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イタタタタ!

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5月24日(日)  晴れ  暑くなった

 

朝起きて、喉の調子がちょっとおかしいような・・・。

今日のご法事などの準備を行ってから、7時から町内の家屋解体をなさる家にご祈祷に行く。

 

喉の調子は思ったほど悪くはなく、無事に終了。

着どころ寝はほんとによくない(反省)。。。

 

 

続いて、町内の公民館お掃除。

今月が私たちの隣組の当番が当った。

町内には六つの隣組があるので、年に2回当ることになっている。

 

 

続いて10時半から、町内の檀家さんのお宅でご法事。

今日は全面的に、町内です(^^)

近所で子どもの頃から親しんでいたお店のばあちゃんの13回忌。

いつ行ってもニコニコして迎えてくれたっけなぁ、そんな記憶がどうしても浮かんでくる。

町内で過ごした子供の頃の思い出って、ちゃんと残っているものだ。

 

ご法事のお斎を、市街地のお店でいただいた。

送り迎えを貰って、お酒もごちそうになった。

 

朝、解体のご祈祷をした家もそこに住んでいたこと。。。 子どもの頃の公民館っていうか集会所はしたが共同の農作業場で、急階段を登って2階が集会室だったっけ。。。 子どもの頃2軒あったお店は両方ともとうにやめてしまった。。。

帰宅して休んでいたら、そんな思い出に浸ってしまった。

 

 

 

 

 

5月25日(月)  晴れ  夕刻にちょっとパラパラ雨

 

娘は保育園に行かない!という。

土・日曜日、実家で楽しく過ごしてきたからなぁ。

外でちょっとシャボン玉飛ばしをして気分を換えてから出発。

 

その時、地面をもそもそ動く毛虫発見。

これは、マイマイ蛾の毛虫だな!

その辺りを見ると、いっぱいいるじゃないか!!!

う~む。

いるいる、あちこちの葉っぱにもいる。

家の軒先にもぶら下がっている。。。

そこで、保育園から戻って退治をしてみる。

で、大玄関の軒先に糸でブラブラと毛虫が下がっており、こうして移動も可能なのだなぁ。

手で払っていたら、一匹だけひょいと上昇して行ったので、追いかけるように軽くジャンプしたら・・・、ズーン!!!

うっ、痛ってぇ。。。。。

玄関のサッシの上部にしたたか頭を打ち付けた・・・らしい。

額のちょっと上、手をやってみると、ちょこっと血が滲んでいるものの、大きな傷ではないようではある。

クラクラしないし、気分も悪くないようだ。

大丈夫・・・だと思う(思いたい)。

 

鏡を見ると、ジワッと滲んできて、髪が無いから隠しようないしなぁ、絆創膏張ったら目立つしなぁ。

 

それでも出かける用があるため、そのままで行く。

親しい人は「おっ、どうした」「なんだ?血が出ったぞ!」「だいじょうぶが?!」などなど声をかけてくださる。半分心配、半分おもしろげでもある?!

 

いちいち釈明しながら、マイマイ蛾の毛虫の害についてお話をする。

やれやれ。

コンビニなどの知らない人と会う場所だと、「なんだなんだ?!」という表情をする人が多く、見ないふりをしてくださる。

 

 

夕刻、福祉法人の会議に出席。

もう、かたぴた(かさぶた)になっており、黒っぽくて目立つ。

「知っているかたは、なにしやった?」と尋ねる。

またまたご説明。

もう笑う余裕はあるが、なんと打ちつけたところがこぶ状に腫れて盛り上がって来ている。

ちょうど、山伏のトキンのような場所であります。

 

会議から帰宅。

やれやれな一日になってしまった。

 

 

 

 

5月26日(火)  晴れ

 

午前中からお昼、事務処理をして、月末の支払い等へ出かける。

頭は相変わらずだが、こぶは少々目立たなくなったみたい。

 

15時から市民憲章団体の総会と表彰式が市内のホテルであり出席。

道路愛護会と衛生組合支部、地元の2団体が受賞。

どちらも道路清掃を永年続けられており、それが認められて、たいへん良かったと思う。

 

会議を終えてから保育園へ娘を迎えに行き、帰宅。

途中で娘の夏に履くサンダルを購入。

 

本日の任務完了。

 

 

 

 

 

2015.06.07:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

292  『ふむふむ  -おしえて、お仕事!-』

  • 292  『ふむふむ  -おしえて、お仕事!-』

三浦しをん:著 (新潮文庫  2015年5月発行)

2015.06.05:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

大汗かきかき

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5月22日(金)  晴れ

 

今日は保育園の遠足があり、母子で参加、リナワールドへ。

私は残念ながら断念。

午前中、市の民生委員会の総会があるのだが、こちらも申し訳ないけれど欠席。

福祉に関わる件で、かねてから予定をしていた家庭と施設を尋ねて相談があり、そちらを優先した。

自分は案外不器用で、一つのことが終わらないとなかなか前に進まなかったりするので、自分でも歯がゆく感じることがある。

 

そして、明日の準備がまだ残っている。

旧時沢小学校を舞台に行われる、大人のための学校のオープンキャンパスの模擬授業の準備。

関連のある書籍をさがし、話をまとめたりで時間を費やす。

授業では、PCとプロジェクターも使えるということなのだけれど、今回は全くアナログでやってみようと思う。

A4の資料と、草木塔と刻んだ石塔を持ちこむことにする。

 

夕刻、母子は無事に帰宅。

お天気に恵まれ楽しかった様子で、ミニコースターに乗ったことメリーゴーランドが面白くて6回も乗ったこと、なだなど話したいことがいっぱいあるらしい。

なかなか言葉にできなくて「あのね~、あのね~」を連発する。

こういう漫才があったよな。

可笑しくてしょうがない。

 

疲れて早く眠るだろうと思ったら、興奮しているのかいつもより30分遅い就寝になった。

いい夢見られるなきっと。

 

 

 

 

 

5月23日(土) 晴れ  時々薄曇り

 

早起きして、今日のオープンキャンパスの資料をチェックして、予習。

午前中に資料を印刷して準備。

出かける前に来客があり、出発が遅れてしまった。

 

全体の開会は13時から。

模擬授業が始まるのが14時30分からなので、とりあえずそこまでに到着できればよいのだが。

 

13時40分に到着。

すでに、開会行事を終え、メインの全体講演が体育館で始まっていた。

お聴きすればよいのだが、準備もあるのでそこには加わらず、30㎝ほどの大きさながら重たい草木塔を背負って教室へ。

そこはかつて図書室として使われていた教室。

いいなぁ。本棚とまだ本もけっこう残っている。

この教室では、前半は家庭科で、後半を道徳の授業となる。

 

やがて、14時半から前半の授業が始まる。

私は、受け持つ教室とそこから近い並びの教室でお話しをお聴きした。

最初の家庭科では、料理の研究と指導を専門になさっている女性の方が、やはりアナログで、しかもソースと酢でできる卵を試食させていただいて、なんだか得をした感じ。

あとは社会と生活科。

プロジェクターを使った授業で、さすが、という感じ。

 

さて、いよいよ私の番。

ここにきて、なんでこれ引き受けちゃったんだろう、と暗い気持ちになった。

とてもすごい肩書を持った方々ばっかりなんだもの。

 

でも、ここまできたらやるしかないものね。

移動時間の5分を含めた15分で、正味10分のお話し。

 

3回の模擬授業で、二十数名の方が聴講してくださった。

一回目終えると、次はこうしようとか、少しづつ変化する。

参加されている顔ぶれを見て、質問をしたりで、3回とも別な話になっちゃったかも(^^;

大汗かきかき、とにかく終了。

 

「道徳って何だろう?」という、考えてみれば身も蓋もないお話しで、申し訳ないのだけれどもね。

参加した方からもお話しをきいて、なるほどということがたくさんあった。

秋からの本番に向けて、少し方向性は見えてきた・・・かも。

 

このあと、屋外でドローンを飛ばすので、観たいと思っていたのだけれど、参加していた方と話しているうちに時間が過ぎて、外に出たら終わっていた。

まぁ、いろんな意味で話題のドローン、これを見に来た人はずいぶんいたようだった。

 

 

終了後、近くのレストラン フルール ド ソレイユ で懇親会。

 

じつはこの日の夜、川西町では落語、長井市では黒獅子祭りが行わる。

両方ともいきたいイイベントなのあります。

懇親会も参加したいし、ということで出した答えは、懇親会はノンアルで参加し、そこから長井へ向かうというもの。

 

ところが、美味しいお料理で高畠のワインを飲まない・・・、というのはあまりにも酷でした。

少数派のノンアルグループで、指をくわえて見てるのは辛いですな。

それでも、未知の方と知り合いになれて、よい機会となりました。

 

8時前に中締めして、新幹線で帰られる方は送迎のバスで高畠駅へ、高畠に宿泊される方、地域の方々、それぞれいろんな方がいらっしゃいます。

私はしばし、呆然と見送りながら、帰途へ。

 

あ~、今日は勉強になった、とううより、勉強しなくちゃ!と思いしらされた日だった。

がんばりましょうね。

 

2015.06.04:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

その場に立ってみる

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5月20日(水)  晴れ

 

大荒沢へ御堂などの様子を見に行く。

手前の林道をふさいでいた倒木は、誰かによってざっくりと片付けられていた。

水道の水源があるから、そちらの方でしてくださったものかどうか。

とりあえず通行可能になって助かった。

 

その足で、コミセン裏に咲いているクマガイソウを見に行き、自彊会の事務所へ。

クマガイソウはおおかた終わりに近づいてきたが、まだいくつか花を咲かせていた。

株数はやはり増えていないようである。

 

自彊会の事務所にいると、コミセンに戦没者の忠魂碑について調べている人が来たとのことで、紹介あってお話しをお聞きした。

自分は忠魂碑についてあまり詳しいわけではないが、毎年合同慰霊祭に参加して、伝え聞いていることをお話しした。

熱心な方で、私よりもずっと詳しい人がいるので、次の機会にまた、ということにさせていただいた。

 

 

 

 

 

5月21日(木)  朝方に小雨  後に晴れて気温上昇  やや風強し

 

6時から、隣の町内でご祈祷。

太陽光発電の設備をなさるということで、私が想像していたよりだいぶ大がかりなもののようである。身近にこうしたことが始まり、面白いことだ。

 

娘を保育園へ送る。

少しづつ少しづつ慣れてきてはいるものの、まだ自分より大きな子たちが園庭でがやがや遊んでいるとビビっている様子がわかる。

親子って似るものだ(^^;

一人っ子でもあるし、近所に子どもも少ないし、ここで慣れるよりないのだなぁ。

 

 

続いて、10時半より墓地を建てるためのご祈祷。

兼務しているお寺の墓地へ。

百ヶ日に埋葬なさる予定で工事が始まる。

 

 

午後は、高畠町の時沢へ行く。

23日に、旧時沢小学校で行われる、ある事業へ参加することになっており、一応下見に。

校舎内ではまだ木工事が行われているものの、着々と準備されていた。

事務室に伺ったら、以前市役所に勤めていた見覚えがある人がおりビックリ。

早期退職して、こちらのプロジェクトに関わってらっしゃる。

校内を見せていただき、当日の流れなどをお聞きしたら、自分として気持ちも高まってきた。

おとなの学校として秋にスタートするこの企画の、オープンキャンパスがよく翌日に開かれる。

小学校にある科目の授業を「いろんな方が先生役となり開講する。

じつは、なぜか私が道徳の授業をすることになっている・・・。

道徳ですよ(^^;

 

ということで、とりあえず、雰囲気を感じて時沢を後にした。

帰途、高畠町のお世話になっている方のお宅に立ち寄り、娘のお迎えをして帰宅。

 

明後日の「道徳」の授業について、おおかた方向性はまとまってきた。

とはいうものの、自分の道徳の授業を受けた体験が、どうしてもはっきりしなくて、イメージがかたまらない。

今日、現場に行って見て、少し感じたことがあるので、話をまとめて行こう。

 

 

 

2015.06.03:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

思いだしながら・・・

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5月17日(日)  晴れ   午前中、昼前から強い風ながら気温上昇

 

早起きしてご法事の準備。

まずは、米沢市内のお宅へ伺ってご供養、7時から。

 

帰宅して、10時からのご法事に出かける前に、戒名を考える。

というのは、明日、東京からお寺にいらしてご葬儀をなされる方がある。

事情があって、1月に亡くなられた方はお一人で暮らしていらして、火葬のみ終えられていた。

その後、ご遺族でこちらに来て葬儀を行い埋葬するということになったのです。

 

なにしろ、だいぶ前に一度お会いしたぐらいの方で、送っていただいたプロフィールや、ご兄妹と電話で話した時にお聞きしたエピソードを基に考えるというわけで、なかなかこれ!という文字や言葉が出てこないのです。 

 

市内へ10時からのご法事に出かけ、また11時からのお寺でのご法事に戻って来る。

またも、10分ほど遅れてしまったものの、なんとか3座目を終えることができた。

小野川温泉の高砂屋さんで食事をいただき、送り迎えをしていただいたので、お酒も少々ごちそうになってしまった。

 

午後はしばし休憩(っていうか昼寝になってしまった)。。。

 

夕刻から、また明日の準備を開始。

 

町内の運動会の選手選考の会合があるのだけれど、申し訳けないが欠席させてもらった。。。

 

 

 

 

 

5月18日(月)  晴れ  気温上昇   夕刻になって曇り

 

早起きして、ようやく、これ!という言葉と文字を掴むことができた。

いやはや、難産だった。。。

 

6時頃から、久しぶりに朝の散歩に出かけた。

今日は、大舟方面へ向かって、逆沢の溜め池(養鯉場)までの片道1.2kmほど。

ちょうど牧場付近で戻ろうと思ったら、向こう側から私よりちょっと先輩の姉妹があるいて来て、「おはようございます!」のあいさつを交わしたら、もう少し行かなけりゃいけないような気になって、池の堤防まで行ってしまった。

お二人は、朝や夕方いつも家族などとウォーキングしている。

私も見習わなくちゃ。

 

帰宅して掃除などの準備を行い、10時30分からご遺族ご親族がお集まりになって、葬儀を執り行った。

その後、お墓に納骨なさるということ。

息子さんや妹さん達に、なんとなく落ち着いた、と言っていただきよかったと思う。

無事に、故郷のお墓に埋葬なされました。

合掌

 

 

午後からは米沢の法務局へ。

近年ずっと行ってなかったので、先ず場所が別になったことと、なかなか素敵な建物になっていたのには驚いた。

墓地に関する件で調べ物をして、いろいろ解って助かった。

役所もこんなふうな施設になってきたんだなと感心した。

 

 

 

 

5月19日(火)  小雨のち曇り  やがて晴れ

 

家屋の雪害があるため、工務店さんが見積もりにきてくれた。

今年は、建物の西と北の取り付けの所の屋根が痛んだ。

12月最初の大雪が相当たまって、落下したりしたため、軒だけでなく屋根の構造材まで一部やられてしまっているようだ。

急勾配の屋根と、取り付け部分の関係で雪が溜まりやすいのだ。

将来は、これを解消しないと大変だと思う。

 

娘を保育園に送るのだが・・・、三日ほど休んだので、登園を嫌がりやっとこさ連れてった。

 

一旦戻って、米沢市内東部へ屋敷神様のお祭のお勤めへ行く。

 

この日の午後からは「田沢地区の蒼空地区委員会 50回記念行事」というのがあり、ご案内いただいた。申し訳ないが欠席。

「蒼空地区委員会」とは、田沢地区の名物行事となっているもの。

昭和41年に、国道121号線大峠道路の早期改修の要望活動として、地元代議士さんや県議さん、行政関係者を招いて、当時まだあった三沢西部小学校八谷分校で開催されたのが始まり。

屋外で、地元の山菜料理を食べながら、懇談するというもので、地区委員さんや集落の方々などで、現在のようなおおがかりなものでなく、それほど多くない人数でスタートした。

その後、場所を変えつつ、基本的には入田沢地区の野外で山菜が旬の五月下旬あたりに継続してきた。

年々人数が増え、山菜採りからお料理まで、地元の方々などが、幅広く協力をしながら実施し続けてきたもの。

それで、道路だけではなく、地区の問題点などの各種要望をする場にもなって行った。

たいへん良い空気の中で、山菜料理に舌鼓を打ちながら懇談するということで、外侮からのお客様には喜んで来ていただいたようである。

 

自分も、平成3年から約20年間関わりつづけた。

道路開通前の数年間は、大峠トンネルの福島側の大桧沢橋の上で開催だった。私も、平成3年と4年に、まだ暗いトンネルの中を、特別の許可を得てマイクロバスや鍋釜を積んだトラックで、約20キロ近い道を走って行った。

 

平成4年に開通後は、場所を公民館の野外などに移して、基本的には要望と懇談の場として、その後25年ほど続いてきたわけだ。

 

 

屋敷神様のお祭りから戻ると、ちょうど福島に棲む友人がわが家に到着した。

大学時代の同級生で、浪江町の大きな寺の住職。

浪江は、震災と原発事故の被害を受けて、全町内居住できない区域になっており、現在は福島市内に仮住まいをしてお寺の活動も続けている。

会うのは2年ぶりぐらいになるだろうか。

ともかく元気ではあるものの、先行きの見通しが立たないことが、やはり問題であろうと思う。

彼の父親である先代の住職は、私たちが学生時代の頃(約30年前)から、原発の危険性についてしっかりとした意見を持っておられた。しかし、浪江を含む近隣町村には多くのお金がばらまかれ、関連して大きな雇用を生むものでもあることから、彼の父親のようなそうしたことを危惧する意見に対しては蓋がされてきたようなものだったと思う。

今こうなってみて、多くの町民が方々に四散してしまい、帰ることができる見込みすら立たないときに、初めて彼の父親の危惧が本当に正しかったと言えるのだが、無念なことだ。

 

彼の子どもは二人とも学生となり、都会で暮らし、夫婦2人暮らしをしているとのこと。

「愚痴聞かせてわるかったな。また、そのうち!」ということで帰って行った。

 

 

さて、蒼空地区委員会記念祝賀行事は、吉村知事もお出でになり、盛会裏に終えたようでなによりであった。

翌日、当日の記念のパンフと記念品が各戸に届いた。

で、パンフを見て、ちょっとがっかり。

というより、ざんねんな感じ。

表紙が大峠トンネルで、中身はその開通に関することだけだったからだ。

それは大きな成果であることは間違いないのだが、それから23年もたっているし、蒼空地区委員会の成果はもっともっと他にもあるのになぁと思える。

 

とにかく、50回(一年に2回したことがあったので50回とのこと)。

自分が関わってきた後半の二十数回について、お風呂に入って寝るまでに少し思い出してみた。

あんな人、こんな人、いろんな人との出会いがあったけなぁと懐かしく感じた。

 

 

 

 

 

2015.06.02:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]