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70年代半ば頃までは、納涼という売り文句で、怪談映画を懸ける映画館があった。
京都の友人のところに遊びに行って、盆地の蒸し暑さにたえられず、涼をもとめて昼から3本立を観に行った。3本合計4時間弱、怪談映画のおどろおどろに付き合う物好きは、その頃でももう少なかったのだろう、館内は人もまばらに空いていた。2列前にひとりですわっている、若い女性の後ろ姿が目立った。

1本目の映画が『怪談 累が淵』ということはおぼえている。が、他の2本は題名も思い出せない。
1本目も2本目も、とにかく按摩が殺された。死体が古井戸に投げ込まれて、滑車がカラカラと音をたてる。不意に、前を走りぬけようとした黒猫が日本刀で切られた。断末魔の鳴声があがる。地から湧き出てくるような打楽器の不安な効果と、悲鳴のような笛の音。そして蚊帳の外に、誰かがぼんやりすわっている。手水鉢の水面にも、波紋のように誰かの表情が浮かんで・・・怖いものみたさの、和風な必需品の、総ざらえである。

話が逸れてしまうが、あるとき、この日本の怪談の怖さを、全否定する意見を言われたことがあった。年上の友人W.R.Aさんはドイツ系アメリカ人で、日本の幽霊が何故怖いか分からない、というのであった。凄惨に傷ついた顔や、損なわれた人生は気の毒だが、幽霊はそこに立っているだけでしょう。睨んだりしているだけでしょう。怨まれている人に、実害はないじゃないですか。悪いことをした人が罪悪感のストレスから、幻想を見てしまうのかもしれないけど、心の強い悪人には、現れないことになるでしょう、というのであった。
そう言われてみれば、『怪談 累が淵』の種本になっている、円朝=『真景 累が淵』の『真景』とは、元々神経衰弱に懸けてつけられた題名なのだそうだ。伝統芸能の名人とはいえ、さすがに円朝は文明開化の世の人で、語りの表現技術は意識的なものだったのである。
W.R.Aさんに幽霊は罪悪感のストレスと言われて、笑って肯いたが、そのとき思いが流れた。W.R.Aさんの国の、戦争悪が生んだ幽霊は、東京大空襲10万霊、広島・長崎に18万霊もさ迷っているのに、こころの強いアメリカ人は、幽霊を見ないというわけだ、と。
別のときに、そのことについて、W.R.Aさんと議論をしたことがあった。だが、太平洋をなかにして戦争で向き合ったアメリカ人にとって、日本人はあくまでも、真珠湾で災いをせしもの、ポツダムの地でこころを滅ぼして、身を滅ぼしえぬ、弱きものの子孫なのであった。
ではW.R.Aさんは、何が怖いのだろう。西洋のフランケンシュタインとかミイラ男とかドラキュラとかのモンスターは怖いのか、と訊いてみた。W.R.Aさんは、狼男が一番怖いんだね、と、ドイツの黒い森の深い奥を思うような表情で答えたのだった。

『怪談 累が淵』が終わって2本目の映画も半ばになると、友人は飽いて、筋書きの先読みを始めた。ああ、この商人は殺される、沼に沈められるけど浮かび上がる、あの女は色と物の欲で裏切って祟られる、などと。
2列前にひとりですわっている、若い女性が時々こちらを振り返るのに気づいた。薄明かりのなかで、少年のような顔が振り返って、表情が少しゆるんだ。気にしていると、若い女性は、映画が擬音を伴った佳境にさしかかろうという場面になると、振り向いて、自分が一人ぼっちではないことをたしかめているようなのだった。人もまばらな館内の闇は、それ自体無用心なものかもしれず、女性ひとりの心細さは、そうだろうと思えた。次に振り向いたとき、視線をあわせて肯くと、女性も笑顔を返してきた。

2本目の怪談映画が終わると、友人はもう出ようと言った。おどろおどろはもう満腹だった。
友人が2列前にいる若い女性に「ぼくらはもう、帰るよ」と声を掛けた。『この応答は京都弁だったのだが、再現する能力がないので標準語で書く。』すると若い女性は「そんならわたしも一緒にでる、待って」と出口の方について来た。ジーンズの短パンに、白いノースリーブのニットを着て、肩から小さなショルダーを下げていた。ショートカットがよく似合った。

私達は四条河原町の喫茶店の席に落ち着いた。
「ぱいこです」と、若い女性はニックネームで自己紹介した。思わず、胸元を見た。
「みんなそう思うみたいね、違うでしょ。残念でした。円周率のパイなんです。あのずうっと割り切れない、3.141っていう、その先は覚えてないけど」
ぱいこちゃんは、兄がやっているスナックを手伝っている、と話した。客に、いくら話してもよく分からない娘だというのでそう呼ばれた、面白いから自分でもそう言うの、と説明した。
本職は学生で仏文科にいるということだった。友人は関心を覚えたらしく、今晩もお店を手伝うなら、一緒に行きたいと言った。
まだ1時間半くらいそこで過ごしてから、街に出た。
20分ほど歩いて、私達は一緒に『うなせらでぃ京都』という灯り看板の店に入った。


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京都弁の記述が不如意で、調子が出ない。この話はこのまま尻切れトンボで終わることにする。
この晩以後、私はぱいこちゃんに会ったことがない。友人は半年ほど、密度濃くつきあっていたらしい。
新聞の報道によると、現在の算数では、円周率は3で計算することになったということだから、割り切れないという理由で、ぱいこというニックネームを思いつく人は、もう現れないだろう。
私は暫し考える、ぱいこちゃんは人生の何処まで、よく分からない娘で行けたのだろう。結婚はしたのだろうか、子供も産んだのだろうか、と。
しかしそう考えることは、まったく余計なことであるし、誰の何の役にも立たない。ただ、そうしている自分を確認するだけだ。
終わりに、円周率を追悼して唱えておく。3.141592653589793238462虫さんざん闇に泣く。

2005.09.12:higetono:count(1,005):[メモ/やれやれ]
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