子供たちにとって、テレビとはすなわちNetflixやYoutubeのことで、
もう観たいコンテンツのために
その日のその時間まで指折り待たなくてもいいし、
爺ちゃんの相撲にも父ちゃんのナイター(野球)にも
付き合わなくていいし、
突然のお色気シーンで家族との気まずい時間を
やり過ごさなくてもいいし、
当時の自分が見たら歓喜して
踊りたくなるような状況だろうなーと思うけれども、
当の本人たちにとっては、
生まれた時から当たり前にあった環境なので、
取り立ててハッピーという訳ではない。
便利さそれ自体はハッピーには繋がらず、
それを得るためには、
前提としての不自由さが必要ということだろう。
多くのパイセンがいう
「若いうちに苦労した方が良い」は、
経験値ためとけ、という意味以上に、
幸福とはギャップ萌えである、
という教訓を含んでいるように思います。
何かと比べることで得られる相対的なハッピーには終わりがないため、
何とも比べる必要のない絶対的なハッピーを皆探し求める訳であるが、
実際にはそう簡単ではない。
娘よ、貴方だけの、夢中をみつけよう。
周りの誰かと比べず、
過去の自分と比べる必要のない、
没頭を手に入れよう。
成功しても、しなくても良い。
夢の途中にある時、人は絶対的にハッピーだ。
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