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なごり雪・・・にしては降りすぎ。。。

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3月12日(木) 朝方は雪 やがて晴れて その後また雪

 

久しぶりに雪が積もっており、朝の除雪を行う。

20~30㎝の重たい雪である。

除雪機を出してもよいぐらいなのだけれど、湿気たっぷりのびじゃ雪なのでスノーダンプで。

早朝1時間半、朝食後にまた1時間半。

 

この時期の雪の量としては、けっこうなもので、なごり雪というには多過ぎ!

 

午後からは葬儀があり、参列。

私の姉のご縁で、本来ならば父親が参列するところなのだが、天気の悪さと体調を考慮して、代わりを務めさせていただく。

諷経(ふぎん)という、葬儀における僧侶の立ち場では正式なメンバー以外で参列するつもりであったのだが、菩提寺様のご配慮をいただいて、伴僧とさせていただき、恐縮した。

檀払いまで参列し、その際同じテーブルに、小・中学校時代に毎日一緒に通学した一歳後輩がおり、大いに驚く!

隣組手伝いで、聞けば婿入りしてずっと住んでいるとのこと。

同席しながら、しばらく気がつかないでいて、名乗られて気がついた。。。

よく見ると、笑った顔になごりがある。

中学を卒業してから約40年・・・。

お互いにオヤジになっているわけで、それでも、わかるものだなぁと感心した。

 

夕刻に帰宅し、埼玉で手術を受けている義父が、手術中に予想外の出血があったとの報。

心配ではあるが、とりあえず、落ち着いたとのこと。

 

 

 

 

3月13日(金)  雪 やがて小雨に変わる

 

今朝も積雪があり、10~15㎝ほどか。

1時間半ほどかかってスノーダンプで除雪を行う。

昨夜の連絡を受けて、相方は朝の列車で埼玉の病院へ向かった。

 

午後に、友人の父上の葬儀があるのだが、諸々あって、知人に香典をお願いした。

 

相方は、義父の病状回復や付き添いのこともあって泊まりとなる。

娘にはそのことを少しづつお話しをしてみる。

「わかった」と、なんとなくわかったような顔をで聴いているのだが、果たして、夜になったらどうかなぁと心配だったが、ご飯を食べて、お風呂に入り、いつものとおりミッキーマウスとドナルドダックとグーフィーのビデオを見て就寝。

この間、ママという言葉を発しない。

かえって、それだけ我慢しているのかもしれないなぁと思いながら安堵。

 

 

 

3月14日(土) 曇りから晴れ  風が強く冷たい

 

朝 6時15分に家の電話がなり、出る前に切れる。

この時間の電話は、あまりよい電話ではない確率が高いのだが・・・。

かかってきた電話にかけてみると、兼務しているお寺に墓地を持っている方で、その旦那さんがお亡くなりになったとの連絡だった。正直にもうせば、微妙としか言いようのない気持ちになった。

 

早速支度をして、両親に娘をお願いして、葬祭ホールの通夜室へ向かい、枕経を上げさせていただき打ち合わせを行った。

葬儀は3月17日となった。

 

帰宅してから、娘を大急ぎで園へ。

その足で、福祉施設での会議へ向かい、やや遅れて出席。

 

それにしても、いろんなことが起きる時は、連鎖的に起きるよな気がする。

何にもない時は、ほんとに、なにもないのに。

 

相方は今夜も泊まることになった。

状態は落ち着いたものの、交代で付き添いをして、状況をみているとのこと。

 

夕食は、父ちゃん(私)作のチャーハン。

今日もママはじいちゃんとこにお泊まりだよ、と言うと「わかった」と言う。

二晩ママがいないのはたぶん初めてのこと。
それでも「ママ」と口に出さない。

いい子になって、22時過ぎに無事就寝。

あとは、義父の回復を願うばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

2015.04.17:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

285 『声に出して笑える日本語』

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立川談四楼:著 (光文社知恵の森文庫  2009年4月1刷発行 10月7刷発行)

2015.04.15:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

まる4年。。。

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3月10日(火) 雪が降ったりやんだり だんだん天気が悪くなり、吹雪に

 

午前中は来客などあり、お寺にて過ごす。

雪の降り方がだんだんと強くなってきて、少し積もるような勢いである。

 

午後からは福祉関係の定例会議で三沢コミセンへ。

よねざわ昆虫館が併設されているこの施設は、新しいこともあり、とても魅力的。

昆虫館の入り口付近に、昆虫をモチーフにした作品も展示されていた。

写真の切り絵作品と、あとは羊毛フェルトの作品があって、なかなか良い。

 

夕刻前に、お寺の維持金について、役員さんと相談ともう一件打ち合わせ。

その最中に、電話が通じていないことに気がついた。

最初は、何度かけても相手が話し中で「なんだろな」なんて思っていたら、こっちが止められていたのでした(×_×;
支払ったものとばかり思い込んでいて、気がつかなかった。。。

とても残念なミス。

翌朝早々に支払いに行かねばならぬ。

 

 

 

 

3月11日(水)  雪  日中には晴れたり吹雪いたりという変わりやすいお天気

朝はうっすらと雪が積もった。

10㎝弱というところ、除雪はしないで間に合わせよう。

 

東日本大震災からまる4年経過した。

あの日、14時46分頃は晴れたり曇ったりの天気で、夜に雪が降る寒い日だった。

 

今日は15時から、やまがた草木塔ネットワークの理事会があるので上山の山形大学の出先の研究施設へ。

 

ラジオを聞きながら車で向かい、14時46分をすぐ近くのコンビニ駐車場で迎え、車を停めて黙とう(合掌)。

続いて追悼式典があり、総理のあいさつが始まったのだが・・・。

すぐにスイッチを切った。

会議に出なければならないから、でもあるが・・・、聴くに堪えなかった。。。

 

約1時間半で会議終了。

26年度はたいへん厳しい予算でもあったため、思うような事業を実施することができなかった。

新たに助成金が決定し、新年度は事業も充実することができるだろう。

ただ、中身については、引き続き検討を要するようである。

 

それから山形市へ向かう。

いくつかの用事と、文翔館で催される慰霊の灯火を見たかったからだ。

小雪が舞う寒いお天気。

今年、自分が山形市に来る時はいつも雪が降るときばかり・・・。

文翔館前では、けっこうな人が集まっているが、粛々と灯火が灯されていた。

蜜蝋の灯火はやわらかな灯りだ。

 

灯火に背を向けて、七日町方面を眺める。

4年前の3月11日、今頃の時間は、街中の明かりもなくて、不安で頼りない思いでいっぱいの夜だった。

山形市や米沢市は大きな被害が無かったのに、それでも怖かった。

被災した地域の人々の不安は計り知れない。

 

今、街中は以前と同じように賑やかで、灯りに満ちている。

でもまだまだ問題はいっぱいあり、大変な思いをしている人もたくさんいる現実がある。

しかも、原発の収束や、帰れない多くの人達の帰還の目途が立たないのに、一方で、5年後には東京でオリンピックを開催するという。

この国は、忘れてはいけないことから目をそらし、どこか優先順位を間違えてはいないのだろうか。

そんな思いがこみ上げて来て、虚しさも感じる。

 

19時、帰途につき、従兄弟が入所している老人ホームに立ち寄り、30分ほど面会し、夕食を摂って米沢へ。

あいかわらず雪は降る。

しかし、舘山から田沢に向かったとたんに雪の量が、まったく違うので驚いた。

国道121号は、10㎝近い積雪で轍ができていた。

これほどちがうのか・・・。

明日の朝は、除雪をしなけりゃいけないのかな。

21時30分、帰宅。

 

 

 

 

 

2015.04.14:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

とうとう交換

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3月7日(土) 晴れ  

 

午前中に明日のお勤めの準備を行う。
具体的には、ご祈祷用のお札や次第と祈願文などを書く。

 

お天気が続き、どんどん雪が融けてゆく。

 

午後から、法事用のお供物と花を買いに出かける。

知り合いの花屋さんで買い物をして、帰ろうとしたら、クルマのイグニッションが弱々しい音でエンジンがかからない。

あらら・・・。

幸い店主の車が大きくて、本人もいらしたので、私のブースターケーブルでバッテリーにつないでエンジンがかかった。

また助かった・・けれど、これで4回目!

もう限界。

いままでバッテリー上がった場所が好運だったが、もういつどこでなるかわからない。

GSを経営している友人にお願いして、バッテリーを交換することにした。

 

夜は、長井市内で「ほんきこ。」読書会。

父親のマーチを借りて出かける。

つつじ公園脇の「ココット」というお店で開催。

個人で経営なさってる昔風のファミリーレストランという趣のお店で、とても懐かしい感じがする。

こういうお店がだんだん少なくなってきてるから貴重。

 

今月の参加者は8人。

担当者のIさんが選んだテーマは「スパイシー」

Iさんはライトノベルを出している作家でもある。

それぞれのスパイシーな「本」を紹介し、約3時間余り。

お酒なしでも、盛り上がれます。

 

22時30分に帰宅。

相方と娘はすでに就寝。

読書会の余韻を味わいつつ、明日の準備を少し行い、そのまま炬燵で寝てしまった。。。

 

 

 

3月8日(日)  曇り時々小雨  風が冷たい

 

炬燵で、早く目が覚めた。

早朝に大荒沢へ向かうつもりでいたのだが、まだ準備があることが判り、大慌てで準備。

 

9時より、新たに開設する事務所のご祈祷である。

なにしろ、4年に一度のこと。

手抜かりなく無事にできますようにご祈願を行う。

 

それを終えるとすぐにお寺に戻り、11時からの法事に駆けつける。

百ヶ日の法要を終え、お斎をいただき、今後のことなどを相談をし、14時過ぎに帰宅。

 

どえっとして、珍しく昼寝をしてしまった。

どうにも本日の大荒沢登拝は無理と判断して休養。

おまけに町内会の役員会が夜るあることをすっかり忘れてしまい、欠席。。。

本日終了。

 

 

 

3月9日(月)  曇りのち晴れ  午後から雨になり  夜 雪になった

 

 

ちょっこら寝坊。

午前中は母親の通院の付き添い。

母の足腰はだいぶ弱り、病院内は車椅子でないと無理になってしまったのだ。

病院玄関に母親を下ろして、向かい側の駐車場へ。

駐車場はほぼ満車なのだが、幸い数分待つだけで入車できた。

また急いで玄関に戻り病院内へ入り受付・・・、というようになかなか慌ただしいのだ。

 

病院駐車場入り口で、久しぶりに会う二人の女性が立ち話していて会った。

旦那さんや公民館活動などを通して、よくいろんな場面でお世話になったり、いっしょに遊んだりしていたもので、少し話したかったのだが、「また~」ということで。

 

午後1時ごろ帰宅。

 

いくつか用務を終えて、夕刻に友人のGSへ行きバッテリを交換してもらった。

5~6年前に交換したものと思っていたのだが、品番からして10年間換えていないとのこと。

あらま。

とにかくこれで安心。

しかも格安にしてもらい感謝。

 

夕刻、相方と娘が帰宅。

義父が今週、埼玉県の病院で手術を行うとのこと。

遠くてたいへんだろうと思うのだが、本人が希望してとのことなので、無事に終えてもらいたいものだ。

 


 

 

 

2015.04.13:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

お月夜にタヌキが

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3月5日(木)  曇り のち晴れ  午後から小雨となり夕刻に小雪に変わった

 

朝、電話で事故の問い合わせがあったが知らないでいた。

方々尋ねて、調べてみたところ、矢子地内の国道121号線で大型トラックに高齢の男性が轢かれて亡くなったらしい。

場所は、米沢から田沢地区に入る手前で、住所がちょうどそこから口田沢になっているものの、地域としては矢子で西部小学校学区の地区である。

 

身元が不明で、行方不明の捜索願が出ていないかどうかなど、調査中とのこと。
認知症の方ではないかなどの情報もあるが定かではない。

 

最近感じていたのは、このところ121号は大型車の通行量が増えたなぁということ。

歩道との間にある雪の壁があるため、道巾が狭くなっており、車で走っていても怖いなぁと感ずることもあるぐらいだ。

東日本壇震災以降増えたことは確実だし、この冬、他の山岳道路で雪崩や土砂崩れ等による通行止が影響しているのではないかと想像している。

この度は、大型トラックの運転手には過失があるかどうか解らないけれど、お互いに気をつけなければならない。

 

午前中からJAへ手続き等で出かける。

お天気が良くなり、米沢の街中にも、日陰以外にはほとんど雪が無くなったようだ。

 

夕刻、娘を園に迎えに行って帰り、家の前に車を停めてふと外を見ると、水場で何か動くものがいる。

娘「にゃんこいる!」

私「うん・・・いやまてまて、ちょっと大きいぞ!」

月がぼんやり出ている、車のヘッドライトは消し、フォグランプの明かりだけ。
ライトをつけると逃げてしまうかもしれないので、そのままの状態で目を凝らす!

私「狸だよ!」
娘「タヌキ?!」

私「んだ!たぬきさん水を飲んでいるよ」

水場の蛇口は閉じているが、そこに屋根からの雨樋を伝って水がはけるようになっている。その水を一心不乱に飲んでいるようなのだ。

娘はタヌキで大盛り上がり。

私は、その後、なぜかお腹の調子が悪くなり・・・。

本日終了。

 

 

 

 

3月6日(金)  晴れ    満月

 

朝方はうっすらと雪が積もっていた。

今日は祖父であり、34代住職 教順の命日。

43年目かな。

その年は、ほんとに雪が少ない冬だった。

異常ともいえるぐらいと、当時5年生のわたしにも記憶がある。

「おじいちゃんは、偉い人だった」と言われる機会が多かった。

「は」が気になるところですけども・・・(^^;

他人のために自分を犠牲にできるというようなことと、物腰の柔らかさとユーモアのセンスがあったのだと想像している。

私の子どもの頃の記憶でもそんな感じである。

ただし、家庭教育も大事なことだから、子どもたちのことも祖父に責任があるわかで、そこのところが身内としては微妙なところ。
子どもと孫の不始末を一代とばしていろいろする巡り合わせになったりするのも、不思議なものだ。
そう考えると、人物の評価と言うのは難しい。

 

ぼちぼちと月末に催す 大般若会の準備。

住職にせかされて、案内のはがきを作成し印刷を行う。

 

満月の夜、夕食にお好み焼きをホットプレートで!

娘はとても喜び、一日を終えた。

2015.04.10:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]