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勤めから帰ると、奥方がテレビで『隠し剣 鬼の爪』という映画を観ていた。始まってからまだ20分くらいだというので、一緒に観た。藤沢周平+山田洋次の組み合わせで、セリフの庄内弁をかなり好く再現している。わたしの田舎は山形市なので、庄内弁を喋ることはできないが、聞き取りに不自由することはない。しかし、東京育ちの奥方は、3分の1くらいしか分からないという。それで、途中からはわたしの方が熱心に最後まで観た。

主人公の片桐宗藏ときえは、映画の中途で
「それは、だんな様のご命令でがんすか」
「んだ、命令だ」
という言葉を交わして一旦は別れて離ればなれとなり、また、映画の最後で同じ言葉を交わして、ふたりで蝦夷の地に人生の再出発をする。

『隠し剣 鬼の爪』は、幕末が目の前に迫った時代の話だが、山形地方の人たちには、北海道に新天地を求める気持ちが、それからずいぶん後の時代まで残っていたようだ。

わたしの父の兄、伯父にあたる人は、大正年代の終わりに家を出て北海道へ駆け落ちをした。

長兄に去られ、早いうちに家長の父親をも亡くした残りの家族4人は、困窮し苦労をかさねたようだ。兄がいてくれたらというわだかまりを、父はずっと持ち続けたようで、伯父の身の上の話に触れるのを好まなかった。だから詳しい経緯などは分からない。
けれど、2人で旅立った伯父の新天地での生活も、辛酸をなめただろうことが思われる。それは後に、駆け落ちした伯父夫婦のあいだに出来た長女を、身売り同然に置屋に養女に出しているなどの事実があるからだ。わたしの父が、身の処し方の相談にのっていた親戚の女性が、そういう不幸な履歴をもったひとであることを知ったときの、子供ながらの驚きを思い出す。

伯父の家族は道南に定着し、養女に出した長女の下に出来た双子の女児を育てあげた。父やわたしたち家族との交流が復活したのは、伯父が亡くなり成人した双子が結婚し、日本経済が高度成長を始めたころだったと思う。毎年、1斗缶に入った塩辛が北海道から贈られて来るようになり、お返しには柿を贈った。
双子の1人と結婚し婿となった人は、戦後労働運動史に三池の争議と並び称される王子製紙争議の組合リーダーだった。組合代表として、別の新天地の首都モスクワまで、何かの賞を受賞に行ったこともあったと聞いている。けれどその労働争議は、後に右翼の黒幕とよばれた、田中清玄などの介入で第2組合、第3組合を作られて、第1組合は解体状態となった。わたしが会ったころはもう組合運動から身を引いて、物静かな人になっていた。

わたしは養女に出された長女や、双子の女児といとこ関係だが、年齢的にはその子供たちと同世代である。新天地、北海道の第3世代は、わたしより1つ年上の長男を筆頭に、2歳ちがいに女児、男児と3人兄弟だった。
長男は東京の私学を出て、大手広告代理店に勤めた。2年勤めて道南に帰り、タウン誌を始めた。町興しのような方向に仕事を広げて行きたいと思っていたようだ。大学受験浪人をしていた弟もその仕事を手伝った。趣味も良心も理想も、家計や経営に与するためには、生半なちからではおぼつかない。4年ほど続けて会社は資金繰りに詰まった。新天地の第3世代は、出身地の山形にまで足を伸ばし金策に駆け回った。しかし、出身地に残る第1世代はすでに年金生活に入って、企業を救うほどの余力を持つものはもう誰もいなかった。

第2世代が築いた家を抵当に渡して、わたしの伯父の子孫たちは道内に四散したのだった。

わたしの親族の場所から遠く見る新天地、北海道は、さまざまな夢の破片がちらばった危うい大地である。

めじょけねえ、片桐宗藏ときえはその後どうなったのだろう。架空の未来にも心配は尽きない。

2007.04.13:higetono:count(1,347):[メモ/やれやれ]
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