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最近、昔の知り合いの顔を30数年ぶりに見るという機会が、2度もあった。

1度目は例の洋画家和田義彦氏の酷似絵画の問題で、文部文科学省・文化庁の事務次官が、テレビで釈明会見をしたときだった。
画面の下に肩書きと名前のテロップが出ていた。
見覚えがあった。
おお、彼の名前じゃないか、と気づいてマジマジと画面を見詰めた。
確かに彼なのだが、30数年ぶりに見る姿形は、どこもここも緩んでいる。
ボカシが掛かっているのである。このことは、私自身にも同様のことが起きていることを、ただちに了解させる。
テレビの中の映像からは、なかなか焦点を結ばない若いころの彼の姿を探して、
わたしの視線は、クンクン地面をかぎまわる犬の仕草のようなのであった。

2度目は行きつけのイタリアンレストランの立ち飲みコーナーでのことだった。
そこでわたしは、モンテプルチアーノダブルッツォという赤ワインを、28杯飲んだという人を知った。
噂の酒豪と、会えば挨拶を交わし、時の話題について話し合ったりもした。
あるとき彼から、映画が好きで上映会を企画していることを聞いた。
ほうどんな映画をと問いかけると、「初映はゴダールの『勝手にしやがれ』」と答えた。
それから、映画の話題に話しが弾んだ。
『リトアニアへの旅の追憶』のことを話すと、
「同時期に、日本でも個人映画をやっていた若者がいましてね」と、ある個人名をあげた。
それはわたしの知遇の名前でもあった。
お互い何処で個人映画の作家と知り合ったのか話してみると、渋谷のアップルハウスという所に行き着いた。
アップルハウスは、30数年前ビートルズファンの会が、解放区として渋谷に確保した住居であった。
70年代の、野放図な自由に放たれた若者達が出入りしていた。
わたしは思い出した。
目の前にいる彼は、そこの主催者の1人だった。

若いころの姿は、私たちの中に潜んでいる忍びの者になってしまった。
分身の術で現そうとしても、すでに術は覚束ない。
ながいあいだ泥土に馴染んで、隠れ忍の草として過ごし、自分自身の正体も今は分からなくなってしまった。
敵は誰、味方や仲間は誰だったか。

そうだったのか、まあ、今夜は呑もう、と酒豪は言った。

2006.07.05:higetono:count(1,530):[メモ/やれやれ]
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