サクランボが旬の季節になった。
いつもの散歩路で出会った「ミヤマザクラ」と「ウワミズザクラ」の実もサクランボの仲間に違いはない。
いまどうなっているだろうと心当たりを物色していたら、またも初めて目にする花に出会ってしまった。
一面の緑の中の小さな白い花が下向きに咲いているのが珍しくて目についたのだ。
花のついた端っこを1本頂戴して図鑑を漁った。
『エゴノキ』 花のあとに緑灰色の球形の実がぶら下がり、口に含むとえぐいので『エゴノキ』だそうだ。
我がコース内に3本しか確認できない。大きな樹木ではないので茂みの中にまぎれて見つからないのかもしれないが、見失わないよう要注意!
球形の実がぶら下がっているところを見るのが楽しみだ。
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八ヶ森近況
4月フットパスウォークに参加したとき、北八ヶ森に『ヒメサユリの丘』の案内板が立っていたのを思い出し出かけてみた。
時期が早すぎたのか『‐‐‐‐の丘』というほどヒメサユリの姿は見えず再度出直しということになったのだが、数株見えたヒメサユリのうすいピンクの花は楚々とした風情があって
‐‐‐‐咲きそろったときはさぞや‐‐‐‐と期待を持たせてくれた。
かわりに楽しませてくれたのがヤマツツジの花。
現在のところ群生というには今一歩というところだが、数年先には山全体がヤマツツジの赤におおわれるに違いないと期待を持たせる勢いだ。
30年以上の時間をかけて整備に取り組んできた地区を挙げての努力の効果が目に見えてきたということだろう。
ちなみに今年度1回目の下刈り作業が6月12日早朝に予定されている。
時期が早すぎたのか『‐‐‐‐の丘』というほどヒメサユリの姿は見えず再度出直しということになったのだが、数株見えたヒメサユリのうすいピンクの花は楚々とした風情があって
‐‐‐‐咲きそろったときはさぞや‐‐‐‐と期待を持たせてくれた。
かわりに楽しませてくれたのがヤマツツジの花。
現在のところ群生というには今一歩というところだが、数年先には山全体がヤマツツジの赤におおわれるに違いないと期待を持たせる勢いだ。
30年以上の時間をかけて整備に取り組んできた地区を挙げての努力の効果が目に見えてきたということだろう。
ちなみに今年度1回目の下刈り作業が6月12日早朝に予定されている。
この道は いつもくる道 白い花
街路樹の下にそっと寄り添う恋人たち、母との幼いころの思い出への感慨にふける詩人、雨の中人生に疲れてじっとたたずむ女性、そんな心象風景にはアカシアの白い花がよく似合う。
『アカシア』という響きにロマンと哀愁を感じるのは歌の文句に毒されている証拠か?
ニセアカシアの樹がいっせいに花をつけ、わが散歩路も、白川の両岸も、川向こうの愛宕山の斜面も真っ白な花におおわれている。ものすごい量だ。
歌の文句も、野川にかかる橋の名前もニセアカシアでは興ざめだが、由来はこのニセアカシアの白い花にあることは間違いない。
『アカシアのはちみつ』も同様で、今の時期ミツバチたちがこの花から集めるものだそうだ。
このニセアカシア、生長が速く、やせた土地でもよく育つのが特徴。逆にその強い生命力が在来植生を乱す外来植物として問題になっているそうだが、すずしげで清楚なこの花の一つひとつは好ましい。
尚、アフリカのサバンナの写真などで、だるそうに寝そべっているライオンのバックにポツンポツンと単独で立っているのがアカシアで黄色い花をつけるそうだ。
『アカシア』という響きにロマンと哀愁を感じるのは歌の文句に毒されている証拠か?
ニセアカシアの樹がいっせいに花をつけ、わが散歩路も、白川の両岸も、川向こうの愛宕山の斜面も真っ白な花におおわれている。ものすごい量だ。
歌の文句も、野川にかかる橋の名前もニセアカシアでは興ざめだが、由来はこのニセアカシアの白い花にあることは間違いない。
『アカシアのはちみつ』も同様で、今の時期ミツバチたちがこの花から集めるものだそうだ。
このニセアカシア、生長が速く、やせた土地でもよく育つのが特徴。逆にその強い生命力が在来植生を乱す外来植物として問題になっているそうだが、すずしげで清楚なこの花の一つひとつは好ましい。
尚、アフリカのサバンナの写真などで、だるそうに寝そべっているライオンのバックにポツンポツンと単独で立っているのがアカシアで黄色い花をつけるそうだ。