10月16日(日)、雨のち曇り、やがて時々晴れ
早朝6時半から、簗沢地区の地域で守っている祠で祈願。
隣組の方々が集まってくる。
雨です。
簡易型のテントを持って行って正解。
狭い場所ながらちょうどよく立てることができて、雨をよけてお勤めを終えることができた。
みんなでテントを片づけ終えたら雨がやんできた。
^^;
まぁ、そういうもんです。
稲刈りの終盤、各地でイベント満載の日曜日ですから、みんな晴れてほしいと願ってるべなぁ。
友人からお米が送られてきて、知人からあけびをいただいたり、皆さんにいっぱい気持ちもいただいて生かされてる。
で、日曜日のお勤めは続く。
檀家さんのご供養のお勤めと打ち合わせ。
そのお宅では、高齢の父上が急に亡くなられたため、ゆっくりとお話しできないまま、とにかく目の前のことを片づけるようにして進めてきた。
三七日になり、ようやくすこしだけ落ち着いて話ができたように感じる。
しかし、続いて法事があるため、米沢市の桑山へ。
お寺にちょこっと立ち寄った時には、すっかり青空。
天気は回復。
檀家さんのお宅で法要を終え、昼食をいただいて終えるころ、そのお宅の隣組の方が急逝されたとの連絡。
ちょうどその時、施主さんが「昨日、知り合いの若い人が急死してよぉ、たいへんなんだ」と話していたところだった。
このところ、どうも、急に体調を崩されて入院したり亡くなられるということが多いように感じる。
たまたまなのだろうか、それとも、変わりやすい気候の影響が体調に関係あるんだろうか。
自分の体調もけして良いとは言えないこともあり、気になっている。
いろいろあるけど、身体を休めることも、大事なこと。
土・日曜日はゆっくり休もう・・・って私が言うのもなんですけどね^^;
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旧大峠を歩く
10月15日(土)、雨のち曇り。
天気予報では、かなり荒れ模様になるのではないかということで、心配して夜明けを迎えたものの、意外にも小雨程度の雨。
関西などではまた大雨が降り、かなり大変なことになっているようだけれど、こちらは申し訳ないほど、ことしは肩透かしの年。
喜ばなければならないね。
屋敷神さまの早朝のご祈祷に慌てて出かける。
じつは寝坊してしまって、5分遅刻(--;
到着するも、施主の方の姿がない…。
ラッキー…、いやいや^^;
で、しばし、山際の旧屋敷の前で、広い田んぼを見ながら待つ。
カラスが「カー」と鳴いた(ような気がした)。
…来ない。
朝七時、小雨を避けて車の中で待つ…。
来ない。
電話したら、施主さんも大寝坊でした。
なんとなく、朝寝坊するような天気だったのでしょうかね。
田沢コミセンの「旧大峠道路を歩く」講座に参加。
ほとんど、ポーター役で行くつもりだったのだが、天気が悪いため、いも煮の昼食はコミセンに戻って食べることになり、とても気楽な歩きになった。
平成4年に新ルートの大峠道路が開通してから、この難所は半分管理され、半分は放置されてしまっている。
しかし、歩いては行ける。
旧国道の方が紅葉が美しい。
私は峠越えのこの道路がやっぱり好きで、学生時代から車やバイク自転車で何度も越えている。
年々道路は崩れていき、なんとか散策道として維持できないものかと、仕事がらみでも考えていたものだった。
結局実現はしなかったのだが、今年、講座として実施されて良かったと思う。
今日は残念ながら雲に覆われて、紅葉を見渡せなかったけれど、これはこれで幻想的でよいものだ。
また機会があれば行ってみようと思う。
ただし、ここは普段、車は通行止めで入ることはできない。
戻って、いも煮をごちそうになり、持参した栗ご飯のおにぎりを食べたら、美味いではないか。
約2時間半ほどのノロノロ歩きながら、今の私にはちょうど良い運動であった。
天気予報では、かなり荒れ模様になるのではないかということで、心配して夜明けを迎えたものの、意外にも小雨程度の雨。
関西などではまた大雨が降り、かなり大変なことになっているようだけれど、こちらは申し訳ないほど、ことしは肩透かしの年。
喜ばなければならないね。
屋敷神さまの早朝のご祈祷に慌てて出かける。
じつは寝坊してしまって、5分遅刻(--;
到着するも、施主の方の姿がない…。
ラッキー…、いやいや^^;
で、しばし、山際の旧屋敷の前で、広い田んぼを見ながら待つ。
カラスが「カー」と鳴いた(ような気がした)。
…来ない。
朝七時、小雨を避けて車の中で待つ…。
来ない。
電話したら、施主さんも大寝坊でした。
なんとなく、朝寝坊するような天気だったのでしょうかね。
田沢コミセンの「旧大峠道路を歩く」講座に参加。
ほとんど、ポーター役で行くつもりだったのだが、天気が悪いため、いも煮の昼食はコミセンに戻って食べることになり、とても気楽な歩きになった。
平成4年に新ルートの大峠道路が開通してから、この難所は半分管理され、半分は放置されてしまっている。
しかし、歩いては行ける。
旧国道の方が紅葉が美しい。
私は峠越えのこの道路がやっぱり好きで、学生時代から車やバイク自転車で何度も越えている。
年々道路は崩れていき、なんとか散策道として維持できないものかと、仕事がらみでも考えていたものだった。
結局実現はしなかったのだが、今年、講座として実施されて良かったと思う。
今日は残念ながら雲に覆われて、紅葉を見渡せなかったけれど、これはこれで幻想的でよいものだ。
また機会があれば行ってみようと思う。
ただし、ここは普段、車は通行止めで入ることはできない。
戻って、いも煮をごちそうになり、持参した栗ご飯のおにぎりを食べたら、美味いではないか。
約2時間半ほどのノロノロ歩きながら、今の私にはちょうど良い運動であった。
(102)『グッとくる「はげまし」言葉』
齋藤 孝 (文春文庫 2007年)
この本を買った時は、励まされたかったのか励ましたかったのか、忘れてしまった。
この種の本を買う時は、どちらかの気持ちになっているのではないかなぁと思う。
2~3年の間、本棚に積まれたままでいた。
ふと手に取ったのは、なんとなく励まされてみたかったからかな。
「元気が出ない時に この一冊」
元気溌剌!
ファイト、いっぱぁつ!!
と、その手の飲料を飲むような気持であるかな。
けれども、そんなにかんたんに効果ありというわけにはいかない。
それなりに、なるほどと思わせられるのだけれど、解説がついている分その言葉の前後や背景を知ると、かえってちょっと違うような感がする。
その中にあって岡本太郎の言葉。
「あれかこれかとなったマイナスを選ぶんだ」これは、経験的にその方が後々自分にためになっているように思う。ただし、これは個人的なこと。
団体にあっては必ずしも当てはまらないように思う。
それから松下幸之助の言葉。
「まず汗を出せ、汗の中から知恵を出せ」
これも共感できる。
私にとって、励ましとはニュアンスが違うけれど、心に残っている言葉がある。
祖父が、子どもの私に時々語っていた言葉だ。
「だいたい、人間は糞尿袋っていうもんだ」
あまり品がよくない言葉だけれどね。
どんなに着飾っても、富を得ても、地位があっても、食べて寝て排泄する生き物なんだということで、虚飾の虚しさを伝えようとしているらしかった。それと同時に、人には平に接しなければいけないということを話していた。
子ども心に聴いていたことなのだが、この言葉が、いざとなった時(といううよりどんなにみじめな状況に陥っても^^)に思い浮かべて乗り切ってきたように思うのだ。
人の美醜や表面に惑わされるなということだ。
この本を読んで、祖父の言葉を思い出してちょっと元気が出てきた。
この本を買った時は、励まされたかったのか励ましたかったのか、忘れてしまった。
この種の本を買う時は、どちらかの気持ちになっているのではないかなぁと思う。
2~3年の間、本棚に積まれたままでいた。
ふと手に取ったのは、なんとなく励まされてみたかったからかな。
「元気が出ない時に この一冊」
元気溌剌!
ファイト、いっぱぁつ!!
と、その手の飲料を飲むような気持であるかな。
けれども、そんなにかんたんに効果ありというわけにはいかない。
それなりに、なるほどと思わせられるのだけれど、解説がついている分その言葉の前後や背景を知ると、かえってちょっと違うような感がする。
その中にあって岡本太郎の言葉。
「あれかこれかとなったマイナスを選ぶんだ」これは、経験的にその方が後々自分にためになっているように思う。ただし、これは個人的なこと。
団体にあっては必ずしも当てはまらないように思う。
それから松下幸之助の言葉。
「まず汗を出せ、汗の中から知恵を出せ」
これも共感できる。
私にとって、励ましとはニュアンスが違うけれど、心に残っている言葉がある。
祖父が、子どもの私に時々語っていた言葉だ。
「だいたい、人間は糞尿袋っていうもんだ」
あまり品がよくない言葉だけれどね。
どんなに着飾っても、富を得ても、地位があっても、食べて寝て排泄する生き物なんだということで、虚飾の虚しさを伝えようとしているらしかった。それと同時に、人には平に接しなければいけないということを話していた。
子ども心に聴いていたことなのだが、この言葉が、いざとなった時(といううよりどんなにみじめな状況に陥っても^^)に思い浮かべて乗り切ってきたように思うのだ。
人の美醜や表面に惑わされるなということだ。
この本を読んで、祖父の言葉を思い出してちょっと元気が出てきた。
東の方を向いて
さて、昨日の続き。
栗を拾って、少したまってたので、栗ご飯を炊こうということに。
楽しみなのだが、なんといっても栗の皮をむく大仕事が…ある。
栗むき道具「くりくり坊主」(だったかなぁ?!)が行方不明になり(わが家の台所はよく道具が見えなくなる)、包丁で時間をかけてやるしかない。
なかなかはかいがね(はかどらない=方言)。
ここで、昨日のお弁当。
「ご飯、小魚と小海老のふりかけ、舞茸と里芋の煮つけ、小松菜と菊のおひたし、サツマイモとりんご煮、玉子焼き、五目豆、玉子スープ」
このところ油控えめです。
いよいよ、やんだぐなった頃(飽きた頃=方言)、ようやく栗の皮むき終了。
待ちかねたようにご飯を炊いて、夕飯に。
醤油の色がうっすらと。
栗の甘さがわかります。
ちょうど頂き物のナメコで、なめこ汁。
東の方を向いて「わっはっは^0^」
今シーズンの初物を戴きました。
今年はいろいろあるけど、こうして季節の物を食べられる幸せ、なのである。
ついでに、残ったおからで、相方が「おからハンバーグ」を作る。
ちょっこし、ぶ厚かったかも^^;
でも、はい、なかなかなかなか。
栗を拾って、少したまってたので、栗ご飯を炊こうということに。
楽しみなのだが、なんといっても栗の皮をむく大仕事が…ある。
栗むき道具「くりくり坊主」(だったかなぁ?!)が行方不明になり(わが家の台所はよく道具が見えなくなる)、包丁で時間をかけてやるしかない。
なかなかはかいがね(はかどらない=方言)。
ここで、昨日のお弁当。
「ご飯、小魚と小海老のふりかけ、舞茸と里芋の煮つけ、小松菜と菊のおひたし、サツマイモとりんご煮、玉子焼き、五目豆、玉子スープ」
このところ油控えめです。
いよいよ、やんだぐなった頃(飽きた頃=方言)、ようやく栗の皮むき終了。
待ちかねたようにご飯を炊いて、夕飯に。
醤油の色がうっすらと。
栗の甘さがわかります。
ちょうど頂き物のナメコで、なめこ汁。
東の方を向いて「わっはっは^0^」
今シーズンの初物を戴きました。
今年はいろいろあるけど、こうして季節の物を食べられる幸せ、なのである。
ついでに、残ったおからで、相方が「おからハンバーグ」を作る。
ちょっこし、ぶ厚かったかも^^;
でも、はい、なかなかなかなか。