ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
朝、布団の中で目が覚めた。
そして、今までの朝にはないある感覚を感じた。感じ取れた。 あっ、春だ、春が来たんだ! そう思えたのは障子に映る朝日の強さからなのか。部屋の空気の柔らかさからなのか。それともまわりの木立から聞こえてくる小鳥たちのさえずりからなのか・・・。 何がどう変わったからという特定できるものは何もない。 でも確かに何かが違う。皮膚感覚で感ずる違いとしか言いようのない違い。そう思える、そんな朝。 3月2日の朝がまさにそうだった。 この日のあとも雪の降る日があったし、最高温度が零下という日もあった。 でも、実際、この日を境にして確かに気候が変わってきている。 それを感じた時の、肩の張り詰めた力がすっと抜けていくような・・そんな安堵感。 もう雪に悩まされずにすむ。 絶えず雪を意識し、よくも悪しくも雪を中心とした季節が終わるのだという解放感。 今年の春はまさに、この「朝の感覚」からやってきた。 これは雪国に棲む人に共通の感覚なのか、 あるいはまだどこかに野性を残している(と思われる)私固有のモノなのかはわからない。 でもそんな風に春の訪れを感じ取れる感覚をうれしいと思う。 |
「週刊現代」
「週刊現代」の2月6日号、2月20日号と2週続けて卵の特集がありました。2月6日号は「『日本の卵』が世界から危険視されている理由」。2月20日号は「『特売の卵を買ってはいけない』『生卵なんて食べてはいけない』」というもの。 その中身は、ここでも何度となく書いて来たものです。ゲージ飼いのニワトリが如何に過酷な状態に置かれているか。それをやっている日本が如何に世界の傾向から離れているか。その下で卵が、薬物や遺伝子組み換え作物などによって如何に汚染されているかなどが、その仕事に従事していた関係者などによって証言されています。 これはどなたも知っておかなければならない事実です。いのちは学ばなければ守れません。国は守ってはくれません。私が「自然養鶏」を37年前ぐらいから始めたのも、そんな卵の実態を知ったからです。こんなものを家族には食べさせてはいけない。まわりの人に食べさせてはいけない。無ければ自分で自然養鶏を始めようと。 現在、卵に限らず、日本自身が農薬汚染大国として世界中に知られるようになりました。ヨーロッパのみならず、中国からも、日本に行ったら食べ物には気を付けろと言われ、外国のジャーナリズムも東京オリンピックには食べ物持参で行くべしという記事が出ているほどです。 それというのも日本は諸外国とくらべ、農産物に対する国の安全基準が極めてゆるく、大量の農薬や化学物質の使用が許されているからです。それは主に国内の農家の為にと言うよりも、外国からの農産物がより入りやすくするため、貿易を妨げる規制の垣根を極力低くするという国の経済優先の政策から来ています。 いまやほとんどの家畜の餌に使われているトーモロコシはアメリカ産。それも遺伝子組み換え作物です。それらを食べ続けた結果に対して安全だという確信も見通しもありません。進行しているのは人体実験そのものです。 汚染卵も、国民のいのちよりもそんな経済を優先している情けない日本の当然な結果です。 とにかく家族の健康と未来は自分(達)で守るしかありません。 |
野も山も里も真っ白な雪景色。
吹雪の深夜。ビュウビュウと雪は横に流れ、温度計はとっくに零下に沈んでいる。 この寒さは尋常じゃない。 こんな夜なんだよね・・雪女が出るのは。 「こんばんは・・旅の者ですが・・」と外から女の声が聞こえてきても、同情して部屋の中に招き入れてはいけないよ。 この間の深夜も誰かが我が家にやって来て戸を叩いたが、 あれもきっと雪女だったに違いない。 そっとカーテンを開けて覗いてみたら、 窓の向こうの雪のなか、一人の女の人が帰って行く所だった。 助かった。 先日、「雪女には気を付けよう」との村の回覧板が回って来た。 俺も気をつけなければならないな。 すぐに人を寄せたがるから。 悪い癖だよ。 |
百姓やってあなたで何代目ですか?
こう尋ねられることがある。 で、だいたいこう答えている。 「先祖となるとどこまで遡れるか分かりません。 わが家は村の古農から分家して私で3代目です。 分家した私にとっての祖父は、その古農の長男でした。 でもまだ幼く、親たちは姉に婿をもらって家督を継がせ、 必要な労働力を確保したうえで、やがて成長した祖父には財産を分けてやり、 分家に出したのだそうです。 昔はよくそのようなことがあったといいます。労働力対策ですね。 その前までは、どこまで遡れるかが分からない程で、 お墓に行くとボロボロに風化し、 文字も読めない家の形をした墓石が数十基も並んでいました。 江戸のまた更に昔となることは間違いないようで、ま、言ってみたら、 私はどこを切っても百姓。 混ざりっ気のない百姓の子孫と言うことでしょうか。」 |
野も山も里も真っ白な雪景色。
寒いなと思って外の温度計を見たら、マイナス1度。大したことが無い。それでも寒く、慌てて部屋のストーブを付ける。北海道などでは二重窓になっていて大きなストーブがゴウゴウと燃えていて、家の中全体が暖かく、薄着で過ごすことが出来るという話だが、ここ山形ではというか、我が家ではというか、ストーブは使っている部屋のみチロチロと。 でもな。「コタツ文化」というか、家族が一つのコタツに入ってミカンなどをむきながらおしゃべりを楽しむ、お茶を飲む。外からのお客さんもその中に加わり、一緒の時間を過ごす。こんな暮らしがあるのだ。 ひとたび外に出ればそこは純白の世界。太陽が昇るとあたり一面がキラキラと輝き、見慣れているはずの私たちにとっても「ホ〜ッ!」と思わずため息が出るような美しい光景が広がっている。 また、冬は田畑が雪で覆われているために、比較的自由になる時間も多く、寒さの中で喜んでもいる。もちろん、春は待ち遠しくはあるのだけど・・、とは言っても、早く来てほしいような、もっとずっと先にしてほしいような妙な気分なのだ。 で、結論だが、いろいろな不自由はあるけれど、やっぱりここ、山形が一番いい。 |
野も山も里も真っ白な雪景色。
寒いなと思って外の温度計を見たら、マイナス1度。大したことが無い。それでも寒く、慌てて部屋のストーブを付ける。北海道などでは二重窓になっていて大きなストーブがゴウゴウと燃えていて、家の中全体が暖かく、薄着で過ごすことが出来るという話だが、ここ山形ではというか、我が家ではというか、ストーブは使っている部屋のみチロチロと。 でもな。「コタツ文化」というか、家族が一つのコタツに入ってミカンなどをむきながらおしゃべりを楽しむ、お茶を飲む。外からのお客さんもその中に加わり、一緒の時間を過ごす。こんな暮らしがあるのだ。 ひとたび外に出ればそこは純白の世界。太陽が昇るとあたり一面がキラキラと輝き、見慣れているはずの私たちにとっても「ホ〜ッ!」と思わずため息が出るような美しい光景が広がっている。 また、冬は田畑が雪で覆われているために、比較的自由になる時間も多く、寒さの中で喜んでもいる。もちろん、春は待ち遠しくはあるのだけど・・、とは言っても、早く来てほしいような、もっとずっと先にしてほしいような妙な気分なのだ。 で、結論だが、いろいろな不自由はあるけれど、やっぱりここ、山形が一番いい。 |
元旦の朝は「若水」を汲み、水に感謝し、お汁やお茶に使う最初の水を頂くところから始まる。
次は、台所、倉庫、農業機械舎、鶏舎、車・・など、我が家に宿る(と思われる)16カ所の八百万の神さまたちに餅、栗、干し柿、ミカンなどをお供えし、1年の無事を祈ってまわる。ここは孫たちも張り切って頑張る。 それ等が終わったら、孫たち3人が神妙に正座した所で、ひとり一人に相対し、「お年取りの儀式」を行う。その家の年長者の役割だ。な〜に大したことではないのです。わが家ではお供え物を載せたお膳を孫の頭上にかざし、その子が12歳ならば「13歳になぁれ、13歳になぁれ」と唱え、その子のいい所を褒め、「年が1つ増えても変わらずにな」と話して終わり。それからお年玉を配って朝の行事は終了。 今年も我が家はこのように始まりました。 新年もどうぞよろしくお願いいたします。 (写真はお供え物を準備しているところ。) |
28日は「松むかえ」の日。
門松に使う「三階の松」を山から迎えてくる。 「三階の松」とは三段になっている松の事。 孫を連れて裏山(朝日連峰)の麓に入る。 松の成長を殺さないように、枝の中から近いモノを選んできた。 風と沢の音だけの静かな世界だった。 |
12月9日は昔から「耳あけ」と呼ばれている日だ。
大黒様(穀物)、えびす様(魚介類)を祭ってある神棚に尾頭付きの魚と二つに分かれた「まった(股)大根」をあげ、枡に大豆を入れ、カラカラと揺すりながら 「お大黒様、お大黒様。耳をよ〜く開けて聞いておりますから、なにがええごどおしぇでおごやえ〜!(良いこと教えてください)」と大声で3度言う。今年も小学6年生を筆頭に3人の孫がそれをやった。 「何か良いこと教えてください・・とは情けない」と思う向きもありましょうが、飢餓と隣り合わせの日々。ちょっとした天候異変がそのまま家族の存続の危機、いのちの危機につながって行った時代。懸命に働いた後は「神頼み」しかなかった頃の村人の行事が今に伝承されている。 この行事が終わると、急速に暮れに向かい忙しさが増していく。 |
子どもの様な国だ。 農業を見る上で大切なのは農地と労働力。近年、この二つの減少が著しい。まず農地。2014年から2019年までの5年間で日本の農地のほぼ10万haが減少した。そう言われてもピンと来ないだろうが、どこに行っても田んぼだらけという山形県の水田面積が8・8万haであることを考えれば、その失った広さが想像できる。その他にも耕作放棄された農地が70万ha近くある(2017年調べ)。日本の自給率がわずか38%しかなく、日本人は食べ物の62%を輸入に頼っている中でのことだ。良く言われるように、これは「先進国」の中でも最低の数字だ。 次は労働力。農家の平均年齢は68.5歳。ほぼ70歳に近い世代が農業の中心となっていて、高齢化というよりは老齢化だ。そんな中ですら進められているのが小農(家族農業)の離農促進と、農業経営の大規模化、法人化である。その方が合理的だということだろう。ところが実際は、肝心の若い世代を含め、全体的に農業そのものから離れていっている。就農人口の60%が65歳以上であり、35歳未満の働き盛りはわずか5%でしかないという現実がそのことを物語っている。 ここで改めて、広く人々に問いたい。農業政策、食料政策はこのままで本当にいいのか。その結果についての覚悟はできているのか。どこかよそ事として眺めてはいないか。 あらためて言うまでもないが、人は車がなくても生きては行けるが、食料がなければ生きていけない。食の道が途絶えたら、食料を持っている国に土下座するしかない。哀願するしかない。 農業の問題は、国民のいのちの問題であり、国の自立、尊厳にかかわる問題だ。ここでも食糧大国、アメリカへの従属外交にならざるを得ないだろうか。 この進行する農の危機、いのちの危機について、我々がいくら口を酸っぱくして指摘しても、ほとんどの人は分からない。洪水は足元まで来ているのにそれに気付けない。スーパーでもどこでも食料品があふれているからだろう。でも、人災、天災が一たびこの国を襲えば、想像したくない光景が誕生するだろう。気づいた時にはもう遅い。この国の国民は、歴史から学ぶ力を持ち合わせていないのだろうか。 子どもの様な国だ。 |
copyright/kakinotane
そう言ってくれたのは私の尊敬する友人の塩澤さん。
その本とは私が書いた『玉子と土といのちと』(創森社・1,500円+税)。
すでに、2010年に出版しています。
百姓暮らしの中から考えたまま、感じたままを書きました。
原題はこのブログの名前である「ぼくのニワトリは空を飛ぶ」。
ニワトリの事、玉子のこと、いのちの事、それに私の百姓暮らしの事が中心です。
あれから随分経ちましたが、世の中は何も変わっていませんね。二ワトリの境遇も、いのちの危うさもなにもかも変化はありません。あまりにも無力です。
あえて恥を忍んで、自分の本をここにあげましたのは、読んでいただきたいからです。販売したいからではありません。
手に取っていただけましたら光栄です。