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父は幼いわたしを自転車にのせて、城跡のお堀に連れて行った。
緩やかにうごいているお堀は水草を浮かべ、
銀やんまがそこに留まったり、飛び立ったりする。
堀のむこう、城壁の上に植えられた桜の木立から、
みんみん蝉の声がふりそそぐ水際で、父は釣り糸を垂れた。

打ち込める趣味、というものを持たない父は、
その隙間をうめようとして、何度か他人の趣味を真似てみた。
薔薇の花作りをしてみたり、石を磨いてみたりもした。
どれもながく続いたことはなかった。

釣りは、隣に住む日露戦争の傷痍軍人、佐藤爺さんの日課を
見習おうとしたのだろう。

1時間経過しても魚の影は見られなかった。
わたしは、ただ水をみていることにすぐ飽きて、
草叢でかまきりの卵をとったり、離れたところで釣りをしている人の
バケツに入った収穫を見に行ったりしていた。
2時間たっても、釣り糸はぴくりともしなかった。

父は釣り道具を片付けると、草叢からわたしの頭くらいの石を拾ってきて
勢いをつけて投げ込んだ。どぼーんと、お堀の水の音が響いた。
一瞬、蝉の声が止んだ。
「おい、帰るぞ」と、怒った声で父は言った。

帰りがけに、父はアイスキャンデー売りを呼び止めて、
わたしに苺アイスを買ってくれた。
手渡しながら、「先刻のことは、家では言うんじゃないぞ」と言った。

父の面目を守るため、言ってはならない「先刻のこと」が、どのことなのか
幼いわたしには分からなかったので、
信義は半日も守られなかった。


2005.05.22:higetono:count(751):[メモ/やれやれ]
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