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雑巾掛け
連休の1日、わたしは家の床の雑巾掛けをした。
奥方のお気に入りの新車、玩具のようなオープンカーを、わずか3〜4回目の車庫入れでズッテしまって、傷物にした罰ゲームである。
自分の不注意を棚に上げて、わが身の不運を嘆きながら、這いつくばって汗を流していると、女中奉公で雑巾掛けをしていた「おしん」を思い出してしまった。まっ赤な頬とあかぎれの手をした小林綾子ちゃんの「おしん」は、母ちゃんに会える日を励みに、つらい日々を乗り切って行く。けれど、わたしの母ちゃんはとっくに天国に行ってしまっている。しょうがないな、ビールでも飲みながらやろう、と、中休みに缶ビールをもってテレビの点いている居間に行った。
ワイドショーが、植木等の葬儀の模様を紹介していた。
見ていると、漫画の敵役のような格好の内田裕也が登場して、遺辞を述べた後、スーダラ節を歌いだした。ユーミンともう1人名前をおぼえていない歌手が、それにスーダラ節の振り付けをして、照れくさそうにつきあっていた。
ワイドショーの司会者は、内田裕也さんらしい無礼講ですねと、ほほえましげにコメントしていたが、わたしの感じはちょっと違った。何か見ているだけで加担しているような、恥ずかしさに耐えて見ていた。内田裕也というひとは、どうしていつもこう、おれはダダモノジャナイという態度なのだろう。
しかしこれは、雑巾掛けをしているわたしからは、遠い芸能界のことである。
同じような感情の体験をしたことがあったので、並べてみようと思う。これも、わたしからは、遠い文学者の世界のことである。
10年以上前のことになるが、谷川雁という詩人が亡くなって、詩の雑誌が特集を組んだことがあった。
谷川雁は敗戦の年から10年余の間に刊行した、「大地の商人」「天山」「定本谷川雁詩集」などの詩集と、詩作をやめてから10年ほどの評論集、「原点が存在する」「工作者宣言」などで、60年安保の世代に影響を与えた、詩人=評論家=運動家である。
詩の雑誌は、谷川雁の未発表原稿を収録して、彩りをつけようとしたらしく、意外な文章を載せていた。谷川雁に先立つこと15年ほど前に亡くなった、井上光晴という小説家の葬儀で詠まれた、谷川雁の遺辞を載せていたのであった。
『雲よ。光晴という雲よ。・・・・・』から始まる、久々の谷川節の遺辞を読むわたしを襲った感情は、スーダラ節の引例とよく似た、恥ずかしさに耐えて読むというものだった。
遺辞は詩作のように、比喩で語られているのだが、浮ついた昂揚感が伝わってくる他、何を言っているのか内容がわからない。雑誌の遺辞を眺めながら、たくさんの文学者が集って、いかにも谷川雁のものらしい遺辞をきいて頷く、葬儀の風景を想像してみた。これでいいのだろうか、おれはタダモノジャナイとしか言ってないような言葉を、分かったふりをすることは良くないな、とその時、わたしは思ったのだった。
雑巾掛けの位置から思うことは、どうも上目づかいに視線がきつくなってしまう。
手にあかぎれを作って、雑巾掛けをしていた小林綾子ちゃんは、田中裕子から乙羽信子へとタダモノジャナクなって、ダダモノの世界に帰ってこなかったが、わたしは不注意や無作法をとがめられて、度々、女中奉公をする小林綾子ちゃんにもどるのであろう。自分を振り返って、わたしはもう1缶ビールの栓をぬく。あたまで考えている事とは反対に、泡の効き目で労働を放棄しかけているわたしを、お散歩に連れてってもらいたいワンコたちが、じっと注視している。
2007.05.09:
higetono
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