突然・・・

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6月4日(土)  晴れ

 

早起きして大荒沢のお堂へ行った。

様々あって、戸長里のお寺様に話をお聞きし、戻ってからも今日はいろいろと雑事を片づける。

 

母が父の様子がおかしいようだと言う。

このところ、動くのも億劫そうにしており、昼も横になっていることも多いなと私も感じる。

家に戻って、檀家さん宛てに出す文書の印刷をし、発送の準備をする。

 

ちょっと用事と買い物で出かけて、帰宅。

 

明日は田沢地区の大運動会があるのだが、さてどうしたらよいだろうか。

 

 

 

 

 

6月5日(日)  晴れ  朝は肌寒い空気ながら、日中は気温上昇    やや風強し

 

少々寝坊した。

朝食時、父親の顔色が良くなくて、ご飯も「少なくしてけろ」ということで、どうも調子が良くないらしい。

三度のご飯をしっかり、一膳と決めているものの、ちゃんと食べる人なので、調子が良くないのだろう。

母と二人で、具合が悪かったらお医者さんへ行くようにしたら、と言う。

父は「うん」と言わないので、様子を見ることにした。

 

運動会へは行かないで、発送する文書の準備をした。

追って封筒に入れ、シールを張る作業を午前中行った。

 

さて、お昼、父は相変わらずで、特に変わりがないので昼過ぎにちょっと出かけることにした。

川西町のフレンドリープラザへ向かった。

14時過ぎに、母親から電話が入り、父の具合が良くなくて、本人も病院へ行くというので戻ってくるようにとのこと。

家に向かう途中で、姉から電話。

家に行ったら、父が倒れこんでしまったとのことで救急車をよんだとのこと。

 

ようやく家に戻ると、救急車が到着しており、家から担架で搬出されるところだった。

意識はあるようである。

市立病院に運ぶということで、姉が救急車に同乗し私は車で後を追った。

 

到着後は、直ちに診察と検査。

意識はあるので、このところ毎年のように入院の原因になっている肺炎ではないだろうかと思うのだが・・・。

 

とにかく入院となり、自分は入院準備のため一度家に戻り、買い物をして再び病院へ。

検査の結果は、やはり肺炎がだいぶひどくなっており、その治療をすることになる。

ただ、肺炎の原因が特定できるまで2~3日かかるとのことで、その間は薬の効果を試しながら治療するとのこと。

 

父を入院させて、22時頃に帰宅。

隣の病室に従姉の旦那さんが入院していて、またびっくり。

先月上旬に具合が悪くなって治療しているとのことで、本人は元気になってきているようで少し安心した。

 

 

 

 

 

6月6日(月)  晴れ

 

5時半に目が覚めた。

午前中は発送する文書の準備。

その後、用事を足しに役所やスーパー、支払いなどをして帰宅。

 

お昼に帰宅すると、訃報。

友人のご母堂がお亡くなりになった。

以前から、体調を崩されて入院なさっていて、万一の場合のことを相談されていたのだが・・・、その日が来てしまった。

 

午後から、参列しなければならないご葬儀があり、そのあとで伺うことにした。

 

14時から、葬祭ホールで営まれた、私の父親の同級生の葬儀に参列した。

一昨日しらせをもらい、父はお見舞いにも葬儀にも出られそうにないと言い、自分で仏具屋さんにお供えの花を頼んでいた。

昨日の朝、息子さんがわざわざお礼に来てくださった。

 

葬儀を終えてから、通夜ホールのSさんのところへ向かった。

枕経を上げさせていただいて、葬儀日程等の打ち合わせを行って17時30分に帰宅。

合掌

 

母と相方と娘を連れて市立病院へ父の見舞いに行く。

 

酸素マスクはしているものの、意識もあり話すこともできる状態。

肺炎の状態があまり良くないので、今している酸素マスクよりももっと強いものに変えるるとのこと。

 

20時までの面会時間を終えて帰路。

西の空にオレンジ色の大きな光を発見!

いったいなんだろうと、しばし見てしまった。

 

 

 

 

 

6月7日(火) 晴れ

 

午前10時ごろ、母親のかかりつけ医院へ付き添い。

薬局にまわり、お昼には帰宅。

 

病院から、肺炎の状態が良くないため、ICUへ移したと連絡あり。

 

夕刻、一人で市立病院へ。

7階の集中治療室へ。

甥っ子たちがきており、入れ替わりで面会に。

 

甥っ子の一人が「こんなときなんなんだけど、今度店でトムヤムクン・ラーメン始めたんだ」と言う。
可笑しかったが、じいちゃんも食べられる?と聞かれて、「食べられる」と応えていた。

本人の目の力もあるし、「お葬式が出た」と報告すると「たいへんだべげんど、がんばってけろ」と話も出来て、昨日より状態が良いのではないかと感じた。

19時30分までの面会時間なので、「んじゃ、また明日」と言ってみんなで帰ってきた。

 

 

帰宅して、夕食を食べ、風呂に入れて休もうとしていた22時半頃、階下で電話を受けた母に呼ばれる。

父の状態が急変したというので、すぐに支度をして一人で病院へ向かった。

11時10分頃に七階に到着。

心臓マッサージ中で、意識は既になく、血圧も低下していた。

主治医の説明を聞いている途中で、「心停止」の報告。

11時55分 臨終であった。

 

あっけない終わり方に、呆然としてしまった。

間もなく姉たちが到着。

自宅に連絡を取り、とにかく段取りをしなければならないので、姉を残して帰宅し、安置場所などを、必死で片づけ方をする。

もう、日付は改まっている・・・。

 

 

 

 

 

6月8日(水)  晴れ

 

なんとか片づけとお掃除を終えて、病院へ連絡。

4時頃に父の遺体が帰宅し、安置。

葬儀社の方と少々打ち合わせをして、一息つく。

まず、知らせるべき人などを整理して連絡しなければ。

 

とりあえず、6時を待って知らせをすることにした。

必死で片づけして、安置され横たわる父を見ていると、まるで現実感がなく呆然としてしまった。

家族も同じ気持ちなのだろう。

 

6時過ぎて、町内会長さん・隣組長さん・お隣・檀家総代長さんなどにまずは連絡した。

それから、法類の瑞光寺さまに行き、知らせとご相談。

 

帰宅して、葬祭業者さんの担当者の方がおいでになって打ち合わせ。

30代の若い方なのだが、今までも何度かお会いしている、とてもしっかりしている担当者である。

お寺ということもあり、もう一人の方がサブとしてついてくださるとのこと。

 

瑞光寺様に枕経を上げていただき、10時から隣組の皆さんと総代長、代務しているお寺の総代さんも交えて、日程や会場などについて話し合って概要を決定。

 

さて、やるべきことはたくさんある。

どこからてをつけたらよいものか。

 

まずは、夕方にお寺の役員さんがたに集まっていただくことにしてその連絡。

 

この間、とにかく人の出入りもあり、いろんなことがあり過ぎて思い出すことができないぐらい。

弔問の方々は、みな急なことで驚かれた。

そう、私たち家族も本当にびっくりしたんですから。

 

19時から檀家総代・役員の皆さんに集まっていただき、打ち合わせと知らせの作業をしていただいた。21時で一区切りをつけて終了。

 

明日、Sさんのご葬儀を執り行わなければならない。

昨日の朝から全く眠っていないので、準備の途中で強力な睡魔に襲われるも、なんとか準備はできた。

 

 

 

 

 

6月9日(木)  晴れ

 

6時30分より、隣組の方々が町内の知らせを行ってくださった。

 

残っていたお葬式の準備を終えて、10時からの火葬に米沢市斎場に向かった。

火葬のご供養を終えて、帰宅。

 

自宅前の、忌中の掲示が、なんとも言えない。

そう、我が家で葬儀があったのは、昭和47年3月のこと。

祖父が亡くなってから、40年以上も経つ。

 

14時から葬祭ホールでS家のご葬儀。

瑞光寺様に伴僧をお願いしており、何とか無事にお勤めさせていただいた。

S君とそのご家族にもお気遣い頂いた。

檀払いまで参列して、17時に帰宅。

 

弔問の方が、相変わらず来てくださって、いろいろとお話し。

火葬は11日、葬式は15日なので、少しだけ余裕のある時間となった。

 

24時、寝落ちした。

考えてみたら、40時間ぐらい、まともに寝ていなかったんだった。。。

 

 

 

 

 

6月10日(金) 晴れ

 

新聞の朝刊のお悔やみ欄に記事が出たため、電話や弔問の方が続く。

葬祭業者の担当者さんとの打ち合わせも続く。

 

知らせ状、郵送分などまだまだあるため、その作業も続く。

 

お昼に、自分の薬がなくなりそうだったことに気がついて、、主治医に処方だけお願いをして、薬局で薬を出してもらった。

 

16時ごろ、瑞光寺様がおいでになり、打ち合わせと準備。

そして、本山から小僧都から大僧都へ大きく位階を上げていただいたとのこと。

18時から入棺である。

 

入棺を終えて、今夜はちょっとお酒を飲んだ。

いわゆる通夜の晩なのだが、寝てしまった。

 

それにしても、一般の葬儀の場合は3日から長くても5日の間で全て終えるのだから、大変なことだと思う。

 

 

 

 

 

6月11日(土) 晴れ

 

早朝より弔問の方が相次ぐ。

今日は火葬ゆえ、今の父の姿とのお別れである。

 

9時より読経。

9時15分に出棺、お寺の前で町内の方や田沢地区の方々が見送りに来てくださった。

下の町の町内を一回りし、もう一度お寺の前を通って斎場へ向かう。

道端でも、町内の方が見送ってくださった。

人生の大半をこの場所で過ごした父、本当にお別れだ。

 

9時35分に斎場に到着。

瑞光寺様・普門寺様・観音寺様に読経のご供養をしていただいた。

10時より火葬、11時25分に焼きあがった。

たまたま、おいでになっていた千眼寺ご住職がいらして、お骨を拾ってくださった。

 

お骨になった姿を見て、本当にいなくなったんだなと感じる。

とても骨太な人だったんだな。。。

 

12時過ぎに帰宅し昼食。

弔問の方のお相手と、担当者との打ち合わせが続く。

 

残っていた知らせ作業をしていたら、総代さんの一人の方が手伝ってくださってありがたかった。

 

先輩の師から、「ご葬儀で完璧なんてない、ミスがあって当たり前だと思っていいんだ」と言われて気が楽になった。

 

担当者との打ち合わせ。

そして、明日の財団のお祭りの準備を行う。

これは、仕事のお勤めゆえ、予定通りお勤めをさせていただくことにした。

 

 

 

 

 

6月12日(日)  晴れ

 

朝から弔問の方あり。

ご祈祷の準備を終えて、出かけることに。

 

9時に財団の事務所へ行くと、すでに役員の方々など参会者は出発した後だった。

打ち合わせを、ちょっと間違えちゃったか?!

まっすぐ、入田沢 八谷 普洞沢地内のお不動様へ。

9時20分から開始し9時50分まで。

次は八谷の山の神様のお堂へ移動し、10時10分からご祈祷開始、10時45分まで。

上中原の草木塔へ移動し、草木塔供養を行う。

11時から11時40分まで、終えてから財団事務所へ。

ちょうどお昼となり、この後、直会があるのだが、こちらは欠席させていただいて帰宅。

 

午後からは、繰り返し担当者との打ち合わせ、弔問の方もあり。

 

娘を連れて、裏のクワゴ(桑の実)を採りに行った。

うれしそうに、とって食べてみた。

葬儀前なのだけれど、火葬を終えて、一息ついた感はある。

娘もそんな感じをしているのだろう。

 

作業としては、知らせ状の、最後の分を出しとりあえず一服。

それにしても、遺体がなくなり、檀に遺骨と遺影が・・・。

寂しくないと言ったらウソなのだが、でも、遺体としているときとは何かが違う。

お線香を立てて、しみじみしてしまった。

 

導師を務めてくださる瑞光寺様と宗務所長の普門寺様は明日鶴岡へ。

明後日の14日は、宗務所下で醍醐派の管長様をお迎えして準教師の研修会が開催される。

本当にとても忙しい時に当たったものだなぁ。

 

2016.08.23:dentakuji:[なあまず日記]

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