ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
|
8月30日に「置賜自給圏推進機構」の総会と記念講演があります。総会は2時から、講演は3時から。どちらも自由にご参加ください。講演者はカッパえびせんやポテトチップで知られるカルビー(株)の元社長・松尾さん。著書「スマート・テロワール」で自給圏の必要性を説いています。ぜひ、ご参加ください。
下をコピーして検索してください。 https://scontent.xx.fbcdn.net/hphotos-xfp1/v/t1.0-9/s526x395/11885294_674651239301578_5405352644078841149_n.jpg?oh=e2a622442480abfb5209c88d0da83ba8&oe=566D3F7D |
|
若手のフリー・ジャーナリストが我が家に一年ほど通っていました。その彼の尋ねるままに、私の「来し方」と言いますか、どなたにもある「七転八倒記」と言いますか・・話していましたら、このような文章に仕上げてくれました。
昨夜(8月2日)、その彼から、「菅野さんのFBに改めてシェアしていただき、友人の皆さんに読んでいただければありがたい。」との声掛けがありました。躊躇しなかったわけではありません。でもこの歳ですからね。彼の仕事に報いる意味でも掲載いたしました。 http://lifestory-gallery.com/archives/1109 をクリックしてみてください。 |
|
ぜひ見てほしい。 日本国民必見のドイツ公共TV番組です。 http://bww.jp/r/2014/03/04/ <上記をコピーして検索してみてください。> 後半部、所々でフィイルムが止まりますが、その経過時間を覚えておいて、もう一度初めから操作し、その先の時間からスタートすれば続きを見ることができます。 世界の常識と日本の常識が違う。 日本のTVこそこの番組を創らなければならないはず! 新聞は命がけでこの事実を伝え続けなければならないはず。 しかし、嘘に加担し、国民の命を危機にさらしている。 知性の破たん。 |
田んぼは濃緑色に変わりました。我が家の前に広がる広々とした水田には一面に緑の世界が広がっています。
春先のイネミズゾウムシの害も何とか鎮まりました。 水面への食用油の散布が効いたようです。彼らは夜、水底に生息しており、日が昇ると茎伝いに上がってきて葉を食べる。彼らのその性行を利用し、あらかじめ水面に食用油を撒いておく。彼らが水中から外界に出るときに彼らの身体が油に包まれて窒息するという仕掛けです。農薬をかけずにすみました。食用油ですから分解も早く、コメへの害はありません。 これからの心配は「いもち病」ですね。稲の葉や茎がかかる一種のカビ病で、これにかかると稲全体が枯れて行き、収穫ゼロもありえます。カビ病なので高温多湿の気候は要注意。我が家ではこの予防として一夏に二度ほど「酢」を散布します。 殺菌剤、殺虫剤ゼロの稲作はどこまで行っても緊張が続きます。 |
俺たちの村は穀倉地帯のど真ん中にある。減っているとはいえ地区民40戸のなかの14戸がコメの販売農家で、農民の平均年齢は65歳だ。 重太さんは専業農家で75歳。3.5ヘクタールの水田を夫婦で耕している。その重太さんの家にお茶に寄ったところ、すでに同じく専業農家のケンちゃん(78歳)も来ていて、話題はどうにもならない安さの中でいつまでコメを作り続けることができるかの話となった。 「いま使っている機械が壊れた時までかなぁ。」と重太さん。たしかに農業機械はいずれも高額で、更新する段になれば誰しもが考えるところだ。 「俺は死ぬまでだな。お金になるからコメを作り、ならないからやめたとはならないな。借金増えても、また機械を買って頑張るよ。」はケンちゃん。この言葉に触発されたように重太さんも話を重ねた。 「俺も損得でコメ作りをしているわけじゃない。コメ作りは人生そのものだからよ。人生は赤字が続いたからやめることにした、あるいは黒字だからもうしばらくやってみようか、とはならないべ?米作りもそれと一緒だよな。」 すごい話になって来た。確かに今までコメづくりをやめて行った人のほとんどが、高齢となったり、病気で動けなくなってのことで、稲作が赤字だからという理由は聞いたことがない。もちろんとんでもなく赤字なのだが、村の農民にとって、コメ作りは経済の領域ではなく、人生そのもの、生きることそれ事態なのだろう。どんなに環境が変わろうとも、春になれば決まったように芽出しを行い、田を起こし、苗を植え続けてきた。 でもな、だからと言って甘えてはいけない。付け上がってはいけないぞ。この人たちが本当にできなくなった時、田に苗を植えなくなった時が農業というよりも、日本自体の終わりなのだろうと思う。そしてな、脅かすわけではないが、その日が意外に近いような気がしてならないのだ。 |
長井市ではレインボープランという、生ゴミと農産物が地域の中で循環する事業が行われている。他方、長井市を含む、山形県南部の置賜地方(3市5町)では食やエネルギーなどの地域自給をめざす置賜自給圏づくりが進んでいる。 私はそれらの事業に参加してずいぶんになるが、農作業の合間をぬってのとても忙しい日々が続いている。そんな私を支えてくれるのは「地域のタスキ渡し」という世界だ。耳慣れない言葉だと思う。何しろ私の造語なのだから。 私にも後継者として期待されながら農業を嫌い、田舎から逃げ出したいと一途に考えた青年期がある。幾年かの苦悩の末の26歳の春。逃げたいと思う地域を逃げなくてもいい地域に。そこで暮らすことが人々の安らぎとなる地域に変えていく。その文脈で生きて行くことが、これから始まる私の人生だと考えるに至り、農民となった。その転機を与えてくれたのは沖縄での体験だった。 76年、25歳の私は沖縄にいた。当時、国定公園に指定されているきれいな海を埋め立て、石油基地をつくろうとする国の計画があり、予定地周辺では住民の反対運動が起きていた。私がサトウキビ刈りを手伝っていた村はそのすぐそばだった。小さな漁業と小さな農業しかない村。 「開発に頼らずに、村で生きて行くのは厳しい。だけど・・」と、村の青年達は語った。「海や畑はこれから生れて来る子孫にとっても宝だ。苦しいからといて石油で汚すわけにはいかない」。 これは多くの村人の気持ちでもあった。その上で「村で暮らすと決めた人みんなで、逃げ出さなくてもいい村をつくって行きたい。俺たちの世代では実現しないだろうが、このような生き方をつないでいけば、いつかきっといい村ができるはずだ。」 私はその話を聞きながら、わが身を振り返っていた。彼らは私が育った環境よりももっと厳しい現実の中にいながら、逃げずにそれを受け止め、自力で改善し、地域を未来に、子孫へとつなごうとしている。この人達にくらべ、私の生き方の何という軽さなのだろう。この思いにつきあたったとき、涙が止めどもなく流れた。泥にまみれながら田畑で働く両親や村の人達の姿が浮かんだ。 それから数ヵ月後、私は山形県の一人の農民となった。 村には以前と同じ風景が広がっていた。しかし、田畑で働くようになって始めて気がついた。開墾された耕土や、植林された林など、地域の中のなにげない風景の一つひとつのものが、「逃げなくてもいい村」に変えようとした先人の努力、未来への願いそのものだったということに。私はその中で守られ、生かされていた。楽しみの先送り・・こんな言葉が浮かんだ。 その日から、私は風景があたたかな体温をともなったものとして見えるようになった。ようやく「地域」がわかった。「地域」が大好きになり、同時に肩にかかっている「タスキ」を自覚できるようになった。 その後の、農薬の空中散布反対の取組み、そしてレインボープランと・・・。私をこのように動かすものは、地域の風土の中に流れる先人の体温と、私の身体にかかっている「タスキ」への自覚である。 ・・・ということなんですが、少し、肩に力が入いりすぎていますね。若いですねぇ。カッコつけてますねぇ。 趣旨はお分かりいただけるかと思います。百姓仲間の友人がいいます。「菅野は農業をやりたくて農民になったのではなく、地域を変えたくて農民になったんだよな。」って。きっかけはその通りでしたね。これが私のベースです。 |
「コレステロールの高い食べ物は身体に悪い」。食とコレステロール値について、私たちが信じ込まされてきた「常識」がことごとく間違いであることが5月1日、日本動脈硬化学会の「コレステロール摂取量に関する声明」で明らかになった。
それによると、コレステロールの高い食品をいくら食べても、血中のコレステロール値にはまったく影響がないという。「いや、卵はちょっと遠慮しているんです」。こう言って節制をしていた人も多かったと思うけど、その努力に何の意味もなかったということだ。しかし、これまで厳しい食事制限を喧伝してきたのは同学会。玉子もいらぬ濡れ衣を着せられてきたわけで、かわいそうなことをしたと思っている。 |
孫崎享氏の「戦後史の正体」(創元社)とともに
国民必読の書だと思います。 矢部宏治氏の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 』(集英社インターナショナル)。 まだの方はぜひ! https://fbexternal-a.akamaihd.net/safe_image.php?d=AQD5COJSnGNPGhL9&w=487&h=255&url=http%3A%2F%2Fi.yimg.jp%2Fimages%2Fsocialproducts%2Fblog%2Fimg2%2Fblog_fb_ogp.png&cfs=1&upscale=1 |
ようやく田植えが終わった。朝日連峰を背景に、うす緑の水田がどこまでも広がっている。田の畦には「春シオン」、「忘れな草」、「オオイヌノフグリ」、「ジシバリ」などの色とりどりの野花が咲き誇り、いま田園は美しい。
農繁期の疲れた身にはこの美しさが何よりの癒しとなるのだが、近年、その野花の咲く畦に除草剤が撒かれ、一面に緑が茶褐色と化している光景が目につく。新緑の春なのに・・・と、見るものの心を荒ませる。 農家ならだれでも知っているように、畦草とその根は、直射日光や風雨から畦畔を守り、根は水と雨からその崩壊を防いでいる。しかしそこではその草ぐさが枯れ、土と小石がむき出しになっている。こんなことを続けていたらやがて畦畔は崩れだし、近い将来、大変な思いをして修復しなければならなくなるだろう。それでもこの光景は年々広がる傾向にあるのだから切ない。 この広がりの背景には高齢化し草刈作業が辛くなっている農家の実情もあるが、多くは1農家あたりの耕作面積の拡大がある。草を刈りきれないのだ。管理能力を超えた規模拡大と、少しでも手間を省く選択としての除草剤。 農民をこのように追い立てるものは、TPPに象徴されるグローバリズムと安いコメの価格政策だ。 ま、明日のことを心配するよりも、急場をしのぐことが先で、足元に火が付こうが目をつぶってやり過ごすが勝ち。日本では農業政策だけでなく、ほとんどがこんなモノサシの中にあるのだから、これも仕方ないという考えも分からないではない。 でもな、農業だけでもその流れから外れなければと思うんだよ。少しでもこの風潮に抗って行きたい。そこに農業の未来だけでなく、いのちの世界の可能性が広がっているように思えるからだ。そう思う者がまず率先して草を刈り、この美しい田園風景を守っていくことだべな。どうだべ?ご同業。 |
「“かかぁは1号、コメは2号”、このふかーい意味が分かるか?」
村の総会の後、宴席でそう話しかけてきたのはケンちゃんだ。78歳のコメの専業農家。酒が好きで、根が陽気。酔えば大きな口を開けて快活に笑う。4ヘクタール強の水田をほとんど一人で耕してきた。現役の百姓だ。 「あのな、世に『2号さん』と言う人がいるべぇ。だけどかかぁがやっぱり一番いい。名実ともに『かかぁは1号』だ。コメの場合を1号、2号で言えば、一番いい1号を出荷して、俺たちが食うのは選別から漏れた『2号のコメ』。だからな、百姓の暮らしは“かかぁは1号、コメは2号”となるわけよ。味のある言葉だべぇ。」 「2号さん」などとまったく縁がなかったケンちゃんはそう言って笑った。 その肝心の「1号のコメ」が安い。山形県の主力品種である「はえぬき」の1俵あたりの仮渡価格がなんと8,500円。補助金、清算金を入れても1万円前後にしかならないのではないか。絶望的な安さだ。 42年前の1973年(昭和48年)は、生産者価格が今年と近い10,300円/1俵だった。その当時の全国紙の新聞代は1,100円/一ヶ月。それが今では4,037円。同じ倍率を当時のコメ代金にかければ今ごろは1俵37,801円となっていなければならない勘定だ。それを仮渡価格とはいえ8,500円。新聞は一貫して日本のコメ生産が過保護だと批判してきたが、彼らにそれが言えるのか、と力が入る。 東北農政局が平成25年産のコメの生産原価を発表した。それによると1俵60kgあたり13,490円だという。過去10年間で最も安くなっていが、それでも農家の売り渡し価格よりもはるかに高い。 「ところでな、ずっと2号のコメを食ってきたけど、もうコメ作りはできなくなったよ。」ケンちゃんは決してそうは言わなかったけれど、日本中からコメ作り農家のそんなため息が聞こえるような気がしている。 |
copyright/kakinotane












秋の長雨で充実度合が心配だが、ここまで育ってくれたことに感謝だ。
ひとまず「ホッ」なんだけれど、その「ホッ」の後に瞬間的に浮かぶのは、同じ農民としてそれを共有できないでいるたくさんの人たちのこと。田んぼを荒れるにまかせ、避難生活を続けざるを得ない福島の農民たちのことだ。
どこの空の下にいようと、秋の風、秋の空、秋の陽ざしを感じる度に、かつてあった家族や村をおおう心地よい活気、失われた稲刈風景の思い出がよみがえって来ることだろう。
私もそれらに思いが至るたびに何とも苦しくなっていく。
今年の秋もそんな秋だ。