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小豆かぼちゃ

  • 小豆かぼちゃ
12月22日(木) 雪のち曇りから晴れ。 夕刻からまた雪。

朝は、微妙な雪の量で、除雪機を出そうか出すまいか、悩んだけど結局出した。
市道は除雪車で掃いていったので、入口に雪がたまっているしなぁ。

ただし、気温が上がり湿気の強い雪ゆえ、どうも面白くない。
こんな時によくピンを切ってしまう。


2度も切れると、こちらが切れそうになる(--;
それでも天気は回復。
昼前に除雪を終えた。



22日は冬至。
一年で陽が一番短くて、夜が長い日。
この日を境に、だんだんと陽が長くなって行く。
実際は数日間 ずれがあるみたいですけどね^^;
けれど、私は陽が長くなるだけで、しだいに気分が軽くなるような気がするのです。
たとえ、これから雪が本番だとしてもです。



当時といえば、アズキ南瓜煮であります。
母親が昨夜からコトコトと小豆を煮ておりました。

アズキ南瓜を食べると中風(脳内出血など)にならないと言われていたものです。迷信かもしれませんが、わが家ではそう言って健康を祈って食します。

皆さまのお宅はいかがですか?


2011.12.23:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

(120)『花森安治』

  • (120)『花森安治』
文藝別冊 KAWADE夢ムック『花森安治』 美しい「暮し」の創始者
(河出書房新社  2011年12月)


母の実家に行くと「暮しの手帖」がずいぶんと揃っていたものだったが、高校生までの私はそれを積極的に手に取ってみようとはしなかった。

それから、大学に進学し都会で一人暮らしを始めて、書店にある「暮しの手帖」に興味を持ち購入し読むようになった。
1979年(昭和54年)のことだ。

創刊時から一貫して編集長を務めてきた花森安治さんが亡くなられたのはその前年、昭和53年の1月のことだ。

「暮しの手帖」=「花森安治」というカタチから移行気であったと思われる。
しかし、その時の私には、とても目新しい暮しの情報誌と移ったのだ。
それが、以前のこの雑誌を知る人にとって、違うものになっていたとしてもである。

その時期に目新しい家電製品や暮しに関わる商品のテストがとても目新しいものだった。


その花森安治氏の素顔や残してきた作品、彼を知る人々の文章などなど、想像以上の分量が載せてあり、夜更かしのつもりが夜明かしで読むことになってしまった。

氏の経歴を見ていると、応召を受けて中国にわたり、病気で除隊してから、大政翼賛会で働いたというところがどうしても気にかかった。
この組織は、ご存知の通り、太平洋戦争における国民の戦意発揚を目的とした広報活動をしてきた組織だからだ。
そこで、国民にむけた広報ポスターやそこに使われるコピーを書いていたという事実がある。
それは、戦争を知らない私でも、テレビドラマや映画などでよく見聞きしてきた有名な標語(コピー)であった。

そのことについても、この本は関係者の文章ではその状況とかといったことを記している。


戦後は、直接的にはこのことを封印しているのだけれど、この悔恨の思いが、「暮しの手帖」に向かわせたのではないかと思われる。

平易な文章、斬新なアート、徹底した実証、といった花森のこだわりのある暮しに役立つ情報を30年間にわたりだし続けてきたのだ。

私の周囲にも、暮しの手帖のレシピ通りに作った料理はとてもいいというひとがいる。

大量消費をよしとする社会にあってなおかつ、カタログ化しつつある他の雑誌に迎合することなく、暮しに役立ついいこと(いいもの)を送り続けてきた。

ただし、昭和50年代の彼の晩年には、商品テストは相変わらず人気のコーナーで会ったが、受け手の受け止め方が変わってきたことを敏感に感じてはいたらしい。

商品テストは作る側(メーカー)へのメッセージとしては伸してきたものが、消費者側のカタログ的な受け止め方に変わってきたことである。

しかし、彼の没後すでに33年、相変わらず「暮しの手帖」は季刊で発行し続けている。
私も時々購入して呼んでいる。

カリスマ的な花森安治の時代のものと変わってきてはいるのだろうと思うのだが、相変わらず、一人一人の暮らしを大切に、という基本は変わっていないのではないだろうかと感じるのだ。
2011.12.23:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

もったいない

  • もったいない
もう30年以上使っている本堂のお参りをするところに下がっている蛍光灯。
年季が入っていて、スイッチが壊れたりするのだけれど、直せばまだ使えるのであります。

エコっていうことを考えたら、もう、LED照明器具に替えればいいのかもしれないのだが、使えるものを捨てて新しくするのは、本当にエコなんだろうか?!という思いもあって…。

まぁ、お金がないのでなかなか買えないというのが本音ですけどね^^;

敬愛する電気屋さんのSさんに、壊れたスイッチを治してもらった^^
「1年ぐらいもつんでないかい^^」
「おいおい、1年きりかね~」

電気屋さんにしてみれば、こんな古いのは取り換えた方がいいよって思いますよね。
でも、ちゃんと直してくれるので、ありがたいありがたい。







いただきもの2連発。

Sさんから相方がいただいてきた、栗とサツマイモのタルト。
全部手作り、素朴な甘さでうんまい!^^

福島のAさんから送られてきた、スモークサーモン入りのマリネ。
うんまい!

思えば、わが家は昔から、できるだけ物は長持ちさせて、戴きものをありがたく食すというのが普通なのであるようです。



2011.12.22:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

歳末気分

  • 歳末気分
12月21日(水) 晴れ、のち曇りで小雪舞う。

今月も下旬に突入し、いよいよ歳末気分になってきた。

外へ出かけるお勤めがなくて三日目。
それでも、お寺にお仏供米をお供えいただいたり、お歳暮に来て下さるお客さまがおいでになるので、それなりに暇ではないものだ。

それに、煤払いというか片づけをしているうちに、あっと言う間に時間が過ぎてしまうのだ。


北側の裏の屋根に雪がたまってしまい、落ちないでいる。
もうそろそろ突っついてやらなけりゃならない。
量的には微妙なところだ。

すこし天気がいいと、かんじたせいで雪の表面がキラキラ輝いて、景色もいい。
長靴はいて、ちょっこら裏山を歩いてみた。
あちこちに、動物の足跡が見える



相方が休みに入っており、家にいる時間が多くなった。
といっても、だいぶお腹が大きくなり、身体をかがめたり中腰という姿勢は大変そうにしている。

朝食の食卓で、亡くなった家の祖母の話になった。
私の父は8人兄姉の下から二番目。


今の世の中ではビックリする人数だけど、昭和一桁の当時ではさほど珍しいことではなかったようだ。
「本当によく産んで育てたものだなぁ」と思う。
私の母が「ばばちゃ(私の祖母のこと)が、何かじじちゃ(祖父のこと)に言われて気でないとき(機嫌がよくない時)に」こんなこと言っていて可笑しかった」という。
祖母「8人も生ませらっちたいへんだ…」
祖父「生ませらっちゃ?!」

ふだんは穏やかな祖父が気色ばんで、祖母に言い返していたものだったという。
とても茶目っ気のある祖父だったから、ゼスチチャーかもしれないけどもね。
いずれにしても、8人も子どもを産んで育てるのってすんごいことだなぁと思わずにはいられない。



たちまちお昼になり、今日はうどん。
先日の法事でいっぱいいただいてきた折詰の海老天&海老フライを冷凍していたものを乗せて、なんとなく豪華。
自分のは海老フライうどん。
町の立ち食いそば・うどんのメニューみたいですよね。

今日もいただき物をありがたく美味しく食しているのであります。



2011.12.21:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

生かされてる

  • 生かされてる
12月20日(火) 晴れ

朝方はとてもかんじた(寒かった)のだが、雪は夜半にやんだらしく、対して積もっていなかった。

今シーズンの雪は一気に来ないので、朝必要な場所を雪かきして、食後にたまった雪を片づけるというような調子である。

画像は、伝国の杜の南側の街路樹。


午前中に、駐車場と屋根から落下してたまった雪を除雪機で飛ばして、とりあえず終了。




お昼はお弁当。
「ごはん、味噌揚げ、ホウレン草と玉子炒め、ミニトマト、鰤の味噌漬け、舞茸とこんにゃくの煮物」

友人からの頂き物で、なんとも食卓が豊かになってる。
ありがたいことです。

そうしたら、浪江町から福島市に避難している友人から宅配便が届いた。


開いてみると

(^0^/

サーモンのセット…
彼は毎年、太平洋から浪江町の請戸川に帰ってくる鮭を送ってくれていた。
今年は、北海道の知床のものを送ってくれたらしい
なんだか泣けてきそう

自分とこがすごい被害に遭いながら、こうして気遣ってくれるんだものなぁ
ありがたくいただくことにいたします。



上杉神社の周囲もすこしづつすこしづつ、雪が積もってきましたね。

冬至まであと二日だ。

2011.12.21:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]