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信州 川上村 (はじめに)

中央高地の夜空は、そこに星が置かれているようで、深さがない。
つまらんプラネタリウムの事ではなく、まさにそこに星がおかれているという事なのである。
空に、クリスマスのイルミネーションが置かれている。安っぽい表現ではあるが、それが一番近いのである。
昴もカシオペアも同じ深さの中にあり、張りつめたと表現する以外ない冷気の中に、絵に描いたのか、貼り付けたのかという小さな光の点としてそこにある。
手に取れる・・・・・という表現は、まさに手に取れるというそのものである。
瞬く光の点はおもちゃの様にそこにあり、深さなど無いのである。

20年住んだ故郷の空が、こんなだと、改めて思い知った。
この地の生まれに、宇宙飛行士の候補生になった(元)航空自衛隊戦闘機パイロット、由井亀美也がいる。
俺の2級後輩の、弟と同級生である。
ガキの頃拳骨を交わした(与えた)仲(間柄)である。

普通に星空を眺めれば発見できる、夜空を横切り瞬かない、遅い流れ星。
南の空から北の空へと流れていく。
やや暗めの星の明るさと変わらないそれは、国際宇宙ステーションなのか、他の人工衛星なのか、
最初にスペースシャトルが飛んだ頃から、流れる星の存在を知り、観察したものだが、あの綺麗な星を持つ村に幾人がこの存在を知り、目にした事だろうか。


由井君が宇宙に飛ぶ。この空を眺め、ありうる・・・・。現実なのである。そう思ったのだが、
絵にかいたような星空に、あそこに行くのは本当に現実の事なのかという想いもまた起こる。

何もかも、自分が立つ位置により見る目が変わる事は理解するが、ダビンチの絵と俺の落書き程の違いがある同郷の偉業(これからの話だけれど)に、驚愕の!と?を打ち出す他はない。

不思議な村なのだ。
豊かではあるが、かつて昭和の30年代以前は極貧の寒村であった。
標高が高く気温は低く、僅かな平地に耕す田の稔はささやかなものであったそうだ。
ソバくらいしか喰うものも無かった貧しい村が、ある出来事により高原野菜の産地となり、日本でも有数の豊かな農村に変わったのである。

かつて、お爺さんや、その前の時代には、木を切り炭を得る。
高校時代の国語教科書にあった「売炭爺」・・・・バイタンオウ・・・・
木を切り 炭を得(う)る南山(なんざん)の内(うち)
両鬢ソウソウと十指黒く何の・・・・・・(ここまでは暗唱できる)
学業には非熱心な、若かりしクマ仙人志向ではあったが、どこか中国だか台湾の貧しい山国の爺様の事を読む詩に心打たれ、記憶している。
俺の爺さんたちはこんな暮らしをしておったのかもしれんなぁ。と。

それより昔には、武田信玄の金山があり、オイラの生地よりさらに奥、川端下(かわはけ)部落のずっと奥、金峰山の山懐に5000人の集落があったという話も聞いた事がある。
鉱山夫の為の女郎屋まであった場所があり、そこを廻り目平と言い、今ではクライミングで有名な小川山や金峰山登山、トレッキングなどの一大キャンプ場になっている。

更に、大昔、大深山遺跡なる縄文遺跡もあり、この辺りが日本で最高地点の縄文遺跡だと言われている。

いずれにしても、オイラのルーツは関係なく、この村にはいろんなものがあり、過去から現代に至り興味が尽きないのであろう。
現代においては、これより後に記そうと思っているのだが、農村として、そのハード面やソフト面においてもまさにstrange village KAWAKAMI として特筆に値するので、のんびりこれを加筆しようと思う。
2010.12.29:kuma仙人:

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