この「大賀ハス」を植え付けた時からかかわり、今も管理に携わっている有志の方の話によると、6年ほど前に県内の知人から200株ほどの苗(レンコン)を譲り受けて植え付けたのだとか・・・
「休耕田を借りて、田んぼの用水を使って、植え付けた年から花が咲いて・・・」
などとサラッとおっしゃるが、深耕した泥田の中に入っての植え付け作業や定着するまでの管理は大変だったに違いない。
6年経ってハスの生育面積は田んぼの3分の2(10アール)ほどに広がった。
今年はいつもより10日ほど早いとかで、開花数が徐々にふえてきているが盛りはまだということだ。
いま咲いている花を見ていても周辺でふくらんでいるつぼみの方がずーっと多く、「咲きそろったら・・・」と思ってしまう。
盛りを見逃さないよう要注意だ。
ハスは朝のうちしか花が咲いていないので平日はむずかしいかもしれないが、週末にでもちょっと早起きして古代のピンクを楽しみにゴザってオゴヤエー。場所は時庭駅の北、最初の踏切を西へ渡ってすぐ左。
肥料へのカンパ用の貯金箱もあるので ヨ・ロ・シ・ク!!
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休耕田に古代のピンク
地区有志の方が休耕田ではぐくんでいるハスの花が咲き始めた。
この春にその存在を小耳にはさみ、花の季節の到来を心待ちにしていた。
ただのハスではない。1951年千葉市内の遺跡から発掘され、翌年2000年以上の眠りから覚めて発芽した貴重なハスの末裔だ。
遺跡の発掘現場からたまたまハス花托が出土したことを聞いた植物学者が、小中学生や一般市民の協力を得て発掘した3粒のうち、1粒だけ発芽させることに成功した貴種(稀種、奇種)だ。
1952年7月18日に初めて開花したこのハスは、植物学者(大賀一郎)の名をとって『大賀ハス』と命名され、米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」として掲載されたそうだ。
発掘現場の遺跡の年代から、縄文末期~弥生初期と推定されるこの古代のピンクを、まずはじっくりと観賞しよう。
心が洗われるような上品な色合いに、2000年以上前の人たちは同じこの色を見てなにを感じ、どんな生活をしていたのか、瞑想は尽きない。
フラワー長井線の上り列車がハス田の横を通過して時庭駅に入っていった。
この春にその存在を小耳にはさみ、花の季節の到来を心待ちにしていた。
ただのハスではない。1951年千葉市内の遺跡から発掘され、翌年2000年以上の眠りから覚めて発芽した貴重なハスの末裔だ。
遺跡の発掘現場からたまたまハス花托が出土したことを聞いた植物学者が、小中学生や一般市民の協力を得て発掘した3粒のうち、1粒だけ発芽させることに成功した貴種(稀種、奇種)だ。
1952年7月18日に初めて開花したこのハスは、植物学者(大賀一郎)の名をとって『大賀ハス』と命名され、米国ライフ誌に「世界最古の花・生命の復活」として掲載されたそうだ。
発掘現場の遺跡の年代から、縄文末期~弥生初期と推定されるこの古代のピンクを、まずはじっくりと観賞しよう。
心が洗われるような上品な色合いに、2000年以上前の人たちは同じこの色を見てなにを感じ、どんな生活をしていたのか、瞑想は尽きない。
フラワー長井線の上り列車がハス田の横を通過して時庭駅に入っていった。
まだ 白川? 置賜白川?
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
米沢から長井をめざした。
道は置賜の穀倉地帯を北西に走っている。
‐‐‐‐ 略 ‐‐‐‐
やがて道は川と交叉した。
堤を降りてみると、ひろく白い河原がひろがっていて、砂礫のあいだを浅い流れが瀬走り早く流れている。先入主にある最上川は山峡をふかぶかと鑿って押し流れているはずであるのに、すこし河相がちがうようであった。
「白川です」
と、運転手がいった。地図をみると、そうである。越後境いの飯豊山から発してつよい傾斜を走りつつこの平野に入り、やがて長井の地点で松川という川と合流し、そのあとは最上川と名を変えて北流してゆく。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
1976年、稲田が熟れて田園の風景が黄色が主調に変わるころ、司馬遼太郎は週刊朝日連載の「街道をゆく・羽州街道」の取材に山形県を訪れた時、最上川沿いに置賜平野を北上し、狐越を経て上山を目指した。
このとき、司馬遼太郎は白川の河原に降り立ったのだ。ちょうど40年前、作家は白川を以上のように簡潔に記している。
この記事の画像のような景色が広がっていたのだろうか?
羽州街道というテーマから外れるからか、司馬遼太郎は長井に関しては極めてわずかしかふれていない。(残念!)
さて、司馬遼太郎が車を降りたと推定される場所の近辺にはこのような掲示物がたっている。
「置賜」の2文字がない。偏屈老人のモヤモヤがいささか晴れたような気がするのだが・・・・
米沢から長井をめざした。
道は置賜の穀倉地帯を北西に走っている。
‐‐‐‐ 略 ‐‐‐‐
やがて道は川と交叉した。
堤を降りてみると、ひろく白い河原がひろがっていて、砂礫のあいだを浅い流れが瀬走り早く流れている。先入主にある最上川は山峡をふかぶかと鑿って押し流れているはずであるのに、すこし河相がちがうようであった。
「白川です」
と、運転手がいった。地図をみると、そうである。越後境いの飯豊山から発してつよい傾斜を走りつつこの平野に入り、やがて長井の地点で松川という川と合流し、そのあとは最上川と名を変えて北流してゆく。
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1976年、稲田が熟れて田園の風景が黄色が主調に変わるころ、司馬遼太郎は週刊朝日連載の「街道をゆく・羽州街道」の取材に山形県を訪れた時、最上川沿いに置賜平野を北上し、狐越を経て上山を目指した。
このとき、司馬遼太郎は白川の河原に降り立ったのだ。ちょうど40年前、作家は白川を以上のように簡潔に記している。
この記事の画像のような景色が広がっていたのだろうか?
羽州街道というテーマから外れるからか、司馬遼太郎は長井に関しては極めてわずかしかふれていない。(残念!)
さて、司馬遼太郎が車を降りたと推定される場所の近辺にはこのような掲示物がたっている。
「置賜」の2文字がない。偏屈老人のモヤモヤがいささか晴れたような気がするのだが・・・・
またまた 白川? 置賜白川?(2)
最上白川にはこの白川橋と並行して陸羽東線の鉄橋が架かっている。
地図によると白川橋から国道47号を2kmほど下流へ走って左に入ると小国川の左岸に出られ、大堀地区の養護施設の近辺から流入点を正面から見られそうだ。
大堀の最上西公園から見おろす小国川は絶景だ。確かアユ釣りの名所のはずだ。
しかし残念ながら流入点とおぼしきあたりは鬱蒼としたスギ林の急斜面で立ち入れそうにない。
右岸からのアプローチを試みた。
田んぼの間のトラクター道路のような砂利道を走り流入点に近づいた。
堤防をおりるとすぐに葦などの水辺の丈の高い植物の茂みが始まり、足元まで水が来ている。
流入点には我が白川のような河川敷や広い河原が存在しないのだ。葦の葉先越しに水面が辛うじて見えるのみである。長靴の準備もなく流れに入るのを断念した。
流入点付近を除けばよく手入れされているし、渓流公園やキャンプ場の設備などが設置されていたり、水はきれいだし、最上白川が地域の人に親しまれ大事にされていることが伝わってきてうれしくなった。
わたしたちも白川という自然の贈り物を誇りに思い、大切にして子や孫の世代へ引き継いでいかなければならないと改めて感じ入った次第の顛末。
出かけたついでとはいえ、準備が周到でなかったことは大いなる反省点。
地図によると白川橋から国道47号を2kmほど下流へ走って左に入ると小国川の左岸に出られ、大堀地区の養護施設の近辺から流入点を正面から見られそうだ。
大堀の最上西公園から見おろす小国川は絶景だ。確かアユ釣りの名所のはずだ。
しかし残念ながら流入点とおぼしきあたりは鬱蒼としたスギ林の急斜面で立ち入れそうにない。
右岸からのアプローチを試みた。
田んぼの間のトラクター道路のような砂利道を走り流入点に近づいた。
堤防をおりるとすぐに葦などの水辺の丈の高い植物の茂みが始まり、足元まで水が来ている。
流入点には我が白川のような河川敷や広い河原が存在しないのだ。葦の葉先越しに水面が辛うじて見えるのみである。長靴の準備もなく流れに入るのを断念した。
流入点付近を除けばよく手入れされているし、渓流公園やキャンプ場の設備などが設置されていたり、水はきれいだし、最上白川が地域の人に親しまれ大事にされていることが伝わってきてうれしくなった。
わたしたちも白川という自然の贈り物を誇りに思い、大切にして子や孫の世代へ引き継いでいかなければならないと改めて感じ入った次第の顛末。
出かけたついでとはいえ、準備が周到でなかったことは大いなる反省点。
またまた 白川? 置賜白川?
所用で最上地方を訪れたので、かねてマークしていた「最上白川」をさがして国道47号を赤倉温泉から新庄方面へ走った。そしてついに白川橋を発見、「白川橋 1級河川最上白川」の標識もある。
白鳥も飛来するらしい。
「白川渓流公園」の案内板に従って川沿いの道路をさかのぼってみた。
4kmぐらい走ると舗装道路は途切れ、農林道の類の細道になり流れにグッと近づいたところで砂防ダムの堰堤とクマ出没の警告板が現れた。
道がますますせまくなる。クマも怖い。遡上するのをあきらめた。
イワナやカジカが棲みホタルが飛びかう、我が白川に劣らぬ清流のようだ。
Uターンして小国川への流入点を目指すことにした。
白鳥も飛来するらしい。
「白川渓流公園」の案内板に従って川沿いの道路をさかのぼってみた。
4kmぐらい走ると舗装道路は途切れ、農林道の類の細道になり流れにグッと近づいたところで砂防ダムの堰堤とクマ出没の警告板が現れた。
道がますますせまくなる。クマも怖い。遡上するのをあきらめた。
イワナやカジカが棲みホタルが飛びかう、我が白川に劣らぬ清流のようだ。
Uターンして小国川への流入点を目指すことにした。