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盆の十三日

  • 盆の十三日
お盆の十三日。
朝から檀家さんの宅をまわって、棚経をあげさせていただいている。

予定したような時間になかなかまわっていけないのは、「お茶飲んでぎゃい」と言っていただくと「はいはい、では」とついお茶に呼ばれて四方山話をしてしまうからだ。

だんだん後半になると時間が押し詰まってしまい、最後のお宅を辞したのは夜9時になってしまった。

移動の途中、穂が出始めた田んぼの中を見るとサギが田んぼのあちらこちらで、ツンと立っている。
そちらの方へ近づいてゆくと、気配を感じてか飛んで行ったり、身を潜めたりしているのがなんだかおかしい。


蒸し暑い一日で、夕方には雲が空に掛かり、お墓参りの時間に雨が降らないかと心配になったものの、とうとう降らなかった。
日中の暑いさなか、杉木立の中に車を停めてその中を歩いてお宅に向かうと、涼しい風を感じた。

そうしてみると、田沢はきっと市街地より1~2℃は涼しいに違いないんだろうなぁ。
2011.08.14:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

十二日

  • 十二日
きんな(12日)の朝の収穫。
シシトウは味噌で炒めて、さっそく朝ごはんで食べた。
でっかくなった(なりすぎた)オクラも採りたてなのでうんまい。

さて、お盆。
お参りに来る方もあり、お掃除をしつつ中断しながら、応対する。
翌13日からは、檀家さんのお宅にうかがってご供養をさせていただく。


昨日11日は、大震災からちょうど5ヶ月目。
12日は、もう何年だろう…日航機御巣鷹山墜落で多くの方々が犠牲になった日。
15日は終戦の日。
今年は、とりわけいろんな想いを抱いてお盆を迎えることになる。




近所の方が「お盆だがら(花を)供えてけろ」と玄関に置いていってくれた。
無造作に置いて行ったのだけれど、なんだかいい感じで、このままでいいみたいだなぁ。

お供え物を上げ、提灯などを出し夕方には準備を(とりあえず)終えた。


昼には畳や廊下でゴロゴロして寝ていたねごたちは、夕方風が涼しくなると外に出ている。
ねごはほんとに居心地のいい場所を見つけるもんだ。

今日の天気予報も暑くなりそうだ。
帰省中の方も、途中の方もお気をつけて。
2011.08.13:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

朝から暑い

  • 朝から暑い
朝5時半からの草むしり^^;
田沢のみなさん、ほんとに早起きです。

おいたま草木塔の会の有志で、国道121号沿い上中原の草木塔の周囲の草むしり。
前夜の夜更かしがたたり、やっと起き出して行きました。
早朝は風が涼しくていいですね。
朝のうちに一仕事をおわし、暑いお昼は体を休める、という生活パターンだったらいいんですけどね。


すっきりきれいになりました。

慌てて戻り、近所に倉庫を建てるお宅へ出向き、地鎮祭のお勤め。
施主ご本人と、「仲間とゆっくり建てるんだ」ということで、方角などの話をしたり、どういう使い方をするかという話をしたり。
倉庫なんだけど、「創庫」という表現をして、なんとなく楽しそう。


さて、お寺はもちろんお盆モードになってきてます。


帰宅してから、まだ細かいところのお掃除が残っていたり、久々おいでになる方のお相手をしたり。
日頃手が抜けていることがけっこうあり、夜までかかってしまった。



今日もかなり暑くなりそうです。
皆さま、お出かけは気をつけてくださいませ。
2011.08.12:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

28 福島県喜多方市 熱塩小学校脇の草木塔

  • 28 福島県喜多方市 熱塩小学校脇の草木塔
28番目で、初めて山形県外の草木塔が登場する。
飯豊町岩倉の草木塔が建ってから約1年である。
米沢市入田沢の塩地平に1780年に建立されたものから79年経過している。
明治時代以前に県外に建立された「草木塔」と考えられる石塔は現在のところ二つだけ。
その一つが、田沢地区からも比較的近い、熱塩に建っているというのは偶然ではないように感じる。


平成4年に開通した大峠トンネルのお陰で、国道121号を通って、一年中、熱塩加納村(当時)へ車で30分もあれば余裕で行ける場所になった。
それまでは、旧大峠道路は冬季間のおよそ5~6ヶ月間通行できず、大きく遠回りしなければ行けないところだったのだ。
開通後は、いろんな意味で喜多方市を含めて交流が広がって行った。

さて、草木塔が建っている熱塩小学校のグランドのそばには、草木塔以外に観音様やお地蔵さま、湯殿山の大きな石塔、どなたかの功績をたたえている生碑も建っていて、草木塔はじつに目立たない。
しかも、訪れた日は、この観音さまのお祭りらしく幕が掛けてあった。


お地蔵さまの後ろに隠れるように、墓石型の「草木塔」が建っている。
午後少し遅かったため、逆光になり字は読みにくいが、確かに草木塔である。
以前訪れた時は、前にお地蔵さまはあったかなぁ?
それに、小学校の石の標柱が新調されているようだ。

碑面には「草木塔」と刻まれている。
左の側面には、安政6年(1859年)6月建立とある。
その他の文字は、肉眼でよくわからない。
資料によると、建立者は「木樵 甚三郎」とある。



左側には、2mをゆうに超す湯殿山の石塔、その隣に生碑、そのなかにひっそりと建っている。
しかし、当時の熱塩加納村の教育委員会によって、昭和58年に村の指定文化財になっている。
喜多方市と合併した今でも、おそらく同様の扱いになっているのではないかと思われるのだが、要確認である。


米沢市が民俗有形文化財に指定するよりだいぶ前に、その意義を認めているところがすばらしい。

それにしても、大峠道路が明治に入ってから、三島通庸県令の施策により主要道路として整備されるより前から、人の往き来、交流はあったように考えられている。幾分ルートは違うものの、昔の大峠の道筋というのを地区の古老から聞いていたこともあり、熱塩の草木塔建立の経緯には、田沢との関連があるのではないかと想像している。



2011.08.11:dentakuji:コメント(0):[草木塔を歩く]

暑いあづい

  • 暑いあづい
朝からスカッ晴れの10日。
土用明けの大安、地鎮祭と屋敷神さま祭りと続きます。

土用中は、土を掘ったり動かしたりするのはよくないということで、避けます。
それで、満を持したカタチで、家を建てることになった地区の方のお宅にうかがって地鎮祭。

朝の8時なのですが、太陽はもう全開。
大汗を流しながら、法螺貝を吹いていたら、なんだかクラクラしてきそうでした。
山伏の法式(ほっしき)で行いますので、法螺を用いても差し支えないところでは吹いてます。

周囲は田んぼや畑、川が近いという自然の中なので思い切り吹かせていただきました。
さすがに街中では、ちょっと難しいですもね。


参加された皆様も、熱中症で倒れることもなく、無事に終えました。


さらに、米沢市街地のやや東のはずれに向かい、屋敷神さまのお祭りです。

10時を回って、太陽光はますます凶暴になってました。
しかし、神様の祠の脇に建つ一本の木がよ日陰を作っており、終了する頃に、ようやく直射日光が足りだしたぐらいで、これも無事に終えました。

それでも、私は少々暑いぐらいの方が体の調子がよい。
大汗流してみっともないのだけれどもね。
最近、葬儀はセレモニーホールで執り行われることが多く、夏場はガンガン冷房坊が効いている。
自分の場合、どうも冷房に弱くて、調子が悪くなってしまう。

午後の他寺院の葬儀の伴僧には、住職が行かれるので、たいへん助かった。



大汗かいた分、あるいはそれ以上に水分摂取している。
0.36リットル入るマグボトルに、氷と水や麦茶を入れて携帯している。
これは単純なんだけど、氷はけっこうな時間持っているので冷え冷えなのだ。
あんまり冷たいので、腹を壊してしまわぬよう気をつけて飲んでいる。

まだしばらく猛暑は続くようだ。
しっかり食べて乗り切らねば(^^/
2011.08.11:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]