ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
ちょっと前まで新潟県は魚沼の改良普及員として農業指導にあたっていた友人が以下のような書評を送ってくれました。
玉子と土といのちと (創森社) むかしむかし、新左翼という言葉がありました。独占資本からの開放、日帝の殲滅。まさに若者が社会の枠から逃れ出ようとした運動でした。 菅野さんはそれをニワトリの世界で実現したようです。 本の中ではニワトリの解放戦線をつくろうとアジっています。現在のニワトリはその大半がゲージという檻の中に数匹詰め込まれ、身動きも満足に出来なく餌も卵を産めばよいという目的でつくられただけのものを与えられています。 こう言うと何か私たちの生活が投影されているようで身につまされます。 かっての闘士がニワトリの解放区をつくって、空を飛ばしている様は実に愉快ではないですか。 文章も独特の決めつける「○○である」調を脱し、本人も言っていますが、「やさしく」かつ「語りかける」ような軽快な流れをかたちつくっています。 何故、「卵」でなく「玉子」なのか。 菅野さんの農業哲学、「ニワトリがよろこぶ」飼い方にあらわれています。 どうして、地べたをあるかなければならないのか。餌は地産地消でなければならないのか。そこに山の神様までご出馬されるから物語を一層おもしろくしています。 また、オンドリの話しなどは男どもに身の悲哀を感じさせられます。 この本は菅野芳秀そのものをさらけ出した世の人々への警告とも言えるでしょう。 ありがたい評価です。友達からこのような評価をもらえたことがうれしい。 ...もっと詳しく |
山形の百姓・菅野芳秀です。
昨晩、Hさんから電話がありました。 「本を出したんだって?」 「うん」 そうなんです。 「玉子と土といのちと」(創森社1575円) 7月20日付けですのでようやく書店に並んだころです。 ニワトリと共に暮らした30年のなかで見つけた面白い発見、 ええっそうなんだぁ!という出来事、そんな中から見えたニッポン・・などなどを 百姓の合間に書き綴ってきたものを本にいたしました。 「小料理屋のお通しのようなものをまとめて本にしたようなものです。」 メインデッシュが見当たらない。 そんな本なんです。 みなさま方には「謹呈本」としてお送りすべきなのでしょうが、ごめん。 一冊送料込みで2,000円を超えますので、全員にというわけにはいかず、 さりとてそのうちの半分の方に・・というわけにもいかず・・、結局どなたにも贈らずに ・・知らんぷりしていよう・・静かにしていよう・・と思っていた中でのHさんからの電話でした。 買って読んでくれといっているわけではないよ。 それはそれでうれしいのだけど、 ここはこの間、世話役さんとして奮闘してこられたHさんに一冊お送りして 辛口の書評を書いてもらい、皆さんには買って読んだつもりになっていただければ いいかなと。 「対象の不毛性を感じるよ。」 かつて全共闘運動が盛んだった頃、Hさんは、教授だったか、右翼だったかを相手に論争を挑んだときに発した言葉です。 「都会の青年はこんな気取った言葉を使うんだ!」 びっくりしましたねぇ。山形から出て行った田舎青年としましては。 そのときの光景が突然よみがえってきましたよ。 「お通しのような本にどうして書評ができるんだい?」 と控えめにつぶやかれることはあっても、ここは優しいHさんですから、 「対象の・・・」とはいわないよな。 どっちにしてもあまり関心はないよ。 そんな方が多数派だとは思いますが、 夏の盛りの・・・Hさんと菅野の劇場を・・・といったらHさんに失礼か・・ お楽しみいただければうれしいです。 それではHさん、今日発送いたしますので よろしくお願いいたします。 菅野芳秀 ということで、Hさんからの書評をここで公開させていただきましょう。 |
長いあいだ、ご無沙汰いたしました。
このたび『 玉子と土といのちと 』(四六判・220頁・定価1,575円=税込)を創森社から上梓いたしました。 全体を貫くテーマは「土はいのちの源」。 世のほとんどのニワトリたちはこれ以上ないほどの過酷な環境の中で暮らしています。ニワトリたちをゲージに追いやっているものは「経済効率」。そのモノサシは、我々自身にも向けられていて、日々追い立てられているような、余裕のない暮らしとなっています。 ニワトリたちをゲージではなく、大地の上に。 彼らを大地に解放することは、我々を「解放」することにつながっていくのではないか。そんなことをも考えながらの30年間の自然養鶏。でもそこには実際に取り組んで見なければ分からないさまざまな問題がありました。生煮えの理念を雪やタヌキやキツネたちが襲います。 玉子とニワトリから社会がみえる。 人間が見える。 土といのちと循環の世界が見える。 ちょっと気取ってますね。 内容はかつて「現代農業」誌に一年間連載したもの、あらためて書き下ろしたもの、それにブログで紹介したものなどで構成されています。 「まえがき」にも書いていますが、本にするほどの文章か・・・との戸惑いもありましたが、出版社の薦めもあって踏み切ることにいたしました。 期日にせかされて、本文の校正や、あれやこれやの文章を書いていましたので、ブログの更新がままなりませんでした。 「まだ更新されていない・・よっぽど横着なのか、何か病気にでもかかっているのか・・。」 ご心配をおかけいたしました。そんな訳だったのです。 機会があればぜひ手にとっていただき、お読みいただければ光栄です。 ...もっと詳しく |
田園はいま緑一色、むせ返るような緑、緑、緑の世界です。
稲はこれから、今までの体づくりを中心とした栄養成長期から、子づくりのための生殖成長期に移ろうとしています。聞きなれない言葉でしょうね。この移行期は7月中旬。この時期に合わせて農家は肥料を撒きます。子づくり応援ということですね。分施(ぶんし)といいます。撒く時期を誤れば、栄養成長を促進したりして、倒伏や病気の原因にもなっていくために、時期を見誤らないよう慎重に田んぼを観察します。 我が家では、この分施を今まで有機肥料と化学肥料が一緒になった「有機化成肥料」を撒いていましたが、今年は、息子の春平がここまで堆肥だけで育ててきたのだからと、友人の肥料店から「100%有機肥料」を買ってきました。化学肥料ですと、撒いた粒々が溶ければ根が吸収できますが、有機肥料はそうはいきません。撒いたものを土中の微生物が分解し、それを根が吸収するという行程を歩むため、その分10日ぐらいは早めに撒かなければならなくなりますし、見極めも難しい。 稲はどんどん分けつを繰り返し、田植え時期、一箇所に3〜4本植えた苗が今は20本程度になってきました。周りの田んぼに比べて6〜8割の茎数です。この辺りの農家は10a(10m×100m)あたり10俵(一俵は玄米で60kg)程度の収穫を目標としていますが、我が家では8・5俵です。農薬の助けを借りずに稲を作るには、このぐらいが妥当です。ここまでは順調に生育しています。 春平は田んぼに除草機を入れ、田面をくまなくかき混ぜました。草をとることも目的の一つですが、土中のガス抜き効果をねらっています。春に鋤(す)き込んだ稲わらは水温が上昇するほどに土中で分解され、ガスを発生して根に負荷をかけるからです。その作業も終わりました。 そろそろ、その肥料散布が始まります。10aあたり20kgの肥料を320a分。忙しくなります。 昨晩、涼しくなった庭にでてみましたら、ポッポッポッとホタルが飛んでいました。夏ですね。 ...もっと詳しく |
ご無沙汰でした。 もうじき・・といっても7月の中旬なのですが 創森社から「いのちをつなぐ自然卵養鶏」という名の本を出すことになり、 田植え後の夜はずっとその原稿書き、校正に没頭していました。 自然卵養鶏の七転八倒記。最後に700字の指定で書いた文章が下の文です。 「ニワトリが飛ぶ日」 1000羽のニワトリと3ヘクタールの水田の循環農業。けっして大きな規模ではないが、玉子と米を自分たちで販売することでなんとか専業農家として成り立っている。 この我が家の農業を「菅野農園」と名づけた。キャッチコピーは“土、いのち、循環のもとに”。働き手は息子と私と妻の三人だ。妻は主に玉子の配達や集金を受け持っている。菅野農園の代表者は息子の春平。朝の6時になると判で押したように町のアパートから「出勤」してくる。 「そんな風に育てた覚えはない」などと村の人たちには話すのだが、息子は村の中でもよく働くと評判だ。私が比較的外に出て行くことが多いので、その分を働かざるを得ないということもあるのだが、自分たちの暮らしをなるべく安定したものにしたいという思いからだろう。息子の連れ合いは休みのない息子の毎日を愚痴も言わずに送り出してくれている。 何にでも、どこででも効率優先のモノサシが跋扈し、人が軽んぜられ、いのちが軽んぜられ、食も、農も、社会もいびつにゆがめられているかのように見える日本。当然のことのようにニワトリたちはゲージの中に入れられている。 そんな日本の一隅の空を、ぼくのニワトリたちは飛ぶ。駆ける。遊ぶ。 こんなニワトリたちとともに暮らしている我が農園が立ち行かなくなったとき、そのときは日本農業のみならず、社会全体が窒息するときだと思っている。ヒラキナオリですね。 たかが一個の玉子と軽んずることなかれ。一個の玉子を通して、私たちの社会が見えてくる。そして・・・だ。空を飛ぶニワトリたちが多数派になったとき、食も農も社会のあり方もきっと大きく変わっていくに違いない。 |
ようやく田植えが終わりました。
やれやれです。農繁期は約2ヶ月続きました。この間、休みは無しでした。でも、休みたいとは全く思わなかったですね。次々とこなさなければならない仕事が目の前にぶら下がっているし、かつ、同じ農家仲間の進み具合はほとんど我が家の先を行っている。こうなるとね、休もうという気にならないのです。 他は他、我が家は我が家。農法が違うのだからかかる時間も違って当然と平然としていればいいのですが、なかなかそうはならない。これを説明するのは大変なのですが・・まず、作業の順序の説明をしなければなりません。一般的に耕耘、化学肥料散布、水入れ、代掻き、田植えと進んでいきます。我が家の場合、化学肥料散布はありませんが、その分、耕耘のまえに醗酵鶏糞とレインボープラン堆肥の二種類を撒く作業があります。これに息子と二人10日間ほど費やします。田んぼは段々田んぼになっています。上の田んぼに水を入れれば、下の田んぼにもその水が浸入してきて耕耘しにくくなってしまいます。だから上の田んぼの人はすぐ下の田んぼの耕耘作業の終わるのを待って、水を入れるわけです。 早く水を入れて、代掻きに進みたい上の田んぼの農家は、我が家の耕運作業が終わるのを待っていてくれる。我が家は全身にそれを痛いほど感じながら、せっせと堆肥散布に精をだす。 「いつごろまでかかるんだい?息子の務めの関係で今度の日曜に田植えをしたいので、早く水を入れて代掻きしたいのだけど・・。」耕耘前の我が家の作業に待ちきれず、すまなそうに聞いてくる。「ごめんな、あと少し・・」 我が家の田んぼは6箇所に分かれていて・・だから6箇所で農家が待っているわけですね。これってなかなかなものなのですよ。春を楽しみながら我が家のペースで・・なんてできないのです。 田んぼに堆肥を撒く人がいなくなっただけでなく、近頃は田植えと同時に化学肥料を散布する機械がでまわってきたことでひと工程が削除され、いっそう作業期間が短かくなっている。追い立てられること、追い立てられること・・・。さくらが咲いていることは分かっていましたよ。視界には入っていました。だけどね。それだけなのです。 やがて堆肥散布が終わり、耕運も終了し、我が家も水を入れることができるところまで来ればほっとしますね。これでようやく自分のペースで進めても誰にも迷惑をかけないですむ・・・と。 電車の窓などから見る田園風景はのどかですよね。でも、その風景の中にいる住民はそうのどかではありませぬぞ。 ともあれ、終わりました。今年も全てに堆肥を撒いてスタートいたしました。 今年は稲刈りまで、殺虫剤ゼロ、殺菌剤は田植え時点の一回だけで行こうと思っています。 ...もっと詳しく |
ようやく機械の田植えがおわりました。
あとは田んぼの四隅を手で植える作業が残っています。 二日ほどかかりますが、それで今年の田植えは終わり。 同時に2ヶ月ほど続いた春の農繁期もようやくピリオドです。 「夢の続き」をお読みいただきましたか? その続きを書かなければと思っていたら 沖縄のジャーナリストで親しい友人が、ひとつのブログを 紹介してくれました。 一気に読みました。 何が問われているのか。 ここにその核心が書かれています。 ぜひ、お読みいただけたらと思います。 すこし長いですが、がんばって。 それにしてもこの国のマスコミはひどすぎる。 ひとつの共同意図の下に動いているとしか思えません。 私の方にさる友人から、野中さんが自民党幹事長時代に機密費を受け取ったマスコミ人の一覧表が届いています。 唖然としました。 TVでおなじみの面々です。 ひとつの政党から「賄賂」を受け取り、その政党に有利な 発言をくりかえし世論に働きかけることで、お返しする。 ジャーナリズムもなにもあったもんじゃないです。 いつか国民に明らかになるでしょう。 この国の国民は本当に不幸です。 それではそのブログです。 http://kariyatetsu.com/nikki/1240.php ...もっと詳しく |
農繁期に入って一ヶ月半。 いよいよ、明日から田植えに入ります。 ここまで来るのが大変で、田植えに入ってしまえば 相変わらず重労働が続くとはいえ、比較的楽なのです。 米作り仕事の最初の山は種まき、育苗作業。 これは30cm×60cm、厚みは4cmの育苗箱750枚に土を入れて種を蒔き、育苗ハウスに移す仕事ですが、これがなかなかキツイ。 その後は田んぼへの堆肥散布。 堆肥はレインボープラン堆肥と自然発酵鶏糞の二種類で 化学肥料は使用しない我が家のこだわりの作業。3・2haの水田全体に くまなく、かつ薄く均一に撒いていきます。 これもキツイ。27歳の息子は腰を痛め、4日ほど動けない日が続きました。 私も腰と相談しながらやっていたのですが、その作業が終えた今も 腰の重さが続いています。 1000羽の自然養鶏の仕事も平行してありまして、 餌作り、餌やり、玉子とり、汚れおとし、パック詰め、地方発送、配達、集金・・・などほぼ毎日ありますので、身体がいくつあっても足りない状態となります。 そして明日からの田植え作業。ここまで来れば終わりが見えてきます。 田んぼの上で田植え機械に乗りながら、周りの風景などを楽しむゆとり もできてきます。 畦には忘れな草やオオイヌノフグリなどの草花が生い茂り、水田には 雪を残している朝日連峰の雄大な山並みが写しだされています。 どこまでも広い大空の下、10cmかそこらのか細い苗を植えるにしたがって 薄緑の面が広がっていきます。 田んぼの春の巻。ゴールもう少しですが、まだ終わったわけではありません。 というわけで、夜は一合のお酒か、ビール一本で、そのまま寝てしまいます。もうしばらくまとまった文章を書ける状態にはありません。 遠く沖縄に思いを馳せながら、田んぼ仕事に取り組んでいます。 ...もっと詳しく |
面白い夢を見ました。
普天間の海兵隊基地をめぐる鳩山首相のことです。夢の中でも、彼は「腹案」があると言っていました。「日本国の総理大臣としていのちをかけて」とも。現実とほぼ重なります。 夢の中の彼は、普天間の基地は県内移設、国内移設ではなく、初めから国外への撤退を要請しようと決めていました。でもそれを単純に言い出したのでは、アメリカは簡単に「NO」と言うに決まっていますし、国内でも「国家間の約束ごとをたがえることはできない。」とか「日本の安全保障上、不可能だ。」とか、「海兵隊が沖縄にあることの抑止力」だとかのあれやこれやの意見が百出し、事実上、収集困難になるだろうとの読みから、ある迂回策をとることにしました。それが彼の「腹案」でした。まさに、いのちをかけた「腹案」でした。 それは、今日の日米関係のバランスを打ち破っていく上で、民衆のエネルギーに全面的に依存しようというものでした。民衆のエネルギーが時の政治構造に大きく影響を与え、ダイナミックな変革への道を切り拓いていく。日本での成功例は少ないですが、韓国でも、フィリッピンやタイでも良くあることです。鳩山首相は普天間の国外移転の可能性はそれしかないと考えていました。 約束してきた普天間基地の県外移設をいったん反故にし、期待を裏切ってみせることで沖縄県民の怒りをかい、普天間に決して後戻りできない状態を作り出す。一方でわざと徳之島の自治体、住民の頭越しに基地の移設案を表明することで、島民の拒否の運動に火をつける。現実の鳩山首相のやっていること、マスコミや野党からたたかれていることと同じことを、夢の中では冷徹に考えた上での戦略としておこなっていったのです。 夢の中ではさらに厚木海軍飛行場のある神奈川県にも受け入れの打診をすることで、首都圏にも大きな反発を作り出し、全国的な反基地の盛り上がりを形成していきました。そしてそれら,いくつかの節目となる局面で国際的な報道機関にリークし、沖縄普天間の事態を国際的な広がりをもって報じられるよう仕組みました。 夢の中の鳩山首相は実に見事な役者でした。国民はその計算された「迷走」の実際をしりません。マスコミもこぞって政府の無力さをなじりました。しかし、間違いなく民意は盛り上がり、世界のマスコミはこれを伝えました。 その上にたって、5月下旬、鳩山首相は日本国政府声明としてアメリカ政府に対して次のような趣旨の文章を送ります。 「今、日米両国の関係は大きな危機の中にある。沖縄の全県民が海兵隊普天間基地の県外への移転を求めている。移転先にと検討した鹿児島県徳之島でも、全ての自治体と住民がその受け入れを拒否している。日本本土の米軍、自衛隊基地周辺でも同じだ。つまり日本国中の全自治体、全国民が国内移転を拒否している。これを承知であえて移転を強行するなら、大きな混乱を招かざるを得ないし、日米関係全体に悪影響をおよぼすであろう。 日本国政府は、普天間からの海兵隊の移転先をめぐり、沖縄県内、外にわたってその可能性を探ってきたのだが、いまや残された結論はただひとつだ。沖縄の海兵隊は日本から撤退していただくしかない。それが国民の意思であり、その代表機関としての日本国政府の結論だ。日本国以外のどこに持っていくかは日本国が口を出すことではない。」 夢の中、国際世論は日本の姿勢を支持しました。 アメリカは普天間から国外に移転せざるを得ませんでした。 この戦略を練ってきたのは鳩山、小沢を軸とする少数の政治家でした。特に小沢は「第七艦隊があれば日本の全ての米軍基地は不要」といい、「米国との対等な関係を目指す」と主張してきたことで、アメリカと日本国内アメリカ派から常に狙われ続け、失脚すれすれのところで生き延びてきていた政治家です。歯車の推進役には沖縄県知事も参加しました。沖縄県民集会に知事が参加し、県内移設にNOと言ったことで完全に退路を断ち、アメリカへの大きな圧力を与えることに成功したのです。 夢から覚めてみたら、TVで、みのという司会者が、コメンテーターの元三重県知事と「県内移設」の可能性に言及している鳩山政権の迷走ぶりを笑い、国外を主張する同じ与党の社民党党首を「彼女は困っているだろうな。」「うん、泣いているでしょう。」とニヤニヤ笑いながら話しているところでした。 困っているのも、泣いているのも、沖縄、そして、アメリカにとっての愛犬ポチ、日本とその誇りなのです。 夢の話はこれで終わりです。 で、どうでしょうか。「迷走」は狙ってのことなのか、ただそうなってしまっただけなのかはいまさら問いません。でも結果として、起こってきている沖縄普天間の海兵隊基地国外撤去のエネルギーを、「夢」のようにつないで行くことはできないものなのだろうか。 さらにその続きを嘉手納、岩国、横須賀、厚木、三沢へと。 私の長年の友人が次のようなメールを送ってくれました。 「私も還暦を過ぎ、もう62才です。私が生まれる前からの米軍、占領軍を見て育ち、もういい加減に外国の占領軍は追い出したいと強く思いました。そうでないと私の生涯は占領下で一生を過ごし、独立国での経験がないままに黄泉の国へ旅立つことになりそうです。」 私もまったく同じ意見です。 沖縄に申し訳ない。 ポチ日本に終止符を! これを単なる春の夢話に終わらせたくはありません。 写真は外で遊ぶオンドリとメンドリたち ...もっと詳しく |
「ヘルシーエコライフ」の「奇跡よ、起これ」経由のみなさまへ
今晩、書きますので少しお待ちください。 昨日は水田への堆肥散布やお米の発送業務で一日が終わりました。 |
copyright/kakinotane
本文前にすこし文章がありますがそれは略させていただきました。
「メインデッシュ」はあるよというご感想、読んでいて思わず「ニコッ」としましたね。ありがとうございました。以下
まず、購入時を含めて、初めからの印象から入りますと、書店にも
依りましょうが、購入書店では「農業専門書」の書棚に有り、これはまた
「とりつき難い本かな」と言うのが第一印象でした。
ところが、読み始めましたら、如何して中々分かり易い内容で、(要所の写真等を含めて)文章もウイットに富んで面白く、「オンドリの朝の鳴き声が」翌朝微妙に変わったところには、私も一家の主として(まあ、給料袋運び屋程度の亭主ですが)やはり、1回や2回同じような場面を経験しており思わず苦笑をしました。
かと言ってその様な事ばかりではなく、内容の多くは町に住んだ事しかない私どもには“成程、その様なものか”と感心したり、勉強になるものでした。
題名にある「土」がいかに大切なものかが一貫して流れたおり、第1章から
第3章までは前記の思いで読みました。
第4章、第5章は日々の皆様の御苦労の程が、私なりに分かったつもりです。
第6章では地域との繋がりが如何に必要かが読み取れました。
菅野様の御案内に有りましたが、「メインディシュが無い、飲み屋の・・・」との事でしたが、、
どう致しまして、私にはこの章が「メインディシュの当たるのでは」と思いました。
御本の全体としては、その構成および流れは良く、分かり易いものでした。
失礼にあたるかも知れませんが、「農業専門書」よりも、より親しみやすい
「農家のエッセイ集」として多くの方々に読んで頂ければと思います。
以上、纏まりのない駄文で恐縮ですが、私の読後感です。
今後もお元気に、農業に尽くされ私どもに安心、美味しいお米・玉子をお送りください。
(写真は春、若葉の生い茂ったばかりの土の上で)