なような、かわいそうなような・・。こんなことさせていていいものか?このまま歳とらせていいものかといつも思っているよ。」

 息子が出かけた夜に、88歳の母親はため息まじりに話す。

「家の犠牲になっているのではあるまいか。本当に百姓すきならいいけど、でもそうでなければさせられない。もごさくてよぉ、あの子のこと・・・。」

 現在の日本農民の平均年齢は60代後半。我が村の農家の平均年齢も67歳。昼間は田畑にほとんど若い人の姿は見当たらない。
お米は20年前と比べ、一俵(60kg)あたり、1万円も安い。それに3割を超える減反があり、野菜は洪水のごとく海外から押し寄せ・・と、まぁ、こんな按配だ。若い人はとても就農できない。

 百姓仲間の造語に、「とき(時)が来る。トキになる。」という言葉がある。時代は生命系の回復に向かい、農業の価値がみなおされようとしているとは言うのだが、その到来をまえに、われわれ百姓は「佐渡が島のトキ」になっちまうよ、という意味なのだけれど、実感だ。
  
 日本に農業はいらないのかい?日本の穀物自給率はたったの27%。世界でも最低ラインに近い。「飢餓の国・北朝鮮」とはいうけれど、それだって穀物自給率は日本の倍の53%だ。日本の食糧事情はすでに破綻している。輸入によって事実が隠されているにすぎない。

「もうすこし、あの子も世の中見えるようになれば、まだ歳若いから、大丈夫だから・・、何して生きていくか考えんなねごで。」

 88年間、いろんなものを見てきた母が、農業では幸せにはなれない、離れたらいいと話す言葉には説得力がある。でも、息子は充分そのことを知った上で、農業をやろうと帰ってきた。その気持ちが続く限り、それを支えてあげなければと思う。
 


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 栄作さんは現役の米作り農民だ。120aほどを耕作している。いつも早朝から田んぼや畑に出ている働き者で、仕事の終りはきまって午後の3時。あとはウイスキーで一杯始めるのが毎日の楽しみとなっている。

 その栄作さん、70代のはじめのころから「80歳までは現役だべ」と、口癖のようにいっていた。そしてそのとおり、めでたく現役のまま80歳となった。
今年は誰よりも早く稲刈りを始めている。冷やかしにいった私に、栄作さんはコンバインのエンジンを止めて話しかけてきた。

「来年から俺の田んぼ、作ってくんないか。」

 息子夫婦は勤めていて農業はやっていない。水田は彼一人の仕事となっていた。以前から、引退の時が来たら田んぼを頼むと言われていた。だけど、栄作さんの姿が見えない田んぼはどこか寂しい。

「来年もできるところまでやってみたら。途中で無理だと思えたら、オレが引き継いでやるからよ。」

 それでいいなら・・・実はやってみたい気もまだあるんだ・・と、酒焼けした頬をゆるめ、ほっとした表情でタバコに火をつけた。来年も大丈夫だ。まだまだいける。なんせ、この世代は本当に筋金入りなのだから。

 我が村は山形県の中でも屈指の穀倉地帯、置賜盆地の中にある。村の農家の平均年齢は67歳。80代の農家は他にもいるし、70代は中心世代だ。
昨年産米のJAへの売り渡し価格は60kgあたりおよそ12,000円。20年前の半分の価格。農水省東北農政局の発表した生産原価は15,052円というのだから、それよりも3,000円も安い。これでは作らないほうがむしろ生活費の節約になる。実際、栄作さんの息子は「俺たちの給料をつぎ込んで、オヤジは米つくりをやっている。」とぼやいていたっけ。ある新聞に稲作農家の時給が179円にしかならないと書いてあった。法で定めた最低賃金の1/4にしかならないという。ここまでくれば水田規模の大小ではないね。この国では米作りそのものが不可能だということでしょう。

「米作りの何がおもしろいかって?田んぼに出ているのが好きなんだよ。眺めているのがいいんだ。銭金じゃないんだ。小さい頃から親しんきた田んぼだべぇ。ここで育ったのだもの、ここで終りたいよ。」

 これはきっと栄作さんだけの気持ちではあるまい。平均年齢67歳。村の農家の気持ちもそこにある。そして年寄りたちのこんな気持ちが日本の米作りをぎりぎりのところで支えている。でも、それももうじき終りだろう。

 この現実を、たぶん知りながら、更に安い米価を農民にせまり、減反を強いてきたこの国の指導者と役人たち。そんな中での汚染米の「米ころがし」。情けない。日本が壊れていく様を目の当たりにしている思いだ。

 まだ3時には早かったが、仕事を切り上げた栄作さんの家に私も転がり込んで、ウイスキーのふたをあけた。

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 ウラの田んぼにいます・・・。

 ただいま稲刈り中。大型コンバインには息子と妻が交互に乗り、ぼくは腰の療養中なので補助労働。刈り取った籾をトラックで運び、乾燥機に入れる仕事だ。これなら楽にできる。

 朝日連峰の山々は青く、柿は色づき、田んぼは黄金色。いい秋だ。村人たちはこぞって田んぼに出かけ、村は久しぶりに活気付いている。

 お米は信じられないぐらい安いけど、刈りいれ時の村の活気には関係ない。
お米にまつわるアレヤコレヤについての言いたいことは山ほどある。だけどな、まずは、刈入れを済ませてからだべ。

 だから・・・ブログはしばらく休み。

・・・ウラの田んぼにいます・・・・。
 
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 2008年産のお米のご紹介です。

 我が家のお米は 朝日連峰直下の土と水と太陽の結晶。いのちたちのつながり。そのパッケージ。カキッと割って耳元に持っていってください。水田を渡る風の音、にぎやかな鳥や虫たちの声が聞こえるかもしれません。

 
今年は例年になく、いい稔りをむかえました。
いままで我が家のお米を食べていて、いつもうまいとお思いの方は
更においしいと思われるはずです。
なんだ、この程度かとがっかりされていた方は、今年の米は違うぞと思われるはずです。

1、品種;「ひとめぼれ」と、もち米の「黄金(こがね)もち」

2、肥料;堆肥主体です。「自然養鶏」の鶏糞とレインボープラン堆肥の二     種類。この二つの堆肥が米の味を引き上げています。
 
3、農薬(殺菌・殺虫剤);田植え時点で一回だけ施しました。それだけで    す。山形県では「特別栽培米」(減農薬米)作りを奨励しています    が、我が家が投入した農薬の量はその基準の更に1/ 3以下。

4、価格;価格は白米,七分、もち米ともに10kgあたり5,000円(送    料別)で、昨年と同じです。玄米はその料金で10%増しとなってい    ます。(もち米の3kgは別価格。)

5、保管と発送;お米はモミのまま涼しいところで保管します。毎月10日が    到着日。風味が損なわれないよう発送直前に精米しお届けしていま     す。

6、ご注文;メール(narube-tane@silk.ocn.ne.jp)かFAX(0238-84ー
     3196)でお受けいたします。各月、一年分の予約が可能です。

7、お支払い;郵便局の振込み用紙を同封いたします。

9、締め切り;120a分の予定収量に達し次第、締め切りといたします。数    に限りがありますので、お早めにお申し込み下さい。

<百姓・菅野芳秀の一言>
 たんぼ一枚一枚に個性があります。一枚の田んぼの中でさえも一様ではありません。当然その土にあわせてお米の味が違ってきます。あなたに届いたおこめがあなたのご期待に添える味であった場合はラッキーと思ってください。少し違うぞというときは次回があるさと思い直してください。ゆめゆめ、「菅野の米はおいしくはない」などという不幸な結論には到達なさりませぬように。


                      

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 白鷹町に草木塔を見に行ってきた。それは森のそばの農家の庭先にあった。高さは約60cmぐらいか。自然石に「草木塔」と刻まれている。うかがえば江戸の後期、米沢藩から森林の管理と木材の切り出しをおおせつかった先祖が建てたものだという。

 亡くなるとき「たくさんの草や木のいのちを奪ってきた。供養と鎮魂の碑を建ててほしい。」と願っていったという。塔はその子孫が建立した。今、森の切り出しはやっていない。だけど毎年、お供え物を添えてその碑を祀り続けてきた。

 当時の人たちにとって森の木々にいのちを感じながら、それらを伐採し続けた日々はきっと気持ちのいいものではなかったに違いない。寝覚めだって悪かっただろう。「亡くなるときには、草木の化け物が・・・というようなこともいっていたそうだ」と守ってきたその子孫の人が話してくれた。分かるような気がする。

 オレですら庭の木を伐採しなければならなくなったときには、やっぱり手を合わせてから作業に入るもの。そういえば娘が小学生のころ、道路拡張で庭の桜の木が切り倒される前日、B5の用紙に「追悼」と書いて泣きながら手を合わせていたっけ。こんな気持ちの有りようは珍しいことではない。植物と一緒に暮らす田舎では生まれやすい感情だろう。

 さて、話は変わるが、今年の春の田んぼ。本来緑であるべき畦の草が除草剤によって赤く枯れあがり、緑の中の赤い帯が縦に横に伸びていた。そんな畦は、我が家の前に広がる水田のおよそ1/3ほどになっていただろうか。草は畦を雨や陽射しから守っている。このことは誰よりも当の農民がよく知っている。だが、忍び寄る高齢化か、日々の忙しさか、おそらくその両方なのかもしれない。痛々しい風景だった。

 そこには草への感謝がない。謝罪がない。崩壊しつつある日本の農業。その再生には「草木塔」の心は不可欠だと思えるのだが・・・。こんなことをしていたら本当に草や木の魂が化けて出るかもしれない。
 

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突然ですが、だいぶ前に書きためていた文章を掲載させてください。
今は玉子価格の改定ともうじきとれるお米の注文取りの準備で忙しいのです。話題は自然養鶏を始めた頃のこと。玉子を売り歩く話です。
<その1(07,2,12)>の続きだけど、忘れたべね。覚えてはいないべな。バックナンバーは時間があったら是非お読みください。

農民がモノを売る。JAなどには頼まずに、直に消費者に売る。むいている人ならば苦にならないだろうけど、オレのように口下手で恥ずかしがり屋は、ダメだね。
 さて、ようやく産み出した玉子を持って、一軒一軒まわって歩く。この一端は前に書いた。大いに恥ずかしい。こんな気持ちは初めてだ。友人の果物売りを手伝ったことがあったがその時はもっと気楽だった。同じように各戸をまわっても、気分のあり方はまったく違う。「売ってやる」と「買っていただく」ぐらいの違いといえばわかってもらえるだろうか?他人のものを売るのとは違って、自分のものを売るときには、もっと切羽詰った気分なのだ。断られたときには、どこか自分の人格が受け入れられなかったような、否定されたような、そんな気分になり、落ち込んでしまう。身体はでかいけれど、気が弱いねぇ、オレ。

 5軒まわって1軒ぐらいの確率で話を聞いてくれ、その1軒が5軒ぐらい集まってようやく玉子をとってくれそうな1軒と出会う。そんな感じだった。
このペースならば玉子があふれてしまう。それはそれでやりながら、次に考えたのが女性団体の代表者のお宅を訪問し、集まりの場で玉子の紹介をさせていただくようお願いすることだった。まず、代表に電話をかけることから始まる。

「あのう・・、市内でニワトリを飼っている菅野と申します。一度お宅にお伺いし、玉子の説明を・・・いや、あの、電話セールスしているわけではなくて・・」

 出だしはこんな感じ。集まりの場で話させてもらうまでが一苦労。なかなか、はいとはいってくれない。話すところまで持ち込めれば上出来だが、当然のことながら、話せたからといって、うまくいくわけではない。全然反応がなく、見かねた代表が「とって見たい方はいますか?」とうながしてもだーれも手をあげず、逃げるように帰ってきたこともあった。こんなときにはみじめで、笑われているようで・・。なかなか「さぁ、次がんばろう。」というわけにはいかなかったよなぁ。

 そんなことを繰り返しながら、玉子をとってみようという方が一軒、10軒・・・と増えていく。食べてくれる方が20軒ぐらいになると今度は口コミの効果が出てきて、私がまわらずとも、食べてくれるお客さんがどんどん宣伝してくれるようになっていったんだ。ここまで来ればしめたものだね。品物は自然卵。いいモノなんだからさ。

 わずか3万1千の人口,9,000世帯の長井市で、200軒以上の方に、毎週、毎週玉子を配り続けている。もう30年ぐらいになったかな。やめた方はほとんどいない。こうなるともう、配達先とは親戚づきあいも同然ですよ。

 当時、オレの目指す農業を自分では「地域社会農業」といっていた。はなっから都会を相手にしない農業ということだけど、気負っていましたよ。地域社会農業の集合体をもって日本農業とするならば、日本は変わる、おれはその一端を担っていくのだ・・・と。ニワトリの玉子からそこまで発想してしまうおれって・・・なんだろうね。「地産地消」という言葉が出てきたのは、そのずっと後、そう15年はたっていたかな。時代の先を行っていたんですよね。だからどうしたって訳じゃないけどさ。

 今は、地域の需要を満たした上で、地域外にも出荷している。食べてみたい方は右の「お米や玉子のほしい方のために」を参照していただきたい。

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今日はご先祖様がお帰りになる日。盆の15日だ。
ダンゴを作って、送り火焚いてご先祖さまをお墓に送っていく。あっという間の三日間だった。それでもお盆の間は、こんな俺でも何かしら先祖を意識しながら過ごす特別の日だ。はたから見たら、接客がてら昼間から酒だ、ビールだと大騒ぎし、メタボの腹つき出して,だらしなく過ごしているように見えるだろうが、おさえどころはちゃんとおさえているよ。

 「霊」とか「魂」などについては詳しくはないが、故人となった方々に思いをはせ、感謝の気持ちを新たにする。そんな機会はお盆やお彼岸や法事、それに日常生活のなかにもたくさんあって、村人は昔から手を合わせる機会を多く持ちながら暮らしてきた。でも、ここで紹介したいのは同じように霊や魂への感謝なのだけど、相手は人間のそれではない。牛や馬などの家畜でもない。草や木や土だ。

 これらの魂をなぐさめ、感謝する碑が山形県の南部、置賜地方に60基ほど分布している。「草木塔」と呼ばれているもので1mほどの自然石に「草木塔」または「草木供養塔」という文字が刻まれている。だいたいが江戸の中期に建立されたもの。碑の一部には「草木国土悉皆成仏」というお経の1節が刻まれていることから、建立の趣旨がうかがえる。草木はもちろんのこと土にいたるまで、皆、悉(ことごとく)成仏できるということだが、先人の自然観、生きることへの謙虚さ、心根の豊かさが感じられておもしろい。えらいもんだ。

 俺たちだけでなく、草も木もみんな等しく土の化身。土からいのちの糧をいただいて生きている。その点では平等だ。俺たちには草や木や土の喜びや悲しみは分からないが、生まれたからには、やはり、天寿を全うしたいはず。それなのに生きるためとはいえ、草木を倒さなければならない。刈らなければならない。焼かなければならない。本当に申し訳ないことだという謝罪と感謝の思いがその碑のなかに込められている。

 山形県置賜地方には、高畠町有機農業研究会を筆頭に早くから自然と共生する農業が芽生え、俺たちの町にはレインボープランという、街中の生ゴミを土に戻すことで、森の循環の営みを人々の暮らしの中に取り戻そうという取組みが行なわれている。
これらの根っこにはこの地方に伝承されている、遠い祖先からの「草木塔」の思想があるのではないかと思っている。・・・合掌。

 写真は朝日連峰を背にした我が家の遠景。前は鶏舎。ダブルクリックで拡大できます。


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