古都 鎌倉は、お寺や神社といった日本的な風情が漂う街並みに、外国人観光客も多いし、落ち着いたお洒落さもあり、年配から若い人も訪れる人が多い。
そうとう(もう忘れたくらい)久しぶりに江ノ電に乗った。
鎌倉のもう一つの顔は、文人に愛された町だということ。
目の前には海、内陸側にはそう高くはないが、山が迫ってみどりも豊か。
そして、歴史的な建物も残っており、景観や環境に配慮された町づくりがなされていて、なんともいえない落ち着きを感じる。
都心に遠からず近からずという距離感がいいのかもしれぬ。
街歩きを楽しむところ。
お店もそういったことを意識して造られている。
暑さに汗を流しつつ、街歩きを楽しんだ。
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雨
久しぶりに東京へ出かけてきた。
去年の夏以来なので、約1年ぶりになる。
井上ひさしの芝居「雨」が新国立劇場で上演されていて、それを観るのと、いくつかの用があってのことだった。
暑い。
やはり米沢の暑さとは質が違う。
都会は、これから9月までの3ヶ月、節電ということもあり、いかに暑さ対策をするのか、本当に大変だと感じる。
もともと、エアコンや電気を使うことを前提に建物が作られているし、空間や樹木が少ないのだから。
さて、芝居のために作られている劇場で観る芝居は、やはりよい。
アプローチから中に歩を進めるうちに、その気分が盛り上がってくるのがわかる。
山形が舞台で、紅花が芝居の一つの要素でもあるため、ロビーにはたくさんの紅花が飾られ、写真を撮るスポットになっていた。
川西の地酒「樽平」も花を添えていた。
中入りの20分を含む3時間半は、かなり長い時間ながら、充分に楽しむことができた。
山形の方言がこの芝居のポイントであり、いい感じの置賜近辺の言葉になってだったぜっし^^
去年の夏以来なので、約1年ぶりになる。
井上ひさしの芝居「雨」が新国立劇場で上演されていて、それを観るのと、いくつかの用があってのことだった。
暑い。
やはり米沢の暑さとは質が違う。
都会は、これから9月までの3ヶ月、節電ということもあり、いかに暑さ対策をするのか、本当に大変だと感じる。
もともと、エアコンや電気を使うことを前提に建物が作られているし、空間や樹木が少ないのだから。
さて、芝居のために作られている劇場で観る芝居は、やはりよい。
アプローチから中に歩を進めるうちに、その気分が盛り上がってくるのがわかる。
山形が舞台で、紅花が芝居の一つの要素でもあるため、ロビーにはたくさんの紅花が飾られ、写真を撮るスポットになっていた。
川西の地酒「樽平」も花を添えていた。
中入りの20分を含む3時間半は、かなり長い時間ながら、充分に楽しむことができた。
山形の方言がこの芝居のポイントであり、いい感じの置賜近辺の言葉になってだったぜっし^^
夕涼み
薄ぼんやりしていて、ピンボケでもあるんですけども、家のネゴたち外に出て適当な距離をとって、夕涼みしている(みたい)です。
冬は暖かいとこを知ってて、夏は涼しいとこをよく知ってる。
ネゴはおもしゃいですね。
気分の良いことを好みますもの。
夏至が過ぎて、少しづつ陽が短くなっていく。
まぁだそれほど感じませんけど、一日一日短くなっていきます。
出遅れた裏の畑も、なんとかなるべとおもってるんだけれど、また猿がやってきた。
隣近所で、ロケット花火がバーン!バーン!!バーン!!!って始まったから、また家に来るのかと思って出てみると、もうすでにやられていた(--;
ジャガイモの茎を引っ張って、10株ほど倒されていた。
ようやく小イモがくっ付きだしていて、食べるでもなく、放っていった。
近所の畑は、網で囲ったり、電気柵をめぐらしてもいるとこもあるから、来やすいんだろうなぁ。
けど、食うものがまだないのになぁ。
まだ、大丈夫そうな株を植え直し、やっぱり自衛しなけりゃならんなぁと、つぶやく。
言葉の通じない相手に、張り紙したり、法を盾にしても通じないものなぁ。
さてどうしたものかなぁ。
冬は暖かいとこを知ってて、夏は涼しいとこをよく知ってる。
ネゴはおもしゃいですね。
気分の良いことを好みますもの。
夏至が過ぎて、少しづつ陽が短くなっていく。
まぁだそれほど感じませんけど、一日一日短くなっていきます。
出遅れた裏の畑も、なんとかなるべとおもってるんだけれど、また猿がやってきた。
隣近所で、ロケット花火がバーン!バーン!!バーン!!!って始まったから、また家に来るのかと思って出てみると、もうすでにやられていた(--;
ジャガイモの茎を引っ張って、10株ほど倒されていた。
ようやく小イモがくっ付きだしていて、食べるでもなく、放っていった。
近所の畑は、網で囲ったり、電気柵をめぐらしてもいるとこもあるから、来やすいんだろうなぁ。
けど、食うものがまだないのになぁ。
まだ、大丈夫そうな株を植え直し、やっぱり自衛しなけりゃならんなぁと、つぶやく。
言葉の通じない相手に、張り紙したり、法を盾にしても通じないものなぁ。
さてどうしたものかなぁ。
母の誕生日
昨日、村山地方に住んでいる知人から「さくらんぼ」が送られてきた。
届いたこととお礼の電話を電話をすると、今年3月以来の声を聴き、なんだか懐かしい感じがした。
母の誕生日なので、朝食の時「(今夜)何か食べたいものはあるか?」と尋ねると「あぁほだ、誕生日だもなぁ。いやいや75歳にもなるのかぁ」と言う。
私は「ちがうちがう、76才だごでぇ」と訂正した。
母は「あれっ」という顔をし、父は「ほら、んだがら言ったべ」と、ほれみろという顔をした。
朝食前に、歳のことで夫婦で悶着があったらしい。
昭和10年の生まれなので、確かに76歳だということで納得した。
さくらんぼを食卓に出すと、「おれ、昔の記憶あるせいか、あんまり食べなくてもいいんだ」と、毎度おなじみの話を始める。
子どもの頃、実家でもがせられて、美味しいところはよそにやって、酸っぱいところばっかり食べさせられたから…ということらしい。
毎回いろんな場面で出てくる話のパターンが同じになってきている^^;
年齢の思い違いといい、なんだかやっぱり歳をとっているんだなぁ。
届いたこととお礼の電話を電話をすると、今年3月以来の声を聴き、なんだか懐かしい感じがした。
母の誕生日なので、朝食の時「(今夜)何か食べたいものはあるか?」と尋ねると「あぁほだ、誕生日だもなぁ。いやいや75歳にもなるのかぁ」と言う。
私は「ちがうちがう、76才だごでぇ」と訂正した。
母は「あれっ」という顔をし、父は「ほら、んだがら言ったべ」と、ほれみろという顔をした。
朝食前に、歳のことで夫婦で悶着があったらしい。
昭和10年の生まれなので、確かに76歳だということで納得した。
さくらんぼを食卓に出すと、「おれ、昔の記憶あるせいか、あんまり食べなくてもいいんだ」と、毎度おなじみの話を始める。
子どもの頃、実家でもがせられて、美味しいところはよそにやって、酸っぱいところばっかり食べさせられたから…ということらしい。
毎回いろんな場面で出てくる話のパターンが同じになってきている^^;
年齢の思い違いといい、なんだかやっぱり歳をとっているんだなぁ。
⑲飯豊町広河原の草木塔
広河原地区には、なぜか心を惹かれていて、学生時代に原付き免許をとると、出かけたて行ったものだった。
そのきっかけは、大荒沢の不動尊の秋のお祭りに、広河原の皆さんが、夜中のご祈祷に昔から参拝されていたからなのだ。
それで、どういうといころからおいでになっているのかと気になって出かけたのだったっけ。
それで、初めて行った時の、印象。
「うっ…、これは…」と言葉が出てこなかったことを思い出す。
広河原川を渡って集落へ向かう道がまだ舗装されていなくて砂利道、向かって右の急峻な岩山が迫っている風景が胸を押しつけるような気分であったことを覚えている。
(画像の車の向きは逆)
さらに集落に入って、その山村の穏やかさにうれしくなり、さらに川沿いに細い崖っぷちに沿った道を進むと、そこに集落があることに驚いたものだ。
さて、草木塔はどこにあるか。
この画像の個所に架っている橋から奥に進み、上流の集落に入る手前で、また広河原側を渡る橋がある。現在の道はそこから真っすぐ行ってゆっくり右にカーブしながら坂を上って集落に入って行く。
草木塔は、橋を渡ると間もなく、右側に旧道らしき道形があり、そのそばにひっそりと建っていた。
6月の、草が伸びて木の葉が茂っている時期には道路からはなかなか見えない。しかし、よく見ると、傾いた石塔の頭が見えている。
ただし、道路端には地権者の所有を示す立札とロープが張ってある。
訪れる際は、周囲を荒らさないように気をつけたいものだ。
石塔は、雪の重みのせいか、下部が地面にめり込み、やや傾いているように見える。
碑面には苔が生え、摩耗していることもあり、「草木 」までしか読み取るのがやっとの状態。
しかし、アップしてみると、非常にしっかりした字体が彫られているようだ。
資料によると、「草木塔」とあり、天保十年四月八日(1839年)と記録されている。隣の沢の小屋集落の草木塔が建立されてから9年後である。
隣と言っても、集落をつなぐ道は杣道のような道でしか繋がっていない、深い沢沿いにある集落である。
このつながりはどうなっているのだろうか、地域間のの交流などを調べると何か出てくるのではないだろうか。
そのきっかけは、大荒沢の不動尊の秋のお祭りに、広河原の皆さんが、夜中のご祈祷に昔から参拝されていたからなのだ。
それで、どういうといころからおいでになっているのかと気になって出かけたのだったっけ。
それで、初めて行った時の、印象。
「うっ…、これは…」と言葉が出てこなかったことを思い出す。
広河原川を渡って集落へ向かう道がまだ舗装されていなくて砂利道、向かって右の急峻な岩山が迫っている風景が胸を押しつけるような気分であったことを覚えている。
(画像の車の向きは逆)
さらに集落に入って、その山村の穏やかさにうれしくなり、さらに川沿いに細い崖っぷちに沿った道を進むと、そこに集落があることに驚いたものだ。
さて、草木塔はどこにあるか。
この画像の個所に架っている橋から奥に進み、上流の集落に入る手前で、また広河原側を渡る橋がある。現在の道はそこから真っすぐ行ってゆっくり右にカーブしながら坂を上って集落に入って行く。
草木塔は、橋を渡ると間もなく、右側に旧道らしき道形があり、そのそばにひっそりと建っていた。
6月の、草が伸びて木の葉が茂っている時期には道路からはなかなか見えない。しかし、よく見ると、傾いた石塔の頭が見えている。
ただし、道路端には地権者の所有を示す立札とロープが張ってある。
訪れる際は、周囲を荒らさないように気をつけたいものだ。
石塔は、雪の重みのせいか、下部が地面にめり込み、やや傾いているように見える。
碑面には苔が生え、摩耗していることもあり、「草木 」までしか読み取るのがやっとの状態。
しかし、アップしてみると、非常にしっかりした字体が彫られているようだ。
資料によると、「草木塔」とあり、天保十年四月八日(1839年)と記録されている。隣の沢の小屋集落の草木塔が建立されてから9年後である。
隣と言っても、集落をつなぐ道は杣道のような道でしか繋がっていない、深い沢沿いにある集落である。
このつながりはどうなっているのだろうか、地域間のの交流などを調べると何か出てくるのではないだろうか。