12月9日(金)、晴れのち曇り、午後から雪。
朝、雪が積もっているかと、恐る恐る窓を開けて外を眺めたら降っていなくて、拍子抜けした。
な~んだぁと思っていたら、午後から雪が降り出した。
前の日、田沢コミセンの玄関にはもう門松が飾ってあった(^^;
門松づくりの講座がこの日の午前中にあり、作ったとのこと。
もう正月まで22日!
9日は私の実姉の誕生日。
「なんぼに(いくつに)なったんだぁ?」と両親に聞かれ「ほほうそんなになったのがぁ…おらだも年取るはずだごでなぁ」という母親の言葉を5回も聞かされた
(^^;
そうそう、皇太子妃 雅子さまの誕生日でもありますね。
あわせて、お誕生日おめでとうなのだ。
さて、今日の午前中から昼過ぎまで、屋敷神さまのお祭りのため、米沢市内のお宅2軒でお勤めをさせていただいた、
いずれも、果樹農家のお宅で、仕事が一段落ついてから、収穫に感謝するというような意味合いを込めてお参りをする。
なので、早い年だともう雪が積もってしまっていることもあり、だいたいかんじる(寒い)日に決まっている。
そうして、ご祈祷を終えて、神さまの祠にお供え物をあげて、お参りし、それから餅をご馳走になる。
今年も美味しいお餅を食べた。
80歳を過ぎてもまだ現役で働くおばあさんに「また来年、達者でお祭りで会うべなぁ」と言葉をかけられて^^嬉しくなって帰宅した。
今日のお弁当。
「ご飯、小魚とクルミの佃煮、焼鮭、ゆで卵、ひじき煮、ブロッコリー(マヨ添え)」
しかし、今日は餅をいただくことになっていたので、家にいる父親の弁当になってしまった。
ざんねん!^^;
裏のエドヒガンザクラの木の下からいつもの定点撮影。
いろんなものを白い雪で覆い、なんだかごちゃごちゃしたものが見えなくなって、いつも見ている風景が、とてもきれいに見えたりします。
あぁ、今年もこのまま根雪になるんだろうか。
そう思うと気持ちが重くなるのですが、雪によって別なことに目が行く、視点が変わるという風に考えると、ちょっと元気が出るようです。
今夜はちょっと積るかな。
明日の朝も氷点下になりそうです。
身体が冷えないようにして休みましょうね。
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今月の大荒沢不動尊
8日は恒例の大荒沢不動尊の登拝日。
今月もお堂の前まで車で行くことができた。
早い年だと、12月も積雪で徒歩の年もある。
駐車場にもうっすらと雪が見える程度。
しかし、寒い。
途中の国道にある気温計は3℃だったけど、大荒沢は飯豊からの風が沢伝いに吹いており、体感は0℃以下という感覚である。
架設トイレの雪囲いをしていなかったので、あり合わせの材料でやろうとしたのだが、いかんせん資材が足りなかった。
天井部分に雪が積もらないように板を当てたいのだが、明日にでも持って行くことにして、昼過ぎに帰ってきた。
どうも、明日の朝あたりに雪が降るという予報なので、ちょっと心配。
大荒沢の向かい側の大師山(標高803m)。
山の上部の方が白く雪が積もりかけているが、中腹から下はまだのようだ。
今年は、厳しい寒さが一気に下りてこないせいだろう。
家とお寺の周囲の物をほぼ片づけて、冬籠りの準備もほぼ終わり。
もちろん、完璧などあり得ない。
あとは、雪が降って積もれば諦めるしかない、というところまできたというとこかな。
浪江町から福島市に避難している友達から電話がきた。
元気に過ごしているようだけれど、米沢に避難してきている浪江の人たちもいて、その人たちの冬の過ごし方を心配していた。
そう、雪の降らない海端の町から、豪雪地に来て戸惑うことはいっぱいあるに違いない。
服装や履物もそうだし、雪かきの仕方、それに車の運転がたいへんだろうと思う。
彼は、冬の米沢にも何度も来ているので、わかっているので、よけい心配しているようであった。
今年は、そういったことも頭に入れて冬をすごさなければならないのだね。
今月もお堂の前まで車で行くことができた。
早い年だと、12月も積雪で徒歩の年もある。
駐車場にもうっすらと雪が見える程度。
しかし、寒い。
途中の国道にある気温計は3℃だったけど、大荒沢は飯豊からの風が沢伝いに吹いており、体感は0℃以下という感覚である。
架設トイレの雪囲いをしていなかったので、あり合わせの材料でやろうとしたのだが、いかんせん資材が足りなかった。
天井部分に雪が積もらないように板を当てたいのだが、明日にでも持って行くことにして、昼過ぎに帰ってきた。
どうも、明日の朝あたりに雪が降るという予報なので、ちょっと心配。
大荒沢の向かい側の大師山(標高803m)。
山の上部の方が白く雪が積もりかけているが、中腹から下はまだのようだ。
今年は、厳しい寒さが一気に下りてこないせいだろう。
家とお寺の周囲の物をほぼ片づけて、冬籠りの準備もほぼ終わり。
もちろん、完璧などあり得ない。
あとは、雪が降って積もれば諦めるしかない、というところまできたというとこかな。
浪江町から福島市に避難している友達から電話がきた。
元気に過ごしているようだけれど、米沢に避難してきている浪江の人たちもいて、その人たちの冬の過ごし方を心配していた。
そう、雪の降らない海端の町から、豪雪地に来て戸惑うことはいっぱいあるに違いない。
服装や履物もそうだし、雪かきの仕方、それに車の運転がたいへんだろうと思う。
彼は、冬の米沢にも何度も来ているので、わかっているので、よけい心配しているようであった。
今年は、そういったことも頭に入れて冬をすごさなければならないのだね。
12月8日
12月8日(木)、曇り時々雨 朝 一時みぞれ。
雪の予報だったけど降らず、もうけた。
お寺の客間の花も、クリスマスツリー風^^;
外国のいろんな文化を受容してきたこの国、日本。
仏教も正式に伝わったのは6世紀半ばのこと。
かつては、外来の文化・宗教だったのだ。
その日本が、昭和16年(1941年)12月8日(日本時間で)、アメリカとイギリスに宣戦布告して真珠湾攻撃を仕掛け、いわゆる太平洋戦争に突入した日なのでありますね。
わずか70年前?!、もう70年?!
泥沼に入ったような戦争は1945年8月に終戦となり、そこから長い復興の道のりをたどり現在に至る。
1960年代生まれの私は、もちろん戦争を知らない。
貧しさは知っているけれど、右肩上がりの日本経済とともに育ってきて、かつて不自由だったこと、貧しかったこと、その中に幸福感があったことも、忘れてしまったかのように思う。
そして今年、大震災と原発事故による大きな社会の揺らぎ。
この米沢の地ではたいした被害はなかったけれど、車で1時間ちょっとで行ける隣県の福島県や宮城県などが復興の道筋が見えないほどの状況になってしまった。
原発の絶対安全という思い込み(無関心)から、脱しなければならない。
12月8日は、釈尊が悟りを得た日でもある。
成道会という法要を行っているお寺もある。
1年を振り返るにはまだちょっと早いのかもしれないけれど、震災をはじめ、国内外で今年起きたことを考えてみると、日本では戦争以後の最も大きな転機となる年かもしれぬ、という多くの人が語っていることは、本当だと思える。
これから、エネルギーをめぐる問題が世界を大きく動かす。
原子力という、実際、まだ最終的に処理ができないものを扱っていること。
石油という有限な資源の枯渇が目に見えていること。
ちゃんと目を開いて見ていかなければならないんだろう。
その上で、自分に何ができるかってことなんだろうなぁ。
雪の予報だったけど降らず、もうけた。
お寺の客間の花も、クリスマスツリー風^^;
外国のいろんな文化を受容してきたこの国、日本。
仏教も正式に伝わったのは6世紀半ばのこと。
かつては、外来の文化・宗教だったのだ。
その日本が、昭和16年(1941年)12月8日(日本時間で)、アメリカとイギリスに宣戦布告して真珠湾攻撃を仕掛け、いわゆる太平洋戦争に突入した日なのでありますね。
わずか70年前?!、もう70年?!
泥沼に入ったような戦争は1945年8月に終戦となり、そこから長い復興の道のりをたどり現在に至る。
1960年代生まれの私は、もちろん戦争を知らない。
貧しさは知っているけれど、右肩上がりの日本経済とともに育ってきて、かつて不自由だったこと、貧しかったこと、その中に幸福感があったことも、忘れてしまったかのように思う。
そして今年、大震災と原発事故による大きな社会の揺らぎ。
この米沢の地ではたいした被害はなかったけれど、車で1時間ちょっとで行ける隣県の福島県や宮城県などが復興の道筋が見えないほどの状況になってしまった。
原発の絶対安全という思い込み(無関心)から、脱しなければならない。
12月8日は、釈尊が悟りを得た日でもある。
成道会という法要を行っているお寺もある。
1年を振り返るにはまだちょっと早いのかもしれないけれど、震災をはじめ、国内外で今年起きたことを考えてみると、日本では戦争以後の最も大きな転機となる年かもしれぬ、という多くの人が語っていることは、本当だと思える。
これから、エネルギーをめぐる問題が世界を大きく動かす。
原子力という、実際、まだ最終的に処理ができないものを扱っていること。
石油という有限な資源の枯渇が目に見えていること。
ちゃんと目を開いて見ていかなければならないんだろう。
その上で、自分に何ができるかってことなんだろうなぁ。
とりあえず終った
12月7日(水)、晴れ。
この二日間のお天気はありがたかった。
お堂の雪囲いに手間取っている私を見て、住職が前日の夕食時にぼそっと「一冬かがっかぁ^^」と言う。
「・・・」(--〆
あのねぇ、ま、聴こえねがったことにしてスル―
あっついスープ餃子を食べつつ、「あははは^^;」などと穏やかな食卓は続くのでした。
午前中は、米沢市内の空家になっていた家屋と事務所の解体、井戸の埋め立てと屋敷神さまの撤去と言うことで、ご祈祷に行ってまいりました。
その昔は機屋さんで、のちには牛乳の販売所として長らくあったところの住人が、後を継ぐ人がいなくなり、数年放置され、手放されることになったようです。
取りあえずは、まったくの更地になるということで、今までのご加護に感謝し、一旦自然に還すという意味のご祈祷をするのです。
寂しく感じますが、荒れたまま放置されるよりもずっといいのだと感じます。
午後は雪囲いに専念。
時々お客さまが訪ねてくるのだけれど、とりあえず順調。
というわけで、暗くなる前に完了。
もう、雪が降っても安心という感じ。
家の周囲は、もう少し片づけものがあるけど、あとはボチボチといきまっしょう。
この二日間のお天気はありがたかった。
お堂の雪囲いに手間取っている私を見て、住職が前日の夕食時にぼそっと「一冬かがっかぁ^^」と言う。
「・・・」(--〆
あのねぇ、ま、聴こえねがったことにしてスル―
あっついスープ餃子を食べつつ、「あははは^^;」などと穏やかな食卓は続くのでした。
午前中は、米沢市内の空家になっていた家屋と事務所の解体、井戸の埋め立てと屋敷神さまの撤去と言うことで、ご祈祷に行ってまいりました。
その昔は機屋さんで、のちには牛乳の販売所として長らくあったところの住人が、後を継ぐ人がいなくなり、数年放置され、手放されることになったようです。
取りあえずは、まったくの更地になるということで、今までのご加護に感謝し、一旦自然に還すという意味のご祈祷をするのです。
寂しく感じますが、荒れたまま放置されるよりもずっといいのだと感じます。
午後は雪囲いに専念。
時々お客さまが訪ねてくるのだけれど、とりあえず順調。
というわけで、暗くなる前に完了。
もう、雪が降っても安心という感じ。
家の周囲は、もう少し片づけものがあるけど、あとはボチボチといきまっしょう。