12月16日(金)、朝 少々雪。 昼は降ったりやんだり、夕刻から本格的に降り出した。
夜は、こんな感じで、明日の朝は除雪車が出て、雪かきをしなければならないでしょう。
とうとう本格的な雪になりそうです。
朝、初七日のご供養に、兼務寺の檀家さん宅に伺い、その後、用があって、コミセンへ。
事務所で、敬愛する大先輩のOさんが、機関誌に乗せる年頭の言葉を書き、職員さんにパソコンで清書してもらっていた。
このOさんの字は、判読が難しい^^;(けして下手ではない…と思う^^;)
一年のうち、何度か文章を書いてもらいお、原稿化するというのは、およそ10年ぐらい私の仕事だった。
おかげで、かなり読めるようになった。
ま、他ではまったく役に立たない、特技ですけどね。
考えるスピードにペンで書くスピードが追いついて行かなくなるようで、独特の特徴があるのだ。
短い文章なのだけれど、ようやく清書ができて、それをfaxで送信するのだが、どうしても行かない。
番号確認して再送信するも行かない。
Oさんは、「このfax機、文章拙いど、いがねんでないがい…、高性能の校正能力ついてんなだべぇ^^」
「・・・^^;…」立派な役職をいっぱい持ってらっしゃるのですけど、とってもお茶目。
年頭の挨拶の文章を書く時期になったんだ。
おう、年賀状もどうしよう。
雪はしだいに時間を追ってだんだん降り方が激しくなり、かんじるようになった。
ふだんは懐こっくないねご ミーも炬燵に入って来た。
ふ~む寒い。
もう寝よう。
でも、原発事故の事故そのものは収束した…って、う~む、またなんだか胡散臭い宣言のニュース。
気になるけど、寝よう。
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(118)『家の履歴書』 文化人・芸術家篇
斎藤明美:著 キネマ旬報社 2011年7月)
『週刊文春』の連載「家の履歴書」の中から、文化人と芸術家をピックアップしてまとめた、『家の履歴書』シリーズの3巻目。
家について、いわゆる建物としての家にまつわるエピソードと、建物でない「いえ」というしがらみと言えばいいのだろうか(紛らわしい言い方になりますね^^;)、そういった、それぞれの人の履歴でもあるわけです。
じつは、既刊の2冊はまだ読んでいなくて、なんとも言えないのだが、どの分野であっても著名人の話なので、じつにその引っ越しの移動距離のスケール感とか浮き沈みみたいなものの振れ幅が大きいことに驚いてしまう。
生まれたところから一度も離れることなく、その土地に何十年と住んでおります、というようなことなはい…、とおもったら、茶道の家元は生まれてこのかた、築百数十年の家に70年以上も住んでいて、しかも500年続く「いえ」を受け継いでいる。
これまた、そのスケールが大きいのであります。
そして、戦前に生まれた人たちは、太平洋戦争という世の大きなうねりに翻弄されていることがよくわかる。
家族の離散、生き死に、病や別れということを、戦争のない時代よりもはるかに多く過酷に体験せざるを得なかったに違いない。
しかし、登場する多くの人が、家は小さくても大勢の家族がひしめきながら狭い部屋に寝起きしていた時代が幸せと感じる、というような言葉を残している。
家の大きさとか、物の多さとかと幸福感っていうのは比例しないのだろうか。
美空ひばりの養子になった加藤和也さんは、大きな邸宅で一人ぼっちという孤独感に苛まれていたというし、元アナウンサーでエッセイストの山根基世さんは、三十代半ばにして念願のマンションを購入し住み始めたのに、寂しくて寂しくてしょうがなかった、と言っている。
家と生き方、そして満足感とか幸福感は、その家の豪華さとか広さには比例しないのかもしれぬ。
私は、1年以上住んでいた家(寮も含む)は四つある。
生まれ育って、戻ってきて現在住んでいるお寺の庫裏、学生時代に借りて住んでいた一戸建ての家、同じく学生時代のアパート、それにお寺の寮だ。
自分が住むお寺の建物は私のものではないが、やはり生まれ育った場所。
お寺の財産でありながら、住ませてもらっているという意識は、頭のどこかにあるのだ。
そのお寺の中でも、幼少期から与えられた部屋をあちらこちらと移動している。
記憶がある最初は、北側の池端にある、廊下を改造した3畳間。
じきに、2階の納戸を改装した6畳間に移り、ここには小学6年生までいた。
中学に入ると、池端の廊下を改装しなおした3畳間×2に移り、高校卒業までいる。
そして、お寺に戻ってからは、最も奥の「蔵」と呼んでいる建物の6畳間。
やがて、増築した南側の2階に落ち着き今に至る。
どの時代がよかったということは、今は一概に言えない。
住むことに関して、まだこれから課題がいっぱいあるし、ちょっとした夢もある。
『家の履歴書』は「いえ」を考える面白い手がかりになるような気がする。
『週刊文春』の連載「家の履歴書」の中から、文化人と芸術家をピックアップしてまとめた、『家の履歴書』シリーズの3巻目。
家について、いわゆる建物としての家にまつわるエピソードと、建物でない「いえ」というしがらみと言えばいいのだろうか(紛らわしい言い方になりますね^^;)、そういった、それぞれの人の履歴でもあるわけです。
じつは、既刊の2冊はまだ読んでいなくて、なんとも言えないのだが、どの分野であっても著名人の話なので、じつにその引っ越しの移動距離のスケール感とか浮き沈みみたいなものの振れ幅が大きいことに驚いてしまう。
生まれたところから一度も離れることなく、その土地に何十年と住んでおります、というようなことなはい…、とおもったら、茶道の家元は生まれてこのかた、築百数十年の家に70年以上も住んでいて、しかも500年続く「いえ」を受け継いでいる。
これまた、そのスケールが大きいのであります。
そして、戦前に生まれた人たちは、太平洋戦争という世の大きなうねりに翻弄されていることがよくわかる。
家族の離散、生き死に、病や別れということを、戦争のない時代よりもはるかに多く過酷に体験せざるを得なかったに違いない。
しかし、登場する多くの人が、家は小さくても大勢の家族がひしめきながら狭い部屋に寝起きしていた時代が幸せと感じる、というような言葉を残している。
家の大きさとか、物の多さとかと幸福感っていうのは比例しないのだろうか。
美空ひばりの養子になった加藤和也さんは、大きな邸宅で一人ぼっちという孤独感に苛まれていたというし、元アナウンサーでエッセイストの山根基世さんは、三十代半ばにして念願のマンションを購入し住み始めたのに、寂しくて寂しくてしょうがなかった、と言っている。
家と生き方、そして満足感とか幸福感は、その家の豪華さとか広さには比例しないのかもしれぬ。
私は、1年以上住んでいた家(寮も含む)は四つある。
生まれ育って、戻ってきて現在住んでいるお寺の庫裏、学生時代に借りて住んでいた一戸建ての家、同じく学生時代のアパート、それにお寺の寮だ。
自分が住むお寺の建物は私のものではないが、やはり生まれ育った場所。
お寺の財産でありながら、住ませてもらっているという意識は、頭のどこかにあるのだ。
そのお寺の中でも、幼少期から与えられた部屋をあちらこちらと移動している。
記憶がある最初は、北側の池端にある、廊下を改造した3畳間。
じきに、2階の納戸を改装した6畳間に移り、ここには小学6年生までいた。
中学に入ると、池端の廊下を改装しなおした3畳間×2に移り、高校卒業までいる。
そして、お寺に戻ってからは、最も奥の「蔵」と呼んでいる建物の6畳間。
やがて、増築した南側の2階に落ち着き今に至る。
どの時代がよかったということは、今は一概に言えない。
住むことに関して、まだこれから課題がいっぱいあるし、ちょっとした夢もある。
『家の履歴書』は「いえ」を考える面白い手がかりになるような気がする。
おしょうしな
12月15日(木)、雨 一日中降ったりやんだり 夜(田沢は)みぞれ。
今日のお弁当
「ご飯、炒り卵と挽肉そぼろのふりかけ、ブロッコリー(マヨ添え)、茹でキャベツ&きのこ、ミニトマト、ひじき煮、大根の煮つけ、クルミと小魚の佃煮」
お昼、ローカルのFM曲の番組(地元 米沢の番組)を車の中で偶然聴いていた。
「おしょうしナウ」だったかなぁ。
米沢の方言「おしょうしな」と米沢の今「now」をかけた番組なんですね。
じつは私も、今年 番組に登場したことがあって(録音ですv^^;)、意外に聴いている人が多くて、反響に驚いたのでした。
で、今日は方言クイズをやってました。
「はんばげる」って意味は次のうちどれでしょう?という問題でした。
わがりますか?
番組とは別に、「しゃいこない」どか「しゃいこなし」って言う方言わがります?
共通語だと「おせっかい」「おせっかいやき」ということになるべが?!
いい意味もあるけど、どっちかというとちょいと迷惑な感じが強いでしょうかね。
自分も、しゃねうじに(気づかないうちに)余計なしゃいこしないように気をつけよう。
午後から、高校時代の同級生で友達のIの父上のお葬式に参列した。
高校時代から遊びに行ってはお世話になっていた。
八十八歳になっておられた。
気丈な方であったが、近年はだいぶがおっておられたし、今年一月に奥さまを亡くされて張りを失ったのかもしれぬ。
最後にIの喪主のあいさつを聴いていていたら目と鼻の間がツーンとなった。
一年に2度、両親を見送ることになった彼も、たいへんなことであっただろう。
思えば、35年ぐらい前から(*_*)お付き合いさせてもらってきたのだった。
はぁ~、なんて長そうだけど、たちまち経ってしまった時間。
最後に、Iの父上と最後にちゃんと話してから何年経ったのだろうか。
ちゃんと「おしょうしな」と言ってなかったような気がする。
心の中でで申し訳ないけど、感謝しております。
夕刻から、評議員になっている社会福祉法人の会議があって、本日はそれで終了。
代車と交換してきたCちゃんⅡに乗って、市街地から田沢に向かったらみぞれになった。
明日は雪が降るんだろうか。
もう、降ってもおかしくない、12月半ばのだ。
今日のお弁当
「ご飯、炒り卵と挽肉そぼろのふりかけ、ブロッコリー(マヨ添え)、茹でキャベツ&きのこ、ミニトマト、ひじき煮、大根の煮つけ、クルミと小魚の佃煮」
お昼、ローカルのFM曲の番組(地元 米沢の番組)を車の中で偶然聴いていた。
「おしょうしナウ」だったかなぁ。
米沢の方言「おしょうしな」と米沢の今「now」をかけた番組なんですね。
じつは私も、今年 番組に登場したことがあって(録音ですv^^;)、意外に聴いている人が多くて、反響に驚いたのでした。
で、今日は方言クイズをやってました。
「はんばげる」って意味は次のうちどれでしょう?という問題でした。
わがりますか?
番組とは別に、「しゃいこない」どか「しゃいこなし」って言う方言わがります?
共通語だと「おせっかい」「おせっかいやき」ということになるべが?!
いい意味もあるけど、どっちかというとちょいと迷惑な感じが強いでしょうかね。
自分も、しゃねうじに(気づかないうちに)余計なしゃいこしないように気をつけよう。
午後から、高校時代の同級生で友達のIの父上のお葬式に参列した。
高校時代から遊びに行ってはお世話になっていた。
八十八歳になっておられた。
気丈な方であったが、近年はだいぶがおっておられたし、今年一月に奥さまを亡くされて張りを失ったのかもしれぬ。
最後にIの喪主のあいさつを聴いていていたら目と鼻の間がツーンとなった。
一年に2度、両親を見送ることになった彼も、たいへんなことであっただろう。
思えば、35年ぐらい前から(*_*)お付き合いさせてもらってきたのだった。
はぁ~、なんて長そうだけど、たちまち経ってしまった時間。
最後に、Iの父上と最後にちゃんと話してから何年経ったのだろうか。
ちゃんと「おしょうしな」と言ってなかったような気がする。
心の中でで申し訳ないけど、感謝しております。
夕刻から、評議員になっている社会福祉法人の会議があって、本日はそれで終了。
代車と交換してきたCちゃんⅡに乗って、市街地から田沢に向かったらみぞれになった。
明日は雪が降るんだろうか。
もう、降ってもおかしくない、12月半ばのだ。
もどき
12月14日(水)、晴れ。
天気は好し、されど、ココロはまだまだ重し…。
ブチ切れかかった気分がまだぶり返してくるじゃありませんか。
こんな時は、動くにかぎるのであります。
出張お勤めがない今日は、まず大荒沢へ。
やり残していた仮設便所の雪囲いを終わらせよう。
林道を進むと・・・なんと・・・道の真ん中に重機停めて・・・木の伐採中!
またブチ切れる・・・かと思ったら、やはは^^大人の対応ではいはい、って言う感じで、だいぶ回復してきたな。
今日の大荒沢。
うっすら雪が積もっていました。
それでも、車が入るには支障がない程度で、いがったいがった。
明日からまた天気が下り坂になるようなので、今日が車で行けるラストチャンスかもしれぬ。
愛車のCちゃんⅡ(CーRV)は車検中で代車なんだけど、代車にちょっと過酷な条件の場所に行ってしまった。
なんとかあちこち(適当に)雪囲いをやっつけて、お堂も点検して終了。
帰途に就くと、また重機と今度は運搬用の大型トラックが・・・(--〆
こんどこそブチ切れかと思ったら、即移動して交換してくれたので、はいはい^^「ご苦労さまっす!」と大人の対応です。
昼過ぎに帰宅して昼食。
「ご飯、炒り卵と肉そぼろ、クルミと小魚の佃煮、ブロッコリー(マヨ添え)、ひじき煮」
ふむ 美味い旨い。
それに、カルシウムとか多くて、気持ちが鎮まるメニューかもしれぬなぁ(T_T)
家の裏側の樹に巻きついたツルウメモドキが青空に映えてる。
お寺の周囲も、雪が降らぬうちにしておくことがまだまだある。
あぱとぱとあちこち(適当に)やっつげる。
で、あっと言う間に夕方になってしまうのだけれど、今日は天気がいいのでちょっとだけ陽が長いような気がする。
それでも、もう5時になると真っ暗、気温がぐっと下がってくる。
陽が落ちる前、西の空の雲が怪鳥(怪獣)のような姿に見える。
まるで、「ぐはははは」とわずかに残った夕陽を飲みこんで夕暮れにしてしまう!って感じ。
怪獣もどき。
相方は今日で仕事を一区切りして、明日から休みに入る。
あとは無事に出産することを願うのみ。
それに、父もどきは、ちゃんと父になれるようにがんばらなくちゃ^^;
天気は好し、されど、ココロはまだまだ重し…。
ブチ切れかかった気分がまだぶり返してくるじゃありませんか。
こんな時は、動くにかぎるのであります。
出張お勤めがない今日は、まず大荒沢へ。
やり残していた仮設便所の雪囲いを終わらせよう。
林道を進むと・・・なんと・・・道の真ん中に重機停めて・・・木の伐採中!
またブチ切れる・・・かと思ったら、やはは^^大人の対応ではいはい、って言う感じで、だいぶ回復してきたな。
今日の大荒沢。
うっすら雪が積もっていました。
それでも、車が入るには支障がない程度で、いがったいがった。
明日からまた天気が下り坂になるようなので、今日が車で行けるラストチャンスかもしれぬ。
愛車のCちゃんⅡ(CーRV)は車検中で代車なんだけど、代車にちょっと過酷な条件の場所に行ってしまった。
なんとかあちこち(適当に)雪囲いをやっつけて、お堂も点検して終了。
帰途に就くと、また重機と今度は運搬用の大型トラックが・・・(--〆
こんどこそブチ切れかと思ったら、即移動して交換してくれたので、はいはい^^「ご苦労さまっす!」と大人の対応です。
昼過ぎに帰宅して昼食。
「ご飯、炒り卵と肉そぼろ、クルミと小魚の佃煮、ブロッコリー(マヨ添え)、ひじき煮」
ふむ 美味い旨い。
それに、カルシウムとか多くて、気持ちが鎮まるメニューかもしれぬなぁ(T_T)
家の裏側の樹に巻きついたツルウメモドキが青空に映えてる。
お寺の周囲も、雪が降らぬうちにしておくことがまだまだある。
あぱとぱとあちこち(適当に)やっつげる。
で、あっと言う間に夕方になってしまうのだけれど、今日は天気がいいのでちょっとだけ陽が長いような気がする。
それでも、もう5時になると真っ暗、気温がぐっと下がってくる。
陽が落ちる前、西の空の雲が怪鳥(怪獣)のような姿に見える。
まるで、「ぐはははは」とわずかに残った夕陽を飲みこんで夕暮れにしてしまう!って感じ。
怪獣もどき。
相方は今日で仕事を一区切りして、明日から休みに入る。
あとは無事に出産することを願うのみ。
それに、父もどきは、ちゃんと父になれるようにがんばらなくちゃ^^;
やりきれない
12月13日(火)、晴れ 時々曇り。
朝方、うっすらと雪が積っていたのだが、すでに朝陽が出ていた。
裏山をみると、木々の高いところに砂糖を振りかけたような雪がかかっており、中段から下はもう融けていて、面白い景色になっていた。
天気は良いが、昨日から訃報が続いて届き、どぉっと気持ちが落ちてしまった。
お天気のせいなんだろうか、なんだろう。
近くの農家で、作業中に事故があり、大けがを負った方が亡くなった。
また、友人の父親の容体が急変し亡くなった。
二人とも八十代半ばの高齢者ではあるけれど、元気で活躍してきた人でもあるし、私もお世話になった方々だ。
なんともやりきれない悲しさなのだ。
そして、今日 檀家の急逝された(九十歳)方の火葬と葬儀。
かなり気持ちが落ちたまま望むことになった。
そういう状態で、隣組の一人の軽口にブチ切れてしまった。
修行が足りぬ(--;
もちろんそのまんま態度や言葉など出さぬのではあるが…
もし、今日みたいな気持でなく、普通の状態なら聞き流せたのかもしれぬ。
かなり情けない思いなのである。
よって、今日はもう寝てしまうのである。
お休みなさい。
朝方、うっすらと雪が積っていたのだが、すでに朝陽が出ていた。
裏山をみると、木々の高いところに砂糖を振りかけたような雪がかかっており、中段から下はもう融けていて、面白い景色になっていた。
天気は良いが、昨日から訃報が続いて届き、どぉっと気持ちが落ちてしまった。
お天気のせいなんだろうか、なんだろう。
近くの農家で、作業中に事故があり、大けがを負った方が亡くなった。
また、友人の父親の容体が急変し亡くなった。
二人とも八十代半ばの高齢者ではあるけれど、元気で活躍してきた人でもあるし、私もお世話になった方々だ。
なんともやりきれない悲しさなのだ。
そして、今日 檀家の急逝された(九十歳)方の火葬と葬儀。
かなり気持ちが落ちたまま望むことになった。
そういう状態で、隣組の一人の軽口にブチ切れてしまった。
修行が足りぬ(--;
もちろんそのまんま態度や言葉など出さぬのではあるが…
もし、今日みたいな気持でなく、普通の状態なら聞き流せたのかもしれぬ。
かなり情けない思いなのである。
よって、今日はもう寝てしまうのである。
お休みなさい。