2月17日(金) 雪のち晴れ
朝、うっすらと雪が積もっており、まぁ除雪はいいかぁというような量でしょうか。
「あまおう」
あまい まるい おおきい うまい
あまおう・・・ですね^^
母が奮発して買ってよこしました。
ありがたいありがたい(^^;
午前中は雪掘り。
寒いのに、汗が流れる。
少し休むと、「寒い!」
で、また作業開始、汗が流れるというくり返しで、お昼までに一応終了(^^;
午後は長井の実家へ行き、また戻って打ち合わせを2件ほど。
子どもは、今日もよく寝ておりました。
元気元気、肌の色がいっちょ前に人らしくなってきてます。
ミルクの匂いがなんとも愛おしい。
いとこから贈られたプレゼントを持参。
箱を開けると、「トトロおむつケーキ」^^
おもしゃいねぇ。
ケーキの中身はおむつでできてます。
まだ見ても判んないかもしれないけど、おもしゃいね。
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陽が長くなった
2月16日(木) 雪のち晴れ
朝、10㎝ほどのサラサラした雪が降ったけれど、除雪はしなくてもよいだろう、ということにした^^;
幸い、お陽さまが出て、だいぶ融けた。
午前中は、米沢鷹山大学の「おしょうしなカレッジ」という市民が開講する講座の説明会が行われ、受付などのお手伝いと、お話を聴いてきた。
「初心者の野菜園芸」という講座を開設する予定になっている。
鷹山大学は、米沢市が直接実施するのではなく、市民が運営する形になった。
お金はまだ市から出るようである。
今までも続けて実施している熱心な方が多い。
今年から運営形態がより自主的になるので、そこらへんの変わったところを丁寧に説明しなければならない。
実施者も、今までよりも手がかかることが多くなるのではないだろうか。
これは、いずれ市民自主運営の生涯学習の形態である「市民大学」へ、という10年来の目標に近づきつつあるのだと思う。
そして、午後からは敬愛する川西町玉庭のF師の檀家さんの葬儀があり、伴僧を勤めさせていただいた。
終えて田沢に帰ってきた頃には夕焼けが。
だいぶ陽が長くなってきた。
17時半でこの明るさである。
大荒沢に連なる山並みがくっきりと望める。
明日も天気かなぁ。
朝、10㎝ほどのサラサラした雪が降ったけれど、除雪はしなくてもよいだろう、ということにした^^;
幸い、お陽さまが出て、だいぶ融けた。
午前中は、米沢鷹山大学の「おしょうしなカレッジ」という市民が開講する講座の説明会が行われ、受付などのお手伝いと、お話を聴いてきた。
「初心者の野菜園芸」という講座を開設する予定になっている。
鷹山大学は、米沢市が直接実施するのではなく、市民が運営する形になった。
お金はまだ市から出るようである。
今までも続けて実施している熱心な方が多い。
今年から運営形態がより自主的になるので、そこらへんの変わったところを丁寧に説明しなければならない。
実施者も、今までよりも手がかかることが多くなるのではないだろうか。
これは、いずれ市民自主運営の生涯学習の形態である「市民大学」へ、という10年来の目標に近づきつつあるのだと思う。
そして、午後からは敬愛する川西町玉庭のF師の檀家さんの葬儀があり、伴僧を勤めさせていただいた。
終えて田沢に帰ってきた頃には夕焼けが。
だいぶ陽が長くなってきた。
17時半でこの明るさである。
大荒沢に連なる山並みがくっきりと望める。
明日も天気かなぁ。
いのち
2月15日(水) 晴れ 一時小雨・雪
雪が降っていないので、除雪はお休み。
身体の筋肉や関節があちこち痛いので、雪掘りも休み。
市役所などでいろんな手続きをしたり、人と会ってから、午後から実家へ。
日に日に大きくなっている子を見るのが楽しみ。
といっても、三日ぶり^^;
沐浴とおむつ交換のお手伝い^^;
寝る・飲む・出す、これが赤子の一日。
順調順調。
これに、沐浴というイベント^^
毎日 たくさんの命がこの世に生まれ、たくさんの命が去ってゆく。
これが、いつもくり返されているのだ。
いつもは気がつかないだけで、身近にそれが起きると、ハッと気がつくのだ。
知人がこの世を去った。
つい数日前に会話を交わして別れたばかりなのに…。
その人のどれだけのことを知っているわけではないのだけれど、その人と交わした会話や笑顔や雰囲気が、心の中に残る。
すでにこの世に、その人はいない、という事実。
せつなくなってくる。
生まれ来るもの、去りゆくもの、これが人間の定めなのだと知っていても、こんなにもせつないものなのか。
雪が降っていないので、除雪はお休み。
身体の筋肉や関節があちこち痛いので、雪掘りも休み。
市役所などでいろんな手続きをしたり、人と会ってから、午後から実家へ。
日に日に大きくなっている子を見るのが楽しみ。
といっても、三日ぶり^^;
沐浴とおむつ交換のお手伝い^^;
寝る・飲む・出す、これが赤子の一日。
順調順調。
これに、沐浴というイベント^^
毎日 たくさんの命がこの世に生まれ、たくさんの命が去ってゆく。
これが、いつもくり返されているのだ。
いつもは気がつかないだけで、身近にそれが起きると、ハッと気がつくのだ。
知人がこの世を去った。
つい数日前に会話を交わして別れたばかりなのに…。
その人のどれだけのことを知っているわけではないのだけれど、その人と交わした会話や笑顔や雰囲気が、心の中に残る。
すでにこの世に、その人はいない、という事実。
せつなくなってくる。
生まれ来るもの、去りゆくもの、これが人間の定めなのだと知っていても、こんなにもせつないものなのか。
あとすこし
2月14日(火) 晴れ
雪が一息ついた、バレンタインデー^^
田沢コミセン前の駐車場が狭くなったので、パワーショベルで掘って広げる作業していた。
いいなぁ、欲しいなぁ。
この何分の一ぐらいの大きさでいいんだけど。
というわけで、こちらお寺でもせっせと雪掘り。
昨日の続きの作業を続ける。
寒気が緩んだので、屋根からドドッと落ちてきた雪の山をせっせとつっ突いては飛ばす、ということを繰り返す。
屋根の軒やトタンがあちこち壊れていて、今年は直すところがいっぱいありそうだ。
大雪が降ると、一人暮らしやお年寄りだけで暮らしている方々の家が心配になる。
役目がら、折を見てそういった家を見に行ったり、話をしに行く。
午前中でおおよそお寺の危ないところを片づけたので、午後から車で行って回ってきた。
雪国では、なにしろこの降雪期を無事に過ごすことさえできれば一安心できる。
地域の周囲の方々と、うまく連携して、問題がなかったり問題が起きても解決できているというのが理想的。
けれど、そうでない場合も少なからずある。
そうした場合の相談とか連絡役になるのだが、最終的には自分には責任をとれないので、なんとか本人に動いていただくよりないのだ。
もうちょっとで冬は終わる。
無事に春を迎えてほしい。
雪が一息ついた、バレンタインデー^^
田沢コミセン前の駐車場が狭くなったので、パワーショベルで掘って広げる作業していた。
いいなぁ、欲しいなぁ。
この何分の一ぐらいの大きさでいいんだけど。
というわけで、こちらお寺でもせっせと雪掘り。
昨日の続きの作業を続ける。
寒気が緩んだので、屋根からドドッと落ちてきた雪の山をせっせとつっ突いては飛ばす、ということを繰り返す。
屋根の軒やトタンがあちこち壊れていて、今年は直すところがいっぱいありそうだ。
大雪が降ると、一人暮らしやお年寄りだけで暮らしている方々の家が心配になる。
役目がら、折を見てそういった家を見に行ったり、話をしに行く。
午前中でおおよそお寺の危ないところを片づけたので、午後から車で行って回ってきた。
雪国では、なにしろこの降雪期を無事に過ごすことさえできれば一安心できる。
地域の周囲の方々と、うまく連携して、問題がなかったり問題が起きても解決できているというのが理想的。
けれど、そうでない場合も少なからずある。
そうした場合の相談とか連絡役になるのだが、最終的には自分には責任をとれないので、なんとか本人に動いていただくよりないのだ。
もうちょっとで冬は終わる。
無事に春を迎えてほしい。
(131)『限界集落 株式会社』
黒野伸一:著 (小学館 2011年11月 発行)
この本を、書店の新刊書のコーナーで背のタイトルを見て、すぐ手を伸ばした。限界集落という題から、ノンフィクションかと思ったら小説だった。「ほう~」と思いつつその時は本の装画を眺めただけで元の位置に戻した。
「限界集落」
気になっている言葉である。
少なくても、5~6年はこの言葉を、仕事上でもよく聞いていた。
私が、過疎化している地区の公民館(コミュニティセンター)で勤務していたこともあり、限界集落と呼ばれている地域で、そこで生じる様々な問題に立ち向かって希望を与える小説…とはどんなものか、とても気になったのだ。
帯に、「過疎、高齢化、雇用問題、食糧自給率… 日本に山積する社会不安を一掃 逆転満塁ホームランの 地域活性化エンタテインメント!」と書いてある。
これは、読まねばなるまい、というわけで数日後また書店を訪れ購入した。
過疎化し、近隣の自治体と合併した村が舞台。
その村出身者の孫で都会育ちのやり手らしい青年が主人公(の一人)。
地域的なしがらみや人間関係があり、事業をするうえでの困難がある。
役人(町の職員)や農協という組織などとの軋轢。
村以外から(都会から)やってきた人と、もともと住んでいる人々との関わり。
様々な困難や事件に遭いながらも、限界集落と呼ばれている人たちの心がまとまり、事業を成功させていく。大まかにいうと、そういうストーリーになっている。
実際に思い当たることがけっこうあって、実体験が重なりあった部分が面白くもある。
都会から農業や林業などを担う人材を得るために、一定期間、体験する事業などというのも多くの自治体などで実施していることだし、市町村の合併は、平成の大合併でそうとうな村や町が併合されている。
足を引っ張る農業振興担当の町役場職員の姿は、いささか陳腐な感がないではないが、確かにいそうである。
まぁ、そういったことを含めてハッピーエンド的なこの小説は、希望を抱かせてくれるものかもしれぬ、のである。
その上で、改めて限界集落について思ってみる。
私のイメージにある限界集落とは、かつて数十戸あった地域がすでに耕作地(田んぼ)はすべて放棄されて荒れ果て、残った数戸には就学児はもちろんいなくて、若者すらいないし、地域の世話役をする人もいない、というものだ。
いささか極端かもしれぬが、実際にそういう集落があり関わってきた経験がある。過疎による様々な問題が起きて、それを解決しようとするとき、「なんで、ここに住んでいるんでしょうね」と関わるいろんな人(市の職員、業者さんなどなど)に言われたし、自分もそう思ったことがある。
そうしてみると、この小説の舞台になっている村は、限界集落なの?っていう思いがないではない。しかし、ここで事業をやって生きていこうというという意味で言うならば、限界集落と言っていいのかもしれない。「まだ俺たちには、ここで生きて行ける、夢を実現できる」っていいうよなね。
こうしてみると、かつてあった青年団の「演劇」のようなイメージになってきた。ちょっと青臭さを感じさせるというか。
行き詰まり感のある空気が漂う時代には、このベタなハッピーエンドストーリーが意外といいのかもしれない。
この本を、書店の新刊書のコーナーで背のタイトルを見て、すぐ手を伸ばした。限界集落という題から、ノンフィクションかと思ったら小説だった。「ほう~」と思いつつその時は本の装画を眺めただけで元の位置に戻した。
「限界集落」
気になっている言葉である。
少なくても、5~6年はこの言葉を、仕事上でもよく聞いていた。
私が、過疎化している地区の公民館(コミュニティセンター)で勤務していたこともあり、限界集落と呼ばれている地域で、そこで生じる様々な問題に立ち向かって希望を与える小説…とはどんなものか、とても気になったのだ。
帯に、「過疎、高齢化、雇用問題、食糧自給率… 日本に山積する社会不安を一掃 逆転満塁ホームランの 地域活性化エンタテインメント!」と書いてある。
これは、読まねばなるまい、というわけで数日後また書店を訪れ購入した。
過疎化し、近隣の自治体と合併した村が舞台。
その村出身者の孫で都会育ちのやり手らしい青年が主人公(の一人)。
地域的なしがらみや人間関係があり、事業をするうえでの困難がある。
役人(町の職員)や農協という組織などとの軋轢。
村以外から(都会から)やってきた人と、もともと住んでいる人々との関わり。
様々な困難や事件に遭いながらも、限界集落と呼ばれている人たちの心がまとまり、事業を成功させていく。大まかにいうと、そういうストーリーになっている。
実際に思い当たることがけっこうあって、実体験が重なりあった部分が面白くもある。
都会から農業や林業などを担う人材を得るために、一定期間、体験する事業などというのも多くの自治体などで実施していることだし、市町村の合併は、平成の大合併でそうとうな村や町が併合されている。
足を引っ張る農業振興担当の町役場職員の姿は、いささか陳腐な感がないではないが、確かにいそうである。
まぁ、そういったことを含めてハッピーエンド的なこの小説は、希望を抱かせてくれるものかもしれぬ、のである。
その上で、改めて限界集落について思ってみる。
私のイメージにある限界集落とは、かつて数十戸あった地域がすでに耕作地(田んぼ)はすべて放棄されて荒れ果て、残った数戸には就学児はもちろんいなくて、若者すらいないし、地域の世話役をする人もいない、というものだ。
いささか極端かもしれぬが、実際にそういう集落があり関わってきた経験がある。過疎による様々な問題が起きて、それを解決しようとするとき、「なんで、ここに住んでいるんでしょうね」と関わるいろんな人(市の職員、業者さんなどなど)に言われたし、自分もそう思ったことがある。
そうしてみると、この小説の舞台になっている村は、限界集落なの?っていう思いがないではない。しかし、ここで事業をやって生きていこうというという意味で言うならば、限界集落と言っていいのかもしれない。「まだ俺たちには、ここで生きて行ける、夢を実現できる」っていいうよなね。
こうしてみると、かつてあった青年団の「演劇」のようなイメージになってきた。ちょっと青臭さを感じさせるというか。
行き詰まり感のある空気が漂う時代には、このベタなハッピーエンドストーリーが意外といいのかもしれない。