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関東地方を台風が襲った土曜日の朝、わたしはギックリ腰になってしまった。
1時間くらい経つと、これまでの経験からそれほど酷いものでないことが分かった。とにかく安静を保って週末を過ごし、月曜日からは出勤が出来るようにしようと思った。

わたしは、枕元に積んである本を読んで過ごし、疲れたら仮眠をとって、目覚めてまた本を読み続けた。
降りしきる風雨を見せると、ワンコたちも一応お散歩はあきらめるので、食事とトイレのとき意外はわたしのベッドの上で、一日寄り添って一緒に過ごした。
関東地方の台風は、午後5時くらいから7時くらいまでが最も中心の近づいた荒れた時間だった。9時を過ぎるともう雨も風も止んで、家の外を通る自転車の音や人の話し声が聞こえるようになった。わたしは奥方の帰りを待って晩御飯を食べ、10時半ころ早めにベッドに入って、本を読み疲れたところでまた寝てしまった。

さすがにこの日は休息十分なため、長い時間は眠れなかった。目覚めたとき柱時計で時間を確かめると、まだ3時を少し回ったばかりだった。横になったまま目が冴えてくると、日頃の夜と違って辺りが白く明るい。
窓の外に目をやると、レースのカーテン越に丸いお月様が見えた。カーテンを引いて眺めた。
台風が地上と空の穢れを掃除して、暗いけれど澄み切った空に月が煌々と光っている。

天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でしつきかも

わたしの幼いころの最も古い記憶のひとつは、この月を詠んだ阿倍仲麻呂の歌と結びついている。

あれはもう小学校に入学した後のことだろうか、家族総出で映画を観に行ったことがあった。
皆で行くことになった経緯や、道々などは何も覚えていない。ただ、映画館は大変な混みようで、わたしの座る椅子はなく、スクリーンの架かっている舞台の袖にちょこんと座って、わたしは映画を観た。
斜めからの歪んだ映像を眺めていたのだろうが、映画のなかで詠まれたこの歌と、大きなお月様の映像だけをわたしは後まで覚えていた。
そのことを改めて自分で気付いたのは、お正月に兄姉たちと百人一首の歌留多取りをしたときだった。阿倍仲麻呂のこの歌が、わたしの知っている唯一の歌として現れたからである。
それは幼いわたしの1番得意の札になった。それに続いて得意の札となったものには、つぎのような歌がある。

たち別れ いなばの山の 峰に生える まつとし聞かば 今帰り来む
これは、下の句の初め4音が自分の名前と1音違いだったため憶えやすく、また次の歌は

ももしきや  古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり
ももしき、ももひき、と語呂合わせの悪戯で憶えたものである。

『三笠の山に 出でしつきかも』の映画を、永い間わたしは自分が観た最初の映画だと思い込んでいて、それは何だったのだろうと気にして来た。親が健在のときか、兄姉たちに訊いてみれば、その気がかりはすぐに氷解したのかもしれなかったが、そういう機会も持たなかった。

答えらしきものに出会ったのは、1985年頃『日本映画』『外国映画』という対で企画された文庫本が売り出され、『日本映画』の記事の中に、女優の田中絹代の監督作品として、『月は上りぬ』という映画の解説を読んだ時だった。文庫本はもうわたしの手元になく、出版社も監修者も覚えていないが、本の記述はわたしの永い間の思い込みをいくつか訂正して、尚、この映画が『三笠の山に 出でしつきかも』の映画だったのだと確信させた。

その本を読んでみると、『月は上りぬ』をわたしは松竹映画だろうと思って来たのだが、それがそうではなく、日活で作られた映画なのであった。
松竹映画だろうという思い込みから、中井貴一の父親の佐田啓二か高橋貞二が主演俳優だったろうと思っていたが、正しくは安井昌三が主演俳優で、主演女優は北原三枝なのであった。安井昌三はテレビドラマの草創期に、『チャコちゃんハーイ』で娘と親子で共演していた俳優である。
思い違いはこの他にもあって、『月は上りぬ』の製作が昭和30年となると、これはわたしが観た初めての映画ではない。近所の大工の棟梁、小林さんの奥さんに子供と一緒に連れて行ってもらって、ディズニー映画の『ダンボ』や『シンデレラ』を、わたしは小学生になる前にすでに観ている。
ずいぶん遠い時の映画と思っていたのだが、製作が石原慎太郎の小説『太陽の季節』の発売と同じ年と分かると、印象はかなり違って来る。


台風が通り過ぎた後の煌々とした月と違って、わたしの記憶は朧月夜のように頼りない。

2年ほど前、ケーブルTVのちゃんねるネコという局で、映画『月は上りぬ』を放映したことがあった。田中絹代にゆかりの映画を特集して連続放映していたようだった。
わたしは居間のソファーに横になって、例によってヨーキーのななこを肩のあたりに載せ、ダックスのももこは腹に載せて、半世紀以上を経ての『月は上りぬ』再体験をしていた。「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でしつきかも」の場面までは観ていたのだが、ワンコの温みが気持ち好いと思った瞬間、睡魔に襲われ、不覚にも寝入ってしまった。

2007.11.13:higetono:count(1,902):[メモ/やれやれ]
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