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下降線

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12月13日(日)  曇り 時々晴れ間  昼過ぎから雨が降ったりやんだり

 

昨日の疲れをちょこっと引きずりつつ、早起きして本堂の片付けと清掃と準備。

 

11時から、お寺の本堂にてお葬式。

近親者のみによるご葬儀。

お寺でのお葬式は、少なくなっており、今年は2度めだろうか。

自分がお寺に戻って来てからの約30年で、会場も含めて大きく変わってきたことを実感する。

当時は、お寺備え付けの祭壇を準備するなど、前日からその段取りがなかなか大変なものだった。

その点、葬祭専門のホールが主流となんてきたここ10年余り。

楽にはなったものの、それなりに費用もかかることだろうし、お寺と檀家さんとの関係も昔より希薄になってきているのではないかと感じる。

 

さて、お昼までに無事に葬儀を終えた。

天気もなんとか保ったので、納骨を行うことができた。

 

午後は、一息ついて本堂を元に戻して、お掃除して終了。

 

 

 

 

 

12月14日(月)  曇りのち晴れ

 

今日は友引。

明日のお葬式の準備でほぼ一日終えた。

 

夕方、用事を終えて帰宅すると、ピザ作りをしていた。

捏ね終えた生地を、のし棒で器用に伸ばしているのが面白い。

このところ、これが面白くて仕方がないらしい。

 

 

 

 

 

12月15日(火)  晴れ   朝は深い霧に包まれていた

 

早起きして、今日のご葬儀の準備残りを終えた。

朝がとても暗い。

霧が出ているのもそうだし、周囲に雪がないので、よけい暗く感じるような気がする。

 

10時より、米沢の斎場にて火葬。

9時40分に到着し、ご供養。

ご親族が多くいらして、93歳で大往生なさったおばあちゃんをお見送りした。

 

11時前に帰宅。

ちょうど、豆いちのご主人が「まどか万頭」を届けてくださっていた。

甘いものが欲しいと思っていたところに、思いがけぬ頂き物で、嬉しかった。

 

 

14時より、ファミリー葬を専門に行うホールでご葬儀。

僧侶は導師の私一人。

喉の調子が本調子ではないので、少々つらいのだけれども、なんとか忌中法要まで終えることができた。

檀払いを終えて、17時30分に帰宅。

 

この一週間で3件のお葬式というのは、今までお寺に戻ってからは経験がない。
住職が無理できない状況になってからは、おおかた一人で準備等を行うようになって、慣れてきてはいるもののこの度はさすがに身体が疲れていることを感じる。

 

とにもかくにも、ご葬儀を出される檀家さんがいちばんたいへんなわけで、まず、滞りなく終えたこと安心し、早目に就寝した。

 

 

 

 

 

12月16日(水)  晴れ  のち曇り 時々小雨

 

12月も半ばだというのに、雪は降らないし、今日は寒くもない。

7時から、お隣の集落の檀家さん宅にて、引越しに関わる、仏壇移動のご供養。

引っ越しにはとても好い日だ。

が、じつはこの家の奥さまの実家のお母さんが直近にお亡くなりになり、ご葬儀を終えたばかり。

この日に合わせて引っ越しの段取りをなさって、雪がいつ降ってもおかしくない時期でもあるので、とにかく今日行うということになった。

 

なにしろ、そういう騒ぎがあった時は、みんな何かしら気疲れや体の疲れがあるものです。

気をつけて、気をもまないでなさってください、と申し上げた。

 

帰宅し、娘を園に送って、10時から、芸術文化団体の会議。

出版物2件についての編集会議。がお昼まで。

大沼デパート6階にある事務所は、近々引っ越し予定とのことで、なかなか大変。

会議を終えてから、久しぶりに平和通り近辺を散歩して見た。

建設中の複合文化施設は、だいぶカタチが見えてきた。

いろいろあったけど、なんとか完成する。

せっかくの図書館とギャラリー等の施設、この界隈もこれを活かして街のにぎわいが出るようにしてほしいと思う。

 

午後に帰宅し、用事を終えてから、娘のお迎えに行く。

今日は相方が遅いので、子守り。

それにしても、咳がだんだんひどくなっている。

ずいぶん喉を使ったせいもあるけれど、どうもいけない。

また医師に診てもらった方がよいのだろかと、ちょっと心配になってきた。

 

 

 

 

 

12月17日(木)  雪が少々  曇りから小雨

 

朝はうっすらと雪化粧。

除雪するほどは降らない。

 

夜中から朝方、咳がひどく、疲れる。

 

マスクをしっかりして、娘を園に送り、今日は基本的に休養日。

 

夕刻前に、知り合いの洋菓子屋さんに行き、ケーキを注文。

12月初めの、同じ町内の火災以降、なかなか来られずにいた。

とにかく元気でいらしたので安心した。

 

帰宅したら、娘が相方に教わって蒸しパンを作っていた。

ピザの次は蒸しパンですか(^^)

 

帰宅後、咳のほかに寒気を感じ、不調。

お父ちゃんが入らないとお風呂に入らない、という娘と風呂をお休みして就寝。

 

明日はかかり付けの先生に診てもらおう。

 

 

2016.01.14:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

重なります

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12月10日(木)  晴れ  今季いちばんの冷え込みかも  最低気温 氷点下3.4℃

 

昨日の疲れが残っており、娘を園に送って、午前中は休息。

今朝は冷え込みが強く、雪のない畑や田んぼは霜で白くなっていた。

 

自分のクルマの車検が近づいている。

午後から、いつもお世話になっているディーラー店へ行き、見積もりなどを出してもらうことに。

 

しばし時間がかかって、出てきた見積もりは・・・(@_@;

う~ん。。。

なにしろ12年目を迎え、23万㎞走ってる車だからなぁ。

車検を通すだけ通しても、ブレーキ等の部品の交換は近々必須!ということで・・・うむむ。

買い換えた方が良いのでは・・・という提案。

ディーラーさんだから、それはそうなんだろうけども、こっちもかなり走っていて、前回車検も足回りなどの交換などでお金がかかっていることも承知。

 

とりあえず、家に帰って検討することに。

しっかり、お勧めのクルマのカタログも預けていただき(^^;

今のクルマ、使い勝手もよく気に入っているだけになぁ。

 

暗くなってから帰宅。

檀家さんからの訃報が待っていた。

葬儀屋さんの担当者から再度電話があり、段取りの関係上、明日早目に枕経をお願いしたいとのこと。

 

早目に就寝することに。

 

 

 

 

 

12月11日(金)  雨  時折強い雨になる

 

娘を早めに園に送ってから、米沢市内の通夜場に向かう。

どうも、季節柄かどうか、亡くなられる方が多いらしい。

ご供養とその後、打ち合わせを行い、日曜日にお寺での葬儀となった。

 

お昼に帰宅。

 

午後は、お寺で新車を購入された方の交通安全祈願のご祈祷をさせていただいた。

長年 都会で暮らしておられた方で、車が必要でなく、こちらに来てから免許を取得された方。

田舎では車なしで暮らすのはなかなか大変ですからね。

 

夕刻にかかりつけの医院へ。

通常の薬を処方していただく日なのだけれど、ずうっと喉の調子が良くなくてそこらへんもお話しした。

PM2.5飛散の影響があるらしく、感染症でない喉の調子が良くない人が多いらしい。

 

帰宅すると、檀家さんからまた訃報。

続きますね。

夕食を摂って、20時30分に枕経にお宅に伺う。

打ち合わせを終え、15日にご葬儀と決まり、22時過ぎに帰宅となった。

 

さぁ~て、明日は 大人の学校の授業があるし、いろいろ準備もたいへんだ。

さてさてさて、重なる時は重なるものだ。

 

 

 

 

 

12月12日(土)  晴れ  朝夕冷え込み強し

 

朝方というか、夜中に近い時間に起きだして、いろいろ準備。

もう、今日とここ数日の予定を事を考えると、するいことがもういっぱい過ぎて、はんばげてしまいそうだ。

 

9時から米沢斎場にて火葬。

ごくごく身内だけのお見送り、ゆっくりとご供養させていただきました。

 

斎場から寺に戻ってから、次は午後の準備というかおさらい。

 

13時30分から高畠町時沢の、廃校になった旧時沢小学校を利用した大人の学校で、「道徳」の授業を行うのだ。

「道徳」です。

私は教師ではありませんし、道徳の専門家でもありませんが、なぜかこういうことに。

12時30分頃に時沢に到着。

ここの授業の様子はネット配信されるのだが、私は完全なアナログ授業を予定している。

どうするのかなぁ、事務局の方にはご苦労をかけます。

おまけに、この日、廃校舎利用の事例研修とかで、山形市から視察の方々がお出でになっている。

なにも、もっともアナログな私の時でなくてもよかったのにね。(^^;

1時間目が私が担当する道徳。

2時間目は理科で、有名な会社の社長さんで、研究所の職員の方も多数。

3時間目は、北海道のベンチャービジネス会社の社長さん。

 

私は・・・田沢寺の副住職。

なんで引き受けちゃったんだろう。。。

 

ともかく、本を紹介しながら「道徳ってなんだろう」というお話しで、受講者の方とやり取りしながらの授業方式にした。

今日のとりあえずの落とし所は、「道徳的」ということで、物事を考えない、思考停止にならないようにしましょうということなのですが・・・、伝わったかなぁ。

60分、終えました。

 

2時間目の理科の授業を見学させていただいた。

実験もあって、面白い、さすがだなぁ。

15時40分頃に2時間目にを終えたところで、3時間目担当の先生には失礼を詫びて帰路に。

17時頃に帰宅し、準備を行ってから、次は川西町の吉島へ。

 

「ほんきこ。」生存確認&忘年会が18時から。

私は18時50分頃に到着して参加。

もちろん、今日はノンアルコールです。

久々に会う仲間たち、10年以上もミニコミ誌を中心とした活動をしている仲間。

入れ替わったり休んだりする、緩やかな関係性の中で続けてきたことは大切なこと。

 

メンバーの中に、プロ作家としてデビューしている人がおり、約30分ほど話をきいた。

もう5~6冊の本を出版しているのだけれども、本が売れないと言われている近年、その出版するまでの苦労や作品を書き続けることについて、良い話だった。

いつものとおりいろいろ話して、22時過ぎに解散、帰路についた。

さぁ、明日に備えを一通りした就寝。

濃すぎる一日、ようやく終了。

 

 

 

2016.01.11:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

313 『日本人には二種類いる』

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1960年の断層

岩村暢子:著 (新潮新書  2013年10月20日発行)

 

日本人を大雑把なくくりで分類してしまうのはそんなに好きではないのだけれど、1960年の断層という副題を見たら読まずにはいられない。

まさに、その年に生まれた私。

昭和35年を一つの断層として、日本人はどう変わってきたのだろうか。

 

1960年を一つの境として、新型と旧型の日本人と言う分け方で見る日本人論。

 

簡単にいくつかの例をあげてみよう。

 

○出産        「自宅出産ですか、施設(病院)出産ですか?」

○親          「お母さんは戦前教育、戦後新教育ですか?」

○家(家庭)     「年長者優先の『家』ですか、子供中心の『家庭』ですか?」

○両親の結婚    「見合い結婚ですか、恋愛結婚ですか?」

○理想の男性像  「黙っておれについて来い、優しくて理解のある人 ですか?」

 

さて、私に関して。

出産は母の実家で、医師の往診を受けて出産だそうですから、旧型寄り・・・ですか。

親は昭和9・10年生まれで、小学生の途中から戦後新教育を受けている。

年長者優先・・・これは我家がお寺で、世襲の跡取りゆえ、年長者優先傾向にあったと思う。

両親は恋愛結婚。

理想の男性像は・・・たぶん、俺について来い型かなぁ。

 

我家の関しては70%ぐらいかもしれぬ。

 

その他にも、家庭のテレビ普及度、兄弟の人数、インスタント食品、外食、受験などなど、思いつく点はただある。

 

地域差や家業などによってもまた違いはあるかもしれないが、数年の差で、大きな流れで言えば1960年を境にして違ってきたことは様々あるように思えるし、その後の家庭や地域や職場などで、個人と属しているものとのスタンスがなどが違って行っているというのは納得できる。

 

私たちは、国公立大学の入試制度、共通一次試験の第一期生である。

記述テストからマークシートの穴埋めテストに切り替わった最初の受験生。

そうそう、その対策で、文系の私は数学Ⅰだけしか必要としなかったし、理科は生物・化学・物理から選択というふうに、高校入学すると、共通一次対策として、受験に必要としないものは習わなくてもよかったのだ。

 

こうしたいくつもの変化は、1960年を境として、日本人を変え、日本は変わって来ているという、うなずける結論を導き出している。

 

2016.01.08:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

なんとか務めることができました

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12月7日(月)  曇り 時々小雨  晴れ間もあり

 

今日は母親を、施設に入所している実姉(私の伯母)に合わせようということで出かける予定。

しかし、朝食後、代務しているお寺の檀家さんより知らせがあり、午前中に枕経をお上げするために出かけることになった。

残念ながら延期である。

 

檀家さんのお宅に伺いご供養と打ち合わせを行い昼過ぎに帰宅。

 

ご葬儀は明後日ということになった。

ただ、明後日は、屋敷神様のお祭りが重なっており綱渡りのような日程になりそうである。

日程の調整をお願いし、午後から準備に入る。

 

 

 

 

 

12月8日(火)  晴れ  朝方は強い霜が降りた

 

今日は大荒沢の不動堂の登拝日。

先日雪は降ったものの、いくら大荒沢の山裾であっても、雪はそれほどでもないだろうと思う。

林道には少しだけ雪が残っており、お堂の周囲には10㎝弱だろうか、それでも積もっていた。お堂お堂内で、お掃除と雨漏りの始末との後、ご祈祷を行いお昼に帰宅

 

午後は、明日の屋敷神様とご葬儀の準備で終えた。

 

夕食前に、娘がママとピザ作りをしていた。
エプロンを着て、生地を伸ばす手つきがさまになっているのが面白い。

なかなか美味かった。

 

 

 

 

 

12月9日(水)  晴れ  朝方強い冷え込み  深い霧が立ち込めていた。

 

娘が、夜中に耳が痛いと起きだした。

しばし、相方が抱っこして、再び眠った。

午前中、相方が仕事を休んで耳鼻科に連れて行くことになった。

 

さて、私は4時起きて、今日の準備の残りをする。

今日のスケジュールは、伺う家の方のご理解を得て、綱渡りのような日程は何とか回避できたものの、忙しいことは間違いない。

 

まずは、9時から館山地内のお宅に伺い、祀られている屋敷神様のご祈祷をさせていただいた。

当初予定より1時間早めていただいたおかげで余裕が出来、助かった。

 

そこから米沢斎場に向かい、10時40分からのご供養に。

読経の後、御遺族の皆様とお見送りをして、それからまた米沢市内のお宅に伺うのだが、一度お寺に戻って身支度を改めてから、また屋敷神様のご祈祷に伺った。

予定の11時より30分遅れで到着してご祈祷、お昼御飯を頂いて、13時20分に帰宅。

 

再び身支度を改めて、葬祭ホールへ向かい、13時40分に到着。

14時から開式なので、かなりぎりぎりになってしまったがセーフ。

先に到着していた伴僧をお願いした先輩のF師にお世話になり準備を整え、無事にお葬式を終わらせていただいた。

 

お葬式の後、忌中法要、檀払いまで終えて、17時30分に帰宅。

 

なんとかかんとか、皆様のおかげで終えることができた。

さすがに、疲れを感じる。

 

娘は、中耳炎を発症していたとのこと。

鼻水をかまずに、吸い込んでばかりいたため、奥にたまってしまっていたのだ。

吸引をしてもらい、鼻のかみ方の指導を受けてきたようだ。

お陰で痛みはなくなった、けれど、なかなか鼻水はうまくかめないようだ。

 

今日は早めに就寝。

そうそう、今日は雅子様の誕生日でもあるけど、私の姉の誕生日である。

本人はなぜか一歳余計に数えていた。。。。

 

 

 

 

 

 

 

2016.01.05:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

プレッシャー?!

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12月3日(木)  曇り時々晴れ  一時小雨  夜は雨

 

さて、いよいよちゃんと雪囲い(今頃・・・)。
義父と友人のお手伝いをもらって、我家の前面でいちばん雪がたまる場所の囲いと、前の明神社のまで。

義父は約束の9時ちょっと前まできっちり到着。

娘を園に送って時間がかかってしまった私を待って、作業開始。

建物に細木を立て、背子板を息を合わせて、縄で縛って行くと言う繰り返しの作業。

 

昨日ある程度の段取りをしておいたものの、材料がばらけておりその配りが難しい。

1時間遅れで友人が到着。

板をさしだしたりしてもらう役目がいると、こちらの手がとても楽になる。

そうでないと、いちいち脚立から降りて持ち上げて、また昇っておという繰り返しになって、スピードが全然違うのだ。

 

お昼までに一番たいへんなところを終了。

 

道の駅田沢へ行って、昼食。

ここは冬季間だけラーメンをやっている。

では「初めて食べてみるか!」いうことで注文。

正直、あまり期待していなかったのだが、案外いける!

美味い、旨い。

 

午後は植え込みの樹と、神社のお堂の雪囲い。

去年は12月中旬、大雪が一旦落ち着いてからやった。

植え込みの樹は手遅れで、かなり痛めてしまった。

 

今年はそこもしてもらって、16時半までに終了。

これで一安心。

手伝いをもらい感謝。

 

娘、園でお昼寝の辺りに、吐いたらしく、相方が迎えに行き小児科に連れて行こうとしたが、かかりつけの医院が午後休診、時間も遅くなったので、様子を見て明日連れて行くことに。

 

夜中「お腹が痛い」と起きたものの、相方がしばらく抱っこしていたら落ち着いて眠った。

もう一年以上も大きな風邪をひくこともなく、元気に過ごしてきただけに、ちょっと心配になってしまった。

 

 

 

 

 

12月4日(金)  小雨  みぞれになり雪になり 降ったりやんだり  寒い

 

娘は調子が良くないらしく、自分から「お医者さんへ行く」と言う。

先月もそんなことを言ったっけ。

というわけで、相方が小児科へ連れて行った。

 

午前中は福祉に関する調査書類と報告書を作成。

午後からはその会議出席。

あわせて、自殺予防講習会が開かれて受講。

 

会議後に帰宅して、お祭りの準備を行う。

 

19時から簗沢のお寺で保呂羽大権現の年越例祭。

山の上の建立されているお堂が雪害に遭い、春からお寺の総会とこの主体である地域の方々で話し合いを重ねてきた。

今年出された結論は、恒例の例大祭を縮小し、氏子である地域のお祭りとして夜にご祈祷と直会を行うということになったのだ。

地域だけでなく、地区全体や多くの信者の皆様にご寄付をお願いし、大祭を何日もかけて行ってき続けてきただけに縮小は残念ではある。

けれども、その中心となる方々の負担が年々重くなっていたことも事実で、そんな中で原点に返って地域のお祭りとして今年は開催したいという意思は尊重されて良いと思う。

まだ、これからお堂をどうするかということも含めて、次年度のお祭りに向けて話し合っていっていただきたいと思っている。

 

そうしたこともあり、直会ではお酒を酌み交わして、いろいろと忌憚のないお話しが出来たと思っている。

皆様にはご苦労さまでした。

新しい良き年を迎えることができますように祈念いたします。

 

 

 

 

 

12月5日(土)  雨 時々みぞれ たまに曇り

 

今日は、娘の園の発表があり、相方と義母と従姉たちが見に行ってくれた。

私は残念ながら今日はいけない。

練習の成果を発揮できるとよいなぁ。

 

10時から「おいたま草木塔の会」 記念誌打ち合わせ会を田沢コミセンで。

11時から月例会開催。

12時から、記念誌の内容に関わる座談会を開催。

草木塔の会の発足の前史的な部分をお互いの思い出や記憶を、座談会という形式をとって話を出して、それで触発されるように忘れていたこと、また整合性を図るという意図がある。

約2時間いろんな話の中で思い出されることがあった。

あとは、録音したテープを文字に起こすという作業があり、これが大変ではあるのだけれども、頑張ってやらねばならぬ。

 

帰宅し、夜相方が帰ってきた。

心配された娘の体調は大丈夫だったようだ。

一生懸命練習のあまり、緊張感が高まりすぎて、自家中毒的な症状が起きたのではないだろうか。

スマホで撮った動画を見せてもらったら、元気良く、伸び伸びと踊っている姿があり、良かったなぁと安堵した。

 

 

 

 

 

 

12月6日(日)  朝方は雨。 後に晴れ時々曇り。

 

日曜日、のんびりとスタート。

「ほんきこ。」で作成したブックリストを、小野川の寿宝園さんに持って行き、置いていただだくようお願いした。

BookBookおきたまでお世話になり、館内にはたくさんの本を置いていらっしゃる。

 

お昼に川西町のフレンドリープラザへ行く。

今日はクリスマスフェスタが開催されている。

娘と従姉たちは、ばあちゃんと来ていて、お昼を食べたり体験コーナーを楽しんでいた。

ワイヤーアート、折り紙、ちぎり絵、新聞紙ビリビリコーナー・・・などなど楽しそう。

絵本作家のサトシンさんのサインをもらったりした後、ミュージカルを約1時間、頑張って見ていました。

 

それを終えて、みんなと別れて娘を車に乗せて出発。

車の乗って1分もしないうちに爆睡(^^)

車で寝ているうちに、いくつかの用を足して時間を過ごす。

2時間弱ほども眠っただろうか。暗くなってからようやく目を覚まして、帰宅。

 

娘、充実の二日間、なんとなく元気になったような気がする。

3歳なりにプレッシャーを感じるのだろうなぁ。

無事に終えて良かったなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016.01.03:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]