霞城遠望

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 かすかに霞城が確認出来ます。全国きっての智将、会津の上杉景勝の家老直江山城守兼続が、山形城の最上義光を攻めた合戦のおり、最上軍の将、志村伊豆守光安が長谷堂城に拠って、二万数千の大軍の猛攻撃から半月にわたって凌ぎ、城を守り切ったと言われています。中世の城郭跡としてこれだけの虎口や曲輪の跡が残されているの珍しいと言う事です。
2007.11.13:山オヤジ:[■里山の自然]

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