レース鳩モール|管理人の鳩ブログ
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9/12日(日) 今日から「ナッキー系の思い出の鳩」を掲載しました。
お早うございます。
昨晩はテレビの洋画を観て23時30分とゆっくり就寝しましたが、夜中の強い雨足で何度か眼を覚ましました。
今朝は眼を覚ますと、雨音も聞こえずに静かな朝でしたが隣からテレビで6時55分ですと言うアナウンスが聞こえてきました。
もう、そんな時間と思いつつもウトウトして「腰痛体操」をして7時20分に起きました。
外の天気を見ると、雨上がりの曇り空ですが、グレーの雲なので大雨は降らないと思いましたが、今日の予報は「大雨注意報」なのでは日曜日なので雨にならないうちに朝の管理を終らせようと着がえて外に行きました。
外は、雨上がりで気持ちの良い朝ですが、地面には昨晩の大雨で水の流れた跡が鮮明に残っていましたので、管理人の鳩舎は窓が空けぱなしなので雨の吹き込みが気になって外から見に行きました。
分離鳩舎は余り吹き込んで居ないので「ラッキー」と思いました。
分離鳩舎も本鳩舎も南向きなので今回の大雨の吹き込みの被害は少ないと思って一階の鳩舎を見ると運動場を改造して作ったので昔の運動場部分は網ばかりなので吹き込んでいましたがグチャグチャにはなっていなかったので思ったより良かったです。
安心して給餌を始めました。
今日は日曜日で舎外はお休みなので、先ずは全体の鳩舎の鉱物飼料「ミネラルグリット」を補充、水の交換をしながら鳩の様子を確認しながら餌を与えました。
三階の選手鳩舎では、手前の第一選手鳩くんはこの雨で湿気が多くなったので鼻コブの汚れた感じの鳩くんが見受けにられましたので後で個体毎に投薬しようと思います。
次に奥の第二選手鳩くんを見渡すと、昨日から「マイコ薬」の投薬をしているので鼻コブが全体的に白くなったような気がしました。
餌は奥の第二選手鳩くんからと思って「マイコ薬」を塗した餌を昨日と同じ量を与えると大騒ぎして食べ始めたので観ていると目の前に第一選手鳩ようの私製環を装着したBCWくんが一生懸命食べていましたので、「アレー」と思って捕まえました。
金曜日に村松の訓練後日帰りでどうやらこの鳩くんが飛ばないで直ぐに木に止った鳩くんの正体のようですが、顔を見ても異常なしで肉は4食抜いているので落ちていますが管理人の眼を信じて異常なしと言う事で第一選手鳩くんの所に戻してあげました。
第一選手鳩くんにも昨日と同じ量の餌を与えると、こちらは見ている前で食べきれましたがやっとと言う感じがして量のセーブも必要になってきました。
二階と一階の鳩くんたちも調子は上々なので、餌は昨日と同じ量を与えてから、分離鳩舎の鳩くんの入り口の羽根の掃除をしてから昨日と同じ量の餌を与えました。
最後にケージの鳩くんの水と餌を交換してから給餌を終了して家に帰って来ました。
9時位から日曜日なので「トースト」「野菜ポトフ」「フルーツヨーグルト」「コーヒー」の定番朝食を嫁さんと食べてから「ブログ」を書き始めました。
書いていると「岡ちゃん」から電話で明日の訓練の相談を受けましたので「無理をしないで飛ばした方が良いよ?」とアドバイスをしました。
その後も電話があって訓練は延期となりましたが、行ってくれる人の関係で時間の取れる日が出来たら前日連絡して持ち寄るということになりました。管理人の連合会は訓練に行く人が運送屋さんの若旦那なので日曜以外は仕事の都合を考慮しなくてはなりませんが、その代わりに「小遣い銭」程度で行ってくれます。
今日は、日曜日なので「ブログ」は夕方まで休憩ですが、今日からお約束の「ナッキー系の思い出の鳩」を掲載します。
第一回目の「ナッキー系の思い出の鳩」は、「ナッキー福江号」と思ったのですが、やはり名前の根源「認定CH鳩ナッキー号」にしました。
この「CHナッキー号」82XK01091 BC ♀ は管理人が鳩を再開した82年の7/7日に誕生しました。
この鳩は生まれる前から色々な偶然から生まれた銘鳩です。
82年と言う年は管理人が再開した年で5月の連休の時に手作りで2坪2階の鳩舎を作ったとたんに親父が東京都立の荏原病院に入院しました。
親父は昏睡状態で24時間看護が必要だったので3人兄弟で順番に看護しました。管理人は一人新潟と遠かったので、金曜日の夜から日曜日の昼間まで受け持ち何週間後だか忘れてしまいましたが、朝起きると鳩舎の入口が開いていて中に居た鳩くんは外で遊んでいました。
ナッキー号の母親は輸入鳩とペアーになっていてその鳩は何処かへ行ってしまいました。他の鳩も含めて2日〜4日掛かって、この母親は夜になってやっと捕まえました。
翌週の金曜日も何時も通りに金曜日の夜に東京に行って看護が終った日曜日の午後に、近くて子供の頃から知っている「醍醐鳩舎」に行って事情を話すとそれなら「関東ではスピード不足だけど新潟なら大丈夫ダヨ!」と言う事で直仔が700K優勝していて、その後稚内GN1100K優勝総合140位の実績がある「白山鳩舎作純ウェーゲン」の鳩を頂戴して新幹線で「鳩のコルセット」で持ち帰りました。
早速翌日に配合して卵を産んで作出されたのが「82XK01091BC♀」で7/7日に一羽しか孵化しませんでした。
この鳩の特徴は薄いBCで「アールデンの土鳩タイプの♀」と感じました。
この年は再開したばかりなので遅仔が多くて20羽の遅仔たちと一緒に10/30日から豊浦15Kの個人訓練からスタートしました。
年内はその後の11/3日に水原20Kを訓練して舎外だけで翌春を向かえましたが、当時はそれ程注目はしていませんでした。
春レースには、1/29日の黒崎40Kの個人訓練から始まり、35K、65K、90K、120Kの訓練を経て3/16日の糸魚川175Kの100Kレースでしたがマークレースなので正確には訓練参加です。
3/20日の管理人の誕生日に初レース高岡200Kレースに参加してAM帰還しました。
その後、福井300Kレースは15時に帰還、鳥取500Kレースは自鳩舎6番目に帰還しましたが時計に打刻されず、浜田700Kは翌朝帰還で目立たずに春レースも終わり休養予定でした。
その後、管理人の最終レースと思っていた「羽越福岡空港GP948K」が放鳩されました。
管理人は5羽参加しました。まさか当日に帰るとは思わず嫁さんと買い物に行って帰って来ると家の電話が「リンリン」なっていました。
何だろうと出ると、先輩から「もうとっくに返って来ているヨ、何度も電話をしたのに!!」といわれたので、直ぐに鳩舎に行くと一羽のBC♀くんが羽根を休めていました。慌てて捕まえて打刻すると連合会17位でした。
初シーズンでしたが、200K4位、300K3位総合4位、500K優勝総合16位、600K4位、700K3位総合19位と順調にこなしていたので、900Kで見逃したのが悔しくて悔しくて、900Kの翌日に4羽帰還して全数帰還したのもあって、急遽「福江GN1128Kレース」への参加を決意して4羽登録をしました。
遅い決断をしたので日もなくて困ったと思う人は多いと思いますが、管理人の給餌方法は満腹主義だったので当時の記録をみると何時も20gから23Gを食べさせていて何時もう餌箱には餌が沢山残っていて鳩舎の床はトウモノコシの絨毯が敷き詰めてあるので調整も何もなくて鳩の資質だけで帰ってきていました。
この福江グランドナショナルレースにも、持ち寄り2日前に「白根50K」に集団訓練に行って4羽参加しました。
当時は北越会館での持ち寄りで、雲の上の「渡辺信男鳩舎」がこのグランドナショナルレースに70羽参加したのには驚きましたが、これがグランドナショナルG1レースなのだと思ったことを覚えています。
管理人の所属の連合会の参加羽数は225羽で今の連盟の参加羽数の倍近くありました。
福江グランドナショナルレースは予定通りに放鳩されましたが、もし万一又、見逃してはいけないと先輩諸氏に情報をお願いして夕方から何処にも行かずに家で待機していました。
結局当日は何も連絡がないので確認すると何処も帰還していないとのことなので翌日に期待することにしました。---この時も絶対返って来るものと思っている自分が居た事を覚えています。
翌日も朝から落ちづかずに情報を待っていましたが、中々情報が入らずやっと11時過ぎに「春日の吉田鳩舎に10時50分に入った」と連絡が入りました。
管理人は、新潟の土地勘がなくて春日連合会イコール糸魚川175Kと距離差を思い込み「3時間後の13時50分に帰還すれば総合優勝!」と思い込み待っていました。
当時は帰還報告の義務があったので正確な情報が流れてきますが、12時を過ぎても、13時を過ぎても連合会には帰還鳩の連絡はないとのこと、管理人は連合会でも一番遠くて近い人とは60Kのハンデがあるのでもうそろそろ入っても良い時間なのに?と思っていました。
管理人の連合会は長距離願望が連盟で一番強くて連合会優勝イコール総合優勝も良くある事なので必ず連合会の人の鳩が早く来ると思って待っていました。
13時20分、30分になっても情報が入らず、予想ではもう「阿賀野川」を鳩が越えていなくてはならないので該当鳩舎がドンドン狭まれてきます。
13時40分を過ぎました。管理人より次に遠い会員とも10K近くある為に該当鳩舎は管理人しか居なくなりました。
管理人は13時50分と心の中で叫びながら、連合会のメンツのために待っていました。横では、管理人の鳩が帰ってくると洗濯物に驚くからと嫁さんが洗濯物を取り込んでいるところでした。
奇跡が起きたのです。丁度13時50分になろうとしてたときに山の方から一羽飛んできました。
管理人は「来た来た来たと大声を上げて」物陰に隠れました。鳩はBCのようでヨレヨレで鳩舎の屋根に止ったので間違いなく管理人の鳩です。「入れ入れと心の中で叫んでいました」やっと入りました、管理人は駆け足で鳩舎に行くと「キョトン」として「82XK01091BC♀」が居ました。
捕まえてゴム輪を抜いて時計に打刻しました。連絡居るために時間を見ると正しく13時50分でした。総合優勝かと思って連合会に連絡すると連合会一番時計で下越地区でも一番時計で一番遠い所が一番時計だから優勝間違いなしと言われましたが総合優勝の話しが出ません。
おかしいなと思いましたが嬉しさの方が大きくて忘れてしまいました。
1000K優勝を目標に再開したのに1シーズン目に目標よりも遠い1100K帰還を達成してしまいました。
夜の審査に行っても総合優勝の話題が出ません。管理人の土地勘のなさで、一番時計の「吉田鳩舎」は高田で距離差は130Kなので15分負けていたのです。
でもそんなことはどうでも良かったことです。初めての参加で連合会225羽中優勝、今の地区連盟で遠くで一番時計、まして天下の「渡辺信男鳩舎」の70羽に勝った言うことで現実ではかんがえられないことが起きていたのです。
審査が始まると、立会いの今はもう飼っていない「Ku鳩舎」から耳打ちされました「菅原さんゴム輪は一個しか付いていなかった」と言うのですヨと小さい声で言われました。
何とゴム輪ケースには一個のゴロ輪しか入っていなかったそうで、今考えると何も知らない新人への配慮が「Ku鳩舎兄」の思いやりに感謝感謝でした。
結果は、福江グランドナショナルレース225羽中優勝751羽中総合7位で管理人の長期離人生のスタートとなりました。
これが、管理人の長距離人生の始まりで「ナッキー系」の始まりです。---これでおわるか?二部に行くかこれから考えますので皆様のご意見も?
昼間は、野暮用で三鳩舎へお邪魔して17時過ぎに帰ってきて夜の給餌をはじめました。
第一、第二選手鳩くんには朝と同じ量の餌を与えると、今回も食い込み良く全部食べ切りました。
給餌を終わらせて家に戻ってきて「ブログ」を書き始めました。
途中で家族皆で夜ご飯を食べてから「龍馬伝」のテレビを観てから再び「ブログ」を書きました。
今日は、初めて「ナッキー系の思い出の鳩」を掲載しましたので長くなってしまいました。スミマセン。
今、21時45分になりましたので、今日はこれからお風呂に入ってから就寝します。
それでは、今日はこの辺で「グッドラック」です。
2010.09.12:
hato
:count(1,132):[
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「思い出の鳩」楽しく読ませていただきました
「ナッキー系の思い出の鳩」楽しく読ませていただきました。ついでに失礼ですが、鳩体の特徴などにも触れていただけたら幸いです。
2010.09.13:趣味の百姓マン:
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