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グッ タイミング

  • グッ タイミング
とにもかくにも、9日の午前中でここしばらく続いていた慌ただしい時間に一息つくことができた^^

そうしたら、電話。
なんと、福島県内に住む学生時代の同級生にして親友のAからだった。
「今、ナビであと10kmのところにいるから、11時までには家に着くから、よろしくね」ということ。

おいおい、なんて急で、なんてタイミングのよいこと。
「おう、わかった待ってっからよ」

福島県の沿岸部に住んでいて、震災の被害を受けて事故を起こした福島原発の10km以内であったため、退去して、今は福島市内の借家に住んでいる。
たいへんな目に遭っているのだ。
学生時代からその原発の危険なことと反対していることを彼から聴いていた。

しかし彼は深刻な話にはならず、「東電さまのおかげで、仕事も暇でお陰でふだん行けないところへ出かけられる。いやぁありがたい」と、皮肉たっぷりに話しているところが、○十年前とちっとも変っていなくて嬉しい。

もっとも、3か月前に会って話したんだけどね^^;



市内の「山大前やまとや」で中華そばを食べて、風のように去って行った。
お祭りを終え、精進明けでよかった。

彼のこれからと福島県の皆さんの未来が、必ず幸福が訪れることを祈っとります。


そして、さらに夕刻からは、日頃からお世話になっている、尊敬するO氏の受賞祝賀会に出席。


一番入口(出口)に近い席だったので、お祝いしつつ気楽に楽しませていただきました。


上杉城址苑、さすがですね、季節のお料理「芋煮」がついております。
麦酒も「モルツ」いいですね。

というわけで、お精進の反動が出て、美味しくごっつぉになってきました。
Oさん、おめでとうございます!(って、ちょっと、とって付けたみたいでしたかね?!)
2011.09.10:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

町内のお祭り

  • 町内のお祭り
さて9日もお天気とお寺のお勤めが続いています。

町内の鎮守の神様のお祭りで、各戸から朝仕事のお掃除に出て、私はその数か所でご祈祷をさせていただきます。

春と秋のお祭りが毎年行われており、夜は公民館で直会なのです。


まず、町内の外れに位置する山の頂上に登り、虚空蔵さまの前でお掃除とご祈祷。
毎年交代で登山するのですが、毎年同じような質問とご意見。
「神様に下に降りてきてもらえないべが」と息をきらして誰かが言うと、「いやぁ、神様は上げるのはいいげんど下ろすのは良ぐねぇ」と誰かが応じています。

私も、25年以上続けて登ってますけど、年々厳しいなぁと感じてます。

神佛は、本来あるところにあるのが一番自然なのだと思いますが、祀ることができないのではそれも意味がない。
みんなで反しあう時期が来たら、ちゃんと話しあうようにすればいいと思う。


ご祈祷を終えると、お寺の前のお明神さまの前に全員が集合して、解散。

私は引き続き、各所のご祈祷。





お寺の裏山の中腹にある金毘羅様。
大きな杉のご神木と、でっかいブナの木が待っていてくれます。





最後は、町内の西の外れにある山の神さま。
ここでのお勤めを終えて、10時をまわったところ。
これで、一息つくことができました。

今回は、100円ショップのローソク(真んなか)をつかってみたのですが、燃えるのが少し早いのと、融けたローソクの色が白い。
両側のローソクは、その前に立てられていた今まで使っていた市販の物。
やはり、値段なりに作られているのでしょうね。


2011.09.10:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

未熟

  • 未熟
お月夜の、寒い夜が明けると、8日の朝はスカッ晴れ。

お堂の中で寝ていた私は「グァーン、グァーン…」というワニ口を叩く音で目が覚めた。
「うむむ…何事か…」この日最初の参拝者が打ち鳴らした音だということに気がつき、状況を理解し毛布をとって、居住まいを正した。

午前5時半だ。
3時間ぐらいは眠れたようだ。

それからしばらく、車でわざわざ参拝に来てくれる方々のお参りが続く。



お堂の後方から、山の奥の彼方にある御滝に向かって遥拝。
見事な晴れになった。

8日は、午前10時からのご祈祷。
お昼を終えると、お堂の片付けを始める。

平日ということもあり、午前中はポツリポツリと参拝の方があるものののんびりとお堂で過ごした^^;



秋の例祭のお勤めを主になって行うのは初めて。
お不動さまと向かい合って…、自分はまだまだ未熟だなぁ。
ほんとうに、ちゃんと向かい合うことができていない…、そう感じた。
次の機会はいつであろう。


未熟といえば、昨晩取材にやってきた地方新聞社の記者さんはずいぶん若い人であった。
こんな小さなお堂の、ひそやかなお祭りのことなど、知らないのは当たり前である。
きっと、上司に「行って来い」と言われてきただけなんだろうけど、社会人になったばかりなのだろう、取材対象になる人もわからず挨拶もおぼつかない、しかも予備知識が全くない人で、しかも、ご祈祷が始まるバタバタしているところを、相手の状態も気がつかないようであった。
できれば、いかに地方の新聞社であっても、もうちょっと社内教育をなされてはどうかという感じがした。

ただ、ご祈祷の後のお茶のみに入って、人懐こさがある若者であった。


いい歳をした私も未熟である。
この次、あの記者とまた逢う機会があるかどうかわからぬが、次はもうすこしましな出会い方をしたいものだ。


片づけを終えて寺に戻ったのは夕方の6時過ぎ。
夕暮れ、ようやく二日間が終えた。

協力していただいた方々に感謝である。

2011.09.09:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

混沌から夜のしじまへ

  • 混沌から夜のしじまへ
7日(水)・8日(木)は無我夢中のうちに、とにかく二日間が過ぎてしまった。

住職である父が、「今年は山に行ってお勤めできそうにない」ということで、準備やお勤めを、一つ一つ今まで分担してきたことを背負ってしまうことにあり、これはこれでなかなか大変なものだということがわかった。

いつの日か、こうしたことになることはわかっていたのだけれど、いざなってみないと本当にわからないことがあるものだ。

わが家から約10kmほどの山中にあるお堂に、荷物を運び、準備万端のつもりが忘れものもあり、ちたぱたと動きまわるしかなかった。

7日朝の6時に、親愛なるSさんKさんに電気の配線をしていただいて、そこからはずうっと動き続けたいた。

同級生で親友のWくんが、7日の午前中から夜中(8日になっていた)まで手伝ってもらって助かった。
持つべきものは友である。

それに、お天気にも恵まれた(やっぱ、晴れ男の面目躍如!)。

そうして、夕方から8時頃までは、一般の参拝の方があり、夜の10時にお堂内でのご祈祷。
引き続き、外で柴燈護摩。




わたくし、まるで怪異現象おこしているよう(エクトプラズム?!)

でも、これ、㋗がカメラをブラしてしまっただけみたいです^^;



ご祈祷を終えたのは0時近く。
なんとかお勤めを終えることができました。
参拝いただいた皆さん、先輩山伏のZ師やR師のお力を頂いて、無事にご祈祷を成満することができました。

残った方々とお茶を飲みながら話し、残った三人が眠りについたのは二時ちょっと前でした。

虫達の音と、川のせせらぎだけが、夜のしじまに静かに響いておりました。

2011.09.09:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

ちから

  • ちから
ドタバタと、大荒沢の山の中と、お寺やコミセン、街中で用を足して、走り回っていたら真夜中になってしまった。


台風は過ぎ去ったようで、このあたりはありがたいことに、何もなく終えた(ようだ)。
外は、空気がひんやりして来て、日向の方がよくなってきた。
ネゴっだはじつにわかりやすいなぁ。

しかし、紀伊半島ではたいへんなことになっている。

二十数年ほど前に、熊野古道をたどるように、友人と車で旅してきたことがあった。

五条から大塔村、田辺、本宮、那智勝浦などをまわってきて、山の奥深さと歴史の奥行きみたいなものを感じてきたっけ。
東北の山奥とは違う。
雪が少ないだけに、そうとうな所で暮らしてゆけるものだと、自分が山里に住んでいることを忘れて、感心したものだった。

その山間の町や村や集落が、洪水と山崩れで分断されて、孤立状態になってしまい、しかも多くの死者や行方不明者が出ているという…。
今年は、どれだけ自然の威力を見せ付ければ気が済むのであろうか…。





大荒沢のお堂では、半袖でじっとしていると、寒いぐらい。
買い物があって、お寺に戻って市内まで行くと、体感で3℃ぐらいは違っているんじゃないかと思う。





またお堂に戻ってお弁当。
精進のお弁当、美味い、美味い。
肉・魚・卵を使わないで一週間というのは、作る方がたいへんなのだと思う。

んでも、食べたくなるな^^;

お腹がくちくなって、昼寝。
青空の下で昼寝とは、なんと贅沢なこと。

毎年、飯坂から夜中にお参りに来ている方が、「明日は来られないから」と参拝して、震災のことなどをしばし話して帰られた。

午後と夜に会議が一つづつあって、何度も山を下りてくるので、準備が進まない。



明日の夜中の参拝者はいるのなかなぁ?などと思いながらこんな時間になってしまった。
今年は、お祭りでちゃんとご祈願できることが大事なのだ。
そんなことを考えながら、もう寝なくてはならぬ。
2011.09.07:dentakuji:コメント(2):[なあまず日記]