ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
昨年の夏。暑い京都の町を歩いていた時のこと。ガシガシガシ・・、これは何の鳴き声だ?えっ、セミ?これがセミか!まったく風情がないではないか。ただうるさいだけだ。ガシガシガシ・・それにまわりと協調せずにあたりを圧倒しようとする、なんというか・・京都に似つかわしい下品なセミだ。 その点、山形のセミはどこか控え目で、哀愁感さえ感じてしまう。セミの鳴き声にまで山形の風土の優しさ、上品さが生きているということか。 セミにまで・・もちろん、人間は言うに及ばず・・とう言葉が抜けていましたね。 京都というのは常に日本史の中心で、東北、羽前(山形県)などというのは京都に言わせれば蝦蟇(がま)の一字をもって「蝦夷(えぞ)」と蔑んできたように、人間の住むところとは考えていなかった。歴代の朝廷が京都から送ったのは征「夷」大将軍が率いる軍隊。東北は攻めの対象、征服の対象でしかなかったということだ。それにもかかわらず一度たりとも東北、山形は、京都に攻め入ったなどということはなく、幕末の 会津藩のように、逆に京都を守ってやって悪者にされてしまうという貧乏くじばかり引いて来た。 ガシガシとただうるさいだけのセミの中にも、ある種の傲慢さを感じ、さらに不愉快になってしまうのは東北、山形県の中でも性格がまっすぐな俺だけかな。 |
http://www.christiantoday.co.jp/…/shukyosha-shinjya-zenkoku…
このように呼びかける宗教者がいる。 「日本会議」の構成団体なっている宗教者(団体)もいる。 決して無関心であってはならない。いま、だれもが当事者だ。未来の日本に責任を負わなければならない。 |
https://www.youtube.com/watch?v=Aw21hsX8Sz0&feature=share
「バー二―・サンダース議員が湾岸戦争に反対して 米国議会で行った1991年当時の演説の画像」 そのあとに続く演説もすばらしい. |
https://www.youtube.com/watch?v=a_z7PnaYjNM
サンダース候補の演説動画です。 もし彼が当選したならばアメリカは大きく変わるだろう。 サンダースさんを指示する人々がかくも大勢いるというアメリカの現実。 他の演説もお聞きいただきたい。 (上記をコピーしてヤフーかグーグルに張り付けてみてください。) |
緑がよみがえりニワトリたちが外で戯れ・・ ようやく気持ちのいい季節が戻ってきました。外に出たニワトリたちもうれしそうに日向ぼっこをし、草を食んでいます。 この光景はいい。流れる時間がゆっくりしていて、気持ちが穏やかになっていくのが分かります。ときどき近くの草場に腰掛け、ニワトリたちを眺めています。数羽のニワトリたちが私のまわりに寄ってきて、私の靴をツンツンと突っついたりします。裏山にそびえる朝日連峰の山々の緑は毎日のようにせり上がり、ツバメが飛び、春の風は髪を揺らして通り過ぎて行きます。 なんかね・・ふくよかな気分になってさ・・。いい光景、いい季節、いい時間。こういうことかな、しあわせって・・なんてね・・似合わないことを・・な。 |
10日の晩、「置賜自給圏推進機構」の呼びかけで、地域でとれた大豆を地域で加工し、地域で食べることのできる、そんなまちづくりを目指しての「大豆プロジェクトモデル事業」の初会合が行われ、事業のスタートを切った。
豆腐、納豆、みそ、醤油など大豆加工食品はたくさんあるけれど、圏内大豆と輸入大豆との価格差が大きく、地豆の良さを充分に理解しつつも、一部の例外を除き、なかなか取り組めない現実があった。 そこで今回、関係する方々が集まり、生産から消費までのモデル事業をともにすることで、なんとか地産地消の糸口を見いだせないかと話し合った。 会合にはJAなどの生産者(団体)、トーフ、納豆、みそなどの加工業、スーパー、生協などの流通・販売業、消費者団体、それに市や町、県の行政関係者、商工会議所、置賜自給圏推進機構の関係者など25名ほどの人たちが集まり、事業の主旨、目的、課題などを話し合い、モデル事業のスタートを確認しあった。 地域の主人公はそこに住む住民だ。いま、地域をどう形作っていくのか。そんなことを考えながらの一年が始まる。 |
前回の補足 <「四つの基本」の4>を子どもとの関係でいえば。
学校の連絡帳に「明日は〇〇作業のために学校を休みます。」と書いて持たせたことはしばしばあった。その度に担任は「がんばってね。」と返事をくれた。〇〇には田植えや稲刈り、雪下ろしなどが入るのだけれど、けっこう休んで一緒に田畑や屋根の雪の上で過ごした。期間とすれば保育園年少から小学校2年ぐらいまでだろうか。保育園はともかくとして、学校の担任はよく了解してくれたものだ。当時の学校には感謝している。 それも「おれ、稲刈でなく学校に行きたい」と言い出したことで終わった。 いま、娘は関東だけれど、息子は我が家の農作業の中心で働いている。 96歳の母親は、「もっと違う道もあっただろうに、農業なんてかわいそうだ」と言うが、本人はいたって前向きに頑張っているよ。もちろん、この選択と姿勢が幼少時の体験とどう関係するかはわからないけどね。 ...もっと詳しく |
東京、山形、大阪と「ストップ!!TPP国際シンポジューム」が開催され、31日の山形会場では、およそ200人の老若男女が詰めかけ、マレーシア、ニュージーランド、韓国からの報告に耳を傾けた。
マレーシアのファウワズさんからは「TPPの中のISDS条項によって外国から進出した企業は、その国の法律に従わなくても良くなってしまう。国内政策が成立しない。公共事業も外国の巨大企業に奪われてしまうことで、自国の経済発展を考えた発注ができにくくなってしまう」と訴えた。 ニュージーランドの先住民・マオリ族から来られたモアナさんは「トップ5%が40%の富を持ち、14・6%のマオリは5%しか持てず、最下層に置かれている。いまもなお、植民地化された現実を変えることができていない。そこにTPPがかぶさってくる。TPPの価値観はマオリの伝統的な考え方と相いれない。マオリにとって山や森、川や海は部族みんなのものだ。それらをTPPは西洋的財産権をもって独占しようとする。それはマオリの権利と相いれない。マオリだけでなく、TPPは限りなくその国の人々の権利を奪っていく。」と話した。 韓国のノ・ムヒョン大統領の首席秘書官だった鄭(チョン)さんは、「韓米FTA締結(2011年)から4年たった現在、アメリカによって韓国の54の法令が変えさせられた。韓国社会はアメリカのような社会にされようとしている。」と報告された。 フロアからも「TPPによってこの社会が壊されようとしているのに、日本のマスコミは真実を伝えない」などの意見が出された。 この国際シンポジュームを通して、TPPは単なる交易上の条約ではないこと。その本質は多国籍企業が国を植民地化しようとするものであること。同時に、それぞれの国では様々な反TPPの運動が闘われていること。それらの国境を越えた連携が求められていることなどが明らかとなった。 さぁ、いよいよ正念場ですね。国会批准阻止に向けて、まずは参議院選で勝利することでしょう。どちら様も頑張り時ですぞ。 |
この歳になっても、思い出せば耳をふさいでワァーッと叫んで走りだしたい(その点は人によって様々な動作があろうが)恥ずかしい事って年に二、三回はあるよな。ないかな?俺はあるんだ。その度に俺ってダメな人間だなぁって思うよ。
歳を重ねれば重ねるほどに人格力が増して行くってウソだね。自分に関して言えば・・・ないなぁ。50になっても60になっても・・。だから努力してもどうにもならいとは言わないよ。努力しなかったなら、もっとダメなわけで・・・。これからもがんばっては行くけどさ。でも努力はせずとも(と、外からは見えるんだけど)人格力に長けている人っているよね。 学力ではないんだ。そんなものは積めば積むほどかえってダメかもしれない。それとはまったく別な資質なんだね、人格力って・・。ここが生きてきた意味に一番かかわるわけで・・。どうすればここを磨くことができるんだろうか。 あぁあ、また正月、何が何だか分からないままに馬齢を重ねるよ。 <写真は雪と柿が一緒になったひところの風景> |
この歳になっても、思い出せば耳をふさいでワァーッと叫んで走りだしたい(その点は人によって様々な動作があろうが)恥ずかしい事って年に二、三回はあるよな。ないかな?俺はあるんだ。その度に俺ってダメな人間だなぁって思うよ。
歳を重ねれば重ねるほどに人格力が増して行くってウソだね。自分に関して言えば・・・ないなぁ。50になっても60になっても・・。だから努力してもどうにもならいとは言わないよ。努力しなかったなら、もっとダメなわけで・・・。これからもがんばっては行くけどさ。でも努力はせずとも(と、外からは見えるんだけど)人格力に長けている人っているよね。 学力ではないんだ。そんなものは積めば積むほどかえってダメかもしれない。それとはまったく別な資質なんだね、人格力って・・。ここが生きてきた意味に一番かかわるわけで・・。どうすればここを磨くことができるんだろうか。 あぁあ、また正月、何が何だか分からないままに馬齢を重ねるよ。 <写真は雪と柿が一緒になったひところの風景> |
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反安保法、反TPP、反アベノミクス、そして地域からの経済の転換と日本再生。これらを正面からかざしての選挙戦。
山形県民の良識が問われ、同時に日本の未来がかかった選挙でした。 圧勝といっていいでしょう。
一夜明けて早朝、仲間たちとお礼の辻立ちを行ってきました。山形県民であることに誇りを感じます。