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三鷹で会社をやっていたころ、駅前の取引銀行に行った帰り、連雀通りの禅林寺前を通った。交差点から西へ10m程の所に、芸術文化会館という建物があって、見ると『太宰治展』という催し物の看板が出ていた。仕事の途中だったが観て行く気になった。

三鷹は太宰治が晩年を過ごした土地で、住居跡や仕事部屋だったところや太宰通りといわれていた小路など、いろんな足跡が残されている。ただ晩年とはいっても、太宰治が入水自殺したのは39歳のときだったのだから、現在の基準からみれば、人生の半ばで、若くして亡くなった伝説の作家である。

私は中学生のとき、初めて太宰治の小説を読んだ。姉が新潮日本文学全集を定期購入していて、その1回目の配本が三島由紀夫、2回目が太宰治だったように覚えている。姉、買う人、私、読む人、という関係だった。配本されたものを次々に読んで行った。そして、高校生になったころは、ちょっとした文学少年の気分だった。
高校に入って、文学好きの上級生の友達が、2人出来た。放課後、いつも3人で議論をしていた。競い合う若いこころは、先端に向かって逸る。あっという間に、小説はアンチロマン、評論はニュークリティシズムというものが、話題の中心になった。今、思い出そうとしても、ニュークリティシズムというものがどういうものだったか、全く思い出せない。アンチロマンの方には、ロブグリエという作家がいて、『神の視線でではなく、人間の限定された視線で小説を書く』と主張していた。ロブグリエの小説を読んでみたが、私には面白いとは思えなかった。ロブグリエの主張を支持する1人の上級生と議論になった。そのとき、私は太宰治を自分の味方にして、理屈を言った。「太宰治の小説だって、神が定めたような運命の筋書きはなく、人間の視線から書いた文章じゃないのかな・・・・・」何だかだと言葉を費やして、要するに、アンチロマンの小説実作は太宰の小説より面白くない、と話したのだった。上級生は、なんて藪から棒の比較、違うんだよ、困るんだよなという反応だった。

『太宰治展』には、太宰治の簡単な履歴の紹介から、文学的な業績への論評などがあり、直しの入った小説の手書きの草稿や、書簡、そして太宰治の写真と、当時の三鷹の風景写真などが展示されていた。中で、そのとき私が一番興味を持って観たのは、太宰治が三鷹税務署に出した、税金の減免願いの手紙だった。
『*三人の虚弱の幼児をかかえ、夫婦は心から笑い合ったことがなく、障子の骨も、襖のシンも、破れ果てている五十円の貸家に住み、戦災を二度も受けたおかげで、もともといい着物も着たい男が、短か過ぎるズボンに下駄ばきの姿で、*子供の世話で一杯の女房の代りに、おかずの買物に出るのである。』
会社での税務の仕事は私がやっていて、三鷹税務署の調査も4回程受けている。その経験から判断すると、太宰治の手紙の文章は、ただ紋切り型の哀願で、これじゃ何の効果もない。数字の裏付をもったフィクションを動員するか、君の小説のように開き直って、ついでに納税の原資も探し出してください、とでも書かないとだめなんだよ、太宰君。私は軽薄な年上ぶった気持ちになって、これを笑いながら読んだ。そして、だけどこの手紙の文面は、どこかで読んだことがある、という既視感が残った。

その既視感の原因が分かったのは、『太宰治展』で税務署への手紙を読んでから、約4年が経過した、つい最近のことだ。
私が手紙の文面として上に引用した文章は、『如是我聞』という、太宰治の主に志賀直哉に対する論跋文中のものである。いつのことか思い出せない昔、私はそれを読んだことがあったのだ。そして、*ではさんだ部分は、税務署への手紙の中にもあったと思う。
『如是我聞』は最晩年の必死の文章である。周囲に反論をうながされた志賀直哉は、『死の覚悟をしているひとの背中を押すようなことは出来ない』と答えたそうである。私は笑いながら読んでしまったが、『如是我聞』と三鷹税務署への手紙とは、前後して同時期に書かれていたものなのだろうか。

三鷹市は筑摩書房との共催で太宰治賞を運営している。吉村昭、宮本輝、高井有一などの作家が受賞している。
私が高校生で、ロブグリエについて論争していたとき、それを脇で聞いていたもう1人の上級生は、今この太宰治賞の選考委員をしている。加藤典洋さんという。『アメリカの影』『敗戦後論』『戦後的思考』『小説の未来』『テキストから遠く離れて』などの著作をもっている。
『敗戦後論』の中の『戦後後論』という論文で、加藤さんは,太宰治を有力な味方にして論を運んでいた。深い切実な読みに基づいて、『私は戦争中に、東条に呆れ、ヒトラアを軽蔑し、それを皆に言いふらした。けれどもまた私はこの戦争に於いて、大いに日本に味方しようと思った。』『時代は少しも変わらないと思う。一種のあほらしい感じである。』という、手ごわい味方を現在に出迎え、伝説とはまた違う太宰治像を差し出している。

『敗戦後論』は私が、繰り返し読んでいる本の内の一冊である。

2006.01.20:higetono:count(1,571):[メモ/やれやれ]
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