12日の東電ショックは更に大きくて、
産毛が靡くのも感じるほどのオイラの感性は、時間の経過と季節の移ろいを傍観者のように眺める程に参っている。
季節が行く。
どんどんと行く。
バスや電車に、置いてきぼりを喰らうみたいな気分だ。
仕事が遅れてる訳じゃない。
先が見えない中で、
そう、おかしな気候と空気の流れに戸惑っているオイラは、
いつもの、自然と一体化した心地よい生きざまの中にない。
人間として、暦を眺め、数字として気温を知り、明日の天気を人任せにしてしまう。
人間不信が、きっと自然に対しても扉を閉ざそうとしているのか。
いやいや、オイラはそんな人間と共にいなくていい。
気の合う仲間とワイワイやってればいい。
そんな幸せな時間が、最近はとれなくて・・・いや、とろうとしていないのかな。
まあ、それでも自然の恩恵を、家族みんなで感じ、受ける。
近くの家の「山梨」古木、大木が満開である。
秋には、薫り高い熟した果実が道端に落ちる。
小さな果実は、高貴な香りを辺り一面漂わせる。
信州の山にも「山梨」はあったが、数は少なかった。
しかし、野山を歩けば数百メートル離れた距離から、あの高貴な香りを感じることができ、その木のありかを特定できたのだが。
お金にもならない、そんな香りを愛でる人はどれ程あろうか。

ブドウもどんどん生育していく。
儚い時の流れに、無意識に逆らおうとしているのかもしれない。
そんな時は、青春の時なのだろうが、今はもうあの時ほどの感性や、情緒もない。
枯れている。
浅葱みたいなネギなんだが、田んぼの脇に生えている細いネギみたいなやつ。
採ってみたら、根っ子にラッキョウみたいな玉が。
長野では、「ネンビロ」と言ったが、採ってきた。
誰も見向きはしないのだが、これが旨い。
葉っぱ(茎??)も旨いが、玉の根っ子が甘くて旨い。
たまらん旨さである。
セシウムなどが俺や家族の身体を蝕んだら、そいつを放出した連中は、いつか血祭りに上げようじゃないか。
日本国民みんなでやろうじゃないか。
俺たちは、美しい国に住んでいるはずなのだから。
それを守るのが国民の定め。
汚した奴は、制裁を受ける。
そんな緊張感が必要なのかもしれない。
そう、弛緩しきっている集団には、それを締め、律する手立てが必要だ。
律された、よき国家には、そんな事は必要ないだろう。
自分の行いに責任を持ち、他人に気を配る。
ローマの真実の口に手を突っ込んでも、食いつかれたりしないもんね。
だいたい、この国の政治家は手を突っ込むなんてできないのだろうけれど・・。
この記事へのコメントはこちら